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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第三部【無闇矢鱈に輝くな】

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Ep.64『グランナダラの火』

p.m.06:11:23───CONFESSION

「私には、二十一歳と一か月四日の日より前の意識がない。」

 十字架

「不思議な感覚。」

 エチル・クフールの香り

「私は、そのとき突然生まれたわけじゃない。でも、記憶の上ではそうとしか言いようがないし」

 針金───ナイフ

「物を知っていた。例えばあれ、と指さされて、その物の名前を答えられないということもなかった。」

 乾き、憂い、水。

「一人称を知っていて、二人称に反応し、三人称を騙れないとわかっていた。」

 キャレル・オー・タ・ブルムの香水

「けど私の身体に沁みついた、慣れ、親しみ過ぎた仕草は、」

 日記帳

「到底私から生まれてきたようなものだとは思わなかったし」

 注射器───ピルケース

「でも、私は実際誰とも知らない人間の身体を乗っ取ったように動いているし」

 コップ

「今ここで考えて、或る感傷を抱いたりするし」

 200cc

「私には、本物がない。」

 エンタクト・コンネクジェンは独白する。


「私は炎と共に始まって、()()は、炎と共に終わった。」



 聞いたところによれば、僕がつい先日殺したラザロ教団の教団会議、その一角ティミス大司教の力こそ、彼らを破門せしめた人格漂白の正体だったらしく、その成果物足る少女は酷薄な実体験として、些か感情に欠けた声で自身の顛末を騙った。マツシマが予測していた通り、人格漂白とは合成魔薬の力に適合した適合者によるもので、七つの大罪の二項を犯している。

 エンタクトがこの国、というよりバハラータとブラウ、シェンロウのあたりに送り込まれてきたのは三年前で、その目的はラザロ教団による諜報活動の一環だった。彼らが一体どんな販売戦略を取っていたのか、はたまたそれは教会に由来する権力にまつわる活動だったのか、定かではないし知る必要もないと思ったからわざわざ聞かなかった。

 そして、彼らは僕が本拠地とするブラウ連邦とバハラータ共和国に目を付けた。三年前から、次の魔薬戦争がアメリクスにどれだけの魔薬を注入できるかにかかっているということはカルテルに類する組織の共通認識であったし、グランナダラ・カルテルの勃興を思えば、次の主戦場はメヒクト・グランナダラになるという僕の予想も、考えている連中がいないわけではなかった。

 その点、本拠地をメヒクトに置きながら、エンタクトという諜報員をブラウという海一つ隔てた国まで送り込んできたラザロ教団の手腕は驚異的と言える。あるいは、彼らが妄信する神とやらの提言だったのかもしれないが。

 ともかく、彼らの思っていたそれよりもよほど素晴らしき戦果を、エンタクトは勝ち取ったことだろう。

 諜報のため、感情を漏らさぬようにデザインされた人格。しかし油断を誘うように、完璧ではない危うさを共存させた性格。その上で男を誑かせるように、精緻に造形された骨格。彼女によれば、エンタクトという少女のその姿すら、生来のものかは怪しいとのことだった。

 元の人格を剥離させられ、新たな人格をデザインされた少女。

「この間、お前は妙なことを聞いたよな。」

「……?」

 こくりと首を傾げる仕草。確かに、それはこうも無感動な双眸とは乖離していて、彼女が自分で獲得したものだと得心はしなかった。

「この部屋で、お前は僕に聞いた。本物か、まやかしか。本物であることが正しい、なんてことを。」

「……そう、だね。」

 僕はそれに、もはや使い古された第四障壁の思考実験を持ち出して、悪魔の不在を証明してみろ、と彼女に迫ったのだ。そうして、思考実験やパラドックスによって煙に巻かれた人々と同様、エンタクトは本物の存在に答えを得なかった。

 もし、人間の脳内物質を意図的に作動させる化学物質の存在が、その果てに生み出す快楽を偽物と判定するのなら、それと化学的に同質と判断された人間の脳内魔薬が生み出す感情は偽物だということになるし、ではこれらの生み出すものが本物だとするのなら、僕らの頭は随分と機械的に心を成形している。

