Ep.8『どきどき恋愛観質問コーナー(アステア編)』
僕たちの事務所について紹介したい。
最初にセスタの用意してくれた事務所。それは、或る四階建てビルの二階、そして一階のガレージを借り切った場所にあった。
しかし、販売地域の選定と効率的な移動ルートの模索により、僕たちの売上は右肩上がり。アステアが見つけてきた郊外のカラシナ畑は、その成長に一役買っている。
土地の所有者は既に死んでいて、土地自体の所有権は息子にあった。しかし、この街で有用な土地は、ほとんどがマフィアに安値で買い叩かれる。その男は、わざと土地を荒れたままに放置して、知らぬ存ぜぬで傍観していた。が、それは僕たちにとって雑草などではなく、金色に輝く稲穂のようなものである。
マフィアからは到底提示されないであろう金額でその土地を買い上げ、食い扶持に困っていた彼をカラシナ畑の農家として雇った。
コンドル、と名乗った青年は、斯くして我々の会社の四人目の仲間となり、継続的なヘイロー供給に一役買っている。
そんな一幕もあり、事務所は大幅な拡大を迫られる。僕たちはやっと、組織が大きくなる、ということに実感を得たのだ。
元々事務所が入っていたビルをセスタの名義で買い上げてしまい、四階建て全てを我が社屋とした。
一フロアあたりの面積は大したことなく、また階段もガタついた外階段しかなかったが、セスタはそれを階級構造になぞらえた。
二階には非正規で雇った事務員・会計係を八人ほど配置し、彼ら彼女らはそれが何によってもたらされた金なのかもわからぬまま、経費の計算にキーボードを叩き、あるいは勘定科目を矢継ぎ早に記述していく。
生産地との連絡もこの部署が担った。故に、コンドルのデスクはここに配置される。しかし、彼もわざわざ本社に赴くことは少なく、大抵は自分の土地で畑の世話をしていた。
三階にはセスタ主導の経営チームが常駐した。
二階から届く収穫されたままの情報の果実は、三階で皮を剥かれ、種を取られ、不要な果肉を削ぎ落とされる。十分な品質になったものだけが、その後四階、社長室に届けられる。
それは、極上の果実として、素晴らしい精度のデータをディスプレイに浮かび上がらせた。
なにせ、三階を担当するのはほとんどが大型のMSCS計算機だったからだ。フロアの半分を排熱・冷却設備に費やし、イニシャルコストの金額に躊躇はしたが、導入してみれば、ランニングコストを上回る出来栄えを示した。
つまりはこれが投資で、拡大化すれば、セスタが僕たちに求めている果実、ということになるのだろう。
セスタのデスクは三階に用意されたが、僕は社長ということになっているようで、四階の社長室にデスクを移した。アステアが駄々を捏ねた───煙草を吸いながらセスタに講釈を垂れる───ことで、セスタはアステアを秘書として四階に組み込むことに決め、しかし社長室は禁煙、と苦し紛れの反撃を企てた。
アステアは平気そうな顔で条件を呑んだが、最近は「ちょっと一息つかない?」と腕を絡めてきて、外階段の喫煙に付き合わされることが増えた。
二階で雇っている清掃の担当者も、その外階段に安置された吸い殻入れの惨状には眉を顰めていることだろう。なにせ、彼女はヘビースモーカーである。
社長室は、セスタが禁煙を言い渡したのも納得の出来栄えで、僕のデスクと応接セット。増設した壁で仕切られた先に四階専用の休憩室があった。
広くはないとはいえビルである。休憩室は、僕の家よりよほど広かった。シングルベッドが何に干渉することもなく設置され、傍にはナイトテーブルとランプ。横三列×縦五段の大型の本棚があり、大きくとられた窓の側には観葉植物を飾る余裕すらあった。
そんな文化的造形があしらわれた一室の中、僕が使うのは専ら中央のソファだけだった。セットになった低めの机には通信用MSCSが仮設されていて、冷蔵庫の冷えた飲み物や備えつけた小さなキッチンで作った間食をつまみながら仕事をするのに丁度よかったのだ。
そうなれば僕の生活スタイルの変容は必至で、根城にしていたボロ家は端金で売り払ってしまい、この社屋に住まうことになった。油圧式の隠し収納は気に入っていたので、トラップ機構を応用して社長室のデスクに内蔵してもらった。
コンピュータとケーブルで接続しているので、開錠方法はキーボードの十六桁パスワード入力、開錠ログも日付時間秒数まで記録する代物だった。
