Ep.65『メル襲撃(してくる)事件』
マツシマと僕は、いつも通りに彼の執務室で、何の浮いた話もないビジネスの話をしていた。そして、僕は彼に告げた。
「奴らを壊滅させることにした。」
「……そうですか。」
呆れたように笑うと思ったマツシマは、存外深刻そうに視線を下げた。テーブルの書類の上で、彼の視線が少しばかり転がる。
「どうやって。どうやって、彼らを殺す。もし適合者を最大数と見積もれば、ラザロ教団には四人、ロス・アンタニオスには二人。グランナダラ・カルテルには、エリンの適合者がいます。」
「僕が一人でやる。僕が敵を殺すのにしくじったことがあったか……?」
あったでしょう、と言いたげな瞳で、マツシマは僕を見た。
ファミリアの幹部を殺しまわったとき、僕はリトン兄弟とゴッゾ兄弟を一人で殺し切ったし、バルデリーニを殺したお陰で情報局幹部のカルメアすらも自死に追い込んだ。オースが僕の標的だったのなら、僕は奴のこともしっかりと殺してやったはずだ。もちろん、そうならなかったからこそ、僕はこんな現実の最中にいるわけなのだが。
そうして僕が思い起こしている間、マツシマはため息をついて首を振った。
「途轍もないしくじりを、貴方は既に起こしている。」
「いつだ。国境線のときか?それともティミスのときか?」
「どれでもない。」
ドタドタと廊下を走る音が聞こえた。扉の向こうから、くぐもった護衛連中の制止する声も聞こえる。こんなときに厄介事かと思ったが、それにしては、MSCSの駆動音も、それによって発破した魔法が破壊を撒き散らす音も聞こえない。心なしか、護衛連中の声もどすを利かせた普段のそれとは違って遠慮しているように見えた。
マツシマは、それがなんなのかを理解しているのか、妙に達観した目で扉に視線を差し向けた。
「貴方のしくじりが、もうすぐやってくる。」
「僕が誰を殺し損ねたって言うんだ。」
ばん!と扉が開き、マツシマの指さした先でやかましい声が聞こえた。
「これです。」
「なんで!会いに!来ないのよ!リゼルキルト!」
そういえばそうだった。
僕は全く最初から、しくじっていた。
不満そうに頬を膨らませたメルを、僕はまさしく殺し損ねたんだ。
*
ブラウ連邦はファミリアの支配下。貧民街に近いこのあたりの区域は、その中でも特段マフィアの抑圧が強い。それは、マフィアの宿舎や本拠地、浄水場が集合している区画であるからだった。バルデリーニが根城にしていた大邸宅もこの近くだったはずだ。
メルは、今風なストリートファッションに身を包んでいて、似たような恰好を空港のラウンジに置いてあった雑誌の表紙で見た気がする。露出を抑えるためか両腕をすっぽりと覆った布越しに、メルは僕の腕を取り、それはそれは楽しそうに歩いた。跳ねるその足取りに、僕は嬉々としてついていくことができなかった。
「それで……どうして会いに来なかったのよ。ルムにだけ会って、私には会わなかったうえに、そのうち会いに来るなんて伝言すら守らないなんて、ひどいっ……!」
少なくとも会いに行くつもりだったんだ。それこそ、ルムと話したときには。
嘘を吐いたつもりなんてなかった。ただ、君に会いに行くまでに、僕の覚悟が決まってしまったというだけで。だというのに、僕はこうして彼女と一緒に街を歩き、その上、もう触れることはないと思っていた肌に、布越しとはいえ触れている。
少しだけ先導して、振り返るメル。その美貌が、真っ直ぐに僕と向かい合うようになる。
「それと……一番!怒ってるのは……」
「はぁ……あぁ、僕は、何で君を怒らせた。」
メルはなにか弱々し気な表情で視線を下げて、その小さな頭の中をぐるぐると巡ったのだろう怒りにぷいっと顔を背けた。
絡めたままの腕が、緩く、僕の背中にまわされる。
「本当は……ルムの方がタイプだ、って……言った。」
