Ep.67『対リゼルキルト共同戦線』
───セルナ誌 某日更新記事より引用 著:ヘルプス・コルネラス編集長
様々な法執行機関関係者、同業者に、私の警告が届かなかったため、私がこの記事において警告する。
リゼルキルト・カルテルは本気だ。
近いうち、グランナダラは炎に包まれる。これを読んでいるグランナダラシティ市民、あるいは、そこに関わる者全員に、私はこの誌面上で「逃げろ」と言うほかない。行動は既に始まっている。
この文章が、ただの私の思い違いで、後世、私が耄碌した老扇動者と呼ばれることがあれば、それはなんとも幸福なことかと思う。
しかしおそらく、そうはならないだろう。
全ての人間に警告する。
リゼルキルト・カルテルは本気だ。
無辜のグランナダラ国民は、どうか荷物をまとめ、グランナダラシティから離れて欲しい。
ラザロ教団は、彼らに謝罪し、全ての教会を引き払った方がいい。
ロス・アンタニオスと呼ばれている新興カルテルも、すぐさまにその名前を再び闇に浸し、姿を隠すべきだ。
グランナダラ・カルテルは、エリンの全ての農地と、その利権を手放し、下るべきである。
そうしなければ、少なくとも激突は避けられる。それによって幾多の命が失われることは防げる。
そして、リゼルキルト・カルテル。
貴様らは、その贖罪によって、永劫灼かれるべきだ。
*
「適合者は、アイの前ではひれ伏し、命乞いをするばかりである。しかしそれが、最も利口な術だというのも、アイにはわかった。」
用意された台本を読むように、インディゴブルーの髪を払った女は無感情に言った。低い美声が奏でるモノローグが、暗い路地裏を映画の一シークエンスのように変貌させる。
「おねぇさぁん、あぁぁんまりジタバタしたらぁ、いたいだけだよぉ……?」
掠れた荒い呼吸をその顔面で受け止めて、舌っ足らずの口調で忠告する女。それは、彼女の隣にいる朗読者のそれとは違い、酷く人間味に塗れていた。得体の知れない女たちだった。
「リン。リンの姉はアイ、それは、絶対に変わらない、変えられない強固な契り。お姉さんは、アイ。」
「ぁ、ぁう、あぁっ……ごめん」
リンと呼ばれた情緒のおかしな目をした女は、藍色の女を怯えるような目で見て謝罪した。そのときばかりは、少しばかり健常な人間味を持った。
妹を嗜めた姉は、その懐で鳴った端末を取り出した。真っ黒のボディに、小さなディスプレイと西洋配列のボタンが並んでいた。
通話を取った挨拶もなく、藍色の女は端末越しの声を聞き、相槌の代わりに首肯を繰り返す。それが相手には見えていないとしても、その女にとっては重要なコミュニケーションの要素であった。声色の感情が希薄な分のマイナスを、所作で補っているようなちぐはぐさがあった。
何度目かの首肯の狭間、まだ終わっていない話の狭間、女は小さく「敵は、死すのみ。」と呟いた。彼女の視線は、妹が掴んだ死にかけの女を向いていて、電話越しの誰かに向けられたものではなかった。瞬時にそれを読み取った妹───リンは、にぃ、と嗤った。
「おしまいみたぁい、ごめんねぇ?おねぇさぁん……リンの創造主さまに、ささげてあげるぅ」
「ひ、ぃっ……やめて、やめてくださいっ!なんでも、なんでもするっ……からッ!さっき言ったことするから!脳味噌、切り取っていいから!こんな力、あげるから!……殺さないでくださいっ!やだっ、やだやだやだ、こんなんで終わっちゃったら、どう、どうなる……!ねぇ!死んだら、死んじゃうんですよ!?死んだら、私、どうなるんですかぁッ!」
鼻に突く、青臭いにおい。幾分かローストされたその臭いは、若干の甘さを感じさせた後、しかし青臭さを消し去るには至らなかった。
濃ゆい煙が立ち上り、泣き叫ぶ血まみれの女が咳き込んだ。
リンは、凶悪な笑みを更に深め、恍惚とした表情で呟いた。
───其は供物、其は奉納、其は象徴、霊魂を宿す。
「『其は御幣』」
