Ep.82『Mgc:Antagonist』
「あんたらは、最悪な時代に生まれちまったな。グランナダラ・カルテル。」
僕が唐突に言った言葉に、エミリアは理解を得られない。彼女に追随して現れたエスメルダも。
だからといって、戦闘の為の準備に空白が生まれることはなかった。
小銃型MSCS、通常であればカートリッジが収納されている部分にケーブルを繋ぐ。その道のりを遡っていけば、彼女の背に背負われているMSCSに辿り着く。管制MSCSを内包しているのか、エスメルダもカートリッジを換装した。超高速戦闘によって酷使されていた用済みのカートリッジが、地面に転がってじゅう、と蒸気を吐いた。
「理性と本能の二面性───グランナダラ・カルテルは、理想的なカルテルだった。一つ時代が違えば、お前たちが王者だった。」
僕もアンタゴニストを戦時状態に移行した。噴出する蒸気が、臨戦態勢の合図だった。顕れる、黒鉄の刀身。
「僕らは、最高の時代に生まれた。」
ベルトに吊るしていた光学キューイングデコイの数を確かめる。握り込んだままだったアゴニスト、刃渡りを持たない白亜の刀身が、螺旋を描いて延伸する。
「適合者というシステムは、団体戦をしようっていう戦争の概念に、明確に歯向かった。
適合者という虎の子は、敵対する軍隊を蹴散らす。だから、相手も適合者を出さなければならない。代理戦争を、ボス同士がやらなきゃなんない非合理的な戦争の完成だ。
組織力で一歩先を行かれた相手に、僕らは恐ろしく簡単な下剋上を叩きつけられる。」
エミリアは、その見た目に違わず、傾聴は好きではなかったみたいだった。既にトリガーに指先を添えて、空いた左手に異能を溜めている。
「最高の時代だな、エミリア・カテドラル。」
「あァ、その通りだ、リゼルキルト───!」
一秒に満たない照準。流石の腕前だった。彼我の距離を勘案し、瞬時に魔法を選択した。
エミリアの小銃型MSCSから取得された座標情報が、背後に背負った計算用MSCSに取り込まれ、連射魔法のプログラムが返される。不気味な電子音が鳴り響き、致死性の魔法エネルギーがばら撒かれた。
音速は、命乞いを待ってくれるほど鈍足ではない。死は衝撃波を発しながら僕に突き刺さるだろう。僕の肉体を木っ端微塵に引き裂くだろう。その直前、
───ゼータが、トリガーを引くのが見えた。
思い出した、コード・ゼータ。
僕は余裕を持って一歩を踏み出した。微かにキラリと瞬いた、不可視の魔素偏光。空間を歪ませるそれが、眼前に迫っている。アンタゴニストはそれを、叩き切った。
僕が撃ち放った魔法を、あんたは眼前で叩き壊して見せたな。よくわかる。
そうだよな、魔法は、照準できる。
微かに目を見張ったエミリアが、次の攻撃行動のため構える。僕の足は、踏み出している。
僕と彼女らの間にあった距離が、瞬く間に詰められる。連射された魔法のうち、幸運にも僕の速度についてこられた奴らは、全員アンタゴニストから解き放たれたショートレンジミリタリーショックウェーバーによって解体された。ぶちぶちと引き千切られて、悲鳴を上げる魔法。
敵を切り刻む宿命を背負っていたのに、自分自身が切り刻まれる。その返報性の終幕に、まるで、反抗するような乱反射と破裂音が響き渡る。
飛び上がった僕の片腕───アンタゴニストが炎を噴き上げる。燃え盛る一閃が、側近もろともエミリアを薙ぎ払った。
消えない炎、僕を焼かない炎。体積を増し、爆轟を噴出させた炎。舗装された地面を抉り取る爆発、その大部分が、黒煙ではなく超高温の炎だった。その、残響の中から。
視界の中央を、異物が紛れ込んだフィルムのように一瞬だけ何かが掠めた。アンタゴニストを構える。エスメルダの山刀が、アンタゴニストの刀身と打ち合った。甲高い金属音、刃が、ごりごりと削られる。
───速い、上に、女の膂力じゃないな。
