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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第四部【空席の王位】

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Ep.96『あたまのなか』

 大聖堂(カテドラル)鏡面閉架(アンダァスタデイ)術野の悪夢(ジア・アリーゼ)融解する道祖の石(ミナリ・ヌマ)髙天厡(アルティプラノ)。エリン、アダムス、フェネチニビル、アリゲーター、オグジー。

 古今東西様々な魔薬を片っ端から身体にぶち込んで、マツシマは僕と渡り合って見せた。

 弾かれたアンタゴニストが、半円の軌跡を描く。白銀のファミリア・ナイフから、ショートレンジミリタリショックウェーバーが射撃され、僕は呆気なく弾き飛ばされた。

 今は中華料理屋として営業しているらしい古めかしい建物に突っ込んで、赤煉瓦の美しい外装ががらがらと崩壊するのを内側から見ている。咄嗟、傾げた首───ファミリア・ナイフの切っ先は、寸分違わず僕の首を切り裂いていた。あと、一瞬速ければ。

 瞬時に次の刺突に浮かせたマツシマの腕を掴み、僕の腕にたわめられた脈動が結束する。みし、と軋んだマツシマの腕。

 人間の首を落とすくらいわけない僕の腕に、死刑執行人(エンフォーサー)の宿命は依然宿っている。

 それは、師であり、友であり、そして仲間であった男───ゼータを殺したときから、ずっと、そこにいる。

 ぎぎ、不快なひっかき傷の音。ファミリア・ナイフは、僕の背後の壁に傷跡を残しながら、ゆっくりと、僕の首に進んでいく。

 傷跡は、軌跡は、一筋の綺麗な切傷を生み出し、そこに歴史が付与されていた。

「っ!?」

 マツシマの腕を掴んだのと逆の腕で、その刃を真っ向から受け止める。血が流れる。痛覚が脳髄に遡行し、激突する。骨が軋む。それでも、僕はその一筋を遂げさせるつもりはなかった。

 ぎりぎりとめり込んでいく刃は、その刀身の半分を、アンタゴニストを持つ僕の手首に埋めていった。

 白銀の刀身に、不釣り合いな原色の赤。

「なぜ、アステア氏を使わない───!」

「あぁ、じゃああんたも、なんでお仲間の適合者を使わねぇんだよ、なぁ!?」

 お行儀の良いスーツを脱ぎ去ったマツシマは、剥き出しの殺意を僕に向ける。

 お前がどれだけ口調を取り繕っても、その表情を平穏に装っても、呪いに従順であっても、それでも。お前という人間から、マツシマという人間から放たれる、お前だけの輝きが、僕は愉快で仕方ないんだ!

「窮屈になっちゃいけない、だったよな、マツシマ」

「えぇ……その通りです。」

 ファミリア・ナイフの刀身が、僕の手首の何かしらの腱を切った。途端に力が入りずらくなる。

 動揺した証拠だろうか。なら、心地よかった。

「もっと剥き出しになれよマツシマ」

「なにが」

「そのクソお上品な外面!ちょっとは引き剥がして見せろやっつってんだよ!」

「うるさいッ!!」

 マツシマの引き金、僕のトリガー。互い、同時に引き絞る。

 光景が、爆ぜる。



「ると……き、……と」

 視界───開ける。適合者、敵───アクティブな体内の戦闘基幹システムが、ギロチンの刃をその細首に───掴み取られ、ねじりあげられる。

「起きた?リゼルキルト。」

 どこかの浅瀬、北九州の息吹。アステアは、悪戯な瞳でそう言った。

 身体が動かない。どうやら内臓がいかれたり、四肢が引き千切れたりはしていないようだったが、つまりはそれだけだった。

 僕の身体は、どうやら正常な駆動状態をまだ思い出していないらしく、視線を巡らせる動作でさえも緩慢だった。

 ゆっくりと僕の身体を引き摺り、アステアは岩場に僕を横たえた。僕が頭を預けた岩には、アステアのオイルライターが置いてあった。そう壊れることはないだろうに、水没を厭うたのだろうか。

