Ep.79『君の女神に祈らせて』
「……お前、今度航空宇宙開発に投資するらしいな。」
僕がそう聞いたのに、セスタは大した反応を見せなかった。
彼女のことだ、僕に伝えるべき情報なら伝えるだろうし、そうでないのなら伝えないだろう。そして、今回は”そうでない”方だった。大方、魔薬売買事業にほとんど関係ない領域の話だったからだろう。
セスタにメヒクト海軍を迎撃する質量弾道ミサイルの都合をつけさせて、MISURANIAの一人娘の護衛ミッションのビジョンがやっと見えてきたときだった。
「やっぱりお前が狙ってるのは。」
「えぇ。神々の魔法工学───地球低軌道上にある、正体不明のMSCS。」
ことの始まりは冷戦の時代、僕がまだフラクタルと暮らしていた頃。
キツィリト連邦の無人探査衛星リャフカムトクが、突如として消息を絶った。当時アメリクスと宇宙開発で覇を競い合っていたキツィリト連邦にとって、それは甚大な損失であった。故に、彼らは国力の全てでもってその原因を解明した。三機の人工衛星と、十七人の宇宙飛行士を犠牲にして。
「わかってるのは、地球低軌道上を周回しているということと、魔素偏光を用いて通信しているということだけ。国籍も役割もわからない、そんな認識で間違いないか?」
「そのうえ、強力な迎撃手段を持っているわぁ……走査階層、迎撃階層、第二迎撃階層。彼らが進入できたのは第二迎撃階層まで。その先はなにもわからない。今回のアタシたちの探査船は、多分走査階層から迎撃階層に移った段階で撃墜されるわぁ」
推定でもスタジアム規模の大きさを持つ正体不明の衛星。もし、地球に住まう人類に誰も心当たりがないというのが発覚すれば、その情報は国家が喉から手を伸ばして欲しがることになるだろう。すれば、彼女の客は政府機関ということになり、流れ込んでくる金は国家予算である。
陰謀の匂いしかしないが、セスタ・クリスタルベリーならなんとかするのだろう。
「資本主義は、なぜ最期には宇宙に答えを求めるんだと思う?」
アメリクスも、キツィリトも、思想は違えど莫大な資本を蓄えた大国が、なぜ最終的に航空宇宙開発に辿り着くのか。別に難しい問いじゃない。それが国家の威信を示すことに繋がるからだ。しかし、僕がそんな簡単な答えを求めているわけではないと、セスタはわかっていた。僕は、彼女の荒唐無稽な閃きが聞きたかったのだ。
セスタは口許を上げて言った。
「資本主義は、地球で生まれた神だからよ。」
*
グランナダラシティの上空に、神がいた。
正直に言ってしまえば、見た目はクリーチャー以外のなにものでもなかったが、アザルベーダがそう称したのだから仕方がない。それに、それが放った光線の威力は、十分に神罰と誤解されるような威力を持っている。
神、と。そう称して、決して間違いではなかったはずだ。あれはおよそ、人間や、妖精ではない。
「なにを呼び出しやがった、ロス・アンタニオス。」
随分と派手に魔法の応酬を繰り広げるリンネとエミリアのお陰で、僕はそう苦労することなくアステア達のもとに辿り着けた。
アザルベーダに索敵を、セスタに計算を頼んだ。残ったアステアの表情が、少しだけ強張っている。
待ってくれ。安心してくれ。そんな目をしないでくれ。
僕はもう、君に、ここで待っていてくれなんて言わないから。
「君の力を、貸してくれないか。」
君の女神に、祈らせてくれないか。
僕らは聖書の或るページを目撃している。それは、現生人類では初めての偉業だったかもしれない。神は、このグランナダラシティの空に顕現している。
僕らは聖書の或る大罪を犯そうとしている。それは、人間の範疇には手に余る事業だったかもしれない。
神殺しの咎。
「あの神を殺したい。でも、僕にはできない。」
「どうして……?」