白亜のMSCS───アゴニストを逆手に持ち替えて、鍔迫り合いを演じるアゴニストに加勢する。力比べでは埒が明かないと悟ったか、エスメルダは急激に力を緩めた。その流れに逆らわず、アンタゴニストを薙ぎ払う。単調な横薙ぎ、当たるはずもなかった。
屈めた上体をぐいと伸ばし、エスメルダのモノクロの痩躯が懐に潜り込んでくる。ずば、と爽快に走った山刀の軌跡、僕の脇腹から血肉が破裂した。
痛覚はあった。MSCSで遮断したまま戦うこともできただろうが、そんなことにカートリッジ・リソースを費やすのは馬鹿のやることだ。薙いだアンタゴニストの遠心力に逆らわず、反転して一撃を延長する。完全に空を切った一撃が、周回して一・五撃に接続する。痛みに無頓着な僕のそれは、相応に彼女の油断を誘ったらしい。
咄嗟にかざしたエスメルダの山刀が、気持ちのいい音を立ててへし折れた。吹き飛んでいった半分の刀身、握り込んでいたもう半分の山刀。もちろんそれに執着はしない。即座に山刀を棄てたエスメルダは、お手本のように綺麗なフォームでホルスターから拳銃型MSCSを抜いた───という頃には、既に照準が済んでいて、彼女のトリガーは沈み込み始めている。
僕だってその間、悠長に待っていたわけじゃない。アゴニストを手放して空けた左腕、震えるほどに力を込めた拳が、エスメルダの顔面をぶち抜いた。 快感に思わず震えるほど、綺麗に入った。
鼻筋をへし折る感覚、生み出した衝撃が、その引き締まった肉体の中を躍動して、脳を揺らしていく感覚。愉悦───なんの化学操作もされていない天然のアドレナリンが、脳をびちゃびちゃに浸していった。
吹き飛んだエスメルダへの追撃、その正当な権利に、無用な闖入者が横槍を入れた。もはや慣れっこの死の気配。飛び退いた地面を、赤黒い脈動が走っていった。
「あぁ、勿体ない。」
地面が破裂し、エリン・アルカロイドの生み出す異質な力の解放を宣言する。
飛び上がってしまったので仕方なく家屋の壁に作用を仮託し、提供された反作用を推進力に転化する。
弾丸のように撃ち出された僕の標的は、高みの見物を決め込んでいた傲慢なグランナダラ・カルテルのボスだ。
「討て、───」
「来い、───」
互い、交わすように言葉が漏れた。
僕の腕に絡んだ細長い腕、愛してやまない、君の細腕。沁みだした炎が、アンタゴニストに熱量を提供する。
「エスメルダ」
エミリアが呼んだのは、異能の力でも、妖精でもなかった。
叩き込んだ炎が一瞬のうちに霧散し、ただの刀剣となったアンタゴニストの刃は、エミリアの前腕に侵入して厳かに橈骨へと激突した。
強烈に込められた力、エミリアの前腕の筋肉が、アンタゴニストの刃を締め付ける。
「クソマゾヒストが」
「楽しいなァ!?聖人!!」
僕がアンタゴニストを引き抜こうとする間に、きっとエスメルダは魔法を完成させるだろう。アゴニストは落っことしてきたままだ。逡巡、眼を見開く。照準しろ、全て受けきれ。この腕を叩き切ってでも、銃口を向けろ。
背後、大剣を振りかぶったエスメルダと眼が合った。
「ッ、中世の戦争してんのかあんたらは」
感覚で身をよじった。ここまでの重量がある武装なら、きっと全体重を乗せるのが最善。彼女もそうしていただろう。振り下ろす途中で変化する軌跡は、きっとそう劇的なものじゃない。ぶおん、という風切り音と風圧が、耳の裏の嫌な部分を逆撫でした。地面にめり込む大剣の切っ先。
エミリアを押さえつけるのにアンタゴニストは手放せない。空いた片腕では不足。片足でその大剣の刀身を蹴りつけて、地面に深くめりこませる。そして、奴らの思惑に思い当たった。
「『大聖廟』」
つまりはこれは照準だ。攻撃の的中率を底上げするために行われる、綿密な事前準備。ゼロ距離から這い出してきた赤黒い脈動が、僕の肌に触れる。
「アンタゴニスト───!」
