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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第三部【無闇矢鱈に輝くな】

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Ep.70『歴とした神』

 アステア・グルクロニドは、湧き上がる愉悦に口元が吊り上がるのを抑えられなかった。

 昨夜、愛する男から囁かれた、情けなくも可愛らしい独白と、その彼に与えられた至上の愛は、アステアという少女が煙草から得ていた生物活性を遥かに上回る陶酔をもたらした。

 故に、アステアはグランナダラの地を踏み、物理的にはおらずとも、精神的にすぐそばにいるとある男との距離についてをほくそ笑む。手を伸ばせば届く距離、手を伸ばさずとも触れてくれる、愛おしきその距離。

「アイは不快を表明する。それは、この聖戦を穢す淫らな笑みに。」

 カルテルの先遣部隊によって破壊され尽くした街並み。その一角の瓦礫に腰かけていたアステアは、自身を非難する抑揚のない声を聞いていた。

「聖戦?そんなだからわたしたちに滅ぼされる。これは戦争。汚くて醜い、利己主義だけがもたらした、戦争。」

 反駁は、有史以来初めて巻き起こった新たな分類の戦争”魔薬戦争”を、まさしく概観したものだった。そこに、イデオロギーはなく、信教も、あるいは国家、民族もない。

 気分を害した様子もなく、アステアの前に現れた長身の女───ロス・アンタニオス第三層、アイは呟いた。

「青は、藍より出でて、藍より青く───『藍の(ピースブルー・)疵痕(インディコン)』。」

 世界が変貌する。空を藍が染め上げ、その染色作用は、染めるという行為の原典たる藍に足る威力であった。アイの側頭から芽吹いた花が、髪飾りのようにその眦を彩る。

「アンタニオスの暴力によって出でたアイたちは、聖人より凶暴に、ついには、アンタニオスすら染色する。」

「そ。」

 アステアは、懐からパッケージを取り出し、その中の一本を咥えた。キィン、と響いたオイルライターの音が、小さな灯を灯し、炙られた煙草が、その先端から濃ゆい煙を上げる。肺腑に吸い込まれた煙と、そこに含有した化学物質が、肺胞から全身へと巡っていく。

 やがて結実した薬理作用が、アステアの瞳からゆっくりと這い出る。彼女の片目の瞳が消失し、藍色の空が夜に変貌した。

 ぴくりと反応したアイが見渡した世界が、月色に染色され、夜の広大なカラシナ畑に変貌している。

 リゼルキルトという男のなにをも染め上げ、この世界を地獄に染色したアステアにとって、ただの藍の染色作用などは、取るに足らないものだった。そして、アステアは命ずる。


「来て、『理想を司る女神(モルヒネア)』。」


 アステアの背後で、カラシナ畑が爆ぜた。ぼこぼこと隆起した地面から亀裂が走り、立ち上った岩塊が砕け、塵埃へと変わっていく。

 愛おしそうに、アステアは微笑んだ。そこに、女神がいた。

 オリーブドラブ一色のヘルメットには、両眼のゴーグルとライト、照準器がアタッチメントとして取り付けられていて、顔面をすっぽりと覆っていた。

 マガジンや手榴弾、シレットを満載した防弾ベストの奥に、真っ黒の戦闘服が少しばかり覗いている。

 半長靴に終着する下半身には、いくつかの長物の重火器が下げられていて、戦闘服の真っ黒な布地も相まってその素肌は推測することも出来なかった。やがて月に届くほどに見えた場所で、巨大な女神はその頭を振った。土塊が滑り落ちて、土煙を撒いた。

「め、がみ……?」

「む……!失礼、わたしの女神は、れっきとした女の子。こんなに可愛い娘に、なんてこと言うの。」

 思わずと言った調子で呟いたアイに、アステアが即座に反論した。しかして、全身を完全装備で包んだ巨人には、人型の温かみは愚か、女という性別すら見出せなかった。

 カラシナがアステアの身体を巻き取って、モルヒネアの視線に近しい場所へと持ち上げていく。その葉によって編まれたベッドの上で、アステアはモルヒネアに視線を向けた。

「わたしの理想を、わたしたちの地獄を作ってくれた、女神様。」

 そこには、紛うことなき親愛がこもっていた。そしてモルヒネアもそれに、小さく首をすくめて応じた。

「お願い。わたしたちの敵を───滅ぼして。」

 巨大な腕が、緩慢な動作で小銃を構える。安全装置を外し、その指先がトリガーを引いた。

 激発した火薬が、薬莢を排出し、弾丸を分離させる。たわめられたガス圧と微かな炎が、銃身の中を満たし、飛び出していく弾丸に音速を超えた弾速を提供する。火薬式の銃が、MSCSに肉薄する数少ない要素。

