Ep.74『愛、植え終え───悔いは。』
幼い頃は、ただ両親の仕事を手伝っていただけだった。
小さな農場の農場主をしていた両親に着いていき、種を蒔いて水をやる。頬を拭ったときについた土を母が拭ってくれて、その間手持ち無沙汰になったから、空を眺めた。地面をカラカラに枯らしてしまうような、中央アメリクス大陸の苛酷な日差し。世界をオレンジ色に染色し、感傷的な清涼飲料水で満たしたような空。
ずず、と鼻を啜った。何か、違和感があった。
「風邪、ひいた?もう今日はもどろっか。」
「うん、……マドレ。」
小さいとはいえ、人間の矮小さからすれば農場は広大だ。家まで歩いていては文字通り日が暮れてしまう。
母についていきながら、土を踏みしめる。小さなバギーは、然るべき運転免許を持っていなければ運転は許されていなかったが、農場は私有地だったので関係なかった。母がエンジンをかけ、ガソリン臭い排気ガスを出す原動機がヴン、と作動した。
フレームだけの車体をよじ登るようにして助手席に座り、ゆっくりと走り出すバギーに揺られた。
まるでこの世界自体が揺れているように感じられた。
ずっと、昂揚していた。何かを、取り逃がしてしまいそうな気がした。だから、集中した。一度、深い呼吸をして、落ち着いてみた。家まで十分はかかる。閉じた瞼を開く。
「ついたよ。もう寝よっか。」
既にバギーのエンジンは止まっていて、母は運転席から下りていた。
空は夕闇に片足を突っ込んでいて、明らかに時間の進みの辻褄があっていなかった。たった一度、呼吸をしただけのはずだった。それなのに、もう家に着いていて、母の様子を見る限り、自分はこの助手席で相当な時間を微睡んでいたらしい。
そのときに、自分の中にいる何かが、声を発した。
「あァ、……これだ……これが正しい……」
自分というものの根幹を揺るがすような出来事だった。
それは、本当に自分の中から発された言葉なのだろうか。それは、果たして自分の脳みそが作り出した言葉で、間違いなかっただろうか。妙な感覚、離人感。幾多もの処女性を内包したこの身体の中に、一体何が寄生して、あるいは懐胎して、生育せしめたのだろう。
母を追いかける。声が聞こえる。声を発する。
───全ては、アタシの奴隷だ。
*
もう何人になるのかもわからない敵の構成員を吹き飛ばして、煙を吐いた死体を踏みつけた。十字架を提げていたから、今のはラザロ教団の構成員だったのだろう。そうでない連中はグランナダラ・カルテルのもので、割合で言えばそちらの方が多かった。カルテルの規模的にも妥当だと思った。
死体は無意味に広い庭をところどころに積み重なっていて、不快な臭いを放ちながら黒煙を立ち上らせていた。
右手に持ったアンタゴニストと、左手に構えたアゴニスト。人間が薬物を摂取したときの作用機序に密接にかかわる言葉を拝借したその武器は、僕に二本の軸をもたらす。全く安定して地面を踏みしめる彼らのお陰で、僕も心置きなく戦える。
さぁ、ヴィランを迎えるときだ。
「神の子の友人を騙った臆病者。僕に見せてくれよ、偽物の神の力。」
虚空から染み出るように、ある黒い外套が、炎を撒いて現れる。首から提げた安っぽい十字架と、連れている女。
「むしろ見せてもらおうか、偽物の、聖人。」
ラザロ教団のボス、ラザロ卿。そして、その後ろにいるのは女───エンタクトから聞いた限りでは、その女はインクィタスではない───ベスティアリス大司教であろう。細い顎と上背のある立ち姿。どことなくメルに似ている。その目元には、睨め付けるような紅色が引いてある。
「ベスティアリス大司教、やるぞ。」
「あいよ。」
フラクタルを呼ぶ。頬を撫ぜる君の指先。
ベスティアリスは、あろうことかラザロを照準した。彼女が手にしたMSCSが火を噴き、ラザロの身体を爆発四散させた。
巨大な産業機械によってバラバラにされたように、その肉片は正確無比な直方体をしている。こんなにも複雑な生命活動をオペレーションする命が、そうも容易く肉の塊に分解されるのが、どこか不思議だった。
