Ep.57『僕』
「我がラザロ卿は、炎と共に蘇った。」
*
アンタゴニストに命じる。彼は応じる。
戦時状態に駆動し、唸る電子制御回路が微かに排熱した。奇妙なシルエットを象るMSCSが、剣へと変貌する。
「マツシマ、ゼータをいるだけ寄越せ。」
「っ、わかりました。」
「僕も行く。車を二、三台借りていくぞ。」
僕が万全じゃないときに限ってこれだ。まるで狙いすましたようなタイミングに、噛んだ犬歯が口の端を裂いた。
ゼータの隊長も、僕を呼びに来た男も動かない。僕がそういう風にした。彼らのトップは、あくまでマツシマだ。
「ゼータを小隊規模で。炙れた者は支援に回してください。采配は任せます。」
「わかりました。」
僕の意を汲んだマツシマが即座に命令を出す。駆けていくゼータの隊長の背中を、僕も追いかけ───掴まれた腕につんのめる。
「貴方も、行くと言いましたか。」
こんなときになにを馬鹿なことを。
思わず荒げそうになった声を収めて、存外力の強いマツシマの手を振り払う。
「僕が行かなくてどうする。これは、」
「貴方が行ってどうするというのです。その、明らかに満身創痍ですという顔で、易々と敵の目前に首を晒すつもりですか。」
マツシマを睨みつけた。彼も、僕を睨みつけていた。一瞬、その瞳が凄絶に陰る。思わず、息が詰まる。
「ゼータに任せておける程度の案件です。あるいは、アステア氏の領分だ。」
「あいつは薬理研だ。」
「しかし彼女は負けない。負けたとして、死んだとして、カルテルが立ち行かなくなるということはない。」
「お前───ッ」
殺す気で振り上げた拳。殺す気で打ち込んだ。
骨と肉がこすれ合い、皮膚が奏でる打撃音。僕の拳を軽々と受け止めて、マツシマは続けた。その拳骨は、彼のこめかみのそのすぐそばまで達している。
「直情的だ。芸もない。どうしたというんです、リゼルキルトさん。」
マツシマの指先を引き剥がし、ぶらりと垂れ下がる腕から、じんじんと熱い脈動が遡行してくる。
「貴方が行くのなら、絶対にアステア氏を連れて行ってください。でなければ、貴方はここに残る。そして、彼女なりゼータなりに任せる。まだサンドイッチが残ってますよ、少しそこで休んでおくといい。」
「うるせぇ……クソリアリスト。」
僕は普通通りにマツシマの隣を抜けた。彼は止めなかった。しかし、僕の背中に幾度も問いかける。
「なぜ、彼女たちを遠ざけるのですか。」
「なぜ、そうも信じてあげられないのですか。」
「なぜ、そうやって、いつも昂揚している。」
最後に、マツシマは言った。
「あの女は、まだ、貴方に力を貸してくれるのですか。」
*
キーを回して、エンジンがかかった傍からアクセルを踏み込んだ。粗末なギアの入れ方に、エンジンが不快な轟音を立てる。
なぜ、彼女たちと僕の関係性がバレた。この国を本拠地とする連中が勘づくならわかる。だが、奴らはメヒクトのカルテルだ。それが、わざわざこんな場所に。それも、懇意にしてる店に暴力を解き放つというのか。
マツシマの言う通り、あの場所を狙ったとて、僕が出てくる保証はなかったはずだ。まさか、奴らが僕とメル・ルム姉妹の関係性まで諜報していたとは思えない。僕らのソーシャルセキュリティは、そんなにも脆弱ではない。
「どけ!轢き殺すぞ!」
目の前に出てこようとした歩行者を怒鳴りつけ、アクセルを蹴りつけるように踏み込んだ。左足が憶えている。クラッチがクリックする一瞬に、シフトレバーががくんと「6」に入る。
片手でステアリングを握りながら、右手ではアンタゴニストのカートリッジスロットに触れている。一瞥して、ミリタリーロングレンジボマーが装填されているのを確認する。
車体は反対車線に大きく飛び出しながら横滑りし、タイヤがアスファルトを削り取っていく。規格外の摩擦熱によって灼け溶けたタイヤの合成ゴムが、白煙となって気化し、空転する後輪からわっとばら撒かれた。
路上生活者のダンボールの住処をぶち壊して、ボンネットの上を跳ねた硬貨と空き缶と空っぽの注射器。翻って吹き飛んでいくダンボールとシャツと天幕。