わかるだろう?アステア。
「神を殺せるのは、神だけだ。」
ちっぽけで矮小な僕たちは、僕らなど虫けらのように蹴散らすことのできる天上の存在に、差し向ける槍を持たない。なれば、僕らは祈るしかない。神々に、祈るしかない。
君の中に眠っている神に、祈ることしかできない。
「理想を司る、君の女神に。」
空中のリンネの腕に、空対地ミサイルの爆撃が叩き込まれた。花火のように夜に咲いた爆炎は、鋭い色調の暖色と黒煙の混ざり合った退屈なマーブル模様を見せる。微か、僕らの肌を舐った熱波。照らされたアステアの頬が、艶やかに光る。
その頬にかかったケロイドのような瘢痕。アステアという少女の柔らかな肌を食んだ鉄鎖の痕。彼女を呪縛するような傷痕。
アステアは僕の手を取って、自身のそれにあてがった。炎に炙られてささくれだっていた僕の指の腹は、きっと肌触りがよくない。
「あなたはちゃんと、わたしに触れてくれる。」
火傷を負った彼女と再会したとき。まだ僕らが、カルテルでもマフィアでもなく、ただの、運命共同体だったとき。君は涙ぐんでそう言ってくれた。
「それは……呪縛だ。僕が君に課した呪縛。あの火の熱を、君の身体に深々と刻み込んだ。燃えている僕の手が、君を傷つけた。
もう二度と忘れられないように。それは、僕の犯してきたいくつかの過ちの内の、最初の一つだ。」
「ちがう。」
アステアは、存外強く否定した。
「これは、あなたが触れてくれた証。」
僕が彼女を縛ろうとした傲慢な自意識。ただの暗喩だった薄紫色の鎖は、いつか、彼女の物理的な肉体の表層に顕在化した。それは、僕が君を縛ろうとした証。違うか?
「ずっと、わたしの手を握ってくれた。わたしを、この地獄に連れてきてくれた。一緒に歩いてきてくれた。あなたに触れられて救われたわたしに、あなたがまだ触れてくれる証。共犯者の証明。」
アステアは独白する。
「あなたの炎が、わたしを傷つけることを厭わず、触れてくれた証。あなたが、わたしの肌に触れてくれる証。」
滔々と語るアステアは、呆けた僕の顔を見て楽しそうにほくそ笑んだ。
「あのとき焼かれたわたしは、あなたの熱で生き永らえている。」
あのとき、ただ見ていた僕は、君の冷たい光で生き永らえている。
月色の染色作用を持ち、世界を塗り替える権能を持つ少女。
「わたしとあなた。運命共同体のわたしたちが、共有する咎。」
アステアは、そう小さく呟いて僕に口づけした。
唇を交わし、その薄い唇が啄むように波打って、小さな音を鳴らした。思えば、こんなにも長く一緒にいるのに、彼女とキスをしたのは初めてだった。不思議と、悪い気はしなかった。
アステアは云う。
「わたしとあなたで共有する───神殺しの罰。」
*
パパパ、とペイント弾のような軽やかな銃声が鳴り、放たれた魔法がリンネの多腕に激突する。連鎖する轟音。
エミリアのそれは、彼女のメインウェポンではなかったようだった。背中に背負った巨大な計算機から延びるケーブルを、撃ち放ったばかりのMSCSから引き抜く。小銃型のそれを地面に打ち棄てて、エミリアは懐から抜いた拳銃型のMSCSのトリガーを引いた。照準、激発のプロセスを経て、輝く流線が真っ直ぐにリンネに突き刺さる。
ガラスを砕くような甲高い音。直角に反射した、破壊力を持つ魔法効果を伴った魔素偏光が、アステアの生み出した夜空を駆け上っていった。
「他ァん奴より硬ェなぁ……」
いつも通りというわけにはいかなかったのだろう。エミリアは不満そうに鼻を鳴らした。
彼女が放った魔法の数々は、リゼルキルトがそうしたように、軍用魔法を上回るほどの威力を出せるようにプログラムされたものだった。すぐ隣で魔法を射撃したエスメルダが、同調するように舌打ちした。彼女のMSCSも、管制MSCSによって計算能力をエミリアに依存していた。
