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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第三部【無闇矢鱈に輝くな】

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Ep.81『異憲章-Hetero Carta-』

「では、俺はこれで。おめでとうございます、リゼルキルトさん。」

 廊下の中ほどで、上背のある男がリゼルキルトに別れの挨拶をして歩いていった。といっても、マツシマからはリゼルキルトの姿は見えなかった。彼が「リゼルキルト」と呼んだから、そうだと思っただけだった。

 彼の執務室から、呼ばれたリゼルキルトが出てくる。

「リゼルキルトさん。今のは……」

「あぁ、……フリード・ヴェッリだ。」

 微かに目を見張る。

 フリード・ヴェッリは、フォージ・タリャーリナ第二管区『プロファロギア』の代表を務めたのち、その悪行のお陰で破門。タリャーリナ政府から犯罪組織の認定を受けるまでになった男だった。

 そして、サンクトセデスの暗部に潜り込んだ、聖教銀行(I R O L)のバックドアでもある。

「銀行設立にかかわったロギア2と石油関連企業のうち、ロギア2は当然、石油関連企業も零落の危機にある。奴らの資本は、ダーティーマネーで補充するしかない状況だ。」

「……そうですか。」

 それは理解できる方策だった。

 聖教の総本山である世界最小の主権国家サンクトセデスは、世界最小でありながら”主権国家”である。他国の司法やIMFT、金融犯罪対策室からの情報開示に、原則応じる義務がない。つまりは、投入した金のログが完全に漂白され、どんな黒い金でも清浄な金になって出てくるという、資金洗浄の極地にあるようなマネロン装置である。

 ただしマツシマが目を見張ったのは、その複雑怪奇なコネクションに接続したリゼルキルトの手腕についてだった。あまりにも早過ぎる。

「一体、なにをするつもりですか。」

「それがあんたに関係があるのか、ファミリアは、……ファミリアは、カルテルに干渉するのか?」

 マツシマを視界に収めることもしなかった。明確な、拒絶の証だった。

 世界的な中東の石油関連企業の零落は、もちろん彼が仕組んだことだとわかっていた。セスタ・クリスタルベリーは、彼に言われればそうするだろう。そしてそれは、リゼルキルト・カルテルという組織が、また一つギアを上げるという何よりの証明に他ならない気がした。

「あんたが地元に仕送りしてることも、僕にはわかってるんだ。お互い、秘密はあるだろう。」

 把握しているのなら、もはやそれは秘密になり得ないだろう。苦々しい顔をなんとか表情に出さないようにして、マツシマは瞬時に情報の流失経路を想像した。碌なものは見つからなかった。

「マツシマ。」

 改めて名前を呼ばれて、顔を上げる。

 今度は、リゼルキルトと視線が合った。

「あのとき、ギブアンドテイクとはいえ、僕に声をかけた。僕を殺さなかった。」

 あのとき。

 まだ彼が、組織の手先の吐いて捨てるほどいる捨て駒だったころ。あるいはその前、組織の構成員でもなく、異端の薬物を街路でちまちまと売りさばいていた、プッシャーだったころ。

「僕はその感謝を、忘れたことはない。だからマツシマ、この大陸は、あんたにやるよ。」

「は?」

 ”この大陸”。まさか、キツィリト連邦やシニカを含めるわけではないだろう。

 しかし、ブラウ連邦───ブラウ連邦共和国へと名称が改められることが決定している───シェンロウ王国、バハラータ共和国などは、それだけで莫大な活動領域となる。やる、という言葉が、その利権を譲り渡すという意味なのだとしたら。

 グランナダラの火───現地メディアなのにも関わらず、やけに過激な記事を書いていたとあるジャーナリストの記事。そのタイトルを思い出した。

「僕はアメリクス大陸を貰う。というか、もう手に入れてしまったから、こっちはあんたに全部やってもいいと思ってる。世界の半分、とまではいかないが、世界の五分の一くらいは、あんたにやるよ。だから」

