Ep.7『カルイトリガー』
薬物中毒者には、ネットワークがあった。
それは、誰が薬物を買っているのかを見つけるネットワークであり、誰が薬物を売っているのかを見つけるネットワークであった。
僕たちがやるのは、そのネットワークにウォーターフォール式に薬を流していくことだ。
まずは、適当な路上生活者に金を握らせて、はした金でヘイローを売らせた。煙草よりも陶酔し、それでいて値段も安価。そんな代物はこの世界にこれまで存在しなかった。はじめの中毒者は、その快感の虜となり、再び売人を探し始める。次に売人から薬を買い求めるときには、薬の値段が吊り上がっている。そして、薬と引き換えに、薬の販売を命じられる。このとき、この売人の階層が下がれば下がるほど、ヘイローの濃度は薄まっていき、粗悪になっていく。売り物として渡されたそれを自分で使ったとしても、満足できなくなる。
やがて、中毒者は中毒者を指数関数的に増やしていき、薬は瞬く間に樹形図を染み渡っていく。逆に、その末端からは金が吸い上げられた。中継地点には、一度も魔薬を経験していない人間を高値で雇い、売人たちからの集金を担当させた。中継地点は約三つあり、階層が上がれば上がるほど集まってくる金の量は膨大になっていく。
資本主義社会において、僕たちのやっているビジネスはまだ弱小も弱小だ。金の流れを狙われることは心配しなくてよかった。
次に、バラックに魔薬販売所を設けた。約二パーセントのマージンと引き換えに、中毒者たちにヘイローを売り捌く人間を雇った。集金は僕が担当した。時間日時、巡回ルートに一切の規則性は持たせず、卸したヘイローの量と回収した金をゼロから百まで全て帳簿に記録させた。
ここまでに約三か月。それは一重に、セスタによって開発された魔薬製造用MSCSの数々のお陰だった。高額の機材導入費は、投資という名目でセスタの私財が投げ打たれ、更に僕たちには清潔な事務所が与えられた。狭いながらも、僕、セスタ、アステアのデスクが用意され、それぞれのデスクには通信用MSCSも接続された。
カラシナはこの国に群生している植物で、誰もその有用性に気付いていなかった。
五十万ダラを大金などと呼んでいた時代が嘘のように、僕たちの事務所には薬物中毒者たちの血を吸い上げた現金が担ぎ込まれた。三か月で六百万ダラを稼ぎ切り、セスタの投資分を一度棚上げにすれば、純利益は二百四十万ダラに上った。
ここで、当然銀行口座の開設が求められた。
セスタの勧めでは、プライベートバンクに口座を開設することが最も立ち回りやすい、と言われたが、この大金をプライベートバンクのラウンジまで運ぶためには、少なくとも航空輸送ということになる。もちろん、税関はその多額の現金の詳細を知りたがるだろうし、国境を跨ぐ場合の現金の輸送には、多額の税率がかけられるというのが常であった。
もちろん、この街の銀行に口座を開設するという手段もある。しかし、そこから海外の他行へ送金するともなれば、この多額の金の流れは必ず怪しまれる。それが、資金洗浄の温床ともなっているプライベートバンク宛ともなればなおさらである。国際MSCS送金については、二百万ダラ以上の送金の場合、当局は行員へ数々の資料提出を求める。
というよりそもそも、この街の銀行はほとんどをバルデリーニ・ファミリーが牛耳っている。そんな場所に、彼らと真っ向から敵対するようなビジネスをやって手に入れた金を易々と入金できるはずはなかった。
そこで、僕はとある銀行にあたりをつけた。それは、この街にもあり、かつ、バルデリーニ・ファミリーが背後にいないことが明白な銀行である。
「聖アンタニオス・バンク……?」
「聖教銀行だ。本拠地は聖教の聖地サンクトセデス、つい二年前に建国された国だ。開行したばかりだから預金が欲しいんだろう。口座開設の基準は充分想定内だ。そして、教会がある街には必ず支店があり、教会本部の影響力は今や全世界に波及している。つまり、マフィアといえど簡単には手が出せない。」