「ん……なに?」

 シュボ、と煙草に火をつけたアステアに、そんな常識的な論理が通じるわけはなかった。

 彼女は、水に濡れたオイルライターが乾くまでの間、煙草に火を灯せない余暇を許容できなかったのだ。

 苦笑する体力もなくて、僕はただ瞠目するだけだった。

「きて、理想を司る女神(モルヒネア)。」

 アステアは、まるで友人を呼ぶように女神を呼び出し、その女神が遣わしたカラシナの細腕は、僕の身体を柔らかく包み込んだ。

「……んで、お前まで入ってくるんだよ」

「わたしのほうが、こんな草より柔らかくて、……あったかいよ?」

 僕を包み込んだカラシナの茎や葉は、蝶がそうするような(クリサリス)を想像させた。その中に割り込んで、僕の身体に絡みついたアステアの姿は、小動物を絞め殺す蛇を想像させた。

 けれど、抱擁の力は彼女が言うように温かく、その体温は伝播して、徐々に平衡化していく。混ざり合って、一つになる。

 彼女の熱を奪い取り、僕は冷えた肌を貪られる。

 正直なところ、僕は話すのも辛かったから、アステアがうわ言のように呟く言葉になにも返答しなかった。でも、それにバツの悪さを感じるようなことはなくて、彼女も仕方がなさそうに微笑んでいた───と思う。

 幼虫から成虫への変態の過程、蛹の中は、一度ドロドロに溶けるらしい。まさか生物がそんな再形成を行うわけはないとわかってはいるけれど、僕はこの状況を、そんな迷信に例えざるを得なかった。

 僕の体にのしかかる重さは、カラシナの微量なものではなく、アステアが持つ、一般的で女性的な重さだ。全体重を僕に預けてくれるアステアに、安堵ともいえるような安らぎを得る。

 表情で気分を表明するような表面的なコミュニケーションを、僕らは必要としない。僕も、アステアも、なんの表情も取り繕うことなく、ただ無言で見つめ合っていた。その瞳を見つめ続けるのが、見据えられるのが、苦ではなかった。むしろ、当たり前であるように思えた。

 唇を交わすでも、舌を擦り付けるでも、愛を囁くでもない。ただ、見つめ合うのみで、僕らは完結する。

 そう、僕らは完結する。

 あと少しで、完結する。

 あと、少しで───



 西東都鉄道の伏津駅。振り向いた僕が踏切越しに見た駅名看板。

 アステアは、持ち込んだコンデジで写真を撮っていた。ふんふん、と満足げに見せてきたアステアの写真は、なるほど流石の出来で、斜めから捉えた小さな駅舎の前を、画角の中で真っ直ぐに流れる踏切が整然とした雰囲気に装飾している。

 ただ、その中央に描写された不機嫌そうな顔の男だけが、少しばかりノイズに感じた。僕のことである。

 少し伸びたように見える前髪を除けて、アステアは半歩僕を先導した。

「あ」

 立ち止まったアステア。半歩の距離が逆転し、僕は彼女が声を漏らしたその視線の先を見やる。

 コンビニエンスストアがあった。東都国では珍しくない光景。もちろん、アステアがそれに声を上げたわけではないのはわかる。

「わかったよ」


 一服。


 紫煙をくゆらせながら、アステアは僕から強奪した端末に視線を落とす。

「ここ?」

「あぁ。夜のうちに済ませてあるらしいから、もうあるはずだ。」

 繰芽市伏津町。指定された位置情報が、東都語で表示する。

 いつ撮られたのかもわからない衛星写真上では、そこにあるのは広大な麦畑だけだ。しかし、もしその撮影が今日行われたのだとしたら、衛星は、農地には不釣り合いであろう巨大建造物を認めることになる。

 神々の魔法工学と呼ばれる、妖精の眠る要塞。

 タツミから聞いて納得した。その衛星は、内側に匿った妖精その人の力によって航行するため、制御に航空宇宙工学を必要としないのだそうだ。空の彼方から平然と着陸させた龍見機関の動きの早さにも納得する。

「これでおしまいかぁ……もっとあなたと、ふたりだけで旅したかったのに。」ぷく、とアステアの唇から煙の輪が昇る。器用なやつだ。

「……僕も、」

 自覚はあった。

 僕は、アステアの妙な論法を、これまで全然取り合ってこなかった。

 それは、羞恥とか自意識とか、単純に付き合ってやれる余裕がなかったとか、そういった複合的な理由によるものだったが、東都国のコンビニエンスストアにある広い駐車場の一角、その喫煙所という簡易的なロケーションは、その中に複合的な理由を収容する容積を持たない。