聞くに堪えない女の断末魔が、路地裏の壁を反響して天へと突き抜けていった。同時に撒き散らされた血肉。それは、女の腕だったものだった。どろどろのゲル状になった腕は、もはや腕の原型は留めていなかったし、その質量も、幾ばくかを無くしていた。
エネルギー保存則に照らせば、地面に残された血肉の量は不自然なはずだったが、死の恐怖の最中で等式を組み上げるほど無為なこともない。血肉と共に投げ打たれた不可解は、遮られた太陽の狭間で暗く埋没した。
「うるさいよぉ!」
二度目、不機嫌そうなリンの声が、再び女をぐちゃぐちゃに撒き散らす。頭から肩のあたりまでを丸々失って、ズタズタの断面を晒す死体。死にかけだった女は、遂には死ぬことができて、今わの際の疑問に答えを得た。死ねば、なにもない。
どす黒い血の海の中で、その波をまともに浴びたリンは、不快な血液の感触に、しかし恍惚の表情を浮かべた。
「あぁ、創造主様ぁ……っ」
そんな妹の後ろで、姉は耳から端末を下ろした。
「アイに叛逆せし適合者は、その咎に慟哭しながら死んだ。」
「電話ぁ……なんだったのぉ……?」
「ロス・アンタニオスの師が、その力を手に立ち上がった。それはつまり、宣戦布告。」
「じゃぁ、じゃあじゃあ、あ、あはっ、あははははっ、じゃあ会えるんだぁ!」
うぁぁ……!と獣のような息吹を吐き、地面に打ち棄てられた死肉を何度も足蹴にするリン。飛び散る血液を見て、その興奮は更に昂ったようだった。がちがちと噛み合わせた歯が、不快な音を立てる。
そんな妹の前に、姉は傷だらけの片腕を差し出した。切傷や縫合痕などではなく、緻密に配置された鋭利な刃が、何度も突き立てられた痕だった。
明らかに常軌を逸したリンの前に、傷だらけの細腕を差し出した女のそれは、腹を空かせた猛獣の檻に、片腕を突っ込むような行動に見えた。その想像に違わず、リンは姉の腕に噛み付き、愛おしそうにその肉を噛み締めた。あまりの興奮に早くなった呼吸が、姉の肌を舐るように呼気を吐き出し、噛み締めた傷跡から流れる血液を吹き飛ばす。
思えば藍色の女の細腕についていた傷は、幾度となく繰り返された行為の痕跡、彼女の妹が噛み付いた跡だった。やがてガクガクと足を震わせてへたり込んだリンは、荒い呼吸で姉に言った。
「またぁ……かみきれなかったぁ……」
「妹、可愛らしい妹。アイたちは、絶対に途絶えない強固な血脈で繋がっている。愛おしい妹。」
彼女───アイには、ふたりの妹がいた。一人は、つい今自身の腕に噛み付いていたリン───リンネ───であり、もう一人は、まだ幼子であるクレノアであった。姉妹の全員が、ある起原植物の適合者であり、その名前を名乗っていた。
藍、麻、紅花。
血まみれの腕に慣れたように包帯を巻き、アイは胸に差していた植物を抜いた。端正な顔立ちが、その花弁に埋められる。
「遂に、相まみえる、ロス・アンタニオスの聖典。」
花を胸に戻し、アイはリンネを抱き上げて、力なく唾液を垂らす妹を伴って路地裏を出た。
「青は、藍より出でて、藍よりも青い。いつか、それが生んだアイたちが、それを殺すことになるでしょう。
───失われた、聖人。」
*
ラザロ教団の秘匿された本拠地となる事業所『教会』で、ラザロ教団教団会議は全裸でもなくアダムスも摂取せず、互いの身体を揉み解すこともなくテーブルを囲んでいた。敵対カルテルや法執行機関との突如の襲撃戦に備えるため、そのテーブルの表面には魔法を拡散させる特殊塗装が施されていた。
「リゼルキルト・カルテルが動き出した。」
ラザロが呟いた言葉に、一席を欠いた教団会議はそれぞれに声を漏らす。
インクィタスが、
「でも、私達なら大丈夫だわ。」
ベスティアリスが、
「エンタクトに何かあったらたたじゃおかないよ、リゼルキルト。」
リセンティアが、
「おれたちに戦いを挑むとは!威勢がよくて結構!」
と、あくまで好戦的な反応をした。
満足そうな顔でそれを見回したラザロは、二、三度頷いた。そうして───
───何を考えているんだこいつらは……!奴のあの姿を見なかったのか!?
