Ep.50『Code:Antanius』
リゼルキルトと打ち合ったMSCS。俺の認証が遅かったばかりに、剣でいえば刀身に当たる部分は、十分に延伸できず、その鍔迫り合いは、剣とナイフの刃渡りを演じた。
覚えていてよかった。
近くのやつがMSCSを抜いたら、そのときは、間髪入れずに俺も抜く。貴方が裏切り者だとは思わなかったけど、俺はそれを忘れていなかった。
恐ろしい力で押さえつけられるMSCSを、小さく繰る。指揮棒と同じ。その描いた軌跡が、引けないトリガーの代わりになる。
飛び退いたリゼルキルトのいた場所、地面に、不可視の力がクレーターを抉る。
「貴方も、そんなMSCSを持ってたんですね。」
「あぁ。むしろ、僕以外にこんな馬鹿げたMSCSを使う奴がいるとは思わなかったよ。手放した甲斐がある。」
ぐっと、リゼルキルトの上体が沈み込む。その筋肉に撓められた力が解放されるのに、派手派手しい音は存在しない。沈黙の中に、炎を纏ったリゼルキルトの刃がある。
「ッ!俺たちは!きっと、似たもの同士ですね!」
MSCSの切っ先を、中空でくるりと描く。十分な発動機序を作れなかった。出来損ないの魔法で、爆炎を迎え撃つ。灼熱が皮膚を炙り、爆発音が残響する。振り切ったMSCSの切先が指し示す場所に、受け流された爆撃の末路が凄惨に刻みつけられている。
敵は確かにここにいる。
追撃のMSCS、物理的な殴打を目的としたそれをさり気なく打ち合い、その実、俺のMSCSの軌跡は、次の魔法の予備動作に入っている。
「俺はこのMSCSを、俺の聖剣にすることにした。それは、俺の理想を表し、俺を象徴する。
モチーフは、もちろん剣なんかじゃない。
わかるでしょう?リゼルキルト!」
打ち合った故、彼は弾かれたMSCSを手中で握り直す。その意識の間隙に、どうか当たれと山刀の刃渡りを振りかぶる。
金属同士が擦れ合う音。危なげなく俺の一撃を防いだリゼルキルト。でも、そうじゃない。貴方がしたのは、敵の一撃を受け止めたという防御ではない。そして、貴方がやるべきなのは、それに甘んじて次の攻撃行動を構築することでもない。
「俺も貴方も、注射器をモチーフにした。だから俺は、この武器の、この名前を気に入った。」
貴方は、随分と貧相な刃渡りを持つその武器が、全く自分のところに届いていないという事実に違和感を持ち、そして、その刃渡りの差の分の、俺の浅知恵に勘付かないといけない。
そうだ。この、MSCSの名前は───。
「アゴニスト。」
音声と指揮棒の予備動作。アゴニストは、正確に俺の声を認証し、戦時形態に移行する。螺旋を描く刃渡りが、延伸する。
リゼルキルトの眼前まで伸びる切先。
すんでのところでそれを躱した彼の奥───アゴニストの切っ先で、俺の魔法が結実する。空間を抉り取る、不可視の暴力が吹き荒れる。
地下道を飲み込んで、風穴を空けたアゴニストの力も、しかし、リゼルキルトには届かなかった。
「モチーフについては正解さ。」
MSCSを手放したリゼルキルトが、ぱっと両手を広げた。呆気に取られたとき、俺は、彼の両手に武器が顕現するのを見た。
視界が回転して、脇腹に強烈な鈍痛。がら空きの顔面を、次は見えた神速の拳が撃ち抜く。顔面の中を席巻する破砕音が、鈍く脳髄の中を反響する。
気合いだけで取り落とさなかったアゴニストを構えて、しかし暴れる脳は正しく世界を見れていない。距離を取った、取らされた俺に、リゼルキルトは地面に落ちる寸前のMSCSを危なげなく掴み取った。
「だが、あんたと僕じゃ、その使い方が決定的に違うんだろ。だからこのMSCSには、こんな名前がついている。」
トリガーが引かれる。彼のMSCSの切先にある銃口が、俺を見ている。
「アンタゴニスト。」
俺とリゼルキルトの間の空間。世界にアゴニストを突き立てる。即座に展開された魔法が、彼の放った魔法を防ぎ───ぶちん、と筋繊維が断裂する音を聞いた。
「そのMSCS、奇妙な作りだろう。照準もなし、トリガーもない。それは、MSCSというより、障壁デバイスなんだ。」