 それはまさしく、僕らが何者かに設計されたことの痕跡であるようにも思えるから、必然僕らは僕らより上位の存在の証明に躍起になる。そして、それは絶対に証明できないという答えのみを示して見せたのが、第四障壁の思考実験であるのだ。

 僕らを作った存在は、僕らを作った存在について考える脳を設計し、僕らを作った存在について知覚することはできないとプログラムした。僕らを作った存在について知覚できない僕らのプログラムは、僕らを作った存在について考える脳で第四障壁の思考実験を行い、僕らを作った存在は、その様を見て高らかに嗤っていることだろう。

 さて、この入れ子構造ともフラクタル構造とも螺旋構造とも言えるような言えないような不安定で完全な世界で、僕らは本物を語る術を持たない。その証明に躍起になって、人はいくつもの計算式を取りこぼす。

「私は、全部を教団によって作られた。前にこの体にいた彼女が最期に見た炎と、今この体にいる私が最初に見た炎は同じ。それを、教団は甦りって言った。でも、私はそこで生まれた。甦ったわけじゃない。」

 ラザロは、僕の目の前で、その甦りの奇跡を見せた。しかし、それをティミスに使おうとはしなかった。彼らは言っていたじゃないか。甦ったのは、ラザロであると。決して、教団の全員が甦るわけじゃない。そしてそれは、エンタクトとて同じことだった。

「私は、彼女の亡骸に宿っただけ。彼女に呼ばれたわけでもないのに壇上に現れて、誉めそやされるような過去もないから、すぐに袖に引っ込むことになる。その間の短い時間が、今。」

「いつ、袖に帰るつもりだ。」

「貴方が、還してくれるんでしょ?」

 エンタクトは、死を求めている。

 エンタクトの前任を務めた()()の人格を、塗りつぶした咎に贖罪するために。

「私は炎が怖い。それは、あの行為を象徴する。隣り合っていながら、全く接続してはいない生と死の概念を、強制的に通信する。そしてそれを、甦りという偽りの名前でデコレーション。おぞましくて仕方ない。」

 自分の腕を抱く仕草。悲しいほどに変わらない表情とは裏腹に、真っ白の肌を赤く腫れさせるほどに力を込める細腕。その指先の力ばかりは、どうにも、エンタクトという少女が生み出したものだと思ったのは、果たして僕の感傷で、あるいは、偽物の感情だろうか。

「馬鹿馬鹿しい。僕は、本物を信じない。それでいて、偽物も信じない。」

「なら、……貴方は、どうするの?私は、私が感じたこの恐怖も、私が貴方に抱いた居心地の良さも、全部が、偽物に思える。

 この思考も、この反射も。全ては、合成されて、精製されたものなんじゃないかって……そう、思う。そう考えたら、私は笑えないし、悲しんだりすることも出来ない。」

「だから、それが馬鹿らしいと言ってる。」

 不服そうな瞳が僕を見る。思えばこいつは、不服を表明する時ばかりは人間らしかった。そのときばかりは、僕はこいつを、精巧な人形でなく、エンタクト・コンネクジェンという人間だという風に思えた。

「本物も偽物も、僕らには証明できない。お前の頭を切り開いて、薬理研の奴らに診てもらうか?僕が大金を積んで、アメリクスの凄腕の脳神経外科医を呼んできてもいい。断言してやる。奴らは、お前の意識の真偽など判別できない。」

「……なら、精神科医を呼ぶ。」

「残念ながらPTSDの治療に大忙しでお前の戯言に付き合っている暇はない。」

「だったら……」

「だから、言ってるんだ。この世界のどこにも、偽物と本物を判別できる奴はいないし、そんな尺度を持った判定機械も存在しない。」

 エンタクトがあの広場で、僕にどんな姿を見たのかはわからない。しかし、それが僕にこんなことを話させる契機となったのは確かだし、彼女に答えが欲しいと思わせたのも確か。そして、そこに答えを返してやれるような人物が、この世界に存在しないことも、また確かなのだ。

