第64話 風を浴びてると体が冷えるから
翌朝。
俺達は森を発ち、ローナセラへの帰路についていた。
――導輿にフューフィルとラヴァリッサを乗せて。
流石に森に放置して帰るのは気が引けたし、二人に軽くローナセラ観光をさせてやりたい意図もあった。
根拠地に敵対勢力の一員を案内するのもどうかと少し考えたが、まぁ商業区の一角を回る程度なら大丈夫なんじゃないだろうか。いきなり無差別に暴れまわるような人達でもないだろうし。
なお導輿には六人分の部屋は無い。
少し手狭になるが、二人には車内前方、御者席と繋がった俺の部屋に詰めてもらうことにした。街まで半日程度の時間だ、我慢してもらおう。
そういった訳で、今フューフィルとラヴァリッサは、御者席に座る俺の後方、扉を隔てた向こうで少し窮屈そうに座り、風景や室内の棚を珍しげに眺めていた。
結局、カナヴェーヌについての情報はろくに得られなかった。
いや、比較的どうでもいい情報は大量に入ってきたのだが、求めていた結果は得られなかったというべきか。
多くいる魔王の部下の中でも古参にあたるらしいこと、何やらトープドールを猛烈に敵視しているらしいこと、思った通りというかなんというか仲間内では頻繁にいじられる役回りであるらしいこと等々。そんな話を聞かされても困る。いやちょっと面白いけど。
どうせなら、以前クレウグにちらりと聞いた魔王の目的についてでも詳しく伺えないかと思っていたのだが、とてもそんな空気ではなかったので諦めた。
なお魔王という存在についてわずかに聞こえたところでは、どうやら自室にこもりがちで普段あまり出歩かないとのこと。そんなんでいいのか魔王。
他にも彼女達の仲間についていくらか聞けはしたが、何せ一部以外は会ったこともない人物。覚えられるはずもなかった。覚えたところで大した価値は無さそうな情報だらけだったし。
……そういえば、ルゼルメイの名前は一度も出なかった気がする。彼女は魔王の仲間にあたる存在ではないのだろうか?
今更のように首を傾げながら導輿の御者席に座る俺の頭に、浴びる風の音を突き抜けて明瞭に響く声。
《正気なのフィーノ? あんなのをローナセラへ連れて行こうなんて。あれは魔王の一味なのよ?》
そんなのと昨晩杯を交わして盛り上がっていた奴が不満げに何か言ってる。
厚めの壁と扉で隔てられてるとはいえ、すぐ後方にフューフィルとラヴァリッサがいるこの状況、話しかけられても返事しづらいんだが。風とお話してる人みたいに見られるだろ。
《……まぁ、いいんだけど。ローナセラはあれでいてなかなかに堅牢な都市。魔族の一人や二人、紛れ込んだところで大した痛手にはならないもの》
いいのかよ。既に自己解決しているような話題で無駄に絡まないでもらいたい。
心中で毒づいていると、《そんな事より》とロティは話題を切り替えた。
《あの連中が言っている、南部への転送という言葉。……今は、そちらの方が重要》
……それは、当然気にしていた。
フューフィルが最初に語った事。トープドールがラヴァリッサに話していた事。
フューフィルとラヴァリッサの二人や、トープドールともう一人の何者かが突如あの森奥深くに現れた事。
どのようにしてかはわからないが、魔王の配下たる『疵傀』とやらは、何処かから――推測できる限りでは、恐らく北部、彼女らの本拠であるグライネロアから――南部、統聖国への長距離転移手段を入手したと考えるのが自然なようだ。
俺が北部リュケオンから南部ロテュメアへ移動するのに使った命湍のような何かを。
北部からあの森へ繋がる命湍が存在するのかとも思ったが、本来命湍は、大陸各地から統聖国への資源輸送路として使われていたもののはず。北部のどこかと南部の森を繋いでいるとは考えにくい。
……いや、思い返せばトープドールは、開発者という言葉を使っていた。