アンタゴニストの機関部が剥き出しになる。カートリッジ換装用のモード。それが、エミリアの腕の肉を押し広げる。ぱっくりと開口した痛々しい傷口から、腕の内部構造が見えていた。
高速駆動を続けていた汎用魔法カートリッジは、触れれば火傷では済まないような高温状態になっている。アンタゴニストの機械構造は、頭に入っている。この武装は、僕が設計し、僕が扱ってきた。射出されたカートリッジが、エミリアの頬を灼いた。
「熱ッ!」
彼女の異能のファクターなのであろう気色の悪い血管が霧散する。変形の拍子、アンタゴニストの所有権も取り返す。ねばついた筋線維が、エミリアの腕と刀身の間に糸を引く。
腕の一本でも切り落とせればと思ったが、筋肉を断裂させるような切創が限界だった。
エリン・アルカロイドが飽和した汚らしい血液を纏いながら、アンタゴニストの一閃がエスメルダの眼前を掠める。裁断された前髪が、血液によって刀身にへばりついた。
エミリア、エスメルダが距離を取った隙、アンタゴニストのトリガーを引く。射撃された一発目の魔法は、エミリアに真っ直ぐに飛んでいき、手に持っていた光学キューイングデコイを照準した二発目。射撃と同時に背後のエスメルダに向かってデコイをぶん投げた。
エミリアのあの異能を前に、銃口を逸らす判断が億劫だったゆえのノールックパスだったが、エスメルダはデコイを上手く受け取ったらしい。僕の前で炸裂した魔法に少し遅れて、背後からも爆発音が聞こえた。
刹那、粉塵が割れる。
エミリアの方だった。叩き割られた黒煙の中を、顔面や上半身の皮膚を引き剥がされたエミリアが駆けた。欠損したせいで二本になってしまった指が、地面を抉り取りながら進む。軌跡には、赤黒い脈動が節足のように這っていて、その先導者である指先が、顎肢のように見えた。一筋の、肉食性の巨大な節足動物。
その身体を消滅させながら突き進んでくる、一撃の最中にしか存在できない生物。その顎が僕の肩口を抉り、じゅく、と生長した脈動が、その肉を消滅させる。辛うじて抉られなかった骨が、痛々しく外界の空気を浴びた。
反転攻勢、転じようとした僕の眼前、ギョロ、と不可思議な双眸。
「英雄はァ、荷が重いよなァ?アンタニオス」
戦車のような破壊力の割、軽やかに僕をスルーしたエミリアの足取りは俊敏だ。撃ち損ねた魔法、トリガーから指を外して照準を解除した。
彼女の背中を追えば、血まみれのエスメルダをその胸に抱いているのが見える。
たった数秒の戦闘に、あまりにも状況を詰め込み過ぎている。幾重にも分岐していく判断のフローチャート。躊躇の介在しない高密度の殺意。推移していく戦闘の最中、一度でも当惑があれば、判断の瑕疵があれば、終着点には死が待ち受けている。
だから、そこで訪れたほんの少しの間隙は、僕が思考する絶好の機会だった。
攻撃の兆候や着弾迄の一部始終が可視化されているフラクタルの炎は、エミリアにとって崩壊させられる攻撃。逆に言えば、ほぼ視認不可能の魔素偏光が着弾迄のほとんどを占める魔法の方が、ヒットの可能性が高い。爆撃魔法に皮膚をひっぺがされているのが、その証左だろう。
精神を高速戦闘に適応させる。あとは、限りなく本能に近い領域にある理性で、オートマティックに動くだけだ。
抱きかかえられたエスメルダが云う。
「すべては、アタシの奴隷だ……貴方も、そう。」
違和感があった。
エミリアがそっと「あァ」と呟く。そうか、そうだったのか。
「グランナダラ・カルテルのボスの名をァ、呼んでみろォ」
ずっと、エミリア・カテドラルのことばかりを考えていた。理性と本能の二面性。それが、別々の人間として分離しているこの危うさを、僕は知っていたはずだ。カルテルの運営という一大事業に、それも頭目に、そんな運用が許されるか?
いいや、そうじゃない。奴らは適合者と妖精だ。それならば、理性の方を務めるのは、どちらが相応しい?
