Ep.58『アイスクリーム屋さんの美人姉妹』
ゼータの連中からの集中砲火を受けて、ティミスは補充したいくつかの肉壁を使い潰しながら撤退した。ご丁寧に、対MSCS装甲を積んだ車で。
隊長が死んだ。その死に様も知らされず、もちろん看取ってやることも出来なかった。それは、ファミリアの特殊部隊であるゼータにとって、どれほどの損失だっただろう。
暴力が。血と暴力が、ファミリアをファミリア足らしめていた。それが、目の前で瓦解する。それは、信仰の喪失と等しい。
爆ぜた車の放つ炎の音だけが、街路を流れていく。
皆が一様に、視線を伏せている。
遅れて到着した連中への説明すら、誰も買って出ることはない。
彼らの胸中にあるのは、一体なんだろうか。それは絶望、あるいは怒り。もしくは、まだ混乱から脱していない者もいるかもしれない。しかしそれでも、誰も、僕を見ない。
その視線に含有されているのがどんな視線だったとしても、僕がどう受け取るのかわからないからだった。それが僕への非難だったとしても、そうでなかったとしても、僕がそう受け取れば、僕は無礼な部下を殺すことができる。そうすることが許されている。
ともにアメリクス-メヒクト国境にアタックをしかけた、同士だった。僕が継いだ特殊部隊ゼータを、預けた男だった。
アスファルトに塗りたくられて、臭いに誘われてきた野犬や蠅のような畜生につつかれる染み。それが、ゼータの隊長だったものだとは、誰も思えなかった。思いたくなかった。
「リゼルキルトさん。」
「……ガキが、なんでここにいる。」
やっとのことで立ち上がった僕を、ころころと転がるような、あどけない声音が呼んだ。
それは、ゼータ最年少の女、確か名前は───
「ベートは、その……リゼルキルトさんと隊長の、そう、支援に……!」
「奴は死んだ。」
「……へ、……なんで」
この場にいる連中の鬱いだ顔が見えないのか、はたまたそんなことを気にしたことはないのか、純粋無垢なガキのような笑顔が、僕の言葉で凍り付く。凍結した声帯から、消え入りそうな不協和音が漏れる。
「なんで……隊長は、……隊長は……」
ベートの肩を、別の隊員が押しのけた。半ばどつくようなそれに、華奢な少女は二、三歩とたたらを踏み、俯いた。
隊長の死にざまを見届けた連中が、ベートを見ていた。僕には向けられないタイプの視線を、都合よく表れた的に無遠慮に突き刺していく。舌打ち交じりに、ベートをどついた隊員が糾弾する。
「見て分かんねぇか。やっぱおかしいよ、お前。苛つくから、そのキンキンした声で喋んないでくれ。」
肉を打つ破裂音。成人男性の、それも、その中でも鍛え上げられた渾身の筋肉を持つゼータの隊員である男が、手加減すらなく振るった平手打ち。
ベートのような体格の普通の女だったら、首の筋をやられていただろう。生憎、ゼータの一員である彼女は、鼻血を一筋垂らすのみで収めた。
苛立っていた。焦燥していた。
「やっぱり、駄目か。」
ベートの隣にいた男を殴り飛ばし、顔面にめり込んだ拳が不快な粘性の感触を得る。
「り、リゼルキルトさん……っ」
鼻血を拭ったベートが、僕の固めた拳を掴んだ。隆起した筋肉から、ゆっくりと力が抜けていく。
世界の全てに甘やかされたような顔をした女。まだ成人もしていないそのみみっちい身体が、一体どんな感情を湛え、どういうつもりで僕の名を呼んだのか。知ろうとも思わなかったし、知りたいとも思わなかった。
「僕が、一人でやるしかない。」
僕の腕を掴んだベートが、口の端を歪めた。気がした。
視線を戻すと、水をかけられた愛玩動物みたいな顔が、上目遣いにこちらを見ている。
「リゼルキルトさん。」
「そんなに何度も呼ばれなくてもわかる。」
「はいっ……あの!」
ベートは、明確に笑みを象った。