まさかとは思うが、既存の設備ではなく、全く新しい転送手段を作り出したとでもいうのだろうか。それこそ考えにくい――考えたくない事だが。
俺の思考を察したのか、あるいは元々同じような想定をしていたのか。ロティが、少し低めた声で言う。
《……あの四人が現れた辺りから、奇妙な力の残滓を感じたわ。命湍のものに似た、それでいて全く違う、不可解な力を。……命湍の動力の根源は導祇の権能。こればかりは間違えようが無いわ。導祇の力ではない、何か全く別の原理を使って、奴らは転送を実現した。……恐らくは、『聖王』への襲撃のために》
どうにも想像ができないが、そんな事があるのだろうか。ロティにも特定しきれないような、謎の原理による転送技術。
……いや、普通にありそうだな。よくよく考えてみればロティのこの手の分析はイマイチあてにならないことが多い。どうせまた何か重大な見落としでもしてるんだろう。
《……何よその表情。また何か失礼なことを考えていそうなにやけ面ね》
おっと、俺への分析は正確なようだった。慌てて顔を引き締める。
しかし……北部から南部への転送か。
方法はともかく、それが実現されているとして……、
「……別に、俺にできることなんて何も無いんじゃないか?」
風に吹き飛ばされそうな小声で呟く。
少し考えてはみたものの、転送とやらの正体が不明な以上、対処のしようも無い。
せいぜい、その方法について探りを入れるくらいだろうか。
あの二人なら酔った勢いで話してくれそうだな。昨夜訊いておけばよかったかもしれない。あるいは再度酒を盛るか。
……首を振り、非情に寄りかけたかもしれない思考を一旦頭の隅によける。
後頭部で束ねた髪が軽く暴れた。
俺や仲間が襲われることがあるなら応戦もしよう。街に危害が及ぶようならその前に仕留めることも視野。
だが、今ここにいるのは、敵国の存在とはいえ――ただの旅行者だ。
なら、俺にできることというのは、
「――そろそろ休憩にしようか。どこかに停めて昼食の支度だな」
精一杯もてなすことくらいか。
俺は背筋を伸ばして座り直すと、まだ長く続く街道の先を見据え、導輿を少し減速させながら開けた路肩を探す。
真上からの日光を照り返して輝く石畳と俺の空腹感が正午付近を告げていた。
《話、聞いていたの? なに呑気に食事の事考えてるのよ》
「仕方無いだろ。多分みんな腹を空かせてる頃合いだろうし」
ロティの指摘を適当に受け流し、前方に見つけた街道脇の空き地へ導輿を寄せる準備をする。
《……ようやくわかったわ。いえ元々わかっていたけれど。馬鹿でしょあなた。お人好しとかじゃなくて馬鹿》
呆れた声のロティに苦笑で答えた。
否定できる気がしなかった。むしろ正鵠を射たようなその呼称に、感じたのは納得だったかもしれない。
「焼いた肉が続くのもどうかと思って、今回はたっぷりの香辛料や香草と一緒に大鍋で煮込もうと思ってる。甘辛く煮詰めた和滲油に柑橘を浸したつけダレで食べるんだ」
《……ヴァフテーレ北部風の香味鍋かしら。いいけれど、少し暑いんじゃない? この時期の日中に鍋は。しかも割と辛そうなものって》
言われてみれば確かに、今日は初夏というには少し高めの気温だった。
昨日は森の奥だったからあまり気にならなかったが……考え直した方がいいだろうか?
「……いや、俺が今日食べたいんだ。それに元々暑い時期に食べる料理らしいし。後悔なら食後に存分にするよ」
《調理中に音を上げなければいいけれど》
「嫌になったらロティに火の番代わってもらうよ」
《嫌よ。ヴァフテーレ出身のフューフィルにでもやらせなさい》
出身地は関係……あるのか?
首を傾げつつ、減速させた導輿の軌道を街道の石畳から逃がす。
車輪から伝わる振動がざらりと粗いものに変わる。
剥き出しの砂地の一角に、先客のものと思しき炭の黒い痕跡が見えた。
背後の扉の向こうから、待ちくたびれたような二人の声が微かに聞こえた。




