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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第一部【血と暴力の病】

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Ep.4『アルカロイド』

 浄水場の補修工事は、着々と進んでいた。そして同時に、僕が持っている負債も、着々と返済していた。

 数日おきに貼られる黒のラベルの先には、大体セスタがいて、もしいなかったとしても、返済の進捗を至極わかりやすいパーセンテージで教えてくれた。しかし、その進捗はこの街では驚異的な速度で、きっと正体不明(CEO特権)の割引が幅を利かせているのだろうことは推測できた。恐ろしい話である。

 しかし、僕の生活費は否応なく逼迫し、ある日には、見かねたアステアの相伴に預かることになった。蒸留用のオイルランプで作られた料理は、先入観のせいでケミカルな風味がしたが、腹を満たすのに不足はなかった。

「人に手料理を振舞ったのは初めてで。上手くできてた?」

 そんな風に聞かれれば、まさか飯を食わせてもらっている立場でふざけたことは言えず、僕は余裕があるとは言えない思考のリソースを費やして、脳内辞書から賞賛の項を参照しなければならなかった。


「この植物に、生物活性があることは、知っていたのか?」

 彼女の部屋の壁に貼り付けられた資料の中に、花畑の植物を操作したような記述あったのを思い出した。こんなマイナーな植物の先行研究があるとは思えなかったから、勝手に彼女の書いたものだと決めつけていた。

「いや……知らない……核酸抽出の手法を取り上げた本を手に入れたから、手近な植物で応用できないか試していただけ。でも、経口摂取でそんな状態に陥るのなら、これは、……本当にただの毒物なんじゃない……?」

「いや、鼠が摂取したのは操作されていない分泌液そのものだ。それに、僕たちとは体のサイズが違う。あれは多分、所謂。」


───過剰摂取。


 つまり、あれを用法容量適切に摂取できれば。

 何かしらの、好意的な生物活性を手に入れることができるかもしれない。そして、僕の与太話が、ある結果を呼び寄せるのだとしたら。あの鼠の額から生えた角、足を折られても痛みを感じてもいない様子、アステアの───。

「あれは、特効薬になるかもしれない。」



 研究の日々が始まった。

 ゴミのようにテーブルの端に捨て置かれていた試験管や、蒸留装置などの機器が輝きを取り戻し、まさしく今、その本領を発揮せん、と奮い立つように見えた。新たに、ゴーグルと実験用のマスクを導入し、僕たちは実験への準備を着々と進めていった。

 僕とアステアの資金難は、同じくらいに共有され、僕がペンを走らせている間にパンを齧ったアステアは、自分も作業をする傍らで僕にそれを食わせる役割をした。あるいは逆もあった。互いに同じものを食い、同じ屋根の下で力尽きるように眠り、仕事があれば互いに挨拶も交わさずに出かけていく。

 金が入った日は、いくら稼いだのかを互いに知らせる間もなく新しい実験器具が導入され、ノートとペン、簡単な計算機が運び込まれる。実験ができる回数は限られている。僕たちは、ただひたすらに理論研究に明け暮れた。

 元素周期表を睨みつけ、化学式を書き殴る。疲れれば堆く積みあがった本の壁にもたれて仮眠を取り、アステアはたまの休息に花畑で眠った。

 括り紐で綴じられる研究日誌は、加速度的にその厚さを増していき、方向性に疑問のあるものから家の裏に廃棄された。それは最早紙の束というよりは、紙の塊と言えるような代物だった。

 もう何度ともしれない中指の熱い感覚に、ペンの摩擦が皮膚を突き破ったのを自覚した。とある化学式が描かれたページを、血液が浸していく。

「根を詰めすぎじゃない?せめて、絆創膏くらい貼って。」

「あぁ。悪いな。」

 アステアは、そうして僕の指に止血措置を施した。よし、と小さく呟いた彼女の表情が、近くにあった。初めて出会った時より、幾許か貧民街の都市迷彩に近づいた姿。ひび割れた唇と、荒れてしまって赤くなった肌が見える。

