Ep.56『僕』
「目、覚めましたか。」
四日ぶりくらいに聞いた声だった。
「どれくらい寝てた」
出した声が、思った以上に掠れていた。
「半日。よく知らないけど、期限のある仕事はもらっていくって。セスタ・クリスタルベリーから伝言。」
う、と思わず声を漏らした。キュルケーを使った後のように、セスタという少女の薬理作用が僕の感覚を鋭敏にしている。先鋭化した感情が、容易く動揺を悟らせる。
「珍しい───ふふっ……久しぶりに見た、貴方のそういう顔。」
僕を看病してくれていたのだろう少女───ルムは、そういってお上品に笑った。お前のそういう顔の方が、よっぽど珍しい。
質素な寝室の向こう側、いくつか挟んだドアの先、楽し気な少女の声が、客にアイスクリームを売りつけている。
僕好みのコーヒーを淹れてくれたルムのそれをありがたく頂戴する。恐る恐るといった調子だった僕の嚥下は、幸いなことにセスタの前で見せたような醜態を再演することはなかった。
食欲はない。おそらく血液も睡眠時間も足りていない。フラクタルは、未だに見えない。それでも、気分を適度に高揚させ、整然とした朝をもたらす生理活性を持つアルカロイドは、僕の受容体と満足に結合した。
だというのに、体の不調より好ましくない胸のつかえが、微かに呼吸の調律を乱す。
「何をやらかしたの。」
すぐに出ていくと思っていたルムは、意外にも僕のベッドの傍の椅子に腰かけて、商品のアイスクリームをちびちびと舐めた。
新たに突き刺したスプーンのそれが、ルムの手の熱を伝導して微かにアイスクリームを溶かすまで、僕は大変に返答に窮した。
「……明らかに泣き腫らしたあとの大の大人が、……平静を装って話すのを応対させられた……」
「それは……」
そんな苦労を掛けさせておいて、事情も話せないのか。恨みがましい口調のルムに、なんとも言い難い気まずさを感じる。
「セスタはここに来たのか?」
「電話だけ。……実際に来たのは……すっごく綺麗な女の人。貴方を運んだのはマツシマの手下。」
自分の美貌ですら大したことはないと言ったルムが、臆面もなく綺麗と称した女。アステアやアザルベーダの可能性もあるが、おそらくはエンタクトだろう。あの外見を形容してみろと言われたら、百人に百人が「綺麗」と言う。
どんな采配だったのかはわからないが、カルテルとファミリアの人員配置は現在混線中だ。僕の部屋でくつろいでいたエンタクトを見つけて、体よく使ったというのが実際の所だろう。
僕の思考の合間に、普段から眠たげなルムの瞳が、明らかに不服という風に変貌しているのに気付いた。ここまでしてもらっているのだ、事情を話さないわけにはいかないのだろう。
「怒らせた。多分……傷つけもした。」
「何を言ったの。」
「……、まぁ……」
「なんて言ったの。」
「今日は苛烈だな。どうしたんだ」
「なんて言ったのか聞いてる。」
マフィアにいたころからだが、この女は全く物怖じするということがない。そういうところに惹かれはするものの、自分の急所が標的となると厄介だった。
意を決して、口を開く。
「どうせ、……お前の一番にはなれない、って。セスタにとって優先順位のてっぺんは、……金なんだ。」
少しだけ息を呑んで、ルムは聞いた。
「一番に、なりたかったの……?」
「……そう、なのかな……自分でもわからない。出自を考えれば、愛に飢えていると言えるかもしれないし、現状を考えれば、愛なんていらないと言ってる風にも思える。」
「……なんで、他人の事話すみたいに。」
「あぁ、他人みたいで仕方ないよ。僕は、僕のやっていることとそのフィードバックは、全然噛み合わない。もう一人の僕がいるのかもしれないな。それこそ、……聖人みたいな。」
懐かしい名前だったか、ルムは少しだけ遠くを見つめて、何かを追憶したようだった。