撃たれたのは、ミリタリープロッダーだろう。俺の左腕の関節に、殺傷性の魔法が突き抜けた痕がある。腕ごと吹き飛ばされなかったのは、幸運というほかなかった。
「でもなら、なんで貫通してくるんすか。ルール違反だ。」
「ルール違反ね。むしろ、これだけ障壁デバイスが普及している段階で、その打開策すらまともに考えていないあんたらの方がルール違反だ。注射針は、皮膚を貫かないといけないだろ。」
アゴニストが障壁デバイスであるというカラクリは見抜かれた。それだけなら、別に問題なかった。しかし、多少威力が減退するとはいえ、障壁を突破できる何かを持ってる人にバレたのは、最悪という他ない。
障壁を過信するな。それは、誰もが言われる魔法の摂理だ。俺だって、過信していたわけじゃない。それなら。
「農場……」
「あ?」
「俺が見た農場は、地下なんかにはなかった。俺は、砂漠をほっつき歩いて、クソでかい街に、大農場に出会ったんだ。」
「あぁ。聞いたよ。」
そこには、魔薬というものがこの世界に流し込まれていく摂理、それを具現化したような闇が広がっていた。太陽に打たれ、露見しているのにも関わらず、それを見通すことができない。蜃気楼の、農場。
「あの砂漠には、あるんですよね。」
「残念だが、あの砂漠には何もない。僕だって落胆したさ。僕と同じ意志を持って、同じ道を歩こうとする誰かが、存在しなかったんだから。
落胆したよ、がっかりした。あの砂漠には、何もない。そんな調査結果に。」
リゼルキルトは自嘲して、そして言葉を重ねた。
「だがそれも、二十年前までのことだ。」
貴方が探していたものは、あの砂漠にはなかったんだろう。
だが、俺が探していたものは。俺が、この目で見たものは。
「僕が作ってやったんだ。二十年前に。そして、そこにあんたが迷い込んだ。久しぶりだな、キティ・キルマー。」
「えぇ、リゼルキルト。俺も兄貴も、あの場所のことを忘れたことはない。」
俺は、彼が、リゼルキルト・カルテルが作り上げた大農場を目撃した。兄貴はそこで死んだ。大農場を巡るフォークロア。俺はずっと、貴方の背中を追いかけてきた。
「大農場を見つけたことがあり、その上、そんなMSCSを武器にする。あんたがやったことは、ファミリアの連中を震え上がらせただろうさ。
奴らが先走ったのも無理はない。一応、クレノアにあんたの場所を教えたのは僕だったから、それで許してくれ。」
「貴方の組織でしょう。ちゃんと管制してくださいよ。」
「名実ともにそんなに単純じゃないんだ。僕たちは。」
リゼルキルトは、懐かしむように目を細めた。
「僕がファミリアを潰してから、当時幹部だったオースが行方不明になった。ファミリアとカルテルは提携し、僕らは魔薬ビジネスをスタートした。
それから、ファミリアの下らないイデオロギーを口走る競合を見るようになった。ずっと僕の中で疼いていた戦争の予感が、ようやっと目の前に現れたんだ。
国家権力が敵を叩き潰してくれるようなチャンスはそうない。ロス・アンタニオスの連中は僕にお熱だ。あるいは、あっけなく死んじまった、奴らにとっての聖人に。」
失われた聖人。ロス・アンタニオスの名前の秘密。
彼らからは、聖人が失われたのだ。そしてそれが、ターニングポイントになった。奴らはそれを、アンタニオスという名前に仮託した。
「どうだ?僕らの農場の方が、よほど精巧だとは思わないか?まぁ、もう随分行ってないから、細部は忘れたが。」
貴方がリゼルキルトではない人間として過ごした、途方もない年月。もちろん、大農場はその間も、リゼルキルト・カルテルの掟を執行してきた。
彼はそれを、直に見ることはできなかっただろう。
「それなら、久しぶりに見せてあげますよ。」
俺の背中、兄貴がかたかたと音を出す。歯は根っこからひしゃげていたし、骨も陥没していたから、どうやってそんな音が鳴っているのかもわからなかった。
「Folklore granja.」
俺が言ったスパー語を、リゼルキルトは理解しただろうか。少なくとも兄貴には伝わったようだった。
俺は、自分の道を忘れたことがない。ここに、顕現する。
「兄貴、執行だ。」
*
