第69話 夕闇に一抹の
「……で、何ですか話って」
皆には少しだけ待ってもらうよう伝え、俺は掴まれた腕ごとシグネーさんを引っ張るようにして歩道の隅へ寄った。
なんだか内緒話でもするような格好になってしまったが、この人とフューフィルを絡ませて大変な事になるのを未然に防ぐためだ。仕方無い。
改めて問う俺に、シグネーさんは歩道沿いの壁に軽くもたれるようにしながらひとつ息をつき、俺の目を見据えて言った。
「無論、あの美少女二人をどこで攫ってきてどこへ連れてゆくのかについてです」
「お疲れ様です失礼します」
無視してこの場を離れようとしたところで、再度腕を掴まれる。
「軽い冗談です。近頃の聖ィーノ様はこの程度も受け流せないほど切羽詰まっているのですか?」
「冗談ならせめてそう解るよう真顔で言うのはやめてもらえませんか」
実際には表情の問題などではなく普段の言動に起因する不信感――いや厚く熱い信頼の賜物なのだが。
溜め息混じりに指摘する俺にシグネーさんは何やらやれやれといった風に首を振り、「仕方ありませんね」と前置いて続けた。真顔のまま。
「本題ですが。――例の島について、恐らくは聖ィーノ様が把握していないのではないかと思われる情報が一点ありまして」
息を飲む。
例の島とは、『戦祇の左手』の事で間違い無いだろう。またややこしい冗談でない限り。
セラン・ウェーラー東の沖合に存在する、かつて軍事拠点として使われていたという島。ローナセラからだとまっすぐ北辺りに位置するらしい。
そしてそこに眠る聖標器――『渇尽牙』。その獲得が、俺の当面の目標、のはずだった。なんだか予定が伸び伸びになってしまっているが。
しかしその島についての情報とは。
俺は黙ってシグネーさんの言葉の続きを待つ。
「あの島周辺は、本格的な夏頃になると、海流や濃霧の関係により航行不能になるのです。およそ二ヶ月は封鎖されたままになるので、遅くとも来月までには向かわれた方が良いのではないかと存じますが……と言いますか何故まだ向かっていないのですか? 調査許可が出てから割と経ちますが」
「……シグネーさんが言ったんじゃないですか。行く前に仕事片付けていけって」
「そうでしたか? 覚えていません」
……無視して出発してもバレなかったんじゃないかこれ?
ひどく無責任なシグネーさんの返答に嘆息しつつ、その情報とやらを反芻する。
「えっと……『戦祇の左手』へは、夏の間は行けないからそれまでに行け、ということでいいんですか?」
「あるいは秋頃まで待つか、ですね。貴方がそこまでゆっくりのんびり待てるのであれば」
「急いでるって解ってるなら引き止めないで欲しかったんですが。ていうかもっと早く教えてくださいよその情報。昨日仕事の報告に行った時にでも」
「それは不可能でした。私も昨日の退勤後に知りましたので」
自分も把握してなかったんかい。
「なのでこうして慌てて伝えに来た次第です。殊勝ですね」
「……本買いにきて偶然会っただけでしたよね?」
もう昼過ぎ、も過ぎたような時間帯。少なくとも慌てて来た風ではないが。
まぁこうしてわざわざ、伝えるために声を掛けてくれただけ有り難いと思っておくことにしよう。
謎に得意気な表情のシグネーさんに礼を伝え、待たせたままの皆のところへ戻ろうとする。
「ともかく、ありがとうございます。色々と済ませることもあるのですぐには難しいですが、恐らく再来週くらいには――」
「夏の島へ遊びに行くの? 羨ましいわね」
と、そこに肩越しに掛けられる声。
もう待ちくたびれたのか、フューフィルが様子を見に来たようだった。……来てしまったようだった。
「い、いや、別に遊びに行くわけじゃ……」
「そうなのです。この方は、職務を放り出して観光へ赴く算段を立てているところでして。つい最近海を見にいったところだというのに困った放蕩癖です」
否定しようとする俺の言葉を遮る困った放言癖のシグネーさん。
そこに乗っかり話を更に変な方向へ転がそうとするフューフィル。
「そういえばクレウグもそんな事を言っていたわね、聖王と海で美味しいものを食べてきたって。私も行っていいかしら?」
いい訳あるか。
聖標器探索に魔王配下を連れて行ってどうしろって言うんだ。
「クレウグ……? いつぞや聖ィーノ様へ指名依頼を持ってきた遺跡探索家の方のお名前だったと記憶していますが、お知り合いなのですか?」