「アンタニオスは……ずっと下手くそな仮面を被ってた。でも、お姉さまを救ってくれた。私のことも、救ってくれた。」
「……すごい奴だったんだな。」
「うん……でも、その不格好な仮面の奥には、貴方がいた。」
コーヒーを啜る。僕は自分で仮面を剥ぎ取った。
「アンタニオスは、リゼルキルトだよ。貴方が……他人みたいに感じてるコードネームも……きっと、いろんなものを、いろんな人から貰って……それはちゃんと、貴方の中に取り込まれてる。」
「よくわかんない姉妹だな、お前たちは。どうしたら、そんな情熱的な長台詞が出てくるんだ。」
「私が信じて、お姉さまが好きになったのは、……アンタニオスだったから。」
姉のことを呼ぶときのルムは、いつも、そうやって優し気に声音を和らげる。僕は、それがなんだか嬉しくて、口を挟まなかった。
「そして……私が信じ続けて、お姉さまが想い続けてるのは、……リゼルキルトだから。」
そういえば、あの仮面はどこに仕舞っていただろうか。自分でも自分がわからなくなっているのなら、いっそ、切り分けて、アンタニオスに少しばかり背負ってもらってもいいかもしれない。
自分の感情を、魔法だとか、MSCSだとか、大義だとかに仮託する末路。それを、僕はあの浄水場で、不衛生な地下牢で見ている。でも、彼になら、許されるだろう。
ルムの言う通り、僕は、僕なのだから。
ちらりと盗み見たルムが、いつも通りの薄い表情をしている。
「ちゃんと仲直りするんだよ、アンタニオス。」
揶揄うような笑みのルムに呼ばれて、少しだけ、感傷した。
*
ファミリアの宿舎を訪れた僕に、マツシマが形容しがたい笑みを浮かべていた。
「まさか、本当に来るとは思いませんでしたよ、リゼルキルトさん。」
そう言われたことで、僕の嫌な予感がまさしく的中したと悟った。
「セスタから連絡が来てたか。」
「えぇ。取り次いだ者が女性だったので、話を聞きに行ってもらいましたよ。」
そこまですることか?と思案顔の僕に、マツシマがまたしても面倒くさそうな笑みを漏らした。その仕草がクソやかましいとあるジジイに似ていたので、やはりマフィアになんか入るものではないと思った。
「あんなガサガサの声で電話されては、こちらが邪推するのも仕方ないでしょう。」
似たようなことを、確かルムにも言われた。
普段から不敵な笑みを絶やさないのだ、セスタという女は。それが、声を掠れさせるほど取り乱すとは、ただ事ではないと思われたのだろう。
その、話を聞きに行ってくれたという女に渡してくれ、と適当な金額が書かれた小切手をマツシマに押し付ける。この男に限って自分の懐に収めることはないだろう。というより、そんな必要もないというべきか。その程度の金額だった。
「結局すぐに部屋からは追い出されたらしいですが、一晩中泣いていたそうですよ、彼女。」
「もういい。当分こっちの宿舎を借りるから、部屋を用意させてくれ。ゼータの隊長も借りるぞ。」
まだニヤニヤとしているマツシマを無視して、廊下を歩きだした。
続いて歩いてきたマツシマは、そういえば、と切り出した。彼なりの閑話休題だった。
「カルテルの方の感染はどんなものですか。」
「あぁ、人事には部署がある。僕はあまり関わってないんだ。それ用の幹部もいないしな。だが、事業に支障が出るほどではないと聞いてる。」
「そうですか。まぁ、毎年この時期ですからね。死にはしませんが、如何せん我々の仕事は属人的すぎる。」
妙な合併症を併発して出国もできないともなれば、組織の幹部、トップとしての面子が保てない。グランナダラ・カルテルとの会合がその最たる例だ。
あそこに出向くのなら、最低でも僕か、あるいは幹部連中の格が必要になる。おちおちウィルスを貰ってやれもしない状況だった。
