Ep.61『断頭台』
「今日はここで野営する!一班は周囲の哨戒を、二、三班で設営しろ。設営は三分割、設営・兵站・調理に分ける!」
視線だけで了承し、各々動き始めるアビレス。それに追従するようなゼータ。やはり、こういった部隊行動の練度では、ゼータはアビレスに全く足りていない。そしてそれは、それぞれの隊長間においても当て嵌まる。
「ベートさん、貴方はここです。指揮する側の貴方が加わる必要はない。」
自分も歩いて行ったベートに、ゼリタが目敏く言葉を飛ばす。無視しようかしまいか悩んだのか、ベートはしばし立ち止まり、「ぃー!」っとよくわからないジェスチャーをして歩いて行った。多分威嚇。
「先は長そうだな。」
「アンタニオスさんが言ってくれれば多少は聞くんでしょうが……それでは、意味がありませんね。」
流石は、というべきか、彼は、僕がこの作戦に求めていることを、言わずとも理解していて、その通りに完遂させようとしている。
こういった忖度というのは、規律に縛られ身動きが取り辛い軍隊においては困難なことかと思っていたが、むしろ規律に縛られているからこそ、直接言えない上官の意図を汲む必要があるのかもしれない。彼のそれは、一般企業の中間管理職よりもよほど苦労性な形で完成している。セスタが愚痴で溢した社内統制の話を思い出した。
「何か方策はあるか?ゼリタ。」
「……多少乱暴でよければ、手っ取り早いのが。」
「ほぉ。やってみろ。」
「では、野営の準備が済んだら。彼女の獲物は───」
「最新型のMSCSだ。超近接戦闘向き。」
「では安心です。」
「あぁ、そうか。あんたはゼータの教え子だった。」
焚かれた火の微かな明かり。要所に設置された野営用の電灯。集会用に少し開けておいたスペースで、哨戒任務と歩哨任務に就いている連中以外の全員が集結していた。
───模擬戦、か。
───えぇ。ゼータもアビレスも、互いが互いを意識している。その溝を取っ払うのに、こんなにもおあつらえ向きなのはないですよ。
模擬戦用の非殺傷性魔法カートリッジ。ショートレンジショックウェーバーレプリカと、その動作確認にトリガーを引いたゼリタ。照準が完了し、彼の拳銃型MSCSが微かな光を灯す。そして、引き金から指先が離れたことで沈黙する。
対するベートは、頭の方から足に向かって、関節を徐々に伸ばしていき、最後に腕をぐるりと回した。
───うちの隊長の戦闘スタイルは、奇しくも僕と同じなんだ。超接近戦、超白兵戦。トリガーを引く前にぶん殴り、関節を極め、ここぞというときに魔法をぶち込む。
ゼリタに指名された隊員が、アビレス、ゼータのそれぞれの隊長の間に入り、やがて小さくハンドサインを出す。空間を縛り付けていたような抑圧が霧散し、今この瞬間から、この場所を戦場へと変貌させる。
───では、俺もそれに合わせましょう。
───まぁ、そうしなければ試合にならないか。
───えぇ。致死性の魔法は?