彼のその心中は、随分と荒れていた。事実、教団会議のメンバーの中で、リゼルキルトの姿を見た者はおらず、唯一の目撃者であったティミスは二度目の目撃で帰らぬ人となっていた。それは、彼の力の真髄である適合者の異能を用いたうえで及ばなかったということだった。
ラザロは既に、自身のカルテルと教団会議の適合者だけで、リゼルキルトただ一人にすら勝てるとは思っていなかった。彼の異能のポテンシャルであれば、勝てない相手ではなかった。しかし、彼の異能の特性的に、絶対に戦いたくない相手でもあった。
テーブルの下、インクィタスの手が、ラザロの腿を這った。彼女のその零れ落ちそうな柔らかな肌は、ラザロがつい昨夜貪ったものであった。それは、アダムスを介在させることのない、正真正銘のセックスによる快楽だった。
触れられた手の感触が、彼に内蔵された男性性としての本能を呼び覚まし、そこに伴った虚栄心を立ち上がらせる。
「い、インクィタス大司教の言うとおりだ。わたしたちならばやれる。」
腿を蛇のように這いずったインクィタスの掌の感触。冷静な自意識をぼかしていく肉欲の予感に、しかしラザロは冷静であった。
「だが、万全は期すべきだ。そうだろう、リセンティア大司教。」
ラザロの冷静な思考は、問いかけておけば取り敢えず肯定するリセンティアに水を向けた。
「ええ!その通りですラザロ卿!」
予想を全く上回らず、また裏切らなかったリセンティアの一票を獲得し、ラザロは最後にして最大の難関の得票に乗り出した。
「我々の内通者であることがバレたとはいえ、全面戦争となるのならば関係はない。奴らを根絶やしにすれば、彼女を再び教会に迎えることも叶おう。」
「いいよ、あんたの口車に乗せられてやるよ。それで?聞かせて頂戴。あんたのやろうとしてること。」
理解を得られるかどうか、五分五分の賭けに、ラザロはかつて彼女の寵愛を受けていた少女の名前を切り札として持ち出した。目論見は成功し、もはや自身を肯定することしかないインクィタスを除き、教団会議の承認を得た。
これまでのカルテル運営において、必要とされなかったプロセスだった。
教団会議の面々にバレないよう小さく息を吐き、ラザロは自身の方策を語った。
「奴らの敵対カルテルと手を組む。我々を愛するように、隣人を愛さなければならない。」
ベスティアリスの紅を差した目元が、微か歪んだ。
「ロス・アンタニオスとグランナダラ・カルテル、彼らと組むことができれば、聖人を騙る不届きものなど一網打尽だ。」
グランナダラ・カルテルとリゼルキルト・カルテルの不和は知っていたし、ロス・アンタニオスが不敬にも聖人の名を騙る理由にも目星がついていた。それは、彼にとって都合のいいものだった。つまりそれは、全ての因縁が、リゼルキルトという存在に集約されているということだ。
グランナダラの火、その二大勢力の激突において、リゼルキルト・カルテルと対峙した対聖人同盟。その発端の日であった。
*
グランナダラの巨大な邸宅。聖廟を模し、本物のそれを遥かに上回るほど悪趣味に装飾されたグランナダラ・カルテルの本拠地、『大聖廟』。エミリアが普段執務している部屋からは中庭が見えた。
グランナダラ・カルテルのボス、その両親と祖父母。姉弟とその子供たち。夜は毎日、その中庭に設置されたテーブルで夕食を囲むのが日課だった。併設されたプールには、彼女の愛犬であるエリンドグが気持ちよさそうに泳いでいた。名前はエリンの犬が発音を省略されたものだった。
「エミリア様。」
「あァ、入れ」
ノックの音と共に、要件も告げず名前だけが呼ばれる。
エミリアは、スニッフィングしようとしていたエリンから顔を離し、滑るように入ってきた女を見た。グランナダラ・カルテルがただの農場主だったころから、ボスに仕えていた。
「エスメルダ。」
背筋を伸ばし、隙のない佇まいをした女───エスメルダは、一通の手紙をエミリアのテーブルに差し出した。
「あ、申し訳ありません。」