「懐かしかったな。君と二人だけで、花畑で眠っていた時のことを、妙に思い出したよ。」

 言い切ったから、煙を吸い込んだ。

 視界の限界───端っこで、アステアがそそくさと視線を伏せたのがわかった。

「……そ、そう、だね……」

 それで、続きは?という視線は、いじらしい態度とは裏腹に、バシバシと僕に突き刺さる。

「僕たちは、もう終わる。一区切りついてしまう。僕の目的も、君の目的も果たされる。けど、僕らの目的は、この道程の中でどんどん入り組んでいって、……なんというか、屈折してる。」

 アステアが望んでいたのは、抽象的な概観ではなく、もっと直接的な言葉だったろうけれど、彼女は煙草をふかすだけで不満を表明しなかった。

「僕らは勝ち切った筈だ。この世界の誰よりも。けど、このままズルズルと死に向かうだけなら、僕らの勝ち切った道程も、どこか空疎なものになっていく気がしてならない。鎮痛剤を打ち込まれたみたいに、この痛みが和らいでしまう気がする。」

「……私は……まだ、痛がってたい。」

 アステアの表情は、いつも通り凛と静まっていた。けれど、なにかいつもとは違う、熱みたいなものを感じた。少しだけ固めた頬が、そう感じさせたのかもしれない。潤んで見えた綺麗な瞳が、うるうると揺れている。

「……退屈は、全ての受容体拮抗薬(アンタゴニスト)なんだろう。……自分勝手かな。」

「あなたはずっと、自分勝手だったよ」

 ぷく、と膨らんだ頬。今度は不満を表明される。指先でぷす、とその頬を突いて、むっとしたアステアが吐息を漏らす。

 憂うような瞳に、とある妖精の瞳を連想した。憂い、揺蕩う───。

「あなたは今、退屈って言葉に、何を仮託したの?」

 寂しそうな、切なげな。全てをわかられているから、僕は何も言葉を返せなくなる。

 僕の肩を小突いた衝撃。アステアの綺麗な形の拳は、大した威力を持たなかった。

「わたしは、ずっと痛がってる。だから、ずっと側にいてくれるよね、リゼルキルト。」

「あぁ。そうする。」

「……わたしは、……あなたに殺されたりなんて、してあげないから。」

 はっと視線をもぎ取られ、まんまとアステアの術中にはまった。にんまりと微笑んだ切れ長の目が、意地悪な顔をしている。

「安心していいよ。世界最強の適合者が、太鼓判押してあげる。」

 首に大穴を開けた死体───ほどけて消えた妖精───気丈に笑って見せた安らかな死に顔。

 僕が殺してきた、愛すべき宿敵。その遺影を、また一つ、増やすことになる。でも君は、そこに並んでやろうなんて可愛げはない。

 僕に、最初の一歩を踏み出させてくれた。僕と心を一つにしてくれた。なんでもかんでも面倒くさがる僕に、徒労の効能を説いてくれた。

 君がいなければ、なにも始まらなかった。

「アザルベーダにも、セスタにも、僕は許されていない。でも、君にだけは許されてる。

 僕らは運命共同体だ。だから、君だけは、もう手放してやらない。」

 ぴく、と跳ねて、柔らかく流れ落ちた綺麗な黒髪。

 唇を尖らせて、半目の視線が恨めしそうだった。ぐしぐしとかけた手櫛は、片目ではなくて表情を隠すためだった。アステアがか弱い力で繋いできた手は、一服を終えた後も、なんとなく繋いだままだった。


 大通り───といっても、片側一車線で歩道は行き交うのに苦労する程度しかない───から逸れて、景色は路地に近しい様相へ移り変わっていく。軽トラックがすぐ横をゆっくり通過していったので、思っているほど道幅は狭くないのだろう。存外車通りは多かった。