 その言葉を切るのなら、今しかないと思った。しかし、その甘美な言葉の響きに、マツシマは愉悦を感じずにはいられなかった。故に、リゼルキルトの言葉を中断させることもなかった。

「もう、ここまでにしないか。」

 そして、中断させられなかったことを、すぐに後悔させられる。

「エリンの適合者は確かに、存在しちゃいけないくらいの力を持ってる。でも、僕にとってはそれだけだった。

 諦めてくれ、マツシマ。空席の王位に、血脈は必要ない。」



「こういう勢力図って、マツシマとかの方が詳しいんじゃない?」

 ごついラップトップを片手間に叩きながら、セスタは肩越しに振り返って訊いた。ソファをぎし、と軋ませる仕草に、戦争の後遺症は見られない。

 セスタの前には、巨大なアメリクス大陸の地図が広がっており、色分けされたカルテルの縄張りに組織名が付記されている。

 もちろん、名前が取り消し線で消されているものも多い。ラザロ教団、ロス・アンタニオス、そして───グランナダラ・カルテル。

「詳しいかもしれないが、これからこの勢力図で安定するということを考えたら、その選任には君みたいなデザイナーが必要なんだ。」

「あらそお?ま、いいけど。はやいうちに、本当のこと言ってよね。」

 酷く優しい眼差しが、僕の眼球の表面を這っていった。どうやら嘘は見抜かれたようだ。

 セルナ誌のインターネット記事を読む。

 ここ最近の話題は、ソドラ新生カルテルとヴェアトリーチェ・アヴィエル・カルテル、エス・セルナ三つ巴の魔薬戦争である。恐らくは、これが最後の大規模な魔薬戦争となるだろう。蜂の巣にされた死体が、街路でゴミのように捨てられている画像が添付されていた。

 ペンを執り、メモ書き程度に記していく。

 エス・ファミリア、エス・セルナ、ヴェアトリーチェ・アヴィエル・カルテル、アドアリン同盟───それから、新興カルテルで見込みのありそうなものをいくつか。

異憲章(ヘテロ・カルタ)の障害になりそうな勢力はあるか?」

「ソドラが筆頭だったけれど、火のお陰でその心配はなさそうだわぁ……それに、今回の抗争はメヒクト海軍が介入したそうだから、彼らは壊滅するはずよ。幹部は何人か抱き込んでいるから、分裂した後の後始末も必要ないわぁ」

「招待状は何通だ。」

「二十四通。」

 隣の部屋に積まれた手紙の束を思い出して、憂鬱な思いがした。リゼルキルト直筆のサインというのは、今のアメリクス大陸において何よりも優先されるべき勅命である。だが、それを著す側にも相応の苦労があるのだということは、きっと知られていない。主に中指のペンだことか。

「コンパニオンの采配は任されなかったけど、あてがあるの?」

「あぁ。闇社会に通じてるやつがいいだろうから、それを使う。」

「ちゃんと外見が整ってないと駄目よぉ?アタシのツテで大手の事務所から持ってくるけど……最近の世界の流行的に、エイジアあたりの娘がいいわね」

「アイドルが魔薬流通会議に出席するのか?MSCSじゃなくてサイリウムを持ってくる奴が出てくる。」

「んん……じゃあ任せるけど」

 不満そうに唸ったセスタ。ぱたんと閉じたラップトップ。仕事は終わったのだろう。

 彼女が好んで身に着けるわざとらしくないクリーム色のオーダーメイドスーツ。今日のネクタイは、珍しく真っ黒なものじゃなかった。黒は黒だが、少しばかり紫を滲ませるペイズリー。

 僕のところに来るために立ち上がったから気づいた。

 どこか幼い嗜虐心を湛えた眦。言外の指示に、僕は椅子を引いて膝を開けた。遠慮もなく、セスタはそこに腰を据えた。

「あぁ、勿体ないわぁ───リゼルキルトくんが死んでしまうなんて。」

「気にするな。そういう時機だったんだ。」

 セスタの指先が、僕の頬の傷をなぞった。

「あのね……リゼルキルトくん。」

「あぁ。」

 言い辛いことなのか、セスタは言葉を濁らせた。僕の相槌も、言ったか言わないかというくらいの曖昧なものにとどめた。彼女の言葉を、強要したりも、黙らせたりもしなかった。