「えぇ、彼だけにいい思いをさせるのが癪だから私達もたからせてもらいに来たの。聖ィーノちゃんに」
「それはそれは。是非とも根こそぎたかり倒してくださいね。頼んだお土産も買わずわけのわからない干物でごまかそうとするくらいには出費を抑えることに執心している様子なので、さぞかしたんまり貯め込んでいることでしょうから」
「いい事を聞いたわ。任せなさい、逆さに振っても涙しかこぼれなくなるまで絞り尽くしておくわ」
「分け前は三割で結構ですよ」
そしてこの二人は何を話しているんだ。
思っていた通り、この二人をぶつけるとろくな展開にならなさそうだ。これ以上俺の心労が増える前に、速やかに退散させてもらうことにする。
「フューフィルさん、こんな所で駄弁ってないで早く行きましょう。まだ案内できていないところが沢山ありますし急がないと日が暮れますよ。それじゃシグネーさん、失礼します。島の件はちゃんと考えておきますので」
必死な早口で会話を畳むよう促し、シグネーさんに小さく頭を下げると、先程とは逆にフューフィルの手首を掴んでこの場を離れる。
「戦祇の左手では春に近海で穫れる小魚を煮付けたものが有名だそうです。今度こそお土産よろしくお願いしますね」
「ですって。どうせ買うならついでに私達にも送ってもらえるかしら、グライネロアまで二十人前くらい」
背後から聞こえる二つの厚かましい要望は聞こえないふりをしておいた。
逃げるようにシグネーさんと別れ、皆と合流した俺とフューフィルは、改めて工業区方面の観光を再開した。
異様に入り組んだ工業区の街並みに惑わされつつ、先々で気になるものを見つけては土産として買い上げていくフューフィルとラヴァリッサ。
様々なものが詰め込まれ、既に結構な重量になってしまったカバンは、工業区特有の起伏の激しい路面ではその車輪をあまり役立たせることができなかった。
結局転がして運ぶことは断念し、アステルが抱えて歩くことになった。非常に残念ではあったが致し方無し。
何やら高級な食器類に南部特有の調味料、日持ちする野菜の漬物に俺が勧めたセラン・ユプセンの塩、イトゥスの酒に何故か穣祇の小さな像など。結構な容量があったはずのカバンは既にその大半を埋め尽くされ、その上で更に妙な服やら帽子やら枕やらを買おうとするものだから、結局簡易な紙袋を別に貰い、それを手に提げて歩くことになっていた。
俺も当然のように荷物持ちをさせられた。
カバンに比べれば軽いものではあったが、自分たちだけで運びきれないようなこの荷物、一体どのようにして大陸北端まで持ち帰るつもりなのかと少し考え。
――あぁ、途中からはトープドール達に持たせるつもりなのかと合点がいく。
セラン・ウェーラーで待っているはずの彼らに僅かながら同情し、そこで初めて、この二日程のフューフィル達の延泊についてトープドール達は知らないんじゃないかという点に思い至ったが――まぁいいか。この選りすぐりのお土産で勘弁してもらおう。
夕刻、陽の沈んだ空が橙と群青に分かたれる頃。
工業区方面から中央広場へ帰ってきた俺達は、人通りのまばらになりだした商店街で買い忘れの最後の確認をし、そのまま別れた。
フューフィル達は昨夜と同じ旅館へ、俺達は商業区の自宅へ。
明日の朝、セラン・ウェーラーへ発つ彼女達を見送ればこの奇妙な観光案内も終わりだ。
夕食と朝食はやはり宿泊料に含まれていたらしい。なかなかに豪勢なローナセラ料理が出るとのことで少し興味を惹かれた。あとそれなら別に昼食の心配なんかしてやらなくてもよかったんじゃないかとも思った。
元の四人に戻っただけなのに何故かじわりと湧いた奇怪で不可解な寂しさを胸から追い出しながら薄暮れの中を帰路につく。
帰って料理する気力は無かったため、夕食は商店街で安売りされていた魚の煮物や挽き肉揚げなどの惣菜。そして申し訳程度に添えた簡易な汁物。
今頃豪華な食事を堪能しているのであろうフューフィルとラヴァリッサの事を考えるとなんとなく悔しかった。
「今日は随分と素朴ね。もっと観光気分に流されたようなご当地感溢れる料理にはしないの?」
「これだってローナセラ料理だろ。ローナセラのど真ん中で売ってるんだから」
今更出てきて勝手なことをほざくロティは適当にあしらっておいた。




