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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第一部【血と暴力の病】

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Ep.3『私が選んだ地獄に行きたい。』


───本書は、バハラータ共和国により閲覧禁止措置を講じられた書物である。同時に、いかなる時代の国際連帯組織からも、無闇な拡散の防止を要請されている。当局職員の閲覧に際しては、以上の点を注意されたし。


 背表紙から飛び出ていたのは、スピンではなく千切られた鎖の尻尾だった。そして、そこに取り付けられたタグに、バハラータ語で記述された一文。確信する。この本の価値。

 誰も、この力を解放する気がなかった。誰も、この力の持つ、本当の薬理作用について理解しなかった。誰も、誰も、誰も。

 これが特効薬だということに気付かなかった。

 彼らは、誰もが答えを示していたではないか。なぜ、それを言葉通りに受け取らなかったのだろう。

 これは、全ての苦痛を取り去る薬なのだ。



 花畑で揺れている花からは、独特の匂いがする。極彩色のその花々の香りは、お世辞にもいい匂いとは言えず、この花がモデルとなった香水は現れないだろうと思った。花の趣味が悪い女ばかりである。

 そんな花畑のど真ん中で、アステアは眠っていた。少し前から、人間の力では引き裂けないような魔力繊維の服を着るようになっていた。僕がこの場所をよく訪れるようになったことと関係があるのかは、わざわざ追求しなかった。

「アステア。」

 こういったときは、大体の場合、呼びかければ目を覚ます。

 緩慢な瞼が開いて、その双眸が露になる。片目には、瞳がなかった。随分と寂しい眼球だけが、居心地悪そうに収まっている。

 アステアは、その片目を前髪で隠して起き上がった。

「いらっしゃい。」


 オイルライターの擦過音がして、煙草に火が灯った。

「その本の実物は?」

「悪いが見せられない。持ち運ぶのもリスクがある。」

「わかった。」

 僕が話した内容は、ある薬の精製法と、それに伴うあらゆる知識であった。薬理作用から致死量、生物活性に至るまで、その全てを話した。全ての苦痛を取り払う薬。誰もがこう形容した。”魔薬”。

「わたしが探している薬と、一致する部分が多い。もしかしたら、同じものを指しているかもしれない。」

「……その病状は、どうにかなりそうか。」

 問いかけた僕の言葉に、アステアはすぐさまに応えようとして口を開き、そして噤んだ。

 少しばかりの時間を置いて、独白する。

「痛いんだ。」

 伏せた眼が、本に埋め尽くされた地面を見ている。

「意識を失う直前、本当に痛いんだ。心臓から指先まで全部に電気を通されたみたいに痺れて、しんどくなる。その後に、内臓をいっしょくたに握りつぶされるみたいになって、信じられないくらい苦しくて、びっくりするくらい変な声が出る。自分じゃ出したことない音域の声が、空気とぐちゃぐちゃに攪拌されて零れる。同時に、皮膚を裏側から錆びた刃物で引っ掻かれるみたいな痛みがして、耳とお腹が一番しんどい。

 壊れた蛇口みたいに涙が止まらなくなって、ちゃんと全部見えている筈なのに、脳が見えてるものを処理してくれなくなって、最悪の気分でわたしは意識を閉ざす。そして、目が覚めたら、あの花畑にいる。

 たまに、変人の鞄を抱えてたりも、する。」

 最後に少しコミカルに笑って締めくくる。それが痛々しくならないのは、祝詞のように完成された独白の流暢さのせいだろうか。

「わたしは、この痛みさえどうにかなれば、最悪、なんでもいいよ。そのあと意識を失ったとしても、暴力に支配されたとしても、自分がこの病に罹ってるって突きつけられても、最悪、それでいい。」

 全ての苦痛を取り払うのなら、きっと、それは叶う。

「だって、この国の病に薬なんてない。死と憎悪の病には、特効薬がない。」

 彼女の眺めた窓の外に、カラシナの花が揺れている。



「目下、問題は、あの本に原材料の名前が載っていないことだ。」

「確かに。それは、そっか。」

 研究資源は有限。あまり遠回りをしている余裕はない。僕の資金は、今はゼロすら下回ってマイナスだ。アステアが働いているのは、マフィアの手がこれでもかと加えられた密輸煙草の小売店。大した稼ぎではない。

「だが、予感がある。」

「……予感?」

 アステアが寄越した視線は、与太話を聞かせたら殺す、と言わんばかりの鋭い怒気が含まれている。しかし、僕が話そうとしているのは、よほど与太話であったし、上手く言っても所詮寓話の類だった。どうか、彼女に殺されないことを願いつつ、僕は立ち上がる。そして、初めてこの部屋に立ち入ったときのことを思い出した。

