第67話 有限と微少の財
「…………はい?」
思わず間抜けな返事を漏らす。
いや、困ったように財布を見つめる様子でなんとなくの予想はついていたのだが、まさか本当にそんな事態だったとは。
それも、カバン代ではなく残金そのものが全然無いときた。
なんというか雑に買い物を繰り返していたのが気にはなっていたが、そんなに高価なものを買っていたのか。……あるいは元々大して持っていなかったのか。
ラヴァリッサが見せてくる、少し大ぶりな財布。
失礼してその中を覗き込むと、その中には確かに、低額の紙幣が数枚とわずかな硬貨。どう見ても観光をどうこうする残金ではない。少なくとも大きなカバンは買えないだろうし、買ったとしてもそれで終わりだ。夕食代も残らないだろう。
しゃがみ込み、財布の底を見上げるフューフィルと目が合った。特に財布に穴は空いてないと思うが。
「えっと……念のためお訊きしたいんですが、その……これで全部ですか?」
「宿泊費は前払いですし、帰りの交通費は残してありますけど……それ以外の手持ちはこちらで全てですわね」
ラヴァリッサの回答に頭を抱える。
まさかそんな無計画に散財していたとは……いや別に彼女らの金銭感覚を心配してやる義理は無いんだけど。それ程までに浮かれていたのだろうか。
思い返せば、二人の資金は恐らく、この前森の中でトープドールに交通費として受け取ったものが大半ないし全て。元より観光に使えるほどの額は無かった可能性が高い。それ以外にも多少は持ち合わせていたかもしれないが。
何にせよ、これ以上買い物を続ける余地は無さそうだ。できそうな事といえば、金のかからない方法、街中の遊覧くらいか。
カバンはまぁ諦めるしかないとして、食事はどうするのだろう。夕食は旅館で取れるのかもしれないが、昼食に関しては……まぁ、それくらいなら出してあげられないこともないが。
思索しているうちに、ふと気が付けば目の前に立ったフューフィルの姿。
何やら思い詰めたような――あるいは何も考えていないかのような無表情で、フューフィルは言い放った。
「聖王、お金貸して」
「え、嫌です」
思わず瞬時に拒否してしまう。寸前まで昼食を奢ることも考えていたのに、ねだられると何故か、つい。
「えー、いいじゃないのちょっとくらい。貴女と私の仲でしょう?」
「俺とあなたの仲って本来刺客と標的でしかないはずなんですけど」
「森でいただいたお肉、美味しかったわよ」
「……。取って付けたようにおだてられても困るんですけど」
見え透いた魂胆をまるで繕う気も無いフューフィルの雑な機嫌取りに嘆息混じりに答える。
「駄目なの? 存外ケチなのね聖王って。税金とか貢ぎ物で悠々と生活しているんじゃないの? 少しくらいこの貧民に施してみても悪い事は起こらないと思うわよ」
「別に全く悠々要素は無いですし態度と評価が急転直下過ぎませんか」
半端ない速度で態度を翻すフューフィル。その隣でフューフィルを窘めようとしつつも期待を込めた視線がちらほら俺に向くラヴァリッサ。更にその後方で何やら頷きあう仲間達。
「そうなんだよね、倹約家っていうよりケチ。アタシ前にフィーノが忘れてた塩買ってあげたらなんか怒られたし。高いって」
あんな超高級塩を勝手に買ってこられたら文句の一つも言いたくなるだろ。
「私も買おうとしたおやつ十分の一くらいの大きさで我慢させられたことありますね〜」
食卓を数日占拠し続けそうな巨大さの生菓子を間食に買おうとしてたらそりゃ誰でも止めると思うが。
「ちなみに僕もなるべく度数高めの火酒を買うように言われてるよ。軽い褐酒を選んで帰るとフィーノ君なんだかすごく複雑な顔するんだよね」
ゼオの場合は特殊な事情があるとはいえ、やっぱり費用対効果とか考えてしまうし。時々ちょっと分けてもらってることもある手前、あまり強くは言えないが。
――しかし実際、ねだられたとて俺にも懐に限界はある。生活費の捻出のため日々仕事に追われる立場なのだ。残念ながら。
勝手に使いすぎただけの観光費の補填を、それも北部からの刺客に貸し与えるような余裕なんて…………北部……?