───勘弁してくれ。
ゼリタの引き金が沈み込む。一瞬の踏み込みで相手に剣先が届く距離、照準という時間をその距離に当てはめれば、彼の魔法が結実するより前にベートの先手が叩き込まれる。それを、ゼリタが理解していないはずがなかった。
飛びあがったベートの脇腹で、衝撃が爆ぜた。
「うぎ……っ、ったいなぁ……!」
吹き飛んだベートが薙ぎ倒したテント。その天幕をひっぺがして、同時に纏ったベートが、戦場を取り囲むオーディエンスの中を駆け巡った。翻るそれは、格好の照準の的だ。しかし、目で見て照準するMSCSが、その布の中にいるベートを直接照準できる道理はなかった。
光源と光源の間、微かな闇の中、そこで足取りが途絶える。人間的な動きを失った天幕が、ふわり、地面に落ちた。
たなびく布を、きっと僕らは照準していた。故に、その視覚の単純さを逆手に取られる。興味のミスディレクション。天幕を纏わず身軽になったベートのただでさえ小さな体躯が、天幕という比較物を経た後の反動で更に小さく、見つけづらく。
───それと、うちの隊長は結構えげつないところがある。
観衆の中にいたゼータの隊員からナイフをかすめ取り、その煌めきだけがこぼれ出るように闇から出でる。音のないその凶刃は、ゼリタのうなじめがけて振りかぶられる。煌めきが、流線へと転化する。
「なるほど、えげつないところ、ですね。」
視線を投げてやるまでもなく、肩越しに背後を指したゼリタの銃口。引き金は軽い。肩に担ぐように差し向けたゼリタの銃口が、寸分違わずベートのナイフを弾き飛ばした。素手でゼリタの背後を撫でるだけになったベートの手首を、ゼリタが掴んだ。
「ちっ……は、なっ、せ!!」
尋常ではない力で握りしめられた手首。ぎりぎりと絞られる己の手、ベートの悪態に構わず、ゼリタはベートを背負い地面に叩きつけた。べきょ、と水分が混じった奇妙な音が響き、ベートの口から嗚咽と共に唾液がこぼれる。
容赦はなく、躊躇もない。間髪入れない追撃の拳。人の頭など容易に叩き潰してしまうだろう棍棒のような浅黒い腕が、水を流されたようにぶくぶくと膨れ上がり、その筋肉の隆起が、ベートの顔面に迫る。
───だが安心してくれ。度胸もそれなりだ、あの女は。
土を穿つ音。少なくとも岩盤を割ることはなかったが、拳大のクレーターを作り出すような一撃。すんでのところでそれを避けて見せたベートは、べ、と舌を見せて、額から流れてきた血がその表情を少しばかり染める。
目前にあったゼリタの腕に組みつき、どんな身のこなしか、ベートの矮躯は蛇のようにゼリタの首元へと昇っていった。
流麗な動き、しかしその狭間に、致命的な空白があった。それは、あるアクションと、あるアクションの繋ぎ目。あるいは綻びである。相手の首を極める、という目的のために起こされた行動に、突如変更された目的が一拍の当惑を生む。
つまり、彼女が拳に嵌めたMSCSの起こした綻び。振り上げた拳が、接触型照準のために、打撃の感触を求めている。そして、その一拍を、ゼリタは容易く解釈する。それは、敵が見せた腹だ。畜生が降伏したときに見せるような、服従のポーズ。あるいは、そこに至るための道筋。
拳がベートの顎を撃ち、突き抜けた衝撃がその歯根をベートの意思に関係なく嚙合わせる。がちん、と歯を鳴らすに飽き足らず、ベートの脳内を駆け巡った衝撃は、彼女の脳髄を頭蓋の中でバウンドさせ、混乱した三半規管が耳鳴りとともに平衡感覚を狂わせる。頭上に突き抜けていく衝撃の味、それを、ベートは味覚どころか脳で直接知覚した。頭上で飛散した血液が、ゼリタの頭を血で彩る。
「接触型照準のために、締め技から打撃に移行した。あれは、誤作動防止のためにある程度強い力で接触しないといけないですからね。だが繋ぎ方がお粗末だ。目的地がはっきり見えている分、その中間地点での振る舞いがお粗末すぎる。」
ずるりと力を失ったベートの身体が、碌な受け身も取らずにゼリタの身体から転落する。奇妙な体勢で地面に落ちたベートを見て、ゼータの何人かが僕に視線を向ける。隊長への心配というよりも、この状況に収集を付けられるのが僕しかいないということだったのだろう。
「さて、終わりだ。それぞれ持ち場に───」
ゼリタに視線を向けると、彼の背後でベートがにんまりと嗤った。