「ベートなら、ああはならない。」
小さな少女の華奢な顔面に、吐き気を催すような酷薄な表情が張り付いていた。
*
僕らと同じ戦場にいたゼータを帰らせて、なんとなくベートを連れて別動隊を待った。連絡によれば、入り組んだ裏道から行った道程が幸いして、彼らはラザロ教団の妨害に遭わず、結果的に最短時間でアイスクリーム屋まで辿り着いたらしい。
まだ隊長の死を知らない連中の繰る車に乗り込みながら、思考した。
奴らはメルとルムに手を出した。バルデリーニ・ファミリーから引き剥がし、かつての平穏を取り戻した姉妹。
互いが互いの全てであるあの姉妹を、僕はファミリアにもカルテルにも関わらせなかった。構成員として迎え入れもしなかったし、取引に立ち会うことも、魔薬に触れることも許さなかった。
全て、メルの語った夢のためだった。
───……嘘でもいいからさ。助けてやる、って。言ってくれてもよかったじゃん。
───そしたら私、心置きなく、君とアイスクリーム屋さんをする夢が見れたのに。
もう二度と、あんな顔をさせないために。あんなことを言わせないために。
───ルムと、君と、私で。
彼女に、もう、二度と。馬鹿な姉と、馬鹿な妹。あの馬鹿な姉妹に。
馬鹿な姉に、もう二度とあんな顔をさせないように。
馬鹿な妹の方に、もう二度と───
「遅い……リゼルキルト。」
ゼータの女の衛生兵に手当をされながら、ルムが僕を睨んでいた。
姉妹を襲撃したのは、ラザロ教団の構成員で、その中に適合者はいなかったらしい。となれば、ルムが簡単に負けるわけがなかった。
彼女の隣に投げ捨てられた長物のMSCSが、敵の返り血で汚れている。メルを下がらせてルムが応戦している間に、ゼータの連中が敵を殲滅した。
敵の妨害を潜り抜けたゼータの奴らが急行しているその間、ルムが一手に引き受けた敵の攻撃は、その細すぎて心配になる体に克明に刻まれている。
いっそ不健康に見えて、その実彼女の冷たい魅力に一役買っている綺麗な肌が、今は擦過傷と打撲痕、流血によってでこぼこにされている。
姉を救うと言っていながらこんな襲撃を許した僕に、ルムは怒るだろうと思った。彼女に許されない罪が、二つに増えると思った。
姉を殺そうとしたこと。姉に危険が及んだこと。一生許さないと思う。また、ルムにそう言わせてしまうと思った。
それなのに、ルムは平気そうな顔で僕に事の顛末を聞き、「ボスって……大変」と呆れたような顔をしただけだった。
「すまなかった。お前の姉に、また、こんなこと。」
「いい。お姉さまには指一本触れさせてない……怪我もしてないし、戦闘も見てない……安心して。」
追撃の可能性も考慮して、ルムは姉を部屋から出すことを許さなかった。メルは未だに、バックヤードの一番奥の部屋で、万全を期して隠れている。
「もう二度と、あいつに、あんな顔をさせない。そう、するつもりだったんだ。」
今となっては、それは身の丈に合わない矜持で、その結果がこれだった。魔法によって抉られた地面や建物。散乱する死体と、周囲を警戒するゼータ。ファミリアからも、カルテルからも遠ざけ続けた。それでも、こうして暴力は追いすがってくる。この姉妹を、いや、そうじゃなかった。僕だ。
僕に憑りついた、血と暴力の病。それは、もう二度と寛解することはなく、この世界に生まれ出でてしまった。
僕がこの姉妹の近くにいる限り、その病はまた、今日のようなことを引き起こすだろう。それが定めだ。そういう風になるように、僕と、アステアが選び、セスタがデザインした。この地獄を。
メルは、退屈そうに地面を蹴り、巻き方の甘かった包帯のあそびをぎゅっと引き結んだ。
「私も、そしてお姉さまも。貴方に救われると決めた時点で、貴方に、ついていくと決めた時点で、……これくらい、覚悟してる。」