「君も、寝てないだろう。」

「大丈夫、ちゃんと職場で寝てるよ。」

「睡眠不足と栄養失調だ。ヴィアミンが足りてない。人間が生成できない栄養素だ。」

「……野菜なんて高くて買えないよ。」

 僕が頬を撫でようとすると、アステアは軽やかにそれを避けて、少しだけ距離を取った。少し、お節介が過ぎただろうか。

「……薬ができるまで、あんまり近くで見ないでよ。」

 アステアは、そう言って綺麗な黒髪で横顔を隠した。


 化学でありながら、ただの一度の実験もなく僕たちが辿り着いたのは、植物由来で生物活性を持ち、塩基性を示す化学物質であった。

 全ての苦痛を取り払う。その一端となるある概念に、僕たちは気付きつつあった。

 それこそが、麻酔作用であった。

 手術をする際、たとえばアンピュテーションを行うとして。腕を切り落とし、血管を結束し、引き伸ばした皮膚で切断面を覆う作業は、時代が違えば拷問と大差ない。しかし、現代でそれは医療行為とされ、人々は金を払ってまでその苦痛を引き受けようと哀願する。

 そんなことがまかり通っているのは、MSCSによる神経の遮断が体系化されたからだ。魔法によって、人々はほんの少しばかりの時間を、苦痛から解放される。そしてそれは、痛覚を弄くり回されるという恐怖を棚上げにするほどの恩恵を齎す。しかし、そこにある違和感がある。

 MSCSという技術の登場を待つまで、人間は、拷問に近しい医療行為を、歯を食いしばり耐え続けてきたのか。

 それは結果論に耄碌した、思考停止の末路のように思えた。その結論に甘んじた瞬間に、この握りしめた獲物の尻尾がすり抜ける気がした。

 そうではない。MSCSの登場によって、それは埋葬された。

 人の機能を麻痺させる、そんな初歩的な毒物の作用。やがてその精度を高めていけば、麻酔という存在に辿り着くはずだった。そして、植物から得られる塩基性の化学物質にも名前をつけられたはずだ。しかし、その過程で、我々は魔法を目撃した。

 後遺症と薬物依存の可能性がある得体の知れない植物を信奉するより、我々は、自分の身体から生まれたというシンパシーのみで、魔法を信奉した。人類史上最大の薬を、あるいは毒を、取り逃がした。

 植物由来で、生物活性を持ち、塩基性を示す化学物質。植物から抽出され、単離することができるはずのそれに、僕たちは、名前をつける。


「アルカロイド。」



「あの薬の正体は、なにかしらの基原植物から得られるアルカロイドだ。そしてその生理活性は、極端なまでの、痛覚の麻痺。」

 僕たちが辿り着いた結論は、おそらく間違っていない。そして、僕が辿り着いた結論も、同じく、間違ってはいなかった。

 樹液を食らった鼠は、痛みを感じていないかのように立ち向かってきた。かつての一年戦争で、兵士たちは恐怖や痛覚への拮抗薬としてそれを使った。

 病があるところに、薬がある。

 この、死と憎悪の病。その痛みと苦痛を、忘れさせる薬が、きっとこの国にある。あるいは、アステアという少女が、この場所で罹患した暴力衝動と激痛の病。その薬が、この場所にある。

「カラシナ……」

 顔を上げて、月夜に照らされる花畑を、窓から覗いた。その真ん中に、幸せそうな顔で眠るアステアがいる。

 月光は、その淡い輝きで血色や人間の代謝を容易く冷却させてしまって、月色(つきいろ)に着色された世界は、彼女は、アステアは。まるで、死してなお美しさを損なうことのない、神秘的な死体のように見えた。

 彼女はこれまで、その病を憎み、抗いながら、その実、その特効薬に抱かれて眠っていた。

 五日後、僕たちは、初めての実験を行った。



「基本的な理論は、君が見つけた抽出の記述と、あの本の精製方法に従う。」

 カラシナの実を、茎から取り上げることなく、消毒されたままパッケージされた新品のメスで撫で切る。三筋ほど切ると、じんわりと滲んできた乳白色の果汁が滴った。一日置いておくと、粘性のそれは固形に近しいまでに凝固した。ヘラでそれを削り取り、乾燥させる。一日か二日置くと、既視感のある黒いタール状の固形物が形成されている。