「グランナダラ・カルテルのボスとして、命じる。エミリア、私と一緒に───英雄になろう。」
エミリア・カテドラルが、妖精なんだ。
「あァ、この世界の全ては、アンタの奴隷だ───!」
ぎゅる、と掻き消えたエミリア。次の瞬間には、五体満足のエミリア・カテドラルが生成される。
ずっと、顕現し続けていたのか。
休む間もなく、常に身体を昂揚させて、脳を騙して、ずっと、この世界に。それは、僕らが睡眠もとらずに踊り続けるようなものだ。副交感神経が遮断されて、脳内魔薬の再吸収が阻害される。活性化された神経細胞が、交感神経が、絶えることのない無尽蔵の快楽を、行動力を回し続ける。エリン・アルカロイドが、受容体作動薬が、その狂気を造形する。
エミリア・カテドラルという女は、その実態も、その在り方すらも、エリンの具象化した姿なのだ。
「見せてくれよォ!コード・ゼータの置き土産、躊躇を捨て去った孤独な死刑執行人───!」
お前がそんなにも僕に執着する理由が分かった。
何度灼いても湧いてくる顎股を捌き、回避しながら、否応なくエスメルダとの距離を離されていく。
───あんたらも、僕たちと同じだったんだ。
噴出した血液が、頬を不快に彩った。
どこにいるのかもわからない妖精と出逢うことを夢見ていて、そのためならば、何人殺しても構わない。いくつの悲劇を生み出したっていいし、世界中の復讐という名のMSCSに照準されたって構わない。
僕が忘れることのできない光景。フラクタルとともに囲んだ食卓の温かさ。彼女たちにも、それがあるのか。
「愛してる。」
耳元、フラクタルが囁く声がした。同時、僕の目前に迫った赤黒い脈動が、炎に阻まれる。炎はその血脈に侵食され、火花一つ残らず消滅させられた。
嗚呼、最悪の気分だ。僕はやっと、僕は。初めて、僕と目的を共有する連中に会えたのに───
「僕がそれを、殺さないといけないなんてっ!」
抑えきれない愉悦と哄笑、まだ理性的だった頭が、注入された狂気のせいで震えた。まるで燃え上がるように、狂喜の薬理作用が伝播する。フラクタルとの日々が、再燃する。
あんたらと出逢ったから、深く、強く思い出した。僕が、どれほど彼女と出逢いたいか。
「見せてやる、Zを継いだ僕が、終わりのない戦争の中で、終焉を始点に巡らせた、Aが!僕が!あんたらの寝かしつけ方をさぁ!!」
頭はぐちゃぐちゃに考えている。
僕が死んでしまったら、彼女たちは悲しむだろうな、とか。こいつらを殺してしまったら、もう僕と心同じくする連中には出会えないかもな、とか。面倒くさい、考えたくない。
トリガーを握り込む手が多いほど、僕の思考は加速して、行動は鈍化する。こんな頭は切り落としちまった方が楽だ。そうだよなぁ、ゼータ。でも、あんたも僕も、切り落とさなかった。
あんたは足を失わなかった。僕も、断頭しなかった。
そうだ。両足で立った方が危うくない。軸が二つあった方が、アンタニオスが、リゼルキルトが、本能が、理性が、同居していた方が、よっぽどいい。あんたの首にでっかい穴が空いてるのを見て、心底そう思った。
「討て!!」
手中、渦巻く熱量が、発火する。
「聖火の守護聖人!!」
掌底がエミリアの鳩尾を撃ち抜く。爆ぜる。ライフル弾のように突き刺さった火柱が、そこに風穴を空け、注ぎ込まれる火焔が、爆薬のような破壊力を撒き散らす。ひき肉になったエミリアを浴びる。
モノクロームの残像。奇妙に歪んだ鼻から血液を噴き出して、エスメルダの銃口が眼前に突きつけられる。そんなに近距離じゃ、折角の照準に意味がなくなる。撃ち放たれた魔法を、最小限の回避行動で躱した。僕の背後で再びこちらに矛先を向けた魔法は、音速故に曲がり切れず、地面に激突していくつもの弾痕を穿った。
エスメルダの指先が次の一発を放つ前、叩いた拳、緩む握力、浮き上がる指先、宙ぶらりんなMSCS───反転した銃口がエスメルダを向く。トリガーは軽く、引き金を引く。
「ッ」
どぱん、と炸裂したのは、惜しくもエスメルダの背後にあったカフェテリアのテーブルだった。もう一度撃ってもさっきの再現をするだけだ。調達した拳銃型MSCSを戦果として引き下がる、その直前だった。
伸びてきた手がMSCSの銃身を掴んだ。流れるような動作で、安全装置のレバーが倒され、排莢ボタンを押さえられる。咄嗟に引いたトリガーが機構を作動させ、カートリッジが滑り落ちる。MSCSとしての機能が死ぬ。ならば、