「愛してる、わよ……?」

 僕の胸板に触れる手が、心なしか熱い気がする。

 丹精に切り揃えた雪色の前髪が、俯いたせいで表情の大部分を覆い隠した。隠れなかった耳が真っ赤になっている。

 僕はそれにそこそこの満足感を得たので、聞こえない振りをしてキーボードをタイプした。わざわざ返礼は求めていなかったようで、セスタは無言のままパンプスを脱ぎ捨て、僕の腕の中で眠った。

 すー、すー、と控えめで規則的、しかし深い寝息が始まる。しなやかな脚線美は、ぴったりに作られたスラックスのお陰で芸術的に発揮された。儚い表情の寝顔。頬に張り付いた髪の一本をよけてやる。



 マウンダリー国際空港。ブラウ・ナショナル・エアラインの案内放送が鳴った。

 太陽のように笑う少女は、自分のパーソナルデータとは全く違う名前、国籍、渡航目的が記入された航空券とビザを持って飛び立って行った。

 異邦のバックパッカーという風貌だった姿は、今日はどこぞの士族のお嬢様といった風に擬態されていて、少し前に再会したときと似た雰囲気をしていた。

 何をするでもなく空港ロビーのソファに腰を下ろし、朝よりは幾分か少なくなった人の流れを見ていた。

 本格的にアメリクス大陸を巡る抗争を始めてから、こんな時間はついぞなかったように思えた。魔薬戦争は終結に向かっている。いや、終わることはないのだから、安定、と言った方がいいだろう。これからも、違法薬物はジャンキーの鼻腔に、静脈に、舌下に、肺腑に注ぎ込まれ、幾度となく血液─脳 関門を越境していくことだろう。

『いろいろな苦しみを知ろうと思います。あ、マゾヒストではないですからね!』

 とあんまりな言葉を残していったアザルベーダのことを想う。

 今回のことで、彼女は全カルテルから、リゼルキルト・カルテル所属のものと思われただろう。けれど、僕も、彼女も、全くもってそうは思っていなかった。

 彼女はずっと自由で、彼女に枷を嵌めることは、アメリクス大陸の覇者となった僕にすらできないのだ。

『もしかしたら、もう会えないかもしれませんね。貴方がどこにいるのかは、ボクは知ってはいけませんから。そうでないと、アステア殿やセスタ殿に示しがつかない。』

 彼女は変なところで頑固だ。革命に準じていたころの後遺症と解釈することも出来るだろうが、僕はそれを彼女の形質なのだと思っていた。

『もうないとは思いますが、また、ボクが力になれることがあれば、言ってください。そのときは、光の速さで飛んできますから。』

 彼女がそう言えば、冗談では済まない。本当に、光速度で僕のもとまで来てくれるに違いない。

 立ち去っていくその背中に、僕が手を伸ばしかけたのは本当のことだった。

 言いようのない寂寥が胸中に滲んでいて、貧乏ゆすりが激しくなった。

「追いつけないな……お前には。」

 MSCSは、光を照準することができない。感傷が詩的なメタファーを生み出したんじゃない。それは純然たる事実で、例外と言えば魔素偏光くらいのものだった。

 憧れというのは、掴むことができないからこそ、憧れなのだろう。

 もし掴み取ってしまったら、そこに仮託していた一切の願望は、実感の埒内に格納されてしまい、想像を記述していた余白を裁断される。

 そう考えれば、エミリア・カテドラルという女は幸運だった。彼女は、憧憬を掴み取ることがなかった。

 あるいは、あのゼータという男すら。

 知ってしまうことは、手に入れてしまうことは、何よりも恐ろしいことなのだと思うことがある。でも、僕は随分と安心できる。僕がどんな想像を彼女に背負わせていても、どんな願望を仮託していても、どんな憧憬を傾けていても、絶対に手に入らないから、失望することはない。