つい数秒前だ。彼女は脳を揺らされた。ブラフじゃない。見間違えない。それが、なぜもう意識を取り戻している。思わず強張った表情、それを取り繕うのに、きっと一瞬もかからなかった。僕はこの模擬戦に関与しない。僕の表情を読まれるのだって、フェアじゃない。
だから。
「リゼルキルトさんに捧げます───」
恍惚の表情で立ち上がったベートは、相変わらず視線を僕に向け、その細腕をゼリタに差し向けた。
地に伏していたベートの身体と、ゼリタの背中。そこには、近距離とはいいがたいミドルレンジがある。その隔たりを、ゼリタという男が軽んじることはないだろうと思った。
気づいたゼリタが振り返る。そこに伴った銃口が、ベートの頭を狙う。
照準を終え、照門の先に見据えた景色───そこにいるはずの惨めな小娘の姿を逸する。
僕は、なんとなくゼリタに伝えていたことを思い出した。
───あとあいつは、投擲が巧い。
跳ねる矮躯がコンバットナイフを溜め、瞬時に撃ち出した。ナイフは、回転することなく一直線でゼリタに飛んでいき、中距離故にほとんど減速しなかった煌めきは、ゼリタの引き金を重く縛り付ける。咄嗟だったのだろう、回避を選択したゼリタ。避けられたにも関わらず、ゼリタとの距離を詰めるベート。
ゼリタが完全な接近戦、もっと言えば締め技に持ち込むことを決めたところで、ベートは軽やかに飛び上がり、ゼリタの目線の少し上で身をよじった。
僕の首に寸分違わずに飛んできたナイフを、アンタゴニストで弾き返す。ベートが放ったものだった。彼女が僕に何かを投げるときに狙う、寸分違わないコントロールの賜物。仕方なく、弾き返す方向に忖度した。
無手で飛びかかってきたベートの対処は、ゼリタにとって児戯に等しいだろう。
だから、ベートは虚空を掴む。闇の中、微かに煌めいたそれを、掴み取る。夜闇という鞘から引き抜いたように、僕が弾いたナイフがベートの手中に現れる。
少女の瞳に光が宿る。
「ッ!どこから───!」
咄嗟に右腕で庇ったゼリタ。その腕に刃先が突き立てられる直前、ナイフの軌跡は管制を失い、あらぬ方向を空ぶった。
「っ……!」
やがて、ナイフの切っ先がゆっくりと滑り、虚空を掻きながらぽとりと落ちる。それを操った少女の腕も、それに追従するように折れて、べしゃり、と顔面から倒れ込む。
「効いてないんじゃないかと思ったが、流石にそんなことはなかったみたいだな。」
「……はい。肝を冷やしました。」
呆れたようなゼリタが、地面にへばりついて離れないベートの背中を見る。
「さぁ、本当に終わりだ。今日は眠ろうか。」
ベートを拾い上げて担ぎ、ゼリタに言った。
「えぇ。そうしましょう。」
「うぅ」とうめいたベートの空っぽの手が、僕の胸を叩いた。
「ころすぅ……」
夢の中では、あのナイフを突き立てられただろうか。明日目が覚めたとき、聞いてみようと思った。
*
翌日から、ゼリタの目論見通りゼータとアビレスの溝のようなものは、多少埋まったようだった。
そもそも戦闘の心得があった者は、アビレスの者に教えを請い、金に糸目をつけないカルテルのMSCSについてを、アビレスの隊員たちは珍しがった。ゼリタも、見込みのありそうなゼータの者たちを見繕い、それぞれの部隊を再編した。もちろん、ゼータとアビレスの混成部隊だった。
アビレスの隊員が行った様々な講義は、ゼータにとってはもちろん、僕にとっても意義深いものだった。
彼らは戦闘にマニュアルを用意していて、MSCSや適合者の存在によって多岐にわたる対応方法についてを、どう取捨選択するか、その判断基準についてを詳細に設計していた。
兵站や輜重に分類されるような食糧や備蓄、輸送手段についても通じていて、森の中で狩りをしたり、手ずから浄水装置を作ったりした。狩りにはもちろん魔法は使わなかった。使えば、標的は食える肉すらまとめて木っ端微塵である。
バックパックの整頓方法、と題された講義では、バックパックに物品を収納する順番から、その理由までを、微に入り細を穿つ丁寧さで網羅した。アビレスの隊員に頼んでバックパックを見せてもらうと、パズルのようにぴったりと整頓された収納スペースの中で、ナイフや小型のMSCSなどが、すぐさまに抜けるように配置されているのがわかった。もちろん、MSCSの入力物理ボタンに干渉しないような配置になるよう工夫されていた。
順調に宥和する両部隊の中で、しかし、ベートだけは、つまらなそうに空を眺めるばかりで、ゼリタもそれに構わなかった。