あぁ、そのことか。と、簡単に口に出すことはできなかった。なんというべきか、僕は単純に、ばつが悪かった。
確かに僕はルムの方がタイプだ。実際ルムにはそういったことを冗談交じりに言ったし、彼女のあの様子を見れば、それを姉に報告しない道理はない。なぜなら彼女ら姉妹は一心同体。
僕は微かに考えて、全く完璧な一手を打った。
「そんなことは、一言たりとも言ったことがない。」
「嘘よ!つくならもうちょっと考えた嘘ついて!」
「……なんだんだ、それじゃあ僕は、お前の妹よりもお前の方が好みです、と、お前の妹の前で言えばよかったのか?」
「なっ……!だめよ!あんなに素敵な私の妹を前に、なんでそんなことが言えるのよ!」
「何言っても駄目じゃねぇか。」
いよいよ面倒臭くなってきた僕は、彼女の緩い抱擁を解いて歩き出した。その華奢な背中に触れて促せば、メルも同じ歩調で歩き出す。
「話、……聞き出すのも大変だったんだから……っ」
まだふくれっ面のメルは、おそらくはその妹のことを考えて、ついでに僕に恨めし気な視線を向けた。
「何を。」
「貴方と何を話したかよ……あの子、戻ってくるなりずっと部屋の隅っこで丸まって、私にすら顔を見せてくれなかったのよっ。それで、やっと立ち上がったと思ったら、なんて言ったと思う?」
脳裏で想像したルムは、いつもよりへんにゃりとしていて、姉に向けるのであろう柔らかな雰囲気に、微かな甘さを香らせているように見えた。メルの言い草から考えるに、多分そう間違った想像じゃなかったはずだ。ではそんな平時とは違うルムが何を言ったのか。メルが代弁した声が聞こえた傍から、その声は僕の脳内でルムの声に変換される。
『お姉さま……リゼルキルトは、その……私のことが、好きなのかもしれない。』
「って!そうやってすぐ女の子を……それも、私の妹を誑かさないで!」
自信がないのかと思っていたら、意外とそうでもないのだろうか。別にルムのことは嫌いじゃないし、むしろ好きだとは思うが、そんなにも重く受け止めさせるつもりはなかったのだ。いや、一生養ってやるくらいは造作もないのだが。
はぁ~……とわざとらしく僕を見ながらため息をついたメルは、どん、と僕に体当たりして、反動で離れた二人の距離を、一歩ぎゅっと縮めた。
「……ルムから、伝言よ。」
「なんだ……?」
「セスタ・クリスタルベリーとは、仲直りできたの?って。」
「あぁ、……それか。」
それからおよそ十数歩ばかり、僕が強いた沈黙に、メルは付き合ってくれた。
四六時中なにかを話し、共感を求めなければ死んでしまうメルが、そうも黙ったのだから、それは驚異的なことだったのだろう。彼女と触れ合い、しかし、彼女とは触れ合っていないその甘やかな感触に甘んじて、僕は思考する時間を得た。
果たしてそれが功を奏したのか、むしろ僕にとっては逃げ場をなくされて窮地に陥ったのか。一際強く僕のジャケットの袖を引いたメルが、視線だけで示す。
マフィア誘致によって数年前よりも小綺麗になった街の一角。僕らの目の前に、聳え立つビルと回転ドアがある。
「お茶でもしながら、ゆっくり聞かせて?」
*
空中庭園とでも言うべきか。僕らが座ったテラス席、見渡す限りの植物園。そこに、色とりどりの花が揺れている。といっても、それはとあるグレーな外資系ホテルを誘致したマフィアが、戯れに投資した金から拠出された道楽の庭だったわけだが、それでも、この場所は灰色のコンクリートの上にあるとは思えないような優美さを備えている。
僕らが腰を据えたテラス席は、木を模した意匠のベランダにあり、その眼下に、植物園はあった。かつて彼女たちが暮らしていたツリーハウスの面影を見るのだと、メルは声を潜めて教えてくれた。