コンクリートよりは柔らかく、人体よりは柔軟でないいくつもの無機物を踏みつぶす音。慣性に依った車体の挙動は、やがてタイヤが生み出す摩擦力によってある指向性を持った運動エネルギーへと依っていく。
飛び出した道の先、その先に───メルとルムがいる。
「我がラザロ卿は、炎と共に蘇った。」
ふざけた服を着た男だった。
暗幕を頭からすっぽりと被ったような、黒一色の外套。微かな刺繍の意匠が、一体何を模しているのか、フロントガラス越しにはわからなかった。その男が一歩を踏み出すたび、首からぶら下げた十字架の反射する光がきらりと輝く。
男の前には、肉壁というべきか、十人ほどの人間がめいめいに立っており、その手には総じてMSCSが、その首からは、十字架がさがっている。なれば、僕はその壁を、ぶち壊すほかない。
扉を開ける。振り切った速度メーターをけたたましく震わせる車体から飛び上がった。
反転した視界の奥、凄まじい速度で突っ込んでいく車に、トリガーを引く。一段目。目を見張った肉壁の連中に、その車体の鼻先が届いたころ、トリガーを引く。音速は、爆炎を引き連れて現れる。
立ち上がった爆炎が車体を粉々に打ち砕き、吹き飛んだ助手席の扉が向かいの店のショーウィンドウに突き刺さる。ガラスをぶち破られ、ほとんどフレームだけになった車体が、その灼熱を撒き散らしながら空を目指し、炎を駆けのぼって中空で爆ぜた。
ガソリンの刺激臭と熱波が、地面に転がった僕の頬を突き抜けていった。
停滞はない。淀みなく立ち上がり、地面を蹴ったバネが僕を走らせる。路上駐車していたセダンのトランクを踏み込んで、二歩目で踏んだ車体の天井がひしゃげる。その反作用が、僕を羽撃たかせる。
残っていたのは、真っ黒の男と、その傍に控えていた三人。ホルスターから拳銃型MSCSを抜く。炎を飛び越えた僕の姿は、奴らの想像を超えていただろう。たじろいで照準もままならない連中の、その先頭の男に一発を見舞う。
爆ぜた男の左腕が、引き千切れて地面に叩きつけられた。着地の勢いをもう一人の肉で殺し、靴裏でごり、というくぐもった音がする。あばらがへし折れた音だった。
声を枯らさんばかりの悲鳴の最中、MSCSが発する機械的な銃声が連鎖する。その発端には、僕の引き金がある。
脇腹に空洞を作った最後の一人は、その衝撃に微か浮き上がり、続く魔法が彼の肩口を抉った。獣に喰いちぎられたようなずたずたの傷口から、思い出したように粘ついた血液が飛び出す。最後の一発が彼の頭上でぎゅるりと軌道を変え、やがて、その首を完全に断ち切る様で可視化する。炸裂した魔法のその形、僕らには見ることのできないそれが、そいつの血液によって着色された。
一息のうちに三つの死体を生み出した僕は、少し遠くのところに見えた男に訊いた。ふざけた格好をした、あの男だった。
「こいつらも、蘇るか?」
びくり、と震えた男は、十字架を抱き、そして天を仰ぐ。
「か、……彼らは、……天に召されましたっ……我々の高尚なる天命に従い、主の御許に還る栄誉を与えられたっ……!」
男はピンク色の錠剤を取り出して、そうして、それを口に放り込んだ。
「ラザロ教団、教団会議が一角、ティミス大司教が、貴殿の命を貰い受けます……っ」
拳銃をホルスターに仕舞い、アンタゴニストに持ち替えた。
「甦れ、『鏡面閉架』。」
世界が一変する。
そこに、リゼルキルトがいた。
*
「くだらない……幻覚か。」
その世界には、背景という情報が存在しなかった。
鏡合わせになった一対の鏡面。その片側を覗き込んで、その奥に視線を伸ばすと、無限に連鎖した世界の奥には、もはや何かを認識できるような状態にない小さな鏡面がある。この世界に背景があるとすれば、それはまさしく合わせ鏡の最奥の景色であり、同時、極限化した”有”であるといえた。
先を見通せない霧が、もっとも近いだろうか。しかし、それとは似つかぬほど、この世界は透き通っている。
そんな世界の中で、唯一明瞭に、一切の情報を圧縮されず、等身大に映し出される存在がある。