「お前も、この世界の誰かも、そして僕も。自分が本物だと信じられるものを、信じるしかない。」

 視界の端を泳ぐ、銀色の髪。それは、僕にしか見えておらず、薬で頭がトんでるときにしか会えない。いくつか例外があるが、それでも、彼女の存在証明の答えには足りない。だから、僕は、信じている。

「それは……悲観的で、消極的。」

「なら、言い方を変える。」

 僕は、信じている。

 フラクタルという少女が、確かに存在しているということを。僕が本物を持たないことが、僕という存在を陳腐にしないということを。僕が信じたものが、確かに本物に足るということを。

「僕は、僕が本物だと思ったものを、信じている。」

「っ……」

「お前も、自分が信じたいものを信じてみたらどうだ。この仕草は、数年しかないエンタクトという人間の、こういう性質から生まれ出でたものであると。今、こう思った感情は、確かに自分が獲得したものだと、今お前は、確かに、ここにお前として存在しているということを。」

 僕は別に、こいつを救ってやる必要なんてない。殺すつもりもなかった。彼女の言葉を借りるなら、その手を引いて、袖に投げ込んでやるつもりもない。そして、救いようがないとも思った。

 僕は確かにこいつを憐憫し、同情し、共感した。

「私は……」

「あぁ。なんだ。」

 エンタクトは、何か自分ではないものを見るような目で、己が掌を見つめた。

「私は、私として、生きていける?」

 僕は、それに答えを返さなかった。言いたいことは言った。あとは、こいつが好きにしたらいいと思った。どうとでもなれ、とも思った。ただ、もし、彼女が自分だけの本物を信奉するようになれば、僕は。

 少しスピリチュアルで、抜群の美人で。つまらないほどに従順ではないし、厭うほどに反抗的ではない、良き友人を手に入れることになる。

 僕は立ち上がり、その判断を保留した。あとは彼女がどうするかだった。だから、僕は信じている。エンタクトという少女が、自分だけの本物を見つけることを。

 捻じれてしまって達観した僕に、その問答はもはや過ぎ去ったものだったのだ。僕にはもう、そうやって悩んでやれるような大層な命題がない。

 背後から掛けられた声に振り向いた。

「貴方も、信じてみたら……?」

「今更何を信じる。僕は、自分が信じたものだけで僕を作ってきた。」

「彼女たちのこと、信じてあげられないの。」

 振り向いた僕の視線と、彼女は意図的に視線を逸らした。僕は彼女を睨みつけただろうか。いや、それだけで目を背けるほど、可愛い女ではないか。であれば、僕は一体、どんな目をしただろう。

「貴方が信じれば、それは本物になる。その本物は、貴方が苦しんでるこの状況を、変えられるんじゃない。」

 もう見飽きた合わせ鏡。しかし、片方の鏡は、既に割れている。僕が手を付けなかった一杯の水が、その鏡に映っている。

「この状況を変える、という点では正解だ。僕はラザロ教団とロス・アンタニオス、そしてグランナダラ・カルテルを壊滅させることに決めた。殺せる限りの適合者を殺して、僕が玉座につく。」

 僕は、君たちの肌に触れないことにした。君たちの一番には、ならないことにした。

 君たちを、信じないことにした。

 そうすれば、君たちは傷つかない。


「僕は、全部一人でやる。」



───セルナ誌 某日更新記事より引用 著:ヘルプス・コルネラス編集長


 グランナダラを焦土と化したあの日から、今日で一年が経とうとしている。

 メヒクト合衆国を中継してアメリクス合衆国に流れ込む魔薬の量は、一年前と比較して約三倍にも増加している。DEAと国境警備隊による国境線での取締強化は、半年前に国境線摘発件数の三割減という形で成果を見せたが、その後の調査で明らかになったアメリクス国内での魔薬押収量九割増という後日談のお陰で眉唾物となった。