 その小指の半分もない、おどろおどろしい真っ黒の物質の中に、人類がこれまで償却してきた薬理作用の神秘が、生物活性の宝庫が、苦痛を取り去る”魔薬”、その深淵にあるアルカロイドが、身じろぎする余裕もないほどに詰まっている。


 抽出作業については、一度カラシナを扱っているアステアの方が勝手をわかっている。実践と器具の準備はアステアに任せ、僕は指示と観察、記述に努めた。

 バットに移した果汁を、アステアが手際よく砕く。粉末に近くなったそれを一粒も残さぬように器に盛り、酸性を示す溶媒を注いだ。そして、オイルライターでエチル・クフールが染み込んだ紐に着火する。エチル・クフール・ランプが、三脚と金網を介して熱を立ち上らせる。

 アルカロイドは、おそらく酸とセットになった塩として植物中に存在している。果汁が溶媒に溶け切るまで、ただひたすらに観察し続ける。

 しかし、溶出は想定外に時間を要し、途中で交代で仮眠を取ることとなった。アステアが先に眠り、三時間を数えたところで交代する。僕が三時間の眠りを終えた頃、アステアは片手間に本を読みながら、その炎を眺めていた。

 最後の三時間を二人で見守り、缶詰めにされた硬いパンを齧った。

 微かに水滴に覆われた器の上に、おそらくは塩基に変化しているであろう結晶が現れる。黒とアイボリーに濁った結晶は、まだ不純物が多いように見える。

「まだ不十分か……」

「どうする?ここから、何パターンかあるけど。」

 基原植物の特定には成功した。そして、その方法についても、ある程度の目安はつけた。しかし、それを確定とするのには、ある程度の踏ん切りが必要だった。

 それに、この抽出された結晶が、空気中からなんらかの作用を受ける可能性は否定できない。

 すぐさまに実験に取り掛からなければならなかった。

「アルカリ性の溶媒を使うか、弱酸で不純物を溶かすか。」

 闇の蟠る小さな部屋の中、重く沈黙が落ちる。

 病は、そういった瞬間を待っている。

「ッ!」

 アステアの身体が跳ね、突き上げた膝が空を掻いた。机を蹴飛ばしてしまえば、実験が台無しになる。彼女の最後の理性だった。

「っ!……だい、じょうぶ……!だから、……実験、続けて……」

 激痛に苛まれながら、その痛みをねじ伏せるように、声帯を引っ掻くような声でアステアは言う。指さそうとした腕が痙攣して、脇のほうに押しやられていた本の塔を崩落させる。バタバタと崩壊し、地面に散らばる本の上に、使っていなかった試験管のいくつかが激突して割れた。