口座開設には僕の名前を使った。開設してからは、一週間に一度入金を行い、取引にはその口座を使った。
取引は、大方セスタの個人口座とのやりとりで、諸経費の支払いにいくつかの会社がある程度だった。
そのころには、セスタはこの銀行口座における立ち回り方についてのプランをいくつも立てていて、聖教銀行についてを調べ上げて僕に口座開設の許可をくれたときのように金融業界についてのレクチャーを施してくれた。
驚くほど上手く行った事業とは引き換えに、我々の法人───まだ設立していないが便宜上そう呼ぶ───の問題とはすなわち、職場環境にあった。そしてその職場環境とは、人間関係に起因する。
「はじめまして。リゼルキルトくんとはもう何年も前から知り合いの、セスタ・クリスタルベリーですわ。どうぞよろしく。」
「……?どうも、……わたしはアステア。よろしく。」
敵対意識剥き出しの総合商社取締役社長は、貧民街生まれの小娘に軽くあしらわれ、その小娘はわざわざ自分のデスクの椅子をガラガラと転がして、僕の肩を枕に本を読み始める始末であった。咄嗟に対抗しようとしたのか、ばっと動き出したセスタは、アステアが煙草に火を灯したのを皮切りにゆっくりと落ち着き、自分のデスクを遠く離れて部屋の隅にしょんぼりと収まった。
面倒くさい予感がしていたのでアステアのファインプレーを撫でて褒めてやった。
「ふふ、くすぐったい」
そんな甘えた声をアステアが出したせいで、セスタは彼女のことをまさしく”気に食わない奴”と判断したらしい。
多忙のセスタが事務所に来ることは稀であったが、そのときにはいつも空気がピリつく。しかし、そんな事務所内の不和とは裏腹に、僕の銀行口座に入金されていく金は増えていくばかりであった。
*
事務所に行くと、珍しくセスタしかいなかった。
いつも事務所の灰皿をこんもりとさせながら帳簿を確認しているアステアがいないので、セスタはとにかく上機嫌だった。手ずから二人分のコーヒーを淹れ、デスクの位置を勝手に僕の隣に移動させたとある小娘の席を占領して、仕事の愚痴をだらだらと喋った。
次の集金のルートと、売れ行きの分析をMSCSの計算機に突っ込んでいるだけの僕は、セスタのその話をラジオ代わりに随分と作業が捗った。
「聞いてぇ?うちの資産運用部門がやってた投資の資金回収が、完全に失敗してしまったの……そのせいで、ここ一週間バタバタよぉ……」
「君の会社でもそんなことがあるのか。」
「あるわよぉ……全部アタシの手が入るわけじゃないし、ある程度任せてるところはあるもの。」
「どっちの会社の話なんだ。」
「ベリーの方よ。武器取引の方は表沙汰の取引には極力名前をださないもの。」
総合商社クリスタル・ベリーと、武器商社クリスタル・メス。彼女が比重を置いているのはおそらく武器の方だから、そんな失敗も僕に愚痴るだけでどうにかなっているのだろう。
「ちなみにどんな失敗だったんだ?」
「債券よ。アメリクスであった、高校でのMSCS乱射事件なんだけれど、高校側の対策が法定基準を満たしていなくて、そのせいで生徒が十五人も射殺されてしまったの。それで、保護者側が起こした集団訴訟で、有名な弁護士がその取りまとめをしていたの。」
「どこに債券の要素があったんだ……?」
「弁護士事務所に訴訟費用を貸す代わりに、勝ち取った賠償金から利益が出る債券だったの!しかも、実質元本保証よ……!?」
「実質元本保証というと……」
「債券の購入金額に、民間の保険会社の保険料が含まれているの。実質的な元本保証スキームが組み込まれている、魅力的な金融商品だったのよぉ……絶対、失敗するはずなんてなかったのに……」