血肉は僕らのレンジを容易に駆け抜け、僕らに降りかかろうと諸手を上げた。
手繰った手が炎に分け入り、聖なる火は僕に従う。
ラザロのバラバラ死体と僕らの間に割り込んだ聖火が、その血肉を灼き尽くす。生物由来の生臭い炭の臭い。立ち上った業火の中で、ベスティアリスの声が聞こえる。
「我がラザロ卿は、炎と共に蘇った。」
僕の掌から湧き踊った炎の中、異物が混じる。僕の支配下を逃れ、清流を乱す逆流。炎の旋風を引き裂き、全く違う宿主を持つ炎が僕の視界いっぱいを覆い尽くした。やがてそれは一つの人の形を持ち、そして、その人相に、憎たらしいカルト教団の男を刻んでいく。
「───甦れ『追憶畢生』。」
ラザロ卿は、炎と共に蘇った。
僕の周りを揺蕩ったフラクタルに触れないように。
振るった腕の遠心力が、アンタゴニストの切っ先で一撃分に蓄積される。狙いは中空、ラザロ卿───アンタゴニストの刀身が、彼の脇腹にめり込んだ。皮膚を裂き、筋肉に分け入り、骨を砕いて直進する。その胴体の半ばまで、丹念に。トリガーは軽く、そこに火焔が顕現する。
「ッ!」
燃え上がったアンタゴニスト、その軌跡に爆炎が咲き、真っ二つになったラザロの死体に爆発の魔法的エネルギーが注入される。人肉の花火が、二輪咲いた。
先に殺すべきはベスティアリスだった。ただ死なないだけのラザロと違い、ベスティアリスの異能はこちらの推測がどこまで踏み込めているかわからない。その上、『追憶畢生』には恐るべき弱点と、恐るべき継戦能力がある。
炎の壁をぶち破り、後方支援に徹していたベスティアリスを最前線に引き摺り出す。
僅かに目を見張ったベスティアリスの顔、それを認識できるほど、僕と彼女のレンジは既に詰められている。
手中で回したアゴニスト、真っ白の軌跡が、あるアルゴリズムを起動させ、それに応じた障壁がこの世界に存在を許される。薄く多重展開された障壁は、アゴニストの刀身に細かく貼り付けられ、殺傷力を連鎖させるブレードとなる。
切り上げたベスティアリスの身体、衣服と皮膚のわずかな一皮。
───浅い。
引き裂かれた外套の隙間から見える真っ白の肌に、零れる血液が赤い一線を引いた。
「おいでよ、『煌々星航』。」
赤い一線、彼女から噴き出した、彼女の血液。彼女が慈しみ、彼女を慈しんだ、彼女の所有物。
赤い一閃。彼女から迸り、僕の眼前をよぎった、殺傷力を持った血液。彼女の放つ、異能の力。
瞼が弾け、微かな衝撃に上顎が浮いた。持っていかれた前髪に、べちゃりと血液が貼りつく。
華奢なベスティアリスの腹を蹴りつける。くぐもった打撃の音、両脚を踏みしめるも、ベスティアリスの口からは苦悶の声が漏れた。殺意に満ち満ちた視線と眼が合う。
女を蹴りつける極小の反作用をもって飛び退いた。靴裏の感触は、確かに肋骨と内臓を粉砕した。互いに反発しあう僕らは、両の足で着地する。互いに反発しあった僕らは、背中の衣服を引き摺りながら地面に投げ出される。
着地した瞬間に、牙を剥く血液の一閃が弾けた。されど、それが形作ったナイフの切っ先を、僕は正確に認識していた。
展開していた障壁に甲高い音を立てて激突する血液の針。リズミカルに切創を引き連れてきた血液の切っ先は、やがてべしゃりと液体に変わり、僕の障壁の上を滑り落ちていった。
「血液を操る、じゃあ、少しお粗末だな。」
フラクタルが手をかざす。障壁の表面を炙った熱が、ベスティアリスの血液をぶくぶくと蒸発させる。
どうにも、ただの人間を相手にしているときの方がよほどやりやすく、血沸き肉躍った。異能に胡坐をかいた人間の思考回路は凡庸で、適合者の力はそれを補って余りあるほどに不可解。どうにも僕には性に合わない。
この力を以てして、もっと滾るような戦いは───
「甦れ───」
炎の生垣から、ラザロが飛び出してくる。
心外だった。この僕に、そんな子供騙しの奇襲が通じると思ったのか?ただ、この掌が照準器だ。
「撃て、『聖火の守護聖人』。」