「この資料、どこで手に入れた。」

 指さしたのは、山脈に住まう犯罪組織について記した手記だった。

「西洋の方から流れてきた、って……店のじじいは言ってたけど。」

 ゴールドラッシュの最盛期は約百年前。後期となれば九十年前くらいだろうか。

 料亭も犯罪組織も、年を重ねれば箔がつく。その伝聞は州を跨ぐだろうし、大陸を横断し、海を渡る。西洋の超老舗犯罪組織といえば、思いつく候補がいくつかある。

 犯罪組織の息の根は長い。縄張りなどを持ち始めた組織が、壊滅し、勢力図を瞬く間に書き換えられるようなことは、有史以来、一度も起こってはいない。

 つまりそれは、僕の知っているある与太話が、この手記と厳かに接続するということだ。そう、そこに記されているのは。

「アンガレジア。彼らは、病を克服した者たちだ。」


 アンガレジアが生業としていたのは、山のふもとの町にいる富裕層の親族を誘拐し、身代金を巻き上げる、所謂誘拐ビジネスだった。しかし、その都合上、彼らは山に身を隠すほかなかった。誘拐した人質を隠すには格好の場所であったし、彼らの住居としても、山は効果的に機能した。

 しかし、その山は物質濃度が特殊だった。通常であれば、生物居住不能区域に指定されるような場所で、中腹以降の酸素濃度は極端に薄く、人間であれば、活動から五分で意識を消失し、もう五分あれば体中の血圧が極端に低下する。十五分で脳が酸素欠乏症に陥り、脳死状態に移行する。その後、呼吸困難や餓死で、その身体は真の意味で死を迎える。

 そんな環境で、彼らが組織を形成した背景には、その地に伝わる言い伝えに答えを視ることができる。


───病があるところに、薬がある。


 彼らは、山にこもり、その山に群生していたとある植物の葉を噛んだ。チューイング、と称されるそれは、葉の化学成分を経口摂取し、ある生物活性を示した。それこそが、血圧の上昇と、血中酸素濃度の向上である。それはつまり、天という神の世界に近づいた人間への呪い、そう畏怖していた人体の血中酸素濃度異常を、”病”という現実の現象として呑み下した瞬間であったし、同時、それを克服したということでもあった。

 平常な物質濃度を示す土地では、容易に人体の脳内物質のバランスを崩す劇薬であることを除けば、その植物とは、彼らにとって途方もない薬だった。


 僕が語った与太話に、アステアは拳こそ出さなかったものの、呆れたような視線を向けてきた。

「教会の説教みたいだ。」

「神父が誘拐ビジネスの話をするのか?」

「物の例え……」

 アステアは、目にもとまらぬ速さでチェインスモークの構えに入り、紫煙を吐いた。

「ならあなたは、この国に、この街に、その薬の原材料があると思っているの?」

「あくまで予感だ。」

 実際、僕はそうだったから。

「それに、その話の薬って、薬って言えるの?……結局、環境がそうだったというだけで、わたしには毒物にしか思えない。」

「君は、何を根拠に薬と毒を分けるんだ。」

「……それは、」

 毒と薬という呼び名は、我々が慣習的につけた曖昧なカテゴライズだ。毒と呼ばれていようが、薬と呼ばれていようが、それらは全て、生物活性を示す基原植物、あるいは化学物質だ。そこに存在するカテゴライズは、毒や薬ではなく、酸・塩基指数のような実用的なものだけだ。

「毒も薬も、変わらない。僕は、この国の病を克服してやりたいと思っている。薬を処方してやりたい。しかし、この国の病のお陰で肥え太っているマフィアにとって、それは薬だろうか。自分の身体を蝕む毒に思えるんじゃないだろうか。

 僕は、それを客観的に判断できる主観を持たない。みんなそうだ。」

「あなたがこの国に処方した薬が、この国を殺してしまったとしても?」

「僕がそれを喜ぶのなら、僕が処方したのは、薬だったということになる。」

 誰も、それをわからない。

 この国を精巧にシナリオし、プロットした何者かがいるのならば、それ通りに事が運ばなければ失敗だ。僕は、毒を処方したことになる。けれど、もしそんなシナリオライターがいるとしたら。その存在についてを、きっと僕たちは知覚することができない。