クリスタル・ベリーは保険会社への保険料と一緒に金を貸している。とすれば、もし賠償金が得られなかったとしても、弁護士事務所を通じて保険料が支払われている以上、保険会社はクリスタルベリーに保証を行う。そして、その金額は保険料を除いた元本と同じ。クリスタルベリーは、保険料以外の実質的元本を必ず取り返せるということになる。
「だが、その訴訟なら確実に損害賠償を取れると思うが。」
「それが、遅々として裁判が進まないばっかりか、弁護士事務所とも連絡が取れない始末なの。盛大な金融詐欺にあったって言われた方がまだ信じられるわぁ。」
一体どれだけの金額を突っ込んでいたのかはわからないが、一千万ダラ近くを稼いで、その実感を抱けていない僕なんかには途方もない数字なのだろう。いい加減遠方の集金も骨が折れるし、社用車でも導入しようか。
「でもまぁ、ちゃんと切り傷くらいに収めるわ。諦めと損切りは、自己破産に転落しないための必須条件ですから。」
「損切り、ね。」
キーボードを打ち、数値を入力していく。
「聖教銀行が使えなくなったときのために、ペーパーカンパニーくらいは作っておくべきか。」
「……そうね。国外金融機関なら、匿名で口座を作る方法もいくつか考えられるし、キミの匿名性が上がる方が、犯罪組織としては安心だし。」
「ふっ、犯罪組織ね。」
今のところは、魔薬を法律で取り締まる動きはない。まだ完全合法の会社を経営しているのだから、その言い草は心外でもあった。
しかし、勝手に薬を処方し、その安全性は度外視という事実に照らせば薬機法には違反しているかもしれないし、まず法人を設立しておらず、収入の申告すらしていないのだから、脱税に関しては言い逃れができない。
全く、いつの間にか立派な犯罪組織の一員となってしまった。
「久しぶりに笑った。」
「ぁ、あぁ、……そうか……?」
そんなにも感受性が死んでいるつもりはなかったから、少しだけ驚いた。
「えぇ。この国に来てからは、少なくとも初めて見たわ。」
「……そうか。」
「ふふっ今日はいい日になりそうだわ……!ねぇ、何かしましょうよ。」
背もたれをガタガタと揺らされて、しかし、今日はなんだか振り払う気がしなかった。
「わかったわかった……それじゃあ、」
「車、買いましょう?せっかく車庫付きの物件なのよ。それに、市場規模は広げていかないと。」
まるで僕の心の中を読んだかのような提案に、内心底冷えする。しかし、セスタの言うことにも一理ある。僕もアステアも、この街ではマフィアの次に金持ちだ。それなのに、毎日とことこ歩いて出勤してくるというのも貧乏くさい。
この物件の車庫は、セスタの乗っている高級車だけが使う専用駐車場と化している。その現状打破のためにも、社用車の導入は急務だ。
セスタの案内で、運搬、偽装、防弾に優れた車を扱っているというディーラーのもとに向かうことになった。セスタがステアリングを握り、僕は助手席で外を眺めていることにした。
*
ディーラーでは、特にこだわりもなかったから一番性能がいいものを紹介してもらい、即決した。セスタはいろいろと見たい、と年甲斐もなく飛び跳ねたが、見たいなら勝手に見てこいと言ったら涙目で黙られてしまった。
空気を変えようとしたのか、トレスと名乗った店主は僕にある機構を見せた。
「トラップ……?」
「えぇ。例えば……あっちの車なんかがわかりやすいんですが……」
店主が指さしたのは、ガレージの隅に置かれたピックアップトラックだった。塗装がところどころ剥げ、泥や砂埃が付着した砂漠迷彩を纏っている。
店主が助手席のドアを開けた瞬間、セスタがぴくりと視線を巡らせた。
「この扉とあのウィンカー、純正じゃないでしょう。」
「……さすが社長。よく、気付きましたね。」
店主は車のエンジンをかけ、豪快な排気音の中でウィンカーを作動させた。そして、ドリンクホルダーを九十度回転させる。すると、カチという音がどこからともなく聞こえた。