膨れ上がった規格外の熱エネルギーが、一撃に束ねられ、僕という魔法銃から撃ち出される。とぐろを巻いて加速し、空気中の酸素を瞬く間に喰い尽くした異邦の炎が、ラザロの身体を穿つ。体表を一瞬で枯らし、その瞳の水分すらも奪い去る。沸騰した血液が血管の中を固着し、濁り切った後続の血流が穢れた噴水を演じる。
幾多の蘇生があった。
何度も「ラザロ卿」と呼ばれ、彼は何度もそれに応じた。僕もだ。何度も、何度も。
灼き尽くし、叩き切り、爆散させ、丸焼きにして、破裂させて、吹き飛ばして、切断して、圧壊させ、粉砕し、混ぜ合わせ、突き貫き、へし折って、断頭し、窒息させ、抉り取り、分解し、解体し、叩きつけ、細切れにして、燃やし尽くした。
そうして奴は甦り、甦り、甦り甦り甦り甦り甦り───掴んだ首、持ち上げた虫の息のラザロ。
こひゅー……という心もとない吐息。喉に穴をあけてしまったのが問題だっただろうか。あるいは肺か、もしくは脇腹を抉ったときに消し飛ばしてしまった何かしらの臓器。
「何度も、名前を呼んでもらったんだな、ラザロ卿。あんたの素晴らしき演目に、奴らは陶酔してカーテンコールを要求した。死したあんたは、奴らに呼ばれたからこの生に戻ってこられた。」
皮膚と顎の半分を欠損したラザロの顔から、表情を読むのは至難の業だった。しかし、露出した筋肉の動きは、存外情熱的に感情を表現した。
「呼ばれないと、戻ってこられないんだろう?」
劇中で死んだ演者でも、観客に呼ばれれば蘇って挨拶に出てくる。その素晴らしき生き様と演技に、感涙し、感銘を受け、どうか、そこに賛美の歓声を送らせてくれと、誰もが呼ぶ。そうして、彼はこの世界に甦る、追憶畢生。
「だがな、一つ疑問があるんだ。なぁ、……ラザロ教団という演目でお前が演じたラザロという役は、カーテンコールで名前を呼ばれると思うか?
小物もいいところじゃないか。覚悟もないのに僕らに手を出して、いざ反撃されたら尻尾巻いて逃げ出しちまう。そんなやつを、あんたはまっすぐに演じなかったな。いつまでも隠し通して、自分はさも特別なんだと誇示し続けた。
そんな奴に、カーテンコールが鳴り響くと思えない。お前がこれまで甦ったその全ての声は、偽物だったんじゃないか?」
「が、ぅく、わ……」
「あぁ、それで構わないよな。あんたらは偽物の神を信仰して、偽物の愛を得られる薬でセックスパーティーの乱交教団だ。いいんだろう、別に偽物でも。あんたらの物語が、ファントム・オブ・ザ・オプスに勝るとは思えないしな。」
指先に力を込める。その首にめり込んだ指が、爆撃を解き放つ。僕の片腕は、そのうち断頭台と呼ばれるようになるかもしれない。
ラザロは甦る。
「偽物は、貴様らだッ……!我々は、快楽などなしに通じ合って」
「心酔してる信者の女をぶち犯しておいて、快楽なし、なんてのは無理があるだろう。」
「っ……」
「インクィタス大司教、可哀そうな奴だな。それでいて、お前にとっちゃどこまでも都合がよかったな。愛に飢えているから、偽物のお前の愛でも満足してくれた。お前だって、本物の愛を受け取れるような器を持っていなかったら、ただ快楽に陶酔した。」
ラザロ教団を瓦解させるために、アビレスの連中は情報戦を選択した。
ラザロの背後、血を吐いたベスティアリスは、軽蔑するような目でラザロを見つめている。
「それはそれは旨かっただろう、男を失って欲求不満の適齢期の女は。随分マニアックなプレイに勤しんでいたらしいじゃないか。」
「……なにが、……なにがわかるッ!?わたしと、インクィタスの関係の!なにをお前がわかるというんだ!」
自分が適合者であることを忘れてしまったのか、ラザロはただの人間の片腕を僕に伸ばした。触れたと思っただろう。しかし、触れられなかった。切断された片腕が、フラクタルの炎の中に落ちる。一際瞬いた炎は、きっと彼の腕を灰燼に帰した。
「さて、なにもわからん。僕は、そんなわけのわからない薬で、誰かと通じ合おうとは思わなかったからな。」
僕に必要だったのは、一夜だ。どんな脳内化学物質でも、違法薬物でもない。