それが、僕だった。
ゆっくりと歩いていくと、正面から全く同じ僕が歩いてきて、そして激突し、その背後で様々な方向へと歩き去っていく。背後を気にしながら去っていく彼らの挙動は、まさしく今の僕の挙動と同じだった。
その次には斜め前から、ときには直上から。歩き続けるたび、僕は、僕でない僕と出会い、そして激突し、やがて、その背中を見送った。
どれほど、そうしていただろうか。
なんとなく足を止めて、そして、目前に顕れた僕を見て、僕は辿り着いたことを悟った。
目の前に、仮面をつけたアンタニオスが立っている。
アンタゴニストを片手に、不気味な仮面をつけ、その半身は、返り血を浴びて紅く染まっている。一体それが、誰の血だったのか。僕には、一人だけ心当たりがあった。脳の奥の奥の奥の方で、可憐な、黄色い笑い声が聞こえた。
お前は、彼女たちを救った。彼女たちに愛され、信じられた。或る、師を得た。
「今の僕からしたら、他人のようだよ、僕は。」
『実際、他人じゃないか。アンタニオスも、リゼルキルトも。だから、僕らはこうして向かい合っている。』
仮面の奥から、くぐもった声が聞こえる。紛れもない僕の声。紛れもない、僕ではない声。
『僕は与えたいものを与えて、与えられたいものを得た。お前はどうだ?』
「あぁ、僕は───与えたがりで求めたがりで、お前ほど上手くはいかないな。」
こつ、と湿った音がして、視線を向けた先に、一杯の水が置かれていた。
君たちを危険に晒したくない。死んでほしくない。この、終わらない戦争に巻き込みたくない。この地獄に、踏み入らせたくない。
───愛は、求めすぎても、与えられ過ぎても辛い。
アステアの言った言葉が自然に浮かんできた。僕は、そのコップに注がれた水を分け合った時、君の愛を与えられたとき。確かに、嬉しいと思ったんだ。思ったはずなんだ。
僕は、君たちに愛を求めすぎているだろうか。ただ、僕に庇護されるだけのか弱い生き物であってほしい。そうして、何の危険も恐怖もない中、愛玩動物の愛くるしい求愛を捧げてはくれまいか。
君たちは、僕が無際限に与える愛に、溺れてしまっているだろうか。それが、なにがしかの嫌な形を伴って、その姿に、苦しみを感じているだろうか。
『僕が代役を務めるよ、リゼルキルト。だからお前は、少し休めよ。』
あってはならないことが起きている。
俯いた僕の視界で、僕の両腕はだらりと垂れ下がっている。
僕の鏡像は、いや、アンタニオスは、その片腕を吊り上げて、僕にアンタゴニストの銃口を向けていた。
『僕の師を殺したんだ。その報いを受けてくれ。僕はこれから、ゼータのコードを継ぐよ。僕は奴の、最後の生徒だ。』
引き金が沈む。アンタゴニストが、僕を照準した。
「さ、さらば……リゼルキルト」
僕の肩に手が触れる。震えた声音に振り向いた。ティミス大司教を名乗った男が、そこにいた。その背後に、何かが虚像を結んでいる。銀色の輝くような糸が、視界の端を掠めていった。
アンタニオスの背後に、銀色の君が立っている。
「あぁ、そうか。そうだな。僕がお前だったときは、力を貸してくれたな。」
『討て、『聖火の守護聖人』───』
愛おしきその名前を詠んで、立ち上る炎が僕の身体を灼いた。その熱すら心地よかった。
僕は見放されたのだ。アンタニオスが得たその力を、簒奪し、君の寵愛をかすめ取った。リゼルキルトには与えられないはずの君の愛を、僕は貪り喰った。彼女の愛は、アンタニオスに捧げられるものだった。
「愛してる。リゼルキルト。」
炎が掻き消える。
アンタニオスが仮面を外した。
───でも、その不格好な仮面の奥には、
そこに、アンタニオスがいた。
「君の愛を他の誰かに仮託してやるはずがないだろ、───フラクタル。」
僕が、この僕が、今、お前の背に彼女がいることを許した理由はなんだ。ルムが僕に言ってくれた言葉の意味はなんだ。僕が放り込まれたこのわけのわからない自問自答は、鏡面のその奥に埋葬された、無限の迷宮は一体、何を暗喩している。