アンタゴニストを差し向けた。
「アンタゴニスト!」
叫んだのは、エスメルダだった。
。
。
。
あ。
クソほども前の記憶が思い出される。アンタゴニストの認証は音声だ。金がないときに作ったのが幸いして、パスワードや個人識別がない。誰の声でも、戦時・平時・整備モードに移行できる。
僕の動作を覚えていたのか、アンタゴニストの柄を這ったエスメルダの指が、トリガーを二度引く。ミドルレンジミリタリーボマーのカートリッジが排莢された。先ほど射出したカートリッジと合わせて、アンタゴニストから高速戦闘能力が喪失する。残る魔法は、僕の切り札の魔法は、構築に時間がかかりすぎる。
「っそが、魅せつけてくれるなぁ!」
銃身での打撃に切り替える。しかし、華奢な少女の顔面をぶん殴る異常な快感を、今度は得られなかった。
端正な顔立ちをぶち壊す代わり、ぎゅる、と結びついた細腕が、拮抗した状況を締め技に持ち込む。カートリッジが挿入されたアンタゴニストを狙われた。大人しく首を狙われていれば、残りのカートリッジで反撃できた。極められた腕が、黒鉄のシルエットを取り落とす。恐ろしいほどの判断能力。
咄嗟、地面に落ちたままのカートリッジを視た。それは、破壊されたわけではない。まだ使える。
視線が読まれる。拳銃型MSCSを奪い返された。それならば。
僕の腕に取りついていた痩躯を、思いっきり地面に叩きつける。ばきゃ、という痛そうな音がした。ははっ、という楽しそうな哄笑も一緒。ごろごろと地面を転がって、その勢いのまま、エスメルダは僕との間にまんまと距離を取った。その手には、拳銃型のMSCS。僕の手には、拾い上げたカートリッジ。取り落としたアンタゴニストは、簡単には拾わせてくれないだろう。
エスメルダの血まみれの美貌の前に、エミリアが再臨する。
両者、踏み出したのは同時だった。アンタゴニストに手を伸ばす。エミリアの顎股は、もちろんそれを予測して僕の手に照準を合わせる。あんたらが僕の動きを読むように、僕だってそれが読める。アンタゴニストを飛び越して転がり、崩壊の魔の手から逃げおおせる。そんな僕の直上から、エスメルダのナイフが振り下ろされた。
キィン、と地面を刺した切っ先。しかし、凄まじい膂力が、僕を地面に磔にする。エミリアの眼が、ぎょろりと蠢く。死の矛先が、じわりと沁みだして、僕へと飛びかかった。それを防ぐ手立ては、僕の右手にも左手にもない。カートリッジだけの右手、エスメルダの右手に、MSCS。
「させない」
エスメルダが、MSCSを放り投げた。それは、すぐにでもエミリアの赤黒い脈動に絡めとられて、部品のひとかけらもなく消滅した。不快な破壊音の残響が、耳鳴りほどに耳朶をのたうち回った。全てを崩壊させるエリンの魔の手が、僕に迫っていた。
甘い、甘いんだよお前らは。僕が求めていたのはMSCSじゃない。攻撃の手段じゃない。
「障壁デバイスが欲しかったんだよ、僕は!」
振り出しの掌底がエスメルダの首を掴む。かこ、という奇妙な音を立てて、モノクロームの少女の片目が白目を剥く。僕に迫りくるいくつもの顎股の前に、障壁を掲げた。
途端、脈動が霧散する。肉の壁を放り投げ、エミリアまで疾走する。
大好きな宿主の風穴ぶち抜くくらいの気概を見せろよ、エミリア・カテドラル。
目標までの途上、捨て置かれていた整備状態のアンタゴニストを掴み取る。
「借りるぞ」
エスメルダのMSCSから奪い取ったカートリッジを挿入した。刀身が駆動し、その切っ先に銃口が現れる。
引き金は軽い。照準の時間すら惜しかった。だから、やめる。祈らない、考えない、躊躇しない。
予感が、脳裏を掠める。
───当たる。
エミリアの上半身が消失した。臓物と血しぶきを撒き散らして、うんざりするほど多い残機を一つ削る。
即座に反転した。身体を起こしかけたエスメルダの瞳孔。アンタゴニストの切っ先が、彼女の腹にめり込んだ。
「ぐ、ぶ」
粘ついた白濁液を吐き出したエスメルダは、そのまま意識を刈り取られたらしい。仰向けに転がる痩躯、その腹に、アンタゴニストを突き立てる。切っ先に刃はない。あるのは、銃口だけだった。
トリガーを引く。
エスメルダの存在情報が解析され、アンタゴニストの中にあるオーダーメイドのカートリッジが駆動する。薄く可視光を放つ魔素偏光が、微かな間隙に砲身を形作り、注射器を完成させる。