 長くセルナ誌と共に魔薬カルテルについて取材してきたアメリクス人のジャーナリスト、アンフェルは、グランナダラの治安改善とメヒクトでの抗争の鎮静化を見て、魔薬ビジネスの過渡期を提唱した。

 曰くそれは、魔薬ビジネスが一つの帝国となる時期であり、そして、新たなる黎明期へと続く時代であるという。

 それは、国境線で摘発される魔薬の量が減少したことと併せて考えられる。互いに覇を競い合うカルテルの密輸手段は、巧妙化し、一見アメリクスへの魔の手を封じたように錯覚させる。しかし、それはカルテルが暴力に割いていた資金を密輸に充て始めたということの証左にもなり得るし、暴力が必要なくなった原因についてを推測する手段ともなる。

 我々は、この終わりのない戦争に、”魔薬戦争”という名を授けることにした。そして、その戦争はひと時の休戦を見せたのだ。


 それは、とある男の決意によって成されたものだと、私は考えている。

 その男は、かつて凄腕の死刑執行人(エンフォーサー)としてマフィアに仕え、やがて魔薬カルテルを設立するに至った異例の経歴の持ち主だった。彼が作り出したカルテルは、メヒクトやグランナダラで抗争を繰り広げるそのほかのカルテルと変わらない、一勢力に過ぎなかった。そんな男のとある決断が、グランナダラに火をもたらした。

 男の名はリゼルキルト。リゼルキルト・カルテルのボスにして、現在の魔薬至上帝国の帝位につく、唾棄すべき男であった。

 彼はある日、セルナ誌の事務所に訪れ、魔薬カルテルについての意見を求めた。初めての事ではなかった。彼はふらりと事務所に来ては、私が口汚く罵るのを満足そうに聞き、時たま、私の部下を死体に変えた。

 しかし、その日は違った。一年前、グランナダラが炎に呑まれた日の、その、数日前であった。

 彼は私に、とある独り言を言った。その上、その秘密についてを、彼は一切秘匿する必要はないと言った。彼は、私に笑みを見せなかった。それは不気味でもあり、恐ろしくもあった。

 彼が何かを決断したのだと、私はそのとき悟った。

 グランナダラを決戦の地として、ラザロ教団、ロス・アンタニオス、グランナダラ・カルテル、リゼルキルト・カルテルの一日限りの決戦が行われた。私は彼の決断の意味を理解し、そして、私に吐いた独り言についてをこうして書き記している。

 彼は言った。”叩き潰すほかない”と。

 そして同時に”もし、この戦争が終わるのならば、”とも言った。自分たちが放った火の熱に焼かれ、その末路についてを想像しない、愚か者の戯言であった。しかし私も、どうか、そうあってはくれないかと思った。

 魔薬戦争は、有史以来初めての戦争の形態であった。根底にはビジネスがあり、イデオロギーは存在しない。これまでの犯罪組織の隆盛では起こり得なかったことが、当然のように起こった。縄張りを支配していた組織が、こうも瞬く間に衰退し、あるいは解体され、殲滅され、勢力図を書き換えられる戦争は、これまで存在していない。そして、どんなイデオロギーも持たずに、こうも長期化した戦争を、私は知らない。

 アメリクス、ひいてはこの世界に存在するどの国家も、彼らの存在を軽視しすぎている。彼らはカルテルのことを、まやかしの快楽に溺れる一犯罪組織程度にしか思っていないだろう。そうではない。彼らは、まやかしの快楽に溺れるあまり、この世界に暴力の帝国を築き上げてしまった、滅ぼすべき存在であるのだ。

 それについてを思い起こすために、そして、改めて全世界に警告するために、私は病床にてこの筆を執る。

 本誌では、一年前に起こった四大魔薬カルテルによる全面戦争と、その結末についてを語る。その戦争については、市井に知れ渡った名前があるため、その名を用いる。

 リゼルキルト・カルテルの暴虐、つまりは───”グランナダラの火”について。

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