 彼女は今、病に捕らわれている。激痛に喘ぎ、しかしそれでも、この病に痛恨の一撃を喰らわせてやろうと、もがいている。

「っ、……痛いよぉ……」

 小さく呟いた声に、僕はエチル・クフール・ランプの蓋を閉めた。小さな炎が、途絶える。

 椅子から半分落ちかかるような体勢のアステアを抱き上げる。とめどなく溢れる涙が、いくつかの水滴を放つ。

 アステアを抱いたまま、花畑に向かった。百パーセント天然由来の柔らかなベッドにアステアを横たえ、片手を握る。

「実験……しててよ……」

 息も絶え絶えな懇願に、しかし、僕は立ち上がる気になれなかった。握りしめた手が、力強く、僕の手を掴んでいた。

「君の病を治そう。それで、僕らが望んだ地獄に行こう。」

 その手は、激痛に握りしめた故に、僕に声を幻聴させたのかもしれない。たすけて、と。しかし、それならそれでよかった。

 少しだけ、彼女の苦悶の表情が緩む。

「君が痛がる間、ずっと、手を握っている。」

 少なくとも、僕はどこへも行かない。

 僕の存在が幻覚だと思われないくらいには、ちゃんと。

「わたしと、一緒に来てくれる……?」

 アステアの瞳がゆっくりと閉じ始める。

「ちゃんと、君と一緒にいるよ。」

 そうして、アステアは瞳を閉じる。

 そのあと、どれだけ時間が経っても、彼女が暴力に呑まれることはなかった。



 それから、彼女はどれくらい眠っただろうか。

 朝日が瞼を温めて、僕は目を覚ました。目を覚まして初めて、自分が眠っていたのだと自覚した。眠っている間は、自分が寝ていることを自覚できない。それは、僕たちが僕たちよりも上位の次元に存在する者たちを知覚できないのと同じだ。眠ると、次元の階層が落ちる。

 僕が目を覚ましたのに気付いたのか、アステアも瞼を開けて、僕に微笑んだ。彼女がそうやって微笑むのを、初めて見た。

「おはよう。お寝坊さんだね。」

「……もう昼か。」

 いきなり昏倒し始める方がお寝坊さんだ、と言いくるめることはできたろうが、わざわざ口にしなかった。

 握ったままだった手が解かれて、温もりに包まれていた掌が気化熱を実感する。

 目を覚ましていたのに、君は手を握ったままだったんだな。

「アルカリの触媒にしよう?」

 アステアは突然に言った。彼女があまりにも自信満々に言うからか、僕もそれでいい気がした。

 何故?と、一応、問いかけてみた。

「人の涙は、弱アルカリ性だ。」

 アステアは、自虐するように言った。

 器にこぼれた、昏倒する前の彼女の涙を思い出した。


 結晶が載せられた器に、アルカリ溶液を注いだ。処理が終わった後は、有機溶媒による抽出と、弱酸を使った不純物の溶解を行う。

 今となっては貴重な清潔な水で、アルカロイドの塩を洗い流した。

 これまで、何千、あるいは何万年という間、我々の目から逃げおおせてきた、純粋無垢な存在が、そこに立っている。

 濁った白色、少しばかりの透明を含有した、結晶。

 カラシナから単離されたアルカロイド。そして、僕の知る限り、有史以来初めて、基原植物から単離されたアルカロイドだ。

 それこそが、モルヒネであった。


 アステアが集めた資料から推察するに、かつての戦争で使われたモルヒネは、皮下注射によって投与されていた。

 この結晶を液体状にして注射器から血管に注入する。

 薬剤を即効的かつ効果的に全身に巡らせるのであれば、循環器系の力は必要不可欠だ。であるならば、そこにコンスタントに接続できる静脈への投与は、考える価値がある。あるいは、大動脈に近しい部位、上腕や大腿などへの投与が効果的かもしれない。

 注射の容易さでいえば、上腕からの摂取が最も現実的であろうか。

「リゼルキルト。」

 思わず、思考が現実から浮き上がっていた。

 決して高い次元に行くわけではない。ただ、現実から剥離するだけ。アステアの声で、僕は呼び戻された。

「なんだ。」

 アステアは、少しばかり言いづらそうに言った。

「そういえば、あなたが、これを完成させたら……どうするのか、聞いてなかったな、って。」

 これを完成させたら。

 彼女の目的は、達成されたといっていい。もちろん、これが理想的な効果を示すということを確認しないわけにはいかないが、成功したのならそれで目的は達される。しかし、僕の目的は違う。僕は、この国の病に特効薬を打ち込む。そのために、この国の動脈を、あるいは静脈を、注射針を突き刺す位置を定めなければならない。

 けれど。僕は、彼女とした約束を思い出した。


「君が痛がる間は、付き合うよ。」


 アステアは、しばらく僕の顔を見つめていた。訝しんで手を振って、やっと彼女は人間的な代謝を取り戻した。

 アステアの手が、僕の手を取る。

「……また、……て、……手……握ってよ。」

「あぁ。」

 温かな感触。アステアは、切なそうな顔で僕の顔を見て、その真意を覆い隠す様に顔を背けた。長い髪が遮って、君の表情を見ることができなくなる。握られた掌だけが、強烈に熱を伝達する。

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