太陽が煌々と輝き、大気は熱されている。窮屈な地下空間の面影は既になく、見渡す限りの荒野の中、ぽつんと佇む巨大な農園が見えた。
「散らかってきたな。」
少し離れたところで頭を掻いたリゼルキルトは、したり顔でそう言った。
「もっと喜んでくださいよ、久しぶりでしょう。この場所は。」
「あぁ、本当にな。喜ばしいよ。心の底から。」
歪な形をした大農場。それを背負うようにして、俺は貴方と向かい合っている。
あの農場は、機械的に掟を遂行する。侵入者を、目撃者を、鏖殺する。そしてその対象には、貴方も含まれる。
「兄貴がどんなふうに死んだのか、貴方に、見せてやる。」
アゴニストの切先が、中空に滑らかな曲線を描く。勢い余って飛び出したその矛先が、リゼルキルトを照準に収める。そのときに、農場から放たれた魔法が、既に彼へと迫っている。
連鎖した爆撃。彼の影すら覆い隠すように、噴き上がった粉塵が次々と空に延びていく。晴れた塵埃の隙間から、構えた様子もない無傷の貴方を認める。
疾走した俺のアゴニストが、貴方に激突する。
容易く避けられた魔法が、地面を潜って這いずり回り、隆起した衝撃が砂漠を破る。俺に突きつけられたアンタゴニストの銃口が火を噴く前に、農場から放たれた次の魔法が、リゼルキルトに叩き込まれる。
巨大な爪が抉ったように、荒野の土塊が捲れ上がる。その僅かな隙間、佇むリゼルキルトへと、キルマーの手が差し向けられる。
兄貴の腕が、彼の眼前にある。
兄貴に掴まれた腕を、リゼルキルトは容易く捻り、背負った兄貴の全体重を片腕で中空へ放り投げる。顔面を陥没させたボロボロの死体に、軍用魔法の爆撃が叩き込まれた。
彼の照門の中で、爆炎が咲く。
銃口を下ろし、背後から迫った俺の対処に乗り出した貴方はそこで、とある違和感に一瞬を浪費する。
掴まれた腕が、血と骨と肉をない混ぜにして、ぐちゃぐちゃに捩れているのを、痛覚で認識する。
アゴニストは、予備動作を終えている。展開された障壁が、空間を圧して、膨れ上がるそれに巻き込まれた人間の身体は、呆気なく引きちぎられる。
貴方がそれに気づくまで、きっと一秒とかからなかった。
何か、目に見えないなにかを見つめるような目。
地面に何かを吐き捨てて、彼は小さく呟いた。
「撃て、聖火の守護聖人」
一陣の風が吹き抜けていった。それは、真っ新な荒野を舐るわけでも、砂塵のヴェールを剥がすでもなく、黄金色の植物を、ささやかにそよがせた。
「え」
一面に広がる麦畑。農場が屹立するその真反対。リゼルキルトの向こう側。小さな家と、手を振る二人が見える。
そして俺の目の前に、思わず見惚れるような少女がいた。
その冷たそうで柔らかそうな掌は、決して俺には触れてくれなくて。掌握した炎を解き放つように、世界が灼熱に変貌した。
「ぐっ……熱っ」
地面に叩きつけた障壁が、展開されて俺の身体を弾き出す。自分でも蹴ったそれのお陰で、俺はあの不気味な少女の手中から抜け出した。
首を焼いた炎を、ばしばしと叩いて消化する。危なげなく着地して、その痕跡に顔を顰めた。
壊疽。細胞が死んでしまったが如く、あるいは、重篤な火傷に侵されたが如く。俺の首筋に、赤紫色の焼け跡がある。
遠くのリゼルキルトは、空中で揺蕩う少女となにやら話し、その頬に口付けされていた。無理解。しかし、彼の額にある岩なような角が、俺を理解へと導いた。
───魔人化。
やはり、貴方もそうだった。
少女の手が、俺を向いている。
なんのMSCSも持たず、簡単にへし折れてしまいそうな細腕。しかしそこに、俺はある武器の存在を認めなければならないのだろう。
俺を灼き尽くす、ある魔法の存在を。
歯を食いしばる。瞳を閉じる。あの焔は、果たして障壁に阻まれるだろうか。魔法で迎撃できるだろうか。最期に睨んだその腕を、掴んだとある死体の姿。
「悪いな、兄貴。」
ぐっと掴まれた少女の細腕が、あらぬ方向へと捻じ曲がり、その血肉と骨が、ぐちゃぐちゃに攪拌されていく。掴んだ兄貴の方も、業火に灼かれ、ただでさえ少なかった肉を燃やされていく。
リゼルキルトの瞳が、また、見たことのない色を見せる。そんな顔、したことなかっただろ。