もちろん、中身は前に使っていた銃と五十万ダラを輪ゴムで縛った束二つ。そして、故郷から持ってきていた植物と、その副産物。
僕たちは着々と、独占企業体という組織を完成させつつあった。必然、倒すべき敵についても、了解することとなった。
*
カン、カン、と外階段が鳴ったので、誰かが四階に上がってきたことを察した。
それで、中々扉をノックせず、そこに佇んでいるのを気配で察した。
「……?」
ノックもせずに扉が開けられたことで、アステアの帰社と、それに伴った一服の余暇についても察する。
「ただいま。お金は一階の金庫に預けて来た。繰越分の在庫は売人の方に持たせたままにしてある。よかったよね?」
「ああ。悪いな、助かる。」
アステアには、消費指数4以上。金のなる木とでも言おうか、近場な上に利益率もいい市場の集金を任せていた。
アステアがやっていた在庫管理と財務は、おおよその仕事を二階に取られてしまった。最近の彼女の仕事は専ら、手ずからの集金と、休憩室に持ち込んだ書物による研究だった。
アステアは、疲弊など噯にも出さずソファに横たわり、読みさしの文庫本を開いた。その仕草は、表情よりもずっと雄弁に、彼女の気疲れを表明した。
「コーヒーでも飲むか。」
「うん。頼もうかな。ありがと、リゼルキルト。」
アステアは、そんな風に感謝を述べた。のに、わざわざ立ち上がってコーヒーメーカーにポットを装着した僕の隣に付き添った。
「待ってれば机にくらい運ぶが。」
「淹れてる間、暇でしょう?その退屈に、付き合ってあげるよ。」
「……そうか。」
アステアは、いつも通りに指先を絡め、僕の両手の器用さを奪い去った。脳が発した命令通りに十本を管制するような、組織のロールモデルとして最適である”手”というシステムも、脳の方を論理で、指先の方を物理で制されては機能不全。僕は、彼女がどこか嬉しそうに指先を弄ぶのを、何をするでもなく眺めていた。
視線の先は彼女も一緒で、綺麗に切り揃えた前髪が、俯いた少女の表情の半分を覆う。頬から顎にかけて、艶やかに筋肉を覆う肌。少し前は荒れていたのに、今では思わず触れたくなるほど瑞々しく潤んでいる。
「前より肌が整ったな。」
立てられた爪が無罪の手の甲を刺した。
「社長が秘書にセクハラ?会社の規模が違ったら然るべき委員会があなたのキャリアを終わらせるよ。」
社長の手を嬉々として握りにくる秘書に、その委員会はなんの屈託も見せないだろうか。口には出さないでおく。
「健気に社長を支えて、そのために見た目に気を遣い始めた愛おしい秘書に、あなたはなんて声を掛けるべき……?」
「前より断然綺麗になったな。見違えるようだよ。」
つい先ほどの再演が、手の甲の皮膚を抉る。
「これは、侮辱された前のわたしの分……あなたと二人きりだったときのわたしを、否定しないでほしい……あなたが寄り添ってくれたのは、誰でもない、あのときのわたしだったんだから。」
「……君が最初から綺麗な身なりをしていても、大して変わらなかったよ。」
「どうして……?」
「身なりで君を選んだんじゃない。」
一番はじめにアステアに出会ったとき。彼女に意識はなかったから、これは、僕だけが知っている歴史だ。
あの時の君は、真っ黒の服で、そこからこぼれた裸身の白さが、やけに目立ってた。
その肌は、この黒く暗い病の中で、暴力に呑まれまいと輝きを発するアステアという少女そのものの象徴に思えてならなかった。
ただ、あの場所で腐り、踏み出す覚悟もなかった僕には、やけに眩しかった。
そんな追想の間に、コーヒーは焙煎から抽出までを終えて、ポットには焦げ茶色の液体が貯水していた。
「ほら、少し落ち着いたらどうだ。」
「まだ答えを聞いてない。」
人間に精神的な高揚と、意識の覚醒、そして利尿作用を引き起こす生理活性を持った基原植物。その種から生み出されたのが、このコーヒーという経口摂取する薬物である。
微かな午後のひと時を彩る飲料と、壮絶な人生の苦痛を忘れさせる注射器。その二つは、不可分であろう。
「面倒くさい女は嫌いだ。」
繋いでいた手を離し、僕の両手は脳の管制の支配下に戻る。
「わたしは、心の内を語ってくれない面倒臭い男も、……嫌いじゃない」
セスタには通じた方便が、アステアには通じそうもなかった。
先駆けて応接セットのソファに座る。革張りの表面が、独特の音を立てた。