 追いつけないからこそ、僕は彼女に、全身全霊で代償行為を行える。

 君に仮託した僕の欲望は、この世界にどんな特効薬をもたらすだろうか。いつか僕が彼女を称した、MSCSという言葉。今度は、僕が自分をMSCSに重ね合わせていた。

 立ち上がり、人ごみに紛れる。

 誰も座っていないソファが、ロビーの中央で佇んでいる。



 目を覚ますと、背中の傷跡がじんじんと痛んだ。人差し指と中指に未だ赤黒く残る咬合痕は、あと一週間は消えないことだろう。大蛇を思わせる力で僕にしがみつく、アステアの寝顔を撫でる。


 護衛役に持ってこさせたコップをナイトテーブルに置いて、未だにベッドの中で身じろぎするアステアに供えた。こんなにも寝起きが悪かっただろうか、とも思ったが、昨夜のエキサイトぶりを考えれば妥当か。

 ワイシャツを着ようと姿見の前に立ったので、ついでに背中の爪痕も眺めてみる。深々と伸びる五本の爪痕。それも一つではなかった。

 これが性交の間に成されたのだというのだから、愛情とは加害性を持っている。

「おはよ……リゼルキルト」

 こくりと水に口をつけ、艶やかな微笑みを見せたアステア。まだ服は着ていなかったから、彼女の魅力的な肉体が惜しみなく曝け出されていた。そこに深々と刻まれた火傷痕も。

 彼女と本格的な同居を始めたのは、確か先月のことだったか。

 わざわざ本社ビルを改装して寝室を二つ設けたのに、アステアはもっぱら僕の部屋に入り浸っている。

「手術、明日だっけ?」

「建前ではそうなってる。実際にやるのはあと三時間後だ。僕のこの顔も見納めになるから、今のうちに見ておけよ。」

「ふふっそうだね……たくさん写真撮らないと。」

 あんな場所で生きていたのだから仕方がないが、記憶の残し方が物質的なのは、情緒的な感性の欠落にも思える。あるいは、僕がそれ以上に感受性に問題を抱えているから、そうやって穿って考えてしまうのだろうか。僕は、自分の顔の形に頓着がなかった。彼女の構えたコンデジが、ぱしゃぱしゃとやかましくシャッター音を鳴らす。

「僕の遺影は、君に任せることにするよ。」

「あれ、死ぬのも明日?」

「どうだろう。各国のメディアに任せるしかないが……まさか速報になったりはしないだろうから、明後日か明々後日にでもなるんじゃないか?」

 ワイシャツのボタンを留め、ネクタイを結び終える。

「なんだったか……地獄の王の名前、マツシマに聞いたことがあったんだが。」

「閻王」

「あぁ、それだ。……お前にはちょっといかつすぎる名前だな。」

「あなたにも似合わない。」

 ひょい、と立ち上がったアステアは、わけのわからない言語で書いてある旅行雑誌を何冊も取り上げて、ソファに寝そべった。

「服着てからにしろ、汚れるだろ。」

「わたしときみしか使わないから、いいでしょ?」

 アステアの最近の趣味といえば、約束させられた東都国旅行のリサーチだった。僕の死後の根城にも、東都国の離れ小島を希望する始末だった。それもまた、彼女の憧憬だったのだろうが。