骨がへし折れる音と、撒き散らされる血液。それを中空で焼け焦がす焔。掴み合った二人の凄絶な惨状。その果て。どぱん、と破裂するように、地下世界が俺たちを取り囲む。
「戻ってきた……」
アゴニストを握りしめた。これで最後だ。
展開された障壁。やったことはない。しかし、やれるだろうと思った。限界まで薄く。透けるほど、淡く。
アゴニストに纏われた障壁が、鍛えられ、延伸し、鋭く研ぎ澄まされていく。
正真正銘の刃渡りを得たそれは、そのときばかりは剣と呼ばれても問題なかった。不可視の刃渡りと、皮膚を断つ鋭さを秘めた、聖剣。
示し合わせたように、リゼルキルトも、俺も走り出した。互いに、カルテルで血を呑み干して得た力。その速度は、最早人間のそれではない。会敵、接触のその刹那は、僅か一瞬で果たされる。
溜めたアゴニスト。貴方の首を、断ち切るように。太刀筋は、真っ直ぐに世界に傷をつけた。紅色の血が垂れる代わりに、リゼルキルトの背景にあった万物が裂傷される。
斬撃が澄み渡る。世界ごと断ち切ったような錯覚は、その全てが間違っているわけではなかっただろう。遠く、遠くにある地下道の突き当たり、あれだけ俺たちを阻んだ関門の扉が、綺麗に断面を晒している。これでよかったなら、苦労しなかったのに。
脱力して、尻餅をつく。何もかもを断ち切った。しかしその中に、最も斬りたかった男はいない。なんでもないふうに俺のとっておきをかわして、アンタゴニストを突きつける。
リゼルキルトはそうして、ただ俺を見ていた。
「酷いっすよ、ロキシーさん。貴方のせいで、俺は気持ちよく肉を喰えなくなった。」
俺が欺瞞の名前を口にしたのに、リゼルキルトはわざわざ否定しなかった。
「あぁ。そうだな。だが、食うんだろ。」
「はい。嗚咽して、ゲロ吐いて、それでも、呑み下す。」
彼の指先のトリガーが、アンタゴニストの銃口に繋がっている。そこから放たれる魔法は、一体どんな死に様をくれるだろうか。
リゼルキルトは、形容し難い目をしていた。指は、トリガーに触れてはいるものの、その引き代を沈み込ませるには至らず、銃口も、彼自身も沈黙している。
やっと、リゼルキルトが口を開いた。多分俺は、それを聞くべきじゃなかった。
俺に背を向けたリゼルキルトは、「僕はこれからオースを殺さないといけない。それじゃあな。」と言い残して闇に消えた。
「薄情になれよ、……ロキシーさん。」
ロキシーさんは、リゼルキルトという極悪人だった。その前に存在したドロキシ・トリプターと、俺は面識がない。だから俺にとってのロキシーさんは、貴方なんだ。貴方なんだよ、リゼルキルト。
彼はきっと、いつか王になる。
征服者でも皇帝でも、国王でもない。
あの人は、世界の王になる。
耳の中、さっきの言葉が残響している。
『僕には、決めていることがあるんだ。』
一体それは、どんな自戒、十字架だったのだろう。俺はなんとなく、わかった気がした。
『あんたとステーキを食ったのが、僕の唯一の間違いだった。』
たったそれだけで、引き金を躊躇ったのか。
遡る、キティ・キルマーの物語。いつか、貴方の物語を読むことができるだろうか。
俺は、俺の道を歩き出す。
その道の先には、この最悪の現実を、少しばかりマシにできる薬がある。その薬を打ち込むために、俺は、このMSCSを得た。
俺の命は随分と空っけつで、ガタガタに歪んだ体は歩き方も覚束なかった。それでも、俺はその遅々とした歩みで歩き続けた。
暗く、狭い、窮屈な道を、歩き続けた。
アザルベーダに大農場を見せてやった後、わざわざメヒクトの支部に帰るのも億劫だな、となり、僕らはアメリクスのホテルに泊まることにした。久しぶりに出会ったコンドルと話し込み、酒も入っていたから、自ら運転もしたくなかった。
屋上には温水プールがあり、たまたま空いていたスウィートルームに転がり込んだ。きょろきょろと部屋中を見渡すアザルベーダに、先に見てこいと言ったら、聞き終わるより前に走り出した。
好奇心旺盛な奴である。
テラスに出る窓を抜け、併設されているプールを見る。指先を浸してみると適温だった。