ただ、彼女が僕のために涙を流した一夜。僕を抱きしめてくれた一夜。
あの肌に触れて、君を傷つけた一夜。
君が生み出して、空を覆った一夜。
お前が飛び去って行った、あの空。
トリップしていなくても出逢えるように、あの空の彼方。
この、決戦の一夜。
「あたしは下りるよ、ラザロ。あんたは、想像以上のクソ野郎だ。あたしはエンタクトを探しに行く。どうせ来てるんだろう?聖人。」
「あぁ。どこに行ったのかは知らないが、あんたに任せてやる。」
待て、とか、どこに、とかを呟いた死体寸前のラザロに、僕もベスティアリスも興味を示さなかった。僕はラザロを殺さなければならないから、ベスティアリスが別行動になるのはありがたいことだし、ラザロを殺した後は、適合者を皆殺しにするのだからベスティアリスも殺せる。
エンタクトが心配じゃないわけでもなかったが、そういうのに腐心しすぎるのはやめている。
「女、最期に教えてくれよ。あんたらは、愛で通じ合っていたのか?」
ベスティアリスに問いかけた。彼女は既に、ラザロに背を向けていた。
「アダムスがなきゃ、とんだクズどもだったよ。自分じゃなにも考えられない暑苦しい馬鹿と、年がら年中発情してる行き遅れのバツイチ。しまいにゃ臆病者の教祖様ときたもんだ。」
思わず笑った僕に、ベスティアリスは声を荒げたりはしなかった。
「あたしはもう、そいつの名前を呼ばない。見限った。一瞬も、通じ合ってなんていなかったじゃないか。
あたしは、本物の愛を探しに行く。」
「エンタクトのことか?」
「そうさ!あたしはあの子を愛してあげた。だから、あの子もあたしを愛すのさ。」
僕の蹴りによって満身創痍になっていたベスティアリスは、しかしそれでも歩き出した。このだだっ広い邸宅の庭は、出ていくのも一苦労だろう。その背中に魔法を叩き込んでやってもよかったが、それには相応しい資格を持った奴がいる。
僕はラザロに向き直る。
偽物の聖人は、偽物の神の妄信者に向きなおる。
「人のことは言えないが、歪な奴ばっかりだな、あんたらは。」
「っ……くそっ、あの、……あの馬鹿、ずっとわたしのことを!」
「まだ喚く余裕があるんだな。」
僕が突きつけたアンタゴニストの銃口は、彼とばっちり目が合っただろう。是非、魔素偏光を効率的に射出し、その精度を格段に引き上げるライフリングの溝の精密さを堪能してほしいところだった。途中で音速を超えた破壊力が飛んでくる危険性については否めないが。
「あいつはお前の名前を呼ばないらしい。カーテンコールで呼ばれるにしちゃあ、しょっぱいもんな、あんたの畢生は。」
アンタゴニストでぶん殴ってみると、端正な顔立ちの下半分が面白いくらい綺麗に吹っ飛んでしまった。顎をなくした化物みたいな顔が、必死に首を振っている。
愛している、そう伝えるのに、あれほど労力がかかるとは。
それに応じるために、あれほど内省が必要だとは、僕は全く知らなくて、しかし、知っているべきだった。何も言わずに通じ合えるほど、僕らの愛情感知器官は鋭敏ではないし、愛情伝達子は万能ではない。
だから、僕らは言葉を使い、相容れ、もしくは相容れなかったりする。そして、そこで巻き起こる相互作用を、愛情と呼ぶのだろう。
だからフラクタルは、僕に愛していると囁いてくれる。
「討て、『聖火の守護聖人』」
ラザロの上半身だけでは飽き足らず、彼がひれ伏していた地面ごと抉り取った爆轟が、一瞬で爆発圏内を消し炭に変える。掘削、というよりは消失、爆発、というよりは消滅。誰も、名前を呼ばない。カーテンコールは起こらない。
パチパチと残り火が音を立てた。
その男は、もう蘇らない。
火種が中空を走る。
火種が、火が、炎が、火炎が、火焔が、火柱が、業火が───そして、ラザロは炎と共に甦る。
「愛しております!ラザロ卿……!私は、貴方のことを、愛してる。」
その女は、まだ、ラザロ卿の名前を呼ぶ。
身体の半分を結晶で覆ったインクィタス大司教が、名前を呼ぶ。