「そうだ、この間連絡をいれた件だが、アビレスの。」
「えぇ。こちらは準備が済んでいますが」
「悪いな。メヒクトの方がまだだ。」
マツシマの執務室についたので、扉を開けて先を譲ったマツシマに、視線だけで応じた。応接用のソファに腰かける。
「アビレスに、拠点制圧の観点からメヒクト支部の意見を聞いたんだが、存外粗があった。」
「メヒクト……あぁ、あのリゾート施設を買い上げた……」
「不動産を使ったマネーロンダリングの産物だったんだが……当たり前だが拠点防衛用のチューニングはされていないからな。」
「それもそうですね……貴方の見立てでは、これからはグランナダラやメヒクトが主戦場になる。」
「法執行機関や軍隊、敵対カルテルからの襲撃用にリフォーム中だ。あちらに駐留しているゼータを鍛えて貰ってはいるが、本格的な統合作戦にはもう少し時間を貰いたい。」
「構いませんよ。」
ポットからコーヒーを注ぎ、マツシマが僕の前に置いた。ラップをしてあったサンドイッチも出されたが、手は伸びなかった。僕が手をつけなかったそれを齧り、マツシマは自分の分のコーヒーを飲んだ。僕も倣う。
「やはり、グランナダラ・カルテルが気にかかりますね。」
「あぁ。メヒクトの主要カルテルは大体七つ。グランナダラは、奴ら以外に目立ったのがない。影響力は相当なはずだ。」
少し前にピックアップしていた競合カルテルのリスト。いくつかは僕らのカルテルとも交易があり、いくつかは僕らのカルテルとも交戦があった。
僕の意図を察してか、マツシマはデスクのファイルをいくつか取り上げ、テーブルに置いた。
〇エス・ファミリア
〇ソドラ新生カルテル
〇ラザロ教団
〇ヴェアトリーチェ・アヴィエル・カルテル
〇リゼルキルト・カルテル
〇エス・セルナ
〇アドアリン同盟
「最新版です。」と付け加えたマツシマの言う通り、前に確認したときから三つほどカルテルの名前が入れ替わっている。どうせ勢力図は直ぐに入れ替わる。わざわざ覚えなくても支障はない。実際、セスタやアステアはそうしていた。
それでも神経質な僕とマツシマは、その勢力図についてを注視し続けている。
確か、うち一つはボスが射殺されたことで分裂、ヴェアトリーチェ・アヴィエル・カルテルとソドラ新生カルテルがそれだ。
残りはそのまま弱小カルテルとして消えたはずだった。あとの二つのうち、一つは僕らと徹底抗戦になり、ボスと幹部を殺しまくったから壊滅した。旅客機が爆ぜるさまは爽快だった。
気になるのは残り一つだった。
「このラザロ教団ってのは、」
「あぁ、前にいたカルテルと合併した集団ですね。」
「合併……?」
同盟ではなく合併。完全に融合したということだろうか。
そも、カルテルという括りは案外曖昧なもので、どこどこのカルテルの構成員が逮捕された、という報道のとき、そいつが本当にカルテルの構成員だったのかについては怪しいところだ。
アメリクス司法は、立件しやすくするためにカルテルという属性を利用するから、逮捕された構成員とやらがただの路上の売人だったりもする。
故に、カルテルの中核を担う連中は、裏返って強固な帰属意識を持っている。それは、自分がどこのカルテルに属しているのかもわからない路上の売人よりも。カルテルに雇われた殺し屋集団よりもよほど固く、誇りとすら言っていい。
その上、カルテルとは究極の営利組織である。パイを分け合いましょうという結論にも往々にして行きつかない。
そこで、カルテルの中には同盟という構図が頻出する。事情は様々だが、現在の販路を縮小させず、帰属意識の強い連中の忠誠心をもカバーする最適な手段として。
それが、完全に融合するというのはあまり聞いたことがない。