僕はアフタヌーンティーなどという小腹の足しにもならなそうなものに興味はなかったし、紅茶よりもよほどコーヒーの方が好みだったから作法がわからなかった。
マネークリップから差し出したチップで「もっと腹に溜まりそうなものを持ってきてくれ、できれば肉。」と言った僕に、ウェイターはお得意様のメルを縋るように見たが、メルも「それじゃあ、お願いするわ」と言ったのですごすごと引き下がった。
「ゼータといた頃も、ずっとそうだったわね、……アンタニオス。」
どうしてお前たちは、思い出すようにその名前を出すんだ。
確かに、アンタニオスは凄い奴だった。でも、そいつも仮面を剥いだら僕のような奴が出てくる。もしかしてそれが、君たちには気に喰わないんだろうか。ただそれだけだったならどれだけよかっただろうか。
思わず見たメルの、泣きそうなくらいに優しい瞳を見て、僕は何も言葉を吐けなかった。
「君はずっと、一人でどうにかやってきた。協力者はいたかもしれないけど、矢面に立つのはいつだって君の役目で、それで、どうにかなってしまったんだものね。」
メルはルムから、何かを聞いただろうか。ルムが伝言という形で授けた僕のなにかについてを、メルなりに解釈しただけだろうか。ルムが、姉にとはいえこんな話を詳らかに話したとは思えなかった。
「……セスタは僕に、信じてほしかった、らしい……多分な。」
僕はそれに気付くのに随分と遅れて、気付いていたのかもしれないけれどそれを上手く嚥下できなくて。エンタクトという少女のお陰で、やっと、それを飲み込むことができた。
「でも、僕は彼女を信じられなかった。それでいて、信じて欲しいなら、僕のことを一番にしてくれとも言った。彼女が優先順位の頂点に置く金を、僕に挿げ替えてでも。そんな傲慢な発想で、僕はあの子を泣かせてしまった。もう、許してはくれないかもな。」
表面上は僕に変わりなく接するセスタも、実際に会えばどうなるかわからない。彼女は、今も憎しみを湛えた指で僕へのメールをタイプしているかもしれないのだから。
メルは、少しだけ意外そうに僕を見て、そして、直ぐさまにその表情を笑みでかたどった。吸い込まれるような、魔性の笑みだった。
「一番にしてほしかったのね、君は。」
メルの手が僕の頭を撫でた。どうしてお前たちは、そんなにも僕の頭を撫でたがるんだ。こんな大の大人の男に、そんな幼稚な愛情表現を繰り出してくるんだ。なんとなく、その手を払えなかった。
「私なら、貴方を一番にしてあげる。そうしたら貴方は、……私の肌に触れてくれる?」
「……駄目だ……それはきっと、君を傷つける。」
「でも、そうすることでしか、私たちは、特に私と貴方は、この距離を越えられない。救った貴方と、救われた私。」
そうなのかもしれない。救った負い目がある。救われた負い目がある。
「結婚して?リゼルキルト。私と、私だけと愛し合って、一緒に死んで?」
「なんで今なんだ。お前、……プロポーズの才能がないな」
僕は思わず笑みを引き摺り出されて、メルはそれに満足そうに微笑んだ。
「前に断られたから、もう見境がないの。それに、今こそ絶好のタイミングだわ。」
「どうして。」
「一番の敵であるセスタ・クリスタルベリーは、そんなことがあった手前貴方に近づけないし、貴方が匿っていた女の子も、どうせ貴方にセスタと同じようなことを言ったんでしょう?それなら、ここに邪魔しに来ることもない。」
セスタもアステアも、僕に言った。あるいはアザルベーダも。
自分たちを大事にし過ぎるな。ルムは、自分たちが傷つくことを恐れないで、という言葉を使った。この姉妹が凄いのは、セスタたちと同じようなことを僕に言ったのに、その軋轢を少したりとも感じさせないところだった。
確かに、セスタやアステアは、僕に大事にし過ぎるなと言った手前、他の女に現を抜かす僕を咎められはしないだろう。