ついでに持って来ていたカップにコーヒーを注ぎ、遅れて近づいて来たアステアが後を引き取る。ポットを戻した彼女は、僕の隣に腰を下ろす。
「ねぇ、……わたし、あの家、出て行こうと思う。」
「そうか。荷物は大体捨てたりここに持って来ているだろう。新しい家さえ探せば、すぐに終わるさ。」
アステアの家にあった二脚の椅子は、僕たちの休憩室にすでに移動済みだった。彼女の持っていた本や資料も同じである。
「あなたは、ずっとここで暮らすの……?」
「いつかはマフィアとやり合うことになるし、三つくらい潜伏場所は欲しいから、ずっとここということはないんじゃないか。」
「それなら、一緒の家を借りようよ。どうせ一緒にいることが多いんだから、効率的でしょう?」
経済的、と言わなくなったところに、ここ最近の景気の良さを感じる。家賃くらいどうということはないくらい、僕らの懐は潤っている。
だから、実際彼女が言った効率的、という言葉に則って考えてみる。
僕はおそらくこの社長室に篭りきりになり、あるいはどこにも帰らず出先のホテルを転々とするような生活をするだろう。しかし、息が詰まるようなめくるめくその日々の中で、ふと、帰りたい、と思う日が来るかもしれない。
そして、その時に僕が望んでいるものは、この社長室ではなく、はたまた、豪華な一流ホテルでもない。
気の置けないビジネスパートナーが、帰るなり指先を絡めてくるような、そんな場所なんじゃないか。
そしてそれは、僕が一から構築しようとするには、少しばかり労力のかかるような、そんな場所なのではないか。
僕は思考する。結論を出す。
「そう、だな。効率的、というのは、今納得が取れた。」
「そうでしょう?少し大きな部屋を借りて、それぞれの部屋も用意して、大きなキッチンがあるところがいい。その方が、実験がしやすい。」
アステアは、物件情報の雑誌もないのにつらつらと条件を述べ、その先の或る未来についてを回想する。
そして、その途上、ふと切長の黒い瞳が僕を見据える。
「それに、さ。いつでも、こうやって触れ合える相手が近くに居る、っていいと思わない?」
「君にとってはそうかもな。」
「あなたも、そうしたらいい。わたしは女で、あなたは男。それなら、肉体的に関係を持つのに支障はない。ストレスで変に持て余したら、その発散はどうやってするの?わたしがいれば、話が早くない……?」
アステアは、転がる音がするのではないかというほどに執拗に瞳を流し、僅かに睫毛を震えさせた。
「それも、そうかもしれないな。」
「ぇ、あ、そ、そっか……てっきり、わたしなんかじゃだめって言われるかと思った……」
アステアは、自分で言ったことだろうに忙しなく視線を彷徨わせて、それでは放熱しきれなかった体温を頬に立ち上らせた。
繋いでいた手が解かれて、彼女の両腕は自分を守るように我が身を抱いている。心外である。
「無理矢理襲ったりしない。この街で生活して、性欲が欠片もないような男はいないだろう。僕だって、男の醜い部分をちゃんと待ち合わせているよ。」
「そ、そうなの……?」
「そうだが?だが、しかし、だ。
君をそうしようとは思っていない。僕たちが結んでいるのは、そんな関係性じゃない。もっと強力に、もっと強い信念で、僕らは共にいようと相成ったはずだ。」
そうだ。僕たちは、身体だけの関係じゃない。
「うん……うん。そう、だね?」
いじらしく、熱っぽい目が、僕を見た。そんなに変なことを言っただろうか。けれど、これは伝えておかなければならないことで、彼女もきっと、そう思ってくれている。
これはつまり、すり合わせなのだ。僕と、アステアの関係性。そこに、名前を付与する。そしてそれが、曖昧な距離感から、名前を持った関係性に転化する。
そう、僕たちは。
「僕たちは、金を稼ぐための、大切なビジネスパートナーだ。そうだろ?」
びたん!と濡れた雑巾を叩きつけたような音がした。音には、骨がぶつかって鳴らした振動と、噴きつけたような痛みが伴っている。
大の大人が、この距離で思い切り力を振り抜くなよ、と頭の中だけで呟いた。少しだけ揺れた脳みそが、意識を混濁させる。
「さいってー!バカ!薬中!」
感情が昂ると精神が退行するのか。なんて、憤るアステアを見て思う。
ひとしきりその後僕に暴言をぶつけたアステアは、ようやくその長い息を継いで、僕の胸に飛び込んで首元に思い切りキスをかました。