「島の手配も着手したし、インフラの整備も準備は万端、各種偽造IDにも支障はない。そんなに焦らなくたっていいんだぞ。」

「焦ってない。楽しみなだけ」

 邪魔になってきた前髪をワックスで掻き上げて、ヘアセットはそれでいいということにした。

「それじゃあ行ってくる。夜の会議には遅れるなよ。」

「え……!い、嫌……一回帰ってきて。一緒に行きたい……」

 控えめな声がそう言うだろうことは、僕も無意識にわかっていたんだろう。

「わかったよ……一度戻る。帰ってくるまでに服は着とけよ。」

「うん、ありがと……」

「じゃあ、行ってくる。」



 結局一時間しかかからなかった頬肉の再建手術(オペ)。バハラータ随一の腕を持つ闇医者に追加のチップを支払った。

 彼はそういうのに慣れているようで、大して驚きもせずに受け取った。それが最も失礼のない所作だと知っている。

 しかし、その後の少しばかり動揺したような視線は、僕のこれまでの行動から仕方がないものだろうと見なかったふりをした。

「もう大丈夫なの」

「まだ神経を遮断してるから、少し喋りにくい。あまり喋らせるな。」

「ふーん」

 はい、という了解の返事が欲しかった僕としては、その感嘆符に文句の一つでも言いたかったが、結局意味がないことだとわかっていた。エンタクト・コンネクジェンは、今日も掴みどころがなかった。

 バックヤードと紹介された待合室に我が物顔で座り込んだエンタクトは、お気楽にパフェを食べていた。

「……食べる?」

「馬鹿にしてんのか。」

 スプーンをこちらに差し向けた美貌、僕が差し向けた遠慮のない言い草に、それが微かな喜色を帯びる。

 僕が食まなかったスプーンが、彼女の唇に差し込まれてぺろりと掬われた。

 自分の種々の病状のためにこの病院を利用するマフィア、カルテル、犯罪組織の連中は、高額な報酬を支払うことができる格を持っている。自分の娘くらいの女を引き連れてくる連中も珍しくないだろう。が、まさか僕がその症例に並ぶと、この闇医者は思わなかったのだろう。道理だ。僕も思わなかった。こいつが着いていくと言って聞かなかったせいで。

「私、これ好き。甘いのが好きなのかも。昔の私も、ママに食べさせてもらったアイスクリームが好きだったし。」

「おすすめの場所があるから連れて行ってやるよ。あぁ、一回来たことあったか。」

 耳の裏側に装着した神経遮断用のMSCSは、純金のピアスのようなもので、首を回す仕草が億劫になる程度には邪魔だ。不機嫌な表情で、エンタクトの隣に腰を下ろした。

「膝、貸してよ。」

「断る。」

「私は一回貸してあげたもん。」

「じゃあわざわざ聞くな。」

 パフェを平らげたエンタクトは、僕の膝に頭を落ち着けて、前より感情的に見える形で口許を絞った。それだけで、蠱惑的な微笑みが完成する。

「貴方の夜会にまた行けるのが、嬉しいの。」

 脈絡がないのはいつものことだった。何万人と殺した虐殺者を前にして緊張感がないのも。

「先立たれるのは悲しいけど、ママと一緒。人生めちゃくちゃにされても、いいから。」

「本妻面するのはやめてもらおうか。」

「違うの……?」

「違う。」

「ちがくない」

 僕は、一体いつこいつの好感度を稼いだのだろうか。心当たりもなかったし、手応えもなかった。

 それに、随分と感情表現が豊かになった気がする。本物だ偽物だと悩んでいたころの慎ましさみたいなものは、もう片鱗すら感じられない。でも、それもよかった。

「ただ、もう少し大人しくなってくれればな。」

 僕の膝の上、その瞬間を切り取って、脳裏に書き込んでおきたいくらい、愛らしい笑顔だった。エンタクトは言った。


「私、そういう娘だもん」



───セルナ誌 某日更新記事(グランナダラの火より二年後)より引用 著:ヘルプス・コルネラス編集長


 大憲章、マグナ・カルタは、連合王国における国王の権限を制限する憲章である。

 これは、当時の連合王国に法の支配を生み出した史上初めての憲章であり、感傷的に語るのなら、合法と非合法という線引きの草分けといえる。その境界線ができてしまったからこそ、非合法の側に存在する利権は、合法側からのアンタッチャブルとなり、魔薬カルテル隆盛の時代まで生き永らえることとなった。