最低の論理でも、メルが言うと蠱惑的な策略のように思えるのがずるい。
「私たちは、君の重りになりたくない。」
僕は、メルから与えられる優しい掌の感触に瞠目し、ただ、その言葉を反芻した。
そうだな、ゼータ。僕は今ようやっと、あんたの気持ちがわかる。こいつらのことを勘定に含めて引き金を引くのは、怖くて仕方がない。僕だけの意思で、僕が、自分一人で、確かな一本の軸だけで戦えたのなら。僕だけでトリガーを引くことができたのなら、それは理想的だ。
こんな気持ちは、切り落としちまった方が楽だ。
「一度だけ……貴方は、私に触れてくれた。貴方が私を救ってくれたあと。」
あれは、何年前のことだったか。まだ僕が大農場建設に躍起になっていて、メルに誘われたファッションショーを見た帰り、彼女の部屋に上がり込んで、同衾した夜。僕は、僕と共に眠り、幸せそうな寝顔を晒すそれに耐えきれなくなって、君の肌に触れた。翌朝君はそれを揶揄して、悪戯が成功した子供のように微笑んだのだ。
「嬉しかったのに……すごく……幸せだったのに。心がぎゅっとして、どうにかなっちゃいそうだったのに、貴方はすぐ手を引っ込めて、泣きそうな顔してた。」
そんな記憶はなかった。きっと、メルの思い過ごしか、酔いがまわっていただけだ。
「可愛かったなぁ、あのときのキミ。」
「……趣味が悪いな。こんな傷だらけの男を捕まえて。」
どうして僕の周りには、花の趣味が悪くて、取っ組み合いを仕掛けてきて、男の趣味が悪いような女しかいないのか。何度も頭を抱えたそんな嘆きには、もちろんメルの存在も含まれる。
「傷物の私を好きになっちゃった君とおんなじ。お揃いよ?私達。」
そんなことない。咄嗟に口に出しそうになった言葉を、僕はちゃんと押し留めた。
そんなことはない。君は綺麗で、素敵で、傷なんて一つだってない。その輝きの中を上っていく人生は、夜空を泳ぎ、宇宙にだって達して、君の美しさを全世界に知らしめる。
馬鹿なロマンチストの妄想を容易に口に出せば、彼女はまた新しいおもちゃを見つけて蠱惑的に微笑むだろう。
「あ、でも、この頬の傷は怖いわ。もっとちゃんと治して。」
「できるだけのことはやったよ。ちゃんと口の中のものが飛び出ないように縫合してもらった。」
「じゃあ見た目もちゃんと治してもらって。どうせ、マフィアの闇医者でしょ?雑だもの。」
「いいんだよ。これで舐められずに済むなら、むしろ治さない方がいい。」
「そうね……他の女の子避けにはいいかも」
「そういう話じゃない。」
「でも、私みたいに悪趣味な女の子に捕まるかもしれないから、やっぱりだめ。私みたいな娘の方が、愛が重くて大変だもん。」
何がそんなに楽しいのか、メルは僕の頬の傷跡に触れ、それを撫でまわした。
微かに疼いたそれは、僕がまだマフィアの一介の構成員で、わけのわからない敵に不覚を取ったときの傷だった。まさか、違法薬物でもない密売煙草ごときに命を賭けていたなどとは、今考えると馬鹿らしかった。
メルは、僕を弄繰り回すのにやっと飽きたようで、自分の椅子に戻って紅茶を飲んだ。小さな一口と、カップに残った微かな紅。
「セスタに会ってきて……それで、仲直りして。」
「どうして君が……そんなこと気にするんだ。」
「今の貴方は、窮屈そうで見てられないもの。」
僕は嫌そうな顔をしただろうか。しただろうな。メルが嬉しそうに笑った。この姉妹は、僕の感情を盗み見るのにかけては天性の才を持っていて、それが成功したときには、いたく嬉しそうにする。
「私のお願いが聞けない……?まだ、好感度が足りない……?」
そうかもな。僕が植物園に視線を投げて云い捨てた言葉に、メルはまたも嬉しそうに笑う。次はどんな感情を読み取られたろうか。
「ちゃんと足りたみたいでよかった」
僕がメールを打つまでもなく。セスタから、メールが届く。