今日突然プールを貸し切ることはできなかっただろうが、ここならば問題はない。もとより貸し切りだ。
アザルベーダの姿、それも水着姿となれば、下衆な目線が───はたまた声をかけられることもあるだろう。触れられなんてした日には、僕はそこそこに不愉快になるかもしれない。
戻ってきたアザルベーダが、僕と同じように窓を抜けてくる。
「リゼルキルト殿……部屋が、たくさんあります!」
「あぁ。盗聴器の確認に苦労しそうだな。」
「ベッドもふかふかです……!」
「楽しそうだな。」
僕が呆れたように笑ったのに構わず、アザルベーダは続けた。
「それと……ベッドが、……その。」
「なんだ。」
「ひ、一つしか、ないのであります……」
なんだ、そんなことか。そんなの、手配する時からわかっていたことじゃないか。まぁ手配したのは僕だからアザルベーダには知りようがないのだが。
「不満か?僕はそこのソファでもいいぞ。多分、そんなに悪くない寝心地のはずだ。」
「そ、そうではなくて!」
顔を赤らめて、頬に汗が滲んでいる。そこに張り付いた綺麗な金髪が、淡く、肌の色を透かしている。爽やかなワンピースが、風に吹かれてひらひらと揺れていた。
「リゼルキルト殿はボクと。一緒に寝るつもりでここを選んだのですか……?」
「悪かったか?」
アザルベーダは手とか表情とか肩とかをきゅっと縮めて、がばっと僕に背を向けた。手櫛でといた髪の隙間、真っ赤な耳までは隠せていない。
「リゼルキルト殿は、その……結構、不埒なのですね……っ」
横目に僕を見た君のその顔の方が、よほど不埒に思えた。
*
アザルベーダの水着姿は、なかなかに見応えのあるものだった。まあ言ってしまえばとてつもない巨乳なので破壊力抜群というのがあるのだが、MISURANIA時代に鍛え上げていたからか、程よく引き締まった腹筋や脹脛もそれに一役買っている。
黄金のような艶やかな髪と、リボンのように結ばれた真っ黒のビキニは、モノトーンに近い親和性を彼女に付加している。
プールサイド。夜景には、資本主義によって打ち建てられたビル群が煌々と光を放っている。それを眺めたアザルベーダは、悲しい顔をしなかった。
「よく似合ってる。僕の目に狂いはなかったな。」
「は、はい……なのです……」
さっきからずっと伏せっぱなしの視線。普通なら心配にもなるが、その顔の上気した頬を見れば、なんだ恥ずかしいだけかと拍子抜けする。
そんなに綺麗なのに、何が君をそうさせるのか、やはり女のことはよくわからなかった。
夜風は涼しい。ゆったりとした水着にシャツを引っ掛けて、水に入って濡れるのだからと前のボタンは閉めなかった。
すぐ隣、華奢なアザルベーダの肩を抱いた。びくっ、と跳ねて、すぐに恨めしそうな視線が飛んでくる。別に、愛情表現の一環というわけじゃなかったのだが。そのまま、ほいっとアザルベーダをプールに突き落とした。
「ちょ!?」
びしゃりと水飛沫を上げて、アザルベーダの姿が掻き消える。少し遅れて、水面に上がってきた可愛らしい顔が息を継ぐ。
「なぜですかっ!?」
「妙に緊張してたから、ほぐしてやろうと思ったんだよ。心配しなくても、お前を溺死させようとしたんじゃない。しようとしても、できないだろうしな。」
「き……緊張は、……それは、するに、決まってるではないですか……」
僕はプールサイドに座り込んで、両足を浸した。熱くも冷たくもない、いい塩梅の温度だった。
ん、と手を差し出してきたアザルベーダに従って、僕もプールの底に足をつける。僕の胸に手を置いて、あるいは、心臓に掌を当てて、アザルベーダは、あてのない片腕で髪をといた。水気を含んで艶やかさを増したそれが、蠱惑的に彼女の肢体を流れていく。
「まだ、……一番言って欲しい言葉を、聞いてない、です。」
「そうか……可愛いよ、アザルベーダ。」
実のところ、僕は彼女がなんて言って欲しいのかも、彼女がどんな関係性を僕に求めているのかもわからなかった。だから、頭に浮かんだ言葉を、なんの脳内の諮問機関も通さずに口腔につがえただけだった。僕が撃った言葉は、彼女を満足させたか、そうではなかったのか、小さな額が、僕の胸に押しつけられる。