「まぁ、実情は乗っ取りが近いようですが、……勢いは凄まじい。それに、おそらくは唯一の商品を持っています。」
基本的に市場に出回っている魔薬の精製法の、その発端のメモ書きには、アステアか僕の名前が載っている。
世界にばら撒かれている魔薬は、ほとんどがリゼルキルト・カルテルを開祖としているのだ。しかし、そうでない魔薬とは。
「合成魔薬。」
「……あぁ、あのいかにもな錠剤か……」
基原植物によって魔薬事業を切り開いた僕たちは、全合成魔薬の研究に一歩出遅れたところがある。その利権の狭間に入り込んだのが、そのラザロ教団とかいう連中だったわけか。
「教団……ね。」
「眉唾物の噂ですが……いや、本当に眉唾物なのですが」
「いい。聞かせろ。」
マツシマは、神経質なくらいに念押しして語り出す。
「聖教からの離反者が結成したカルテル、という情報があります。」
「離反……?神に祈っていた連中が、どんな歩調で歩けば魔薬市場に足を踏み入れることになるんだ。」
「だから眉唾です。面白がって教団の名前をつけただけかもしれません。ですが」
「気になることがあるなら共有しておいてくれ。大したことじゃなければこっちで忘れる。」
「えぇ。」
少しばかり考えたマツシマは、自分で思考を最適化させているのだろう。想起と要約のプロセスを経て、マツシマが口を開く。僕がコーヒーを嚥下したのと同じタイミングだった。
「聖教上層部のスキャンダルで、枢機卿が何名か破門されたことがありました。確か、───五人。」
「聖教……『人格漂白』の……?」
マツシマが頷く。僕も、その事件については憶えていた。
敵対カルテルの構成員を拷問した映像を、アンクルリークスにアップロードしたとき、たまたま目に入ったものだった。
教会本部において、一部の枢機卿により行われていた身寄りのない信徒への『人格漂白』。いわばそれは洗脳に近しいことで、一度その人物の人格を漂白し、新たな人格をデザインするという、陰謀論に片足を突っ込んだような話だった。
ただでさえクローズドな教皇庁関係のスキャンダルである。そういった根も葉もない噂には事欠かない。しかし、数日後のニュースでは、本当に枢機卿が破門を宣告されていた。容疑は児童買春であったが。
「私もなんとなく不思議ではありました。売春をすっぱ抜かれた枢機卿は、過去にも数人いる。しかし、破門されたという話は聞いた覚えがなかった。」
「しかし、『人格漂白』の件が事実なら」
「えぇ。あれが陰謀論などではなく事実だとするならば、それは明確に、彼らの七つの大罪に抵触する。」
二世代前くらいの教皇が改めた七つの大罪。傲慢、嫉妬、色欲、のようなものではなく、時代の複雑化に即した冗長なものだったはずだ。
そしてそのうちの一つに、遺伝子操作への忌避を示す項目があった。他にも魔薬ビジネスへの糾弾ともとれるようなものも。
「私は、あれの正体が合成魔薬によるものではないかと考えています。」
「そうなれば、破門された連中は二つも大罪を犯している。」
「えぇ。破門も道理でしょう。」
眉唾もの、しかし、伝えておくべきかもしれない。マツシマの葛藤の意味がようやく分かる。
陰謀論にしては符合する事実が多すぎる。しかし、真実であると断定するほどには材料が足りない。悩ましいところだが、それを真実と暫定すれば、ラザロ教団という新興カルテルへの足掛かりになる可能性がある。
「散らかってきたな。」
飲み干したコーヒーカップ。漂白された人格と、デザインされた魔薬。
二人の間に落ちた沈黙に、くぐもった怒号が響き渡る。
「リゼルキルトさんはいますか!!」
すぐにマツシマが応じる。扉の向こうの男が言った。
「アイス屋が襲撃されました!敵は恐らく!」
扉を蹴破る。しりもちをついた男が、うわ言のように呟く。
「ラザロ……教団、」