「わたしが言ってるのは、こういう関係のコト。ちゃんと、……わかって」
そうしてアステアはソファを立ち、休憩室に引っ込んだ。ふて寝だろうか、と思ったら、休憩室のクッションを抱えて戻ってくる。そのまま、そのクッションを抱きながら、僕の膝を枕がわりに寝始めた。
もう温くなってしまっただろうコーヒーに手を伸ばすも、下から伸びて来た手に掴まれて、僕の腕はアステアの頭へと矯正され、撫でろ、という御心のままに摩擦を提供する機械になる。
アステアは、すぐに寝息を立て始める。
*
「はぁ〜……あぁ〜……ふぁ〜……」
「あの、……気が散るから四階でやってくれないかしら。」
先ほどから、こんなにも悩ましいことはない、とため息を吐き続けるアステアに、セスタはとうとう口を開いた。
「……はぁ」
「今、アタシを見てため息を吐かなかった?屈辱だわ……!」
「じゃあ、少し相談に乗ってくれる?」
自分の腕枕に突っ伏して、アステアは気怠そうに言った。それが相談を持ちかける態度か?とのセスタの視線は、当然ながら届かなかった。
「一体、何をそんなに悩んでいるの。」
「彼との、身体の関係。」
空気が凍てつくとは、まさしくこの状況を表す言葉だった。セスタは、思わず打ち損じたキーボードが、ディスプレイに意味不明の文字列を入力したのを修正し、再度聞いた。
「か、から、……身体の関係……?あ、あなたたち……もう、そんな……」
「彼は、わたしを身体だけの関係にはしてくれないらしい。」
セスタからすれば、アステアの概観は「身体だけの関係≠愛を踏まえた関係」と読んだが、そうであるならばアステアの落胆ぶりが腑に落ちなかった。
「ビジネスパートナーって……どういう意味だと思う?」
「私とリゼルキルトくんとの関係ね。縁なんかよりもよっぽど厚く、そして強固な、金という関係で結ばれた、それは、仲間なんて概念が馬鹿らしくなるくらいの確かな関係性だわぁ……!」
「わたしは彼の、ビジネスパートナーらしい。身体だけの関係、って名前では消費しない、ビジネスのためのパートナー。」
暗い瞳のアステアは、セスタという金の亡者が持つ独特の恋愛観にある諦観を見せたが、同時にセスタから向けられた視線で、自分も彼女に同じような諦めを向けられていると気づいた。
「貴方はリゼルキルトくんと、どうなりたいの?」
「彼とは……」
「その彼っていうのやめてもらえる?すごく虫唾が走る。」
「わたしは、リゼルキルトと触れていたい。どこに拠り所を作っても、別の女に寵愛を向けてもいい。けれど、彼と触れ合って、彼に触れている権利を、わたしは、絶対に手放したくない。」
アステアは、ある夜の、温かな彼の手を思い出した。
昏い意識の中で、その手の温もりが、確かに自分を選んでくれた。その瞬間に、リゼルキルトと触れ合うことこそが、彼が自分を選んでくれたことを思い出すトリガーとなったことを予感した。
「貴方の経験が違うのか、それとも、アタシの国とこの国で、文化レベルが違いすぎるのかは判断に困るけれど、とどのつまり、貴方は都合のいい女の適正を存分に持っているわ。」
「でもわたしは、それがいい……」
「だからあなたは、そうしてくれないリゼルキルトくんに不満なのね。」
アステアは、どこか含みのあるセスタの声音に顔を上げた。その声色だけが、どこか、自分の漏らした苦悩と絡まり、共鳴し、あるいはユニゾンするような心地よさを得た。
「アタシはわかる。リゼルキルトくんが、どうしてあなたみたいな都合が良すぎる女に無闇に手を出さないのか。」
「それは……何故……?」
「彼には、なにかの目的がある。そのために、ずっとこの国で燻ってきた。でも、あなたと出会って、その目的に達する可能性が見えた。」
セスタは、認めたくはないが認めざるを得ないある真実を語った。しかしその最奥を、彼女は知らなかった。
「彼には必要ないのよ。その目的が達せられれば、あなたの提示しているメリットが必要なくなる。」
「どういう理由で?」
「それはアタシもわからない。教えてもらってない。……あなたの持ってるものじゃ、弱すぎるのよ。」
セスタの胸を微かに刺した疼痛は、自分が吐いた無慈悲な事実が、彼女自身にも当てはまることに起因する。
だから、少しばかりの希望的観測を込めて、セスタは言い添えた。
「もしくは……自分に最初の一歩を踏み出させてくれたあなたを、ぞんざいに扱いたくないのよ。」