ルムは、尚もつまらなそうに語った。なんでもないように言うそれが、むしろ彼女の本心を表しているようだった。
「傷つかないで……遠ざけないで。」
貴方に遠ざけられたら、お姉さまは悲しむ。そう呟いたルムの声音は、姉を語るときのそれになっている。
包帯に滲んだ血と、粉塵に汚れた頬。少しだけ僕との距離を詰めたルムは、その傷だらけの腕を僕の膝に乗せた。
「私たちが傷つくことを、恐れないで。」
僕が考えていたことを読んだのだろうか。僕のまわりには、わかりやすい女が多すぎるから気付かなかった。そうやって読心するのは、女の専売特許じゃないか。
僕はこの少女に、何度も、いろいろな感情を悟られてきたじゃないか。
君たちを誰にも傷つけられたくない僕が、お前たちを遠ざけて、一人で地獄を歩いていこうとしているのを、お前は、手に取るようにして読心してしまったんだ。
一人でなにもかもやれてしまえば、一つだけの足で立っているようなそれは、きっと理想的だ。高層ビルのように頑強で、自分だけで自分を支えることができる。
色々なものに支えられてしまえば、そのうちのどれかが失われたときに、僕は容易にバランスを崩す。瓦解して、黒煙を吐き、墜落する。
僕はそれが嫌なんだ。だから僕は、光に憧れたんだ。
でも、それが許されないというのなら。当のお前たちが、そうするなというのなら、一体僕は、どうしたらいい。
僕は、アステアに巻き付いたあの日の呪縛を、まだ直視できずにいる。僕は、膝の上に置かれたルムの腕に、触れられないでいる。
傷つけてしまうのが怖い。傷ついて欲しくない。君たちの肌に触れられない僕は、君たちに愛を与えるために、それを撫でてやることも、抱擁することも、慈しむことも出来ない。
メルのことが思い浮かぶ。君の肌に、僕は未だ、触れられない。
「メルはまだ、僕を好きでいてくれると思うか?」
「……自分の妹に、そんな情けないことを聞く男……普通は幻滅する。」
「あぁ、そうかもな。」
「でも、」
自嘲した僕の言葉に被せて、ルムはいつか言ったようなことを口にする。
「貴方は……特別。」
「そうか。」
「うん。……きっとお姉さまなら、……その女々しいところも、ちゃんと愛してくれる。……貴方には、愛される気がないみたいだけど。」
「耳が痛いな。」
メルからの求婚を断ったことについては、一心同体ともいえるルムにも知られているだろう。そうだ。あのときもう僕は、その愛情から目を背けていた。
「忘れているみたいだけど……お姉さまは、歴とした元マフィア。こんなので、動揺したりしない。」
「僕は、そうなってほしくないんだ。もう、お前たちを元マフィアだなんて思わせたくない。」
「でも過去は消えない。……貴方にだって、過去がある。だから貴方は、バルデリーニを殺した。」
バルデリーニの名を口にしたルムは、そいつが死んだあとであっても嫌悪を隠さなかった。彼女に過去があるからだった。
そして、バルデリーニを殺した僕の決断は、僕の過去に起因する。フラクタルという過去を、この現在に蘇らせる試み。それが、僕に引き金を引かせた。
「私達には過去がある。綺麗な景色を眺めていた過去、それを壊された過去、血みどろの世界にいた過去。それと、───」
「あぁ。」
「貴方に、救われた過去。」
ルムは、無意識にだろう。背後を気にかけた。自分の姉がいる方。
「言うのを忘れてた。お前が無事でよかった、ルム。」
隣で地面に置かれていた、ルムのMSCSを拾った。彼女の腕に触れられなかったから、彼女が愛用しているその銃を手に取った。
僕はきっと、情けない顔をしていた。自分が救ったと思って、救いきれていないんじゃないかと苦悩した女に、こちらが救われたような気になった。弱々しい笑みは、きっと救世主の顔じゃなかった。