柔らかな感触をもたらす豊満な胸も同じくそうされて、状況はこれまでになくセンシティブだった。
「まぁ……それで、勘弁してあげるのです。」
「勘弁もなにもあるか。」
僕は、アザルベーダの顎に指先をかけ、その顔を上げさせた。ぱっちりと合った視線。覗き込んだ彼女の顔が、やはり恐ろしく整っていて、その様に満足した。彼女が浮かべていた表情が、僕の評価にどれほど寄与したのかは、強いて考えることはなかった。
アザルベーダを連れ立って、夜景の輝きの方へと歩き出す。空気よりも抵抗の大きな水の中を、僕らは、その摂理に従ってゆっくりと歩いた。夜景と僕らを隔てるプールサイドに、酒とグラスを置いていた。
僕は、それの栓を抜いてグラスに注ぐ間、アザルベーダに問いかけた。気まぐれな、ちっぽけな好奇心からだった。
「これからお前は、どうしたい。」
こぽこぽと泡を立てる黄金色の奥に、染色された夜景の輝きが透ける。
「ボクは、……やっぱり、好きなように、好きな場所に、行くと思います。好きなことをして、ボクだけが意思決定する人生を、気ままに。」
「そうか。」
「でも……ボクは、貴方に、リゼルキルト殿に、仕えたい。貴方の、力になりたいとも思う。」
遠くを見つめるような目をして、アザルベーダはなにを追憶したのだろうか。僕には、それを推し量ることはできない。僕は、彼女の自分史を知らない。そして、それを網羅して、執筆しようというような傲慢さも無神経さも、持ち合わせてはいなかった。
「僕だって、これから君の手を引っ張って自分の好きなようにできるとは思ってないさ。」
アザルベーダは、僕の意図を測りかねたように小首を傾げた。その手にグラスを持たせる。
遠くの湾から、花火が上がった。光は、音よりもよほど速く僕らの場所に届き、夜空を咲いた火花に感傷するような頃、ようやっと炸裂音が届いた。
「たとえ僕であっても、もう、君の速さには追いつけない。」
彼女は、光を憧憬した。そして、一年前のあの日、道は、彼女に力を与えた。
「だから、好きなように生きてくれ。君が辿り着くはずだった場所に行って、君が見るべきはずの景色を見てきてくれ。それで、ときたま気が向いたら。」
グラスが衝突する。アザルベーダは気が利かなくて、僕がぶつけただけの不恰好な乾杯だった。
呆けたように僕を見るアザルベーダに、僕はささやかな希望を語った。
「僕からの電話を取って、光の速さで飛んできてくれ。」
「リゼルキルト殿……それは……」
しばらく僕を見つめていたアザルベーダは、ふと視線を落とし、グラスの中で弾ける泡に熱中した。あるいは、思考に没頭していたのかもしれない。僕がグラスに口をつけて嚥下するまでの時間をたっぷり使って、そして、結論は、彼女の表情に浮かび上がった。
「ふふっ……はははっ……」
堪えきれないというように、アザルベーダは、少女然とした様子で笑った。それは、理性では太刀打ちできないような、衝動に似たような愉悦だったようで、僕が呆れたような顔をしても、彼女はそれを止められなかった。誰も、彼女のその笑顔を止める権利を持たなかった。
「リゼルキルト殿は、すべて、わかってしまうのですか?」
「そうかな。そうだったらいいな、とは思ってるが。」
グラスをぐいと飲み干して、アザルベーダは晴れやかな笑みを見せた。
「リゼルキルト殿。」
「なんだ。」
アザルベーダの表情に、なにか切ない、焦燥感のようなものを感じて、さりげなくその頬に触れた。彼女の瞳にかかっていた前髪を、指先で拭って避けてやる。
「今夜は、二人で、話し疲れて眠ってしまうまで、お話ししましょう?」
飛びついてきたアザルベーダに押し倒されて、僕らは夜空を眺めながら水面を揺蕩う。
僕は君に手を伸ばす。でも、それは届かない。
僕が伸ばした手は、彼女の残光すらも掠めることはできず、かと思えば、その輝きは、僕を眩ませている。
だから、僕は微かな抵抗と、彼女の憧憬の成就に、諦めたような言葉を吐いた。
僕が、狂ってしまわないように。
「無闇矢鱈に輝くな。」
だって僕たちは。
光には届かない。
A-END