 連続した発砲音が、三度。アイの背後に弾着した弾丸が、カラシナの絡みついた街並みを()()()()

 茫然と振り返ったアイは、その光景に絶句した。そこには、一発の弾丸が穿ったとは思えないような傷跡があり、もはやそれは谷と呼んで差し支えないような昏さを宿している。

 大地を揺るがすような銃声は連続し、世界に悪戯に風穴を空けていく。

 既に、アイは適合者としてのアステアに、戦意を喪失していた。

 アステアを敵にして、戦闘というものは発生しえないのだ。技術を、五感を、戦況を判断し、己が力を敵と削り合うような一戦、まさしく聖戦などは、発生しえない。つまり彼女は、戦争しか引き起こさない。かつて、戦争によってもたらされた、とある薬の名前。

 彼女はそれを、この現代に蘇らせ、その姿は、モルヒネアという巨人として具象する。

 その薬は、全ての苦痛を取り去る薬だった。

 時代遅れの重火器。しかし、アイはその武器を見たことがない。撃ち放たれる自動小銃も、戦闘服で揺れる手榴弾の形も、見たことのないものだった。聖戦を凌辱する戦争の硝煙を、彼女は見たことがなかった。

 三姉妹の姉は唐突に、祖父の姿を思い起こした。

 生まれてすぐに感染症に罹り、高熱で苦しんだ夜。集中治療室に運び込まれ、もう駄目かと医師が匙を投げたとき。祖父だけは、アイのことを諦めなかった。祖父は、オースは知っていた。藍という花に、どんな薬理作用があるのか。アイという少女に、どんな世界活性があるのか。とある受容体に結合する、藍の化学物質。

 アイは、もう一度呟いた。

藍の(ピースブルー・)疵痕(インディコン)

 モルヒネアがぴたりと止まる。訝しんだアステアに、アイは告げた。


「藍の化学物質は、異能の受容体に結合する。」


 自身を持ち上げるカラシナの葉を弄び、アステアは小さく思考した。

 アステアは驚異的なことに、モルヒネアの仕草を、表情として捉えることができた。その静謐な代謝から、モルヒネアがどういった感情を有し、どういった行動を起こすのか、全て予測することができた。全く見えないその両眼と、アイコンタクトを交わすこともあった。

 しかし、アステアは気付く。今のモルヒネアには、一切の感情が存在しなかった。微動だにせず、巨大な現代アートの建造物のように見える女神。それとアステアの間、一切のパスが遮断されていた。

 指先で自身の額に触れたアステアは、そこから消失した結晶のような角を思った。

「適合者の力を無効化する力。」

 一度口に出して呟くことで、アステアはその事実を呑み込んだ。どうなろうとも、自身の力が封じられたのは事実であり、対する相手にその力があることは事実。覆しようのない現実であった。どうにもならないことをどうにかするために、考え始める。往々にしてそういうときは、手近な解決法があるもので、それを躊躇ってしまう理由は、それが不確実性を持つか、大変に労力を要するからである。

 アステアにとって今回の解決策は、その二つを満たすものであった。

「あんまり、やりたくないんだけど。」

 カラシナのベッドから器用に滑り降り地面に降り立つ。アステアの視線とアイの視線は、そこでやっと同じ高さを共有した。

「アイの力を前に、出し惜しみする暗愚。」

「わたしの力を封じるだけでそれ?結局、それが力の全てなら、人間と人間の勝負になるだけじゃない?」

「既に何百人という人間が、アイのこの手に葬られた。その細腕で、一体何人を殺せるか。」

「あぁ……それはそう。だから、やりたくないんだけど。」

 アステアが強力な起源植物から力を得ていたことは事実。そして、それを封じた異能が驚異的であることも事実。しかし、それによって生まれる状況は、両者の間で隔たれていた適合者としての力量を均したに過ぎない。あとは人間としての力量が試され、そして、研究所に籠っているアステアと、カルテルの実働隊を務めるアイとでは、その趨勢はアイに傾くように思えた。