「気にするなァ、どうせ粗悪品だしなぁ」
封筒が触れ、エリンによって描かれた端正な三筋が乱される。エスメルダが訪れなければ、その一筋、一粒に莫大な快感を凝縮させたアルカロイドは、エミリアの鼻腔を通り抜けて彼女に相応の陶酔をもたらしたはずだった。普通の構成員ならば射殺ものの粗相にも、エミリアは何でもないように手を振った。
「こんなぁ時代に手紙たァ、お上品な奴だなァ」
エミリアの左手、マウスと同じ位置にあったペーパーナイフが取り上げられ、封を切る。紙が裁断される乾いた音と、乱暴に放り投げられたペーパーナイフが机に激突する音が立て続けに響いた。
取り出した便箋は二枚。差出人は、それぞれ『ラザロ教団』『ロス・アンタニオス』と記してあった。
グランナダラとそこを産地とするエリンを掌握しているグランナダラ・カルテルにとって、その二つのカルテルは取るに足らない弱小カルテルと言ってよかった。
ラザロ教団には、適合者を効率的に生み出す合成魔薬が、ロス・アンタニオスにはその急成長の手腕で一目置かないわけではなかったが、それでも、リゼルキルト・カルテルほどの興味を、エミリア・カテドラルにもたらすことはなかった。
つまらなそうな視線を向けたエミリアは、ラザロ教団によってしたためられた便箋を丸めてエスメルダに放り投げ、間髪入れずにエスメルダはそれを切り裂いた。空中でナイフの一閃に触れた手紙は、何等分にも寸断されて床に散らばった。
ロス・アンタニオスからの手紙も、同じ末路を辿るはずだった。しかし、エミリアはそこに記された名前に微かに視線を留め、その判断を保留した。
「ほォ……最高に面白いもんを持ってきたじゃないぁ……!」
こんなにも面白いものはないと目を爛々と輝かせるエミリアに、エスメルダは少しばかり目を見張った。彼女が長年見てきたエミリア・カテドラルは、とある男の英雄譚以外に、そんなにも興味を示すことはなかった。エスメルダの不思議そうな視線を悟ったか、エミリアは筆が走った手紙の紙面を差し向けた。
「なにか、興味を惹くものがありましたか。」
「あァ?お前、読んでないのかァ?まァ、そうかァ……懐かしい名前を見つけたァ」
エミリアが指したのは、ロス・アンタニオスの首領として記された、とある男の名前であった。エスメルダには知る由もなかったが、エミリアは知っていた。
その男が、今とは違う犯罪組織で幹部を務め、反逆者によって組織を乗っ取られた後、魔薬カルテルのボスとして裏社会に返り咲いた鬼才だということを。
「オース……!」
エミリアは、馬鹿らしいと突っぱねようとしていたその提案に、乗ることにした。
所詮弱小カルテルと侮っていた相手。そこに、かつての同窓生を見つけたような、不思議な感覚だった。もちろん、彼女が知っているのは、オースという男の来歴と、組織の中での末路だけであったのだが。
「対聖人同盟、かァ……!」
エミリアにとって、リゼルキルトとは、アンタニオスとは、聖人とは、退屈な暴力の中で、煌々と輝く光であった。彼の辿ってきた道のりが、彼が刻んできた傷跡が、そこにたわめられた輝きが、足跡が、エミリアにとっては偉大なる英雄の冒険譚であったのだ。
であるならば、その敵として自分が立ちはだかるというのは、燃える提案だった。ずっと燻ってきたこの熱情が、燃え上がるように、あるいはフラッシュバックするように、再燃する。
「アタシがァ、英雄を終わらせる、あるいはァ……!アタシを終わらせるッ!」
それは、想像上の物語の主人公と、この現実で逢うことができるような、夢の話だった。もし、その一戦が叶うのなら、それは、どんなに───どんなに。熱狂し、血沸き肉踊り、燃え上がり、震え───それはどんなに───!
英雄と剣を交え、その全身全霊の殺意を向けられる。もし、自身の手でその英雄譚に終止符を打ってしまったのなら。
そのときは、次の英雄譚の主人公が自分になる。エミリアにとっては、ただ、それだけのことであった。