背後、エミリアが復活したのがわかった。
「いい加減、眠るときだ、エミリア・カテドラル。」
「ッ、……その、娘はァ……」
あとは、トリガーを引くだけだった。
触れた指先が、微か鈍る。躊躇ではない。エスメルダが、小さく身じろぎしたからだった。
呼吸というにはあまりにも不格好な、空気が掠れる音。
エミリアの瞳が、悲壮にブレる。
この世界を手中に収めんとする、超巨大カルテルの真のボス、エスメルダは、小さく遺した。
「楽しかった、ね、……エミリア。」
明確な痛みを表情に浮かべて、しかし、エミリアはそれを、すぐに微笑に装いなおした。
「あァ……そうだな、エスメルダ。」
トリガーが沈み込む。
アンタゴニストは、その名に違わずに、エスメルダに死を密輸した。あまりにも呆気なく、断末魔も、肉体が炸裂する派手さもない。ただ、安らかに、老衰のように、そっと、命の灯火が絶える。
「死んだのか。」
「あぁ。これは……そういう魔法だからな。」
もはや、エミリアに戦う理由はないようだった。宿主が死んだのだから、きっと、彼女もいずれ消える。あるいは、還る。また、新しい宿主を見つけて顕現するのか、それについてはわざわざ知りたくもなかったが、もしそうなら、もう一度殺してやる腹積もりだった。
「苦しんだか……?」
「……断言できる。一切の苦痛なく、死んだ。苦しみも痛みも、なにもなく。」
「そうか。……ありがとう。」
「殺したんだがな、僕は。」
「そっちじゃない。悪戯に苦痛を与えなかったところだ。」
「どうも。」
エミリアは、随分と落ち着いていた。
むしろ落ち着きすぎていた。彼女は、常に昂揚し続けることで、妖精でありながらこの世界に顕現していた。
鼻をぶん殴ったときにわかった。エスメルダの鼻中隔は、常人のそれとは比べ物にならないくらい形が悪い。おそらくは、エリンを常時使用し続けていることによって、何度か溶けている。そして、そのたびに再建されている。
グランナダラ・カルテルは、そうした抑制の端緒となる出来事を、遮断して、エリン・アルカロイドの薬理作用は、交感神経を刺激し続けた。意思疎通もままならなかった少し前のエミリアは、まさしくその証明だ。
エリンによってもたらされた昂揚し続ける人生を、エスメルダは最期「楽しい」と称した。きっと、それだけで語れるものではないはずだった。けれど、彼女たち二人がそう称したのなら、それでいいのだろう。エリン依存症の連中が口々に叫ぶ人類賛歌に比べれば、よっぽど理性的だった。
「ありがとう、英雄。アタシたちを、ずっと、愉しませてくれて。」
ゆっくりと抑制に落ち込んでいくエミリアは、そう礼を言った。
「はやく行け。お前みたいな妖精は、アルカロイドに眠ってろ。」
「言われなくても。いつか、逢うことになるだろうな、アンタニオス。いや……リゼルキルト。」
突如、ノイズが走ったように。あるいは、穴の空いたフィルムのように、真っ白に弾けたエミリア・カテドラルが消滅する。
「またな。」
そんな爽やかな言葉を遺していった。
思わず背中から倒れ込む。出血がひどい。頭痛もする。明らかに糖分が足りていない。試しに行った簡単な四則演算が、脳内でぐるぐると巡って、とうとうイコールの向こう側を導かなかった。
握っていたMSCSから、力を抜いた。
僕は、彼女たちにそれを打ち込んだ。
エリンの薬理作用によって作動していた受容体、僕やこの魔薬戦争は、彼女たちにとってとんだ作動薬だっただろう。だから僕は彼女たちに、文字通りアンタゴニストを打ち込んだ。このMSCSの名前は、きっと、彼女たちに撃ち込まれるために名付けられた。脳内化学物質の妄信者たる彼女たちに、安らかな眠りを与えるために。
バルデリーニや、ゼンドーア・ヴェスタ、ついにはグランナダラ・カルテルのボス二人を屠った魔法。神経伝達物質と結合して様々な快楽を爆発させる受容体を、活性化ではなく、抑制させる物質。この魔法は、そんな物質の名前を借りている。
僕の隣で横たわるエスメルダに、冥土の土産として教えてやった。あんたを、あんたらを屠った、魔法の名前は。
「───受容体拮抗薬。」
先鋭化して、昂揚して、もう抑えの利かなくなってしまった魔薬戦争は、この瞬間をもって副交感神経が優位になり───そうして。
エリンの妖精は、アルカロイドに眠った。