「ま、リゼルキルトのためだから、してあげる。」

 アステアは懐からシレットを抜き、自身の首筋に突き刺した。そうして役目を終えたシレットを、襟に刺して固定する。

 果たしてそれが何になるのか、アイには知りようがなかった。あるいは、リゼルキルト・カルテルの幹部すら知り得なかったかもしれない。それは、彼女が罹患した病であり、既に根絶されたウィルスであり、浄水場に沈んだ病魔でもある。

 アイはアステアの瞳を読んだ。その瞳孔の動きから、彼女の行動を予測したかった。そして、アステアがモルヒネアにしたように、アイもそこに意思を見なかった。

 そこには、暴力に呑まれた女がいた。

「ぁ」

 咄嗟に反らした上体。アイの眼前を、正体不明の破壊力が突き抜けていった。その風圧がアイの深い眼窩を滑り、眼球から水分を巻き上げた。瞬きの間に、速過ぎる追撃。確かに脇腹に触れた。自覚したとき、意識を削り取るような激痛が、アイの脳に衝突する。

 そこに詰まっていた内臓ごと、脇腹を抉られていた。

 脳裏、可愛い妹の顔が、凶悪に嗤った。死に極限まで近づいたアイは、最期二人の妹の名前を呼んだ。声に出すこともできない、出来損ないの掠れた吐息が出ただけだった。

 声が聞こえる。


───其は、



「───其は供物、其は奉納、其は象徴、霊魂を宿す。『其は御幣(マス・マーダーサイド)』。」

 自分の腕を噛んだ血液で真っ赤に染まった歯。凄絶な笑みを浮かべた女───リンネは、その光景にすぐさまに詠唱した。青臭い香りを掻き消すように振るった腕が、血液を撒き散らす。

 リンネが見つけたのは、彼女が倒すべき敵、リゼルキルト・カルテルの適合者だった。

「ボクは幸せ者でありますね。」

 リンネが即座に異能を結合させた要因は、そうして呟いた女、もといその背後に、異様な光景があったからだった。

「ずっと、思っていましたから。」

 空は、月色に染色されていた。

「一身に貴方に尽くせたら───『こんな夜にこそ輝いて(マリア・ジュアナ)』。」

 女は、鋼鉄の機械を撫でていた。

 その物言わぬ機械は、正真正銘の機械であった。感情のようなものを見せはしないし、意思を疎通することもなかった。しかし、女はそれを慈しむように撫でた。そこにはあるはずのない薄灰色の鋼鉄のボディは異質であり、それが、リンネに危機感を抱かせた。

「おねぇさぁん───それぇ……なぁにぃ?」

「第三世代戦闘機Sh-37『スピィルトヴォズ』ですよ。かっこいいでしょう?」

 女の傍にあったのは、かつての最新鋭戦闘機だった。しかし、夜闇に落ちたグランナダラの街並みの中に、戦闘機が着陸できるような滑走路はなかったし、そんな大それたものが空を横切ったところなど、誰も見ていなかった。その上、かつてその女が借り受け、乗っていた戦闘機は、既に退役し、カルテル本拠地ビルの最下層ガレージで厳重な保存措置のもとにあった。

「それがぁ、おねぇさんの能力なのぉ?」

 女は、その美貌からすれば随分と人好きのするような笑みを浮かべて頷いた。

 彼女が述べた通り。むしろそれ以上のことはなかった。それは、アメリクス空軍からの要請によって作られた、当時の最新鋭戦闘機Sh-37、通称スピィルトヴォズであり、その適合者の力であった。