───彼女たちには見るべき背中がない。
ゼリタが言ったこと。
ゼリタの目的地には、きっと、あの片足の亡霊がいる。しかし、ベートの目的地にはそれがいない。
アビレスとゼータが多少なり上手くやろうとしている中で、ゼリタとベートが通信障害を引き起こしているのは、きっとそれが原因だった。目的地までなりふり構わずに走り出すベートは、その過程にある種々の行動が杜撰で、その狭間から現れる不確実性についてを、ゼリタは良く思わない。その上、ふたりは目指す場所が違う。
行軍は三日を予定している。今日が過ぎれば明日は、メヒクト支部に帰るだけだった。
そんなとき、およそ人の顔面を平手打ちした以外では発生しえないような音が響き渡った。
僕が思い出したのは、前ゼータ隊長の、無残な最期だった。信じてみる。遠ざけないでみる。僕は彼の死を、そのシミュレーションの結果だと捉えているようだった。僕が信じ、遠ざけず、死を許諾したから、彼はあんな死に方をした。そして僕は、やっぱり駄目かと呟く。
「お前でも駄目か、ベート。」
林を抜けた場所で、ベートとゼリタが佇んでいた。
僕を一瞥したゼリタは、瞠目して首を振った。それで、おおよそ何が起きたのかわかった。
ベートの小さな掌が、彼の頬を張ったのだろう。なぜそんなことが起こってしまったのかはわからなかったが、まぁ、ある程度想像することはできた。
僕の想像を、当のベートが答え合わせしてくれる。
「お前が誰の背中を見てるとか、ベートにはその資格がないとか内心馬鹿にしてんだとか!マっっっジで全部どうでもいい!」
血走ったベートの眦が、ぴくぴくと震えていた。それが、どれほどの鬱屈を経た発憤だったのか、計らずも知ってしまう。あの愛玩動物のような振る舞いの根底。一貫した彼女の信条が、今、その言葉を話させている。
「そのゼータってのは誰なんだよ!いるんならここに連れてこい!そいつがそんなに偉いのかッ……!?戦場に出張ってこられないような奴に、ベートの何もかもをとやかく言われる筋合いなんかない!」
「アンタニオスさんが、そう望んでいたとしてですか。」
「あの人はそんなこと言わないッ!!あの人がベートを選んだ、あの人がベートに、死ぬ許可をくれた!」
「それじゃあ、本人に聞いてみるといい。ゼータの言葉をなくしては、俺はもう貴方にかけられる言葉がない。」
お前ならばもしかしたら、上手く彼の片足を務められるんじゃないかと思っていた。上手くやってくれるんじゃないかと。
でもそれが僕の見込み違いだったとしたら、それは。
「がっかりだ。」
ベートは、ひゅ、と喉をすぼめ、掠れた空気を呑み込んだ。
機械仕掛けの人形みたいに僕を振り返ったその表情に、彼女の裏側にある酷薄さとはまた違った、凍り付いた表情がある。
「片足の移植手術は大変だったか?ベート。免疫反応は拒絶するだろう。新しいものを拒むだろう。だが、お前は片足でやっていけるほど強いのか?」
僕は思い出す。片足でもバランスを崩さなかった男。僕が、もう一度やれと言われれば、絶対に勝てないだろう相手。
「ゼータだって、僕と戦う時には両足を使った。お前が、ゼータより強いとは思わない。」
「っ……!」
膝を折ったベートはその小さな拳を地面に打ち付けた。
「くそ、くそ、くそくそくそくそくそっ、……っ」
地面を打つ音が積み重ねられていく。その拳を覆っていた皮膚が剥がれ、切り裂かれ、露出した血液が飛び散る。肉がひしゃげ、筋肉が絡まり、骨が現れ、そのボロボロの拳が、再度、地面を打つ前に。
「もう、やめたほうがいい。」
その手を掴んだゼリタが、ベータを嗜めた。
「お前らが、……お前らが!誰の背中を見てたってどうでもいい……!くだらない!ベートは、ただ、一言言って欲しい、だけなのに……」
血まみれの腕を振って、ベートはゼリタの手を払った。飛んできた血液が、僕の前の地面にへばりついた。
「ねぇ、リゼルキルトさん……ベートのことは、そんなに、信じられないですか?」
出会ってまだ一か月だ。それが、何を信じろというのか。ゼータという人間の言葉に裏打ちされないお前のことを、僕は、どう判断できるというんだ。
「ひとりでやるしかない。」
頭がおかしくなりそうだった。
この屈折しまくった重苦しい頭を、誰か、切り落としてはくれないか。刎ねてくれないか。
そうしたらきっと僕は、この、面倒くさい二択のことも、アンピュテーションできるはずだ。