「扉か……?」
「えぇ。ここを開いてやるんです。」
店主は助手席の扉の内側のノブを引いた。すると、まるで扉とフレームが引き剥がされるように、その中の空間をぱっくりと開いた。
扉の内側がほぼ空洞になっていて、それは外見からはまるで見分けがつかなかった。
「煙草の密輸入に使えないかと思って作ってみたんですが、あの人たちの需要には足りなかったみたいで。こうして自分のを改造して遊んでるんですよ。」
「なるほど……いや、興味深い。もう少し話せるか?」
「もちろん。よかったら事務所に案内しますよ。構想段階で、図面に起こしてるのが何種類かあるんです。」
「是非見たい……!」
その機構は、これから必ず行うことになる密輸での国境検問で、絶大な効果を発揮するはずだ。ここで学んでおかない手はない。
嬉々として店主についていく僕にセスタが不満そうに言う。
「アタシと見てるときより、楽しそうだわぁ……。」
「楽しいとかじゃない。有用性の話だ。」
「……もぉ……男の人って、そういうのばっかりお好きなのね。」
*
納車日は二週間後、僕の望んだトラップ機構を、店主はできる限り全て搭載し、完璧に整備してくれた。マフィア利権の跋扈するこの街で、その店は不自然なくらいに清浄だった。
支払いは現金一括払いにするほかなかったから、すぐに振込の手続きをした。納車はつつがなく完了し、我々魔薬株式会社は、とうとう社用車一台を帳簿に載せることに成功した。
アステアは運転免許証を持っていない。この街の警察なら、賄賂を渡して無免許運転くらい揉み消してくれるだろうが、相手が女だからと見くびられる可能性を消せなかった。
僕は、自分の運転免許証を使って、遠方の集金をいくらか捌いた。ステアリングを握り、カーステレオでギャング礼賛歌を流す。
遊びのないリズムと空虚な歌詞は、無闇に掻き鳴らされるだけのギターと相まって、残響にまとわりつく虚脱感を加速させる。
好きでこんなものを聞いているわけではなかった。
この街のそばに控える山へ登る連中は、害獣避けに鞄に鈴をつけるらしい。このコリードは、本質的にはそれと変わらなかった。
運転中は、ぼんやりと組織のことについて考える。
一世代前に伝説の社用車、と崇められたこの車は、その名声に違わず快適な乗り心地と収納スペースを確保してくれている。思考に混じるノイズは、限りなく少なかった。
───諦めと損切りは、自己破産に転落しないための必須条件ですから。
つい数日前にセスタが言った言葉を思い出した。
あのとき眺めていた有用な市場の分析データは、この街の生活困窮者の分布とおおそよ合致する。
ある程度の稼ぎがあり、マフィアとの癒着がそこそこにある。そんな所謂中流階級の地域では、比較的売上が悪い。少ないという訳ではないが、卸す労力と集金の労力、はたまた、それを組み込んだ集金ルートの確立など、精緻に計算してみれば実質的な利益はたかが知れている。
それよりは、粗悪かつ安価、しかしこの澱み切った現実をぱっと引き裂いてくれる薬に縋る、下層階級の端金の方が、直接の利益としては大きい。
彼らの居住区域は、僕たちの住む場所からそう遠くない。
或る売上の諦めと、損切り。
日毎の売上データと在庫を入力し、セスタから賜った関数にかける。日が昇るたびに変化するギザギザのグラフは、ある程度微分されて、辛うじて整数と言えるような値を算出する。
それは日毎に記される消費指数で、セスタが決めたある閾値に達しないものは無価値な市場と評価を下される。自分では気づかなかったものの、我々は存外、そんな無価値な市場を抱えている。
効率化のための損切り。それは、転じて自己破産しないための心持ちだ。
ゆっくりとブレーキを踏む。バラックの売人が、窓を開けた僕に端金を渡す。僕は、預けた在庫を全て返せ、と言う。売人は抵抗する。
そしてそこに、一つの死体がある。