 アザルベーダ・ヴェスタの、その力であった。

「すみません。リゼルキルト殿のために、ボクは貴方を殺さなければなりません。でもボクは、それがとても嬉しい。」

「あははっ……!おねぇさんも、そうなんだ!リンも、おじぃさまのために、創造主様のためにぃ、おねぇさんを殺さなきゃ!」

 両者、同時に踏み出した。

 アザルベーダが接近のために踏み込んだのとは対照的に、リンネは体勢を整えるために踏み込んだ。

 離れた歩幅の分落ちた上体、だらりと垂れ下がった傷だらけの片腕が、その拳を地面に擦り、その軌跡が緩やかな曲線を描く。ただ空間を薙いだだけの掌の残像は、やがて現実で形を持つ。

「弓……でありますか。」

 リンネの予想外の挙動に一歩足を止めたアザルベーダは、リンネの手中に顕れた武器を正しく称した。

 アザルベーダが見たことのある弓は、アーチェリーなどで用いられるような所謂競技用の洋弓だった。リンネが顕現させ、無防備に取り上げたそれは、アザルベーダの知る弓のそれではなかった。

 丈はリンネの身長に匹敵する程で、その反りは洋弓ほど急ではなく、弓柄は逆の方に盛り上がっている。それは東都国の伝統的な和弓であったが、アザルベーダにその知識はなかった。そして、そんな弓を持ち出したリンネの方にも、それの正確な扱い方の知識はなかった。

 無造作に引いた弦を、リンネは片腕の力のみで保持した。矢はつがえられていない。

 アザルベーダは、一度は止めた足を再び回し、その射線を横切るように疾走した。

 弦がリンネの指先を離れる。アザルベーダの綺麗な金髪が、その幾ばくかを引き千切られた。金糸は宙を舞うことはなく、まさしく消失した。靡いた自身の髪の行方を、アザルベーダは了解し得なかった。理解よりも思考よりも速く、次の不可視の矢が放たれる。

 地面に放り出されていたままの家屋の残骸。木材と石材を素手で掴み上げ、着弾予想地点の空中にとどめ置く。それが自由落下に絡めとられる前に、空間もろとも打ち砕かれる。

───やはり完全に消滅している。破壊されたとか、霧散したとかじゃない。

 思考の狭間を作り出し、しかし行動に停滞は生み出さない。淀みなくアザルベーダは路地に踏み込み───すぐ隣の雑居ビルが消滅する。二階部分を幾多の射撃が穿っていた。崩落し始める大質量の中、それがアザルベーダを押し潰す前に輝きが瞬く。

 踏み込んだアザルベーダの進行方向。そこに滑走路が展開(スピル)する。

 アザルベーダの身体が、光へと変貌する。

 巡らせた視線、落ちてくるコンクリートの塊や、輝きによって可視化された粉塵、その一粒すら、緩慢に漂っていた。

 ゆっくりと世界が流れていた。

 果たして、敵はどんな力を持っているだろうか。

 緩慢な一歩。靴裏は、やがて地面を踏みしめる。

 そういえば、リゼルキルトは大丈夫だろうか。

 まだ、一歩は半ば。

 一緒に来ていたアステアやセスタは無事だろうか。

 地面と靴裏との間隙。

 随分と長い思考の間───接地する。

 宙を───

───リンネの位置を

 身体は───頬を撫で───

 起動する───

 アザルベーダの拳が、リンネを殴り飛ばした。

「ッ!?……??」

 教会の大仰な扉をぶち壊し、燭台や長椅子に埋まったリンネは、ただでさえ低い思考力に、常人ですら処理できない情報量を流し込まれた。リンネは、路地裏に逃げ込んだアザルベーダを追撃したはずだった。輝きは、そのほんの一瞬後に瞬いて、そして、次の瞬間には自分は殴り飛ばされていた。

 立ち上がろうとする身体に力が入らなかった。ただの打撃ではない、リンネはそう判断したが、打撃自体にはなんのカラクリもなかった。規格外だったのは、そこにたわめられた慣性力であった。それは、リンネに激突する前、光速に達しつつあった。

「あぁ、創造主さま、……ささげま、す」

 彼女の肺は片方が破裂していて、胴体の肉は三割ほどが失われていた。まだ煙を吐く自身の身体を前にして、そうして意味のある言葉が吐けたのは、幸運なことだった。リンネが呑み込んだ何もかもが、彼女の創造主へと捧げられる。

 ふらつきながら立ち上がったリンネは、随分と遠くの方にいたアザルベーダに弓を差し向けた。


「殺してあげる。お姉さん。」

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