「ありがとな、いろいろ。」
ルムは、少しばかり目を瞬かせて、「ぁ」とか「ぇ」とか声を漏らして、結局「いい。全然……」とそっぽを向いた。
それでも、彼女の中で消化できなかった何かは、結局その顔をこちらに向けさせることになり、珍しく強張ったルムの声音が、僕に訊いた。
「貴方が救ったのは、……大事にしてるのは……お姉さまでしょ……?私は、……その添え物に過ぎない。」
ルムのその認識は、図らずも彼女が何度か口にしていたものだった。
特に、僕が美人姉妹と揶揄したときにそれは顕著で、彼女は瓜二つの姉の顔を褒めそやすものの、自分の美しさに無頓着だ。そしてそれは翻って、”メルの妹”としての自意識が、ルムという個人としての自意識を淘汰しているということでもある。
「心外だな。僕は確かに口にしたはずだ。僕はお前と、お前の姉を救ってやると言った。そこに、ルムという人間が含められてないもんか。」
「で、でもっ……だって!」
「あぁ、珍しく声がでかいな。」
「っ……!」
今日は随分と表情が豊かだ。いつもその調子でいてくれはしないかと思ったが、あの姉が二人に増えるようなものかと思うと考えものだった。
「貴方は……!ずっと……お姉さまのことばっかりで……!私のことは、なんとも……むしろ、……苦手そうだった。最初にファミリアで会ったときも、……ここに遊びに来るときも、……貴方は、お姉さまのことしか聞かなかった。」
「お前と喋ってるんだから、お前の調子はわかるだろう。それに、最初の頃の話をするならお前の態度の方が最悪だった。」
僕がぶん投げた日記帳を掴んだルムが、最初に僕に向けた目線の冷たさを思えば、僕が発揮した不愛想さなど取るに足らないものだったはずだ。
いや、日記帳をぶん投げてくる方が凶悪だろうか。あれはやかましいジジイを目がけて放ったものだったから、と棚上げした。
「それじゃあ……貴方は……っ。……お姉さまだけじゃ、なくて……私のことも……その……」
私たちが傷つくことを───と言ったルムは、自分が僕にとってどういう存在なのか、ちゃんとわかっているものだと思っていた。僕は別に、メルを救ってやるために仕方なくお前を守ったんじゃない。メルの幸せのために必要な部品として、お前を欲したわけじゃない。
それにむしろ。
ゼータに聞かれたのを思い出した。あの姉妹の、姉と妹、どっちがタイプだ?と、年甲斐もなく奴は聞いた。だから僕は答えてやったんだ。
「僕は最初から、妹の方がタイプだ、って表明してたんだがな。」
「っ……!私が……!お姉さまより魅力的なことなんて……絶対、ない……!」
最後は消え入りそうな声で、ルムは僕の膝に乗せていた腕を引いた。華奢な片腕。それが、敵を殴りつけ、切り裂き、この彼女の背丈の七割に達するようなMSCSを操る。
「ここが襲撃されたと聞いたとき、最初に想像した。お前たちだけで戦うことになったら、矢面に立つのはルムだ。それで、お前が戦うときに、MSCSを使わないはずがない。車の中でも握りしめて離さなかったような武器だ。」
僕の運転でこの国を駆けまわったとき、彼女はひと時も、その引き金から指を離さなかった。もちろんそれは僕への、ひいてはバルデリーニへの警戒と憎悪によるものだったが。
だから、こうしてルムが怪我を負い、メルが無傷だというのは、当然の帰結と言えた。
この場所に向かうとき、僕が一番最初に思った光景。そして、この馬鹿な妹に願ったことと、慚愧。
「お前の姉に、もうあんな顔をさせたくないというのと同じくらい。
僕はもう、」
ルムの細い手首に視線を這わせる。
「お前に、これを握らせたくはなかったんだ。」
美人姉妹の片割れの、華奢な細い手首には。銃なんかよりもよっぽど、アイスクリームの方が似合っている。