「一発ぶちこむぞ」
「はい、ご武運を。」
聞き終わるより先に駆けだしたエミリア。背負った計算機の重さは、彼女の俊足の枷にはなっていないようだった。ガタガタと揺れるそれだけが、街路を駆け抜けるエミリアの姿を人間らしく擬態していた。ぐい、と押し上げた瞳孔が中空に捉えたリンネの姿。
踏み込んだ脚力が、筋肉質なエミリアという少女の体重を、そこに付随した計算装置の重量をも引き連れて、その姿を飛び上がらせる。
エミリアの掌。無手、拳銃型MSCSすら持たない、完全なる徒手格闘。飛び込んできた獲物に、すぐさまに腕が伸びる。
エミリアをすっぽりと覆い隠すような、いくつもの掌の内の一つ。些かアンバランスなハイタッチを演じる。
カァン、と小気味よい音がした。リンネの掌から放たれる、規格外の破壊力。それが、この世界に存在を許されるその直前。瞬いた光は、確かにエミリアの網膜で結実していた。しかし、それよりも彼女の掌の方が速かった。
───『大聖廟』。
大型MSCSによる集中攻撃、連射魔法による連続攻撃、軍用魔法を超えた威力の魔法。それら全てを無傷で薙ぎ払った黄金の腕に、赤黒い脈動が走る。それが鼓動したのは一瞬で、次の瞬間には、砕け散った。
爆薬を仕込まれたように、木っ端みじんに吹き飛んだリンネの腕。流石にたじろいだように見えた無表情に、エミリアは凶悪な哄笑を返して打ち合いを終幕とした。この世界に存在する科学的な物質、全てに強制される法則が、彼女の身体を地面へと吸い寄せた。
受け身を取るでも、衝撃を受け流すでもなく、三階建てのアパルトメントに相当する場所からどっしりと着地した。自分が粉砕した敵の欠片を浴びながら、エミリアは頭上を仰ぎ───。
「まだァ、生きてやがったか、」
「あんたが僕に、大層な名前を付けたからだろう。」
ぎょろり、と。見上げた表情の瞳だけが、声のした方を向いた。
暗がりから現れたリゼルキルトを見た。
「そうだなァ……?」
神同士で戦うのなら、そこに横槍は無粋だ。
「アタシだけの……英雄。」
*
「相変わらずね、貴方の神は。」
煙草を片手に紫煙をくゆらせるアステアから、少しばかり離れた場所。屋根の上という不安定な場所に立っている危うさを感じさせないほどの真っ直ぐな体幹。細い身体の真芯に綺麗に通った重心で、彼女はそこに立っている。
疲れたようにこめかみを叩いて、セスタは息を吐いた。
二ブロックほど離れた場所、空中で、特撮顔負けの怪獣大決戦が行われていた。
「リゼルキルトに頼まれたから、張り切っちゃったみたい。」
ふぅー、と長く吐息した声音に、さざ波のような煙が伴っている。
ぐわっと飛び上がったモルヒネアが、ホルスターから引き抜いた拳銃───彼女の巨大さから考えれば、それは大砲に近かった───をゼロ距離からリンネに叩き込んだ。
噴きあがる粘ついた黒煙と、一拍遅れて訪れる爆風に、セスタは軍事部門が行った空対地ミサイルの実験映像を思い出していた。荒野にぽつんと佇む石造りの標的が、瞬く間にクレーターに変わる瞬間。
地面に墜落し、モルヒネアの銃撃を受けきったリンネの輝きが、彼女たちのいる場所からも見えた。それが浮き上がり、螺旋の軌跡を見せながら夜空に延びる。
即座に伸びたモルヒネアの腕が、浮かび上がるリンネの多腕の一つを掴む。空中に繋ぎとめたそれに、空いた片手で放ったフルオートの弾丸が突き刺さる。ただでさえ少ないリンネの人間らしい部分が抉り取られ、粉砕され、吹き飛ばされてキラキラと舞った。
ボロボロの多腕は、なにがしかのハンドサインを作り、紋様のようなシンメトリーの中心から、夜を塗りつぶすような輝きが放たれる。
それは、モルヒネアに真正面から激突し、壮絶なグラウンド・ゼロを作り出した。