 一説では、カルテルという言葉の語源は、この「カルタ」にあるようだ。当時、カルタは法を司る言葉であったはずだが、そこから生み出された言葉は、法を最も軽視する連中の肩書へと変貌していた。

 そんな経緯を知ってか知らずか、名実ともに魔薬市場の王へとのし上がったリゼルキルトは、自身が主催した会議に"異憲章(ヘテロ・カルタ)"との名称を付した。どの法執行機関も、アメリクス大陸外で力を持つ犯罪組織にも知らされなかったこの秘密裏の会議のことを、私はとある情報筋から聞き及んだ。

 彼は、現地魔薬潜入捜査官から魔薬カルテルに転身した人間で、リゼルキルト・カルテルから異憲章(ヘテロ・カルタ)に招待された。

 危険を承知の上で、彼は音声レコーダーを仕込んで会議に参加した。MSCSを使わなかったことが幸いして、彼はその一部始終を録音せしめた。

 私に提供された音声データは、明るい声色と冷ややかな声色の少女二人が、まるで双子のようなシンパシーで歓迎の挨拶をするところから始まった。波形は、その部分だけ異様に高く伸びていて、その後に続いた精巧な女の声は、終始平坦に続いた。

 リゼルキルトは、会議の終盤まで一言も話さなかった。

 説明は、全て精巧な声の女が行い、集った都合三百名のカルテル幹部・ボスは感嘆の声を漏らすことすら許されなかった。

 異憲章(ヘテロ・カルタ)では、まず縄張りの分割が行われた。ソドラ抗争の終結後、各勢力は今までにないほど均等に縄張りを持っていた。リゼルキルトは、それを言い渡しただけだった。

 この奇跡的なタイミングで分割を行った手腕こそ、彼を世紀の大犯罪者たらしめた才覚なのであろう。

 その次に、アメリクスへの流入経路の整理と、それぞれの活用ルートの分割が行われた。最後に、手数料十五パーセントという破格の条件で提示された資金洗浄スキームの紹介が入り、平坦な声の女は着席したようだった。

 リゼルキルトが口を開いたのはその後だった。

 憲章、という名に違わず、彼はそこで法を定義した。

1.今後、分割された縄張りを越境・越権する行為を禁止する

2.分割された縄張りで行われた魔薬売買事業の収益二割は、リゼルキルト・カルテルに納入する

3.カルテル間のトラブル、対法執行機関の対応、販路の新規開拓について、リゼルキルト・カルテルが全面の支援、管理を行う

4.リゼルキルト・カルテルは組織改編を行い、機械的で、よりシステムに近いカルテルへと転換し、それはボス・リゼルキルトの不在を以てしても永続する

 魔薬カルテルは、これ以上パイを奪い合うことができなくなった代わりに、恒久的な利権の継続と、抗争に割いていた資金のコストカット。そして、リゼルキルト・カルテルからの平等なバックアップを約束される。

 この恐ろしき法は、アメリクス大陸に新たなる国家を築き上げた。

 全ての魔薬カルテルが連帯する、魔薬帝国の誕生である。

 直近一年間の魔薬戦争の鎮静化の原因、それを私たちは楽観視していた。彼らが平和の心を取り戻したなどというセンチメンタルな論調は、所詮リゼルキルトのカバーストーリーでしかなかった。彼らは、敵の姿を照準したのである。彼らが彼ら同士で争っていれば、まだよかった。我々は、覚悟しなければならない。彼らの次の標的は、全世界。我々なのであると。

 最期、リゼルキルトはその憲章に付け加えた。

5.これらの掟に反する者は、リゼルキルト・カルテルの全勢力をもって殲滅する

 彼は、これから幾度となく”グランナダラの火”を再現しようと、明確に表明したのである。

 そして4.に照らせば、それは、リゼルキルトという男が死した後も、綿密と続いていく。

 まるで自身の今後を予感していたような言葉。弊誌の読者諸氏には、衝撃的な出来事であっただろう。


 リゼルキルト・カルテルのボス、リゼルキルトの死は、この翌日に訪れたのである。


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