「……あ」
あったかもしれない。余裕というか、へそくりというか……使えずに取っておいた、この場に最適かもしれない特殊なお金が。
「……フューフィルさん、ラヴァリッサさん。少しだけここで待っていてもらえますか? すぐ戻るので」
そう言ってこの場を離れようとする俺の言葉に怪訝そうに顔を見合わせた後、慌てて引き止めようとする二人。
「ちょっ、ま、待ちなさい聖王、本当に何か持ってくる気? 本当に恵まれるとなるとその、助かりつつもなんだか困るのだけど」
「そうですわ、フューフィルのこんなに戸惑った姿を見られるのは珍しくて面白くはありますけれど、そのために聖王が身銭を切る必要はありませんわよ」
「いえ、ウケ狙いとかそういうのじゃないんで……。とにかく、ちょっと待っててください」
そう端的に伝えると、俺はカバン屋の通りを離れ、足早に自宅へと向かった。
幸いにも元いた通りと自宅は直線距離ではすぐ近く。工業区と商業区を区切る大通りを横断するのに少し手間取りはしたが、一旦帰宅して目当ての品を回収した後、思っていたより早く戻ることができた。
持ち出してきたのは、そこそこ重みのある頑丈な革袋。
中には結構な額の紙幣や硬貨。つまりはお金が詰まっている。
《あー……あったわねそんなの。よく覚えてたものだわ》
ロティも今見て思い出したようだった。誰ともなく呟く声が聞こえる。
実際俺も存在を忘れかけていた。北部の刺客という語句から偶然連想できたため辛うじて記憶の奥から引っ張り出せただけだ。
これは、以前奇妙な仕事を請け負った際に手に入れたもの。
なんと言うのだったか……名前は忘れた、三人組の魔族。彼らが、何だったか……内容は忘れたが、統聖国で法を犯したためこれに対処せよという依頼。そしてその成果を、横から攫っていった少女。
ミアムという名の魔王の仲間が、遂行できなくなった依頼への報酬の補填として置いていったものだ。
本来の報酬の二倍近くに相当するアイレア金貨――北部の通貨が詰められた袋。
これについて尋ねた際、ミアム自身は「好きに使っていい」と言ってくれたため言葉に甘えるつもりでいたのだが……結局、半分弱しか手を付けず置いていたのだった。南部の通貨に両替だけはしたが。
つまりは元々、彼女達の物――という表現が正しいのかはよくわからないが、とにかく魔王一派に属する物だ。ここでフューフィル達に返す――という表現が適切かはわからないが、とにかく彼女達のために使うのが正しいように思えた。
なので、この機に残額を全て引き渡そうと考えたわけだった。このままだと使わないまま死蔵させてしまう可能性もあったし。
渡した革袋の中を改めると、フューフィルとラヴァリッサは潤んだ目を輝かせ、二人して俺の手を取りながら大げさすぎる感謝を述べた。
「統聖国の聖王。これから毎日、いえ食事ごとに貴女を拝むことにするわ。部屋の寝台もローナセラの方角へ向けて毎晩枕に顔を埋めながら感謝の祈りを捧げるわ」
「うつ伏せで寝てるだけじゃないんですかそれ。いや借りを返しただけみたいなものなので、別に感謝される筋でも無いんですが」
「私もこの御恩を忘れないよう、伏せて二つ並べたお椀に向かって一日三度祈祷いたしますわ」
「何を見立てた儀式ですか。というか忘れてもらって結構ですから本当に」
しがみついてくる二人を振りほどこうとし、離れないのでそのまま引きずるようにして、当初の目的であったカバン屋の店内へ。目を付けていた車輪機構付きカバンを二人に示す。
買うには十分すぎる金額を渡したとはいえ、一応一般的なカバンよりは少しお高い代物。念のため本当にこれでいいか確認してみたが、二人の反応は芳しくない、というよりカバンの値段や性能などどうでもよさそうな雰囲気だったので、独断で決定した。
購入する旨を店員の男性に伝えると、わずかに戸惑った素振りを見せ、男性は声をひそめて俺に言った。
「あの……聖王ですよね?」
「違います」
つい反射的に否定してしまったが、つい先程フューフィルにそう呼ばれたのを耳にしていたのだろう。男性は聞かなかった風に続ける。
「聖王のお連れの方へ、というのであれば代金など頂かなくて結構なのですが……その、ご友人ですか?」
俺の両腕に貼り付いた淑女二人に怪訝な目を向ける店員氏。
少し考え、答えた。
「いえ、俺の命を狙う敵です」
「はい?」
当然ながら、この状況の意味は彼には伝わらなかった。