建材の石や木、アスファルトが焼け溶けた焦げ臭いにおいがわっと広がって、遅れて、薬品のような異臭が立ち込める。
アステアは二本目の煙草に火をつけて、心地よい音を立ててオイルライターを閉じた。
彼女の余裕が示すように、モルヒネアは再び立ち上がり、いつの間にか抱えていた狙撃銃を発砲した。銃の側面から射出された薬莢が、ひび割れたコンクリートの雑居ビルを突き破り、通りを抜けてアパルトメントに激突した。
弾丸は、リンネの頭部の側面、およそ四割くらいをごっそりと抉り取って空の彼方に消えていった。
もはや人間ではなくなってしまったリンネが、果たして自身の思考能力を脳に担わせているのかは定かではないが、しかしそれほどの損壊は、さしもの彼女にも危機感を蘇らせたらしい。
リンネの掌が、モルヒネアに差し向けられた。ひび割れ、あるいは欠損しているものもある多腕。それが、緩やかに螺旋を描き、ぐるぐると絡み合っていく。中を空洞にしたそれは、まるで砲身のように見えた。そして、そうであるのなら。
彼女の掌が、引き金の役割を担った。
「セスタ!!女ぁ!!」
「駄目ッ、間に合わない───」
本能だった。何も、理性的なチェックポイントを通過したわけではない感覚。ただ「まずい」とだけ思った。咄嗟に呼んだ女1(セスタ)は、エラーを吐いた。次に呼んだ女2(アザルベーダ)は、光と等速の少女、アザルベーダは───
空気を裂く不快な轟音。引き裂かれた空気は、音速を超えて破壊力に達する。魔法という実態と、速度という認識速度の限界。二重の意味で見えなかったアザルベーダの一撃が、それによって叩き割られるグランナダラシティの光景によって可視化する。
cに格納された天文学的な数値が、この世界では”光速”と呼ばれていた。”最速”と呼ばれていた。
まるで巨大な杭に穿たれたように、リンネの編んだ砲身に風穴が空く。漏れ出した光が、妙な光線を散布した。それは、魔法が発生させる独特の光でもあり、人間の可視光領域の中にあるスペクトルの波長であり、そしてそれが混ざり合って、なにか、あってはならないような、醜悪な色が見えた気がした。
「っ」
「ッ!」
───青。
諸説ある魔法の物理的な構成要素。物質とはいい難いが、物理的には存在しているらしいそれが、もし崩壊したとしたら。
その色は、晴天を思い出させるだろう。アステアもセスタも、同時、理解した。化学に通じ、科学に通じたアステアは、その恐るべき力を知っている。戦争を求め、軍事を掲げるセスタは、その力に恋焦がれていた。
「彼女、自分の姉を食べたのでありますよ。」
二人の背後、屋根に危なげなく降り立ったアザルベーダも、神妙な表情をしていた。
「あの小さな腹に、人間一人が入ると思いますか?お二人とも。」
「……消失したのね。」
「消えたんじゃない……消滅した。」
アザルベーダの問いかけに、セスタが呟き、アステアが反駁した。
「消えた質量は、どこに行った……?」
長く伸びた灰がぽろりと零れた。表情を消したアステアは、それに少しも興味を向けなかった。
一足早く、愛嬌のある意地の悪い笑みを浮かべたセスタが、わかり切った現実を説いた。
「まぁ、神性に転化しているんじゃなあい?あれは、神なんだし。」
「じゃあ神性ってなに。」
「……正体不明の、なにかしらの、……エネルギー、でしょうか。」
「やっぱ、そうなる。」
三者三様、浮かべた表情はそれぞれだったが、一度、そのため息は共有された。
「───対消滅。」
意を決して、アステアは、結論を出す一人目を買って出た。ひゅ~、と口笛を吹き、珍しく下品に足を開いて座り込んだセスタ。
底の見えない笑みが、無責任に言った。
「させられるんじゃない?彼女。」