 妙な圧迫感の原因は、迷宮の壁のように聳える家々が、道にぴったりと張り付いて視界の幾許かを不良させているからだ。

 小さな交差点に据え付けられたミラー、ぐにゃり、歪んだ僕たちが通り過ぎて行った。

「ぁ、見えた」

 手を繋いでいるのだから、そこで感情を表明すればいいのに、わざわざもう片方で肩を叩いたアステアは、僕らの行く先に縦長ののぞき窓を見つける。道の先、開けた土地の表面を、黄金色の波が流れている。

 端末の位置情報は、既に到着したことを知らせていた。民生品の位置情報システムなら、数百メートルぐらいの誤差は許容範囲だ。

 曇天とはいかないまでも、曇り空。雲の切れ間から差した光が、わざとらしいほどに麦畑をスポットしていた。近づいてくる光景に、逆立っていた心がなだらかになっていくのを感じる。

 ぴょん、とアステアが跳んで、「ぉあ~」と奇妙な感嘆符を漏らした。

 彼女に引っ張られて、僕も麦畑を臨んだ。家屋によって遮られていた視界が明瞭さを取り戻し、気だるげに横たわっている絶景を網膜に投影せしめた。この場所からカメラを構えたのなら、それは綺麗な写真が撮れるだろうと、脳内でシャッターが切られた。

「おぅ、遅かったな!リゼルキルト!」

 麦畑に挟まれて、というより埋没して、しっかりと舗装された道路が一本通じている。いずれ交差するのだろう道に、黒いバンが数台乗りつけている。長身の奴が手を振っても、あまり目立たないくらいには豊作だ。

 僕とアステアは、声音の方に歩き始めた。

 「畑にゴミを棄てない」と銘打たれたポスターは、日焼けして青々としていた。木製の看板に簡単に貼り付けただけのものだったから、あまりしっかりと管理されているわけではないのかもしれない。

 麦畑の回廊を抜けると、交差した道のすぐ横に、タツミが立っていた。僕らが歩いてきたから、迎えてくれたらしい。

 タツミは、舐るように僕を見て、不自然じゃないくらいに微笑んだ。

 僕がその視線に気づいているのをわかりきったうえで、白々しく笑ったのだ。

「ナイフは。」

 短く聞かれて、僕はベルトに挟んでいたナイフを抜き去った。その刀身をくるりと回して、そのあとにぶらぶらと揺らして見せつけてやった。

「いいでしょう。……さぁ、やろうかぁ!お前の希望を聞こう。」

 タツミが取り出したリストは、インクが日光に反射しててらてらと輝いていた。特殊インクの類だろう。その反射がやかましかったから、僕はすぐにそれを奪い取ってリストを眺めた。

 傍らでぼーっとしていたアステアを見やる。

「お前の妖精は、本当に解放しなくていいのか。」

 それは、アステアからずっと告げられていたことだった。

 彼女は、今までの言葉に違わず頷いた。

「あの子は、そう望んでる。こっちに来たって、大きすぎて場所に困るし。」

 なにか冷たくも聞こえる言い草だったが、アステアが自身を冠する妖精に向けるあらゆる仕草を知っている僕は、それがふたりの間ですでに取り決められたことだというのを直感した。

 モルヒネから単離され、月を司る女神───理想を司る女神(モルヒネア)

 これは、アステアの意思だけでない。モルヒネアの意思であるのだ。

 結論は同じだったとはいえ、「え?オルタネート?別にいいわぁ……!」と下らなそうに吐き捨てやがったセスタ・クリスタルベリーとは随分な違いである。

 僕には、どの妖精を解き放つのか、三つの枠が与えられていた。それが、神々の魔法工学、つまり、この世界の魔法の発端ともいえるファミリア・ナイフを強奪し、タツミ機関に引き渡す僕に与えらえた報酬だ。

 最初から、フラクタルを解放することは決まっている。それは、僕の屈折しまくった目的の中でも、ずっと貫かれていたものだから。

 しかし、残りの二枠については難しいところであった。それでいて、別に大して考えてもいなかった。

 候補として考えていたモルヒネアとオルタネートについては丁重な断りが届いたので、いっそエミリアでも解き放ってやろうかとも思ったが、なんだか癪だったのでやめておいた。エスメルダ亡き今、それが空疎に思えたのだ。

「フラクタルと、……そうだな。」

 僕が呟くのに、タツミは頷いた。


「エンケファリンだ。」



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