バルデリーニのもとにフラクタルがいたことを知ったとき、あんなにも怒り狂った僕が、今、フラクタルの体重をそこに仮託したのを看過したのはなぜだ。
───アンタニオスは、リゼルキルトだよ。
お前が、僕だったからだ、アンタニオス。
お前は僕で、僕はお前。無限に連鎖する自問自答。そこに、答えはない。ループし続ける。合わせ鏡の結ぶ虚像のように、永劫、往復し続ける。
それは、やがてある一つの儀式となる。僕はお前で、お前は僕。彼女が愛を囁くとき、呼んだのは───
「僕だ。」
そうやって、僕は僕を自覚する。
「お前の師匠をぶっ殺しちまったのは悪かったよ、アンタニオス。でも……あいつは最後、心底愉快そうな顔をしてやがったぜ。」
『あぁ。そうだな。最期まで、憎たらしいジジイだった。僕は奴の、片足のZを継ぐよ。』
「それじゃあ僕は、両の足で生意気に立ちやがったゼータを継ぐよ。」
振り返る。ぐっしょりと汗をかいて、あり得ない物を見る目で、ティミスが嗚咽を漏らした。
『僕とお前。あいつも、本当はそうしたかった。』
「だから、最期は随分のびのびとしていたよ。」
きっと、二本足で立った方が、フラつかなくて済むんだよ。
声が重なる。虚像が重なる。
実像が生まれる。
アンタニオスが取り込んだものが、リゼルキルトが取り込んだものが。
アンタニオスが与えたものが、リゼルキルトが与えたものが。
アンタニオスが求めたものが、リゼルキルトが求めたものが。
全てが一つになり、僕の中に在る。
僕は、小さく呟いた。
『「撃て、聖火の守護聖人。」』
世界を塗り替える炎が、鏡面の世界を叩き割る。
*
パチパチと火花が鳴っていて、僕の背後で鉄くずになった車が無残な姿で燃えていた。
流れ出した血液が燻されて、形容しがたい異臭を放っている。
ティミスは、使い物にならない両足を震わせて、不規則な呼吸に喘いでいた。逃げようとする上半身が反射的に頭を引き、それに追従しなかった下半身のせいでどっかりと尻餅をつく。言う事をきかない両足をずりずりと引き摺って、大司教様の逃避行は随分と鈍足だった。
しかし、そうとはいえ僕の身体も限界だった。
片膝をつき、脳を貫いた不快感に吐瀉物を撒き散らす。血が混じったそれが、地面にべったりと塗りたくられる。
僕のその様子に気勢を取り戻したのか、ティミスは立ち上がり、そして真っ黒の外套の中に隠したMSCSを取り出した。
悪趣味な十字架を模した、そんなMSCSだった。
「主……っ、主は、貴方を導くでしょ、う……!」
まずい、そう思ってはいるのに、僕の身体に格納された戦闘基幹システムは再起動を拒否している。その首をへし折るためのオーダーが、致命的なエラーによって滞っている。引き金が絞られる───その、直前。
「リゼルキルトさん!」
僕の真横を駆け抜けた風。くぐもった掌底の音が、ティミスを吹き飛ばす。湧き上がった土埃が地面に叩きつけられ、打ち上げられるそれに引き寄せられる。
空中を泳いだティミスの身体が地面に叩きつけられるより前に、二度目の打撃がその顔面を捉える。微か、その衝撃を逸らしたティミスの銃口が、突然の闖入者へと向けられる。
魔法が結実するより、彼の拳の方が速かった。
連鎖した拳撃が、ティミスを地面に叩きつけ、ボールのようにバウンドしたそれを追撃する。
「ゼータ……」
現ゼータの隊長が、翻り、MSCSに魔法をつがえる。地面に叩きつけられたティミスに、それを迎え撃てるような手札はない。
しかし、適合者であるティミス大司教にとっては、そうではない。普通の人間と適合者の間にある、絶対的な差。
「待てッ───!そいつは!」
僕が言い切るより、ティミスの詠唱の方が速い。
「甦れ、『鏡面閉架』。」
螺旋にねじれて消えた二人の姿。息を呑む、一瞬の後。
揺らいだティミスの姿が、現実へと現れる。
その背後で、原形をとどめていない肉塊と血が、滝のように降り注いだ。
きっとそれを集合させて、繋ぎ合わせて成型すれば。
とある犯罪組織の特殊部隊の、その隊長一人分になるはずだ。