 だってその何者かは、”自分の存在に気付く”と、筆を走らせることはないだろうから。僕たちの意識は、第四障壁についてを解釈することができない。

「それに、この国にも寿命がある。宿主を無くした病は、宿主と共に死ぬ。」

「死と、憎悪が、終わるの……?」

「極東の島国で、広域犯罪組織対策法、というものが施行された。あの国の病は、根絶の一途を辿っている。つまり、彼らにとってはそれが薬だった。」

「この国に、そんな余力はない。ずっと病んだままだ。」

「方法はそれだけじゃない。他の国のマフィアや犯罪組織を誘引すれば、今の病と打ち消しあうかもしれない。寿命で死ぬのもありだ。」

 死と憎悪の病は、注射された特効薬によって根絶され、やがてこの国という肉体は、或る平穏を迎える。

「そして、次の病に罹患する。あるいは、その薬の後遺症に。そうでしょ?」

「あぁ。そうだ。でもそれは、この国の寿命を極端に削ることになる。」

「国が死ねば、病も消える?」

「そうなるかもしれない」

 後味の悪い結末だと、言わざるを得ないだろう。僕たちが散々苦しんだ病は、宿主を打ち倒すという宿願をまさしく達成し、そして、宿主の死体の中で安らかに息絶える。僕たちには、一矢報いる機会は訪れない。

「この国の病を完治させる方法は、一つだけだ。新たな薬、あるいは毒を注入して、新たな病を発病させる。あるいは、後遺症を残す。しかしその病は、二度と寛解することのない威力を持っている必要がある。宿主が自死を望んだとしても、決してそれを許さず、宿主を永遠に蝕み続ける。」

 そのときはじめて、僕たちは、この死と憎悪の病に一矢報いてやることができる。死、と憎悪の病、それよりもよほど凶悪な何かを取り込むことで、僕たちが現在進行形で蝕まれている病は、もう二度と、この身体に憑りつくことはできない。

 僕たちは、新しい地獄に移り住むことで、唯一、かつての地獄に煮え湯を飲ませることができる。

 永遠に続く病とは、それほどの力を持っている。

「やっぱり、あなたが作ろうとしているものは毒物だよ。」

 アステアは顔を伏せたまま煙草を消した。本の塔を倒さないように、彼女の傍に歩み寄った。

 その綺麗な黒髪を分けて、隠されていた表情を覗き見る。


「この、クソみたいな病にとっては、きっと劇薬だろう、ね?」


 愉悦を浮かべた笑みが、アステアの表情に沈着している。



 アステアの家の庭、その花畑。ある一輪の花の傍らに、実をつけた茎を見つけた。

 珍しいものを見つけたから、アステアに許可を得て貰って帰った。そこまで珍しいものではないらしいが、彼女の審美眼のお眼鏡には適わないようで、いつも放ったらかしにしていたらしい。

 家に帰って、いつも通りに油圧装置のバスタブの下に隠しておいた。ビニールに収められた植物と、得体の知れない実。かつては五十万ダラという大金を隠していた床下収納も、今となってはよくわからない植物の保管庫の様相となってしまった。


 翌日、なんとなくその実を見てみた。

 鼠だろうか。()は小さな牙に啄まれてしまったようで、その傷跡から、乳白色のどろどろとした液体が滴っている。さらに翌日、まるで昔からの習慣かのように実を観察した。実に固着していた粘性の液体は、ぽろりと剥離していた。その翌日、乳白色だった液体は真っ黒に変色していて、液体というよりは固体の、タール状の物質に変貌した。

 翌日、見たこともないほど大きな鼠が、物質の横で死んでいた。死骸は家の外に捨てて置いた。その翌日、バスタブが持ち上がり始めた途端に、思わずえずくような異臭がした。収納の床一面に、鼠の死骸が敷き詰められていた。

 タール状の物質は、彼らの死骸の下敷きになったのか、それとも食われたのか、なくなっていた。

 全ての死骸を廃棄するのは一苦労だった。道端に打ち捨てられていたボロ布を持ってきて、まとめてくるんで死体の壁に捨ててきた。彼らは疫病を媒介すると何かで読んだから、わざわざ高い金を払って湯屋に行った。

 翌日、少しばかり気になって、死体の壁に寄った。相変わらずの悪臭と、病気になりそうなむせ返る瘴気。蠅が飛び回り、蛆虫が狂乱している死体の下で、蠢いている何かを認めた。

 鼠だった。

 毛が全て抜け落ちて、薄いピンク色の皮膚が露出していた。瞳のない真っ白の眼光は、ゆっくりと僕を見定めて、そして跳躍した。その脚力は、およそげっ歯類のそれではなかった。

 一か八かで拳を叩きつけて、上手く腹に入った衝撃が矮躯を吹き飛ばす。死体の壁に激突して地面に叩きつけられた痛みは、その小さな身体には堪えただろう。けれど、鼠はそんな素振りもなく、操られた死体のように、片足を引き摺りながら向かってくる。その牛歩の歩みに、なにかただならないものを覚える。

 その額に、小さな乳白色の角を認める。

 瞬間、MSCSを引き抜いていた。照星もろくに合わせてもいないのに、トリガーの一段目を引いた。MSCSは、上手く演算処理をしたようで、二段目のトリガーのロックが解除される。躊躇うことなく引き金を引いた。あとは、システムが勝手に当ててくれる。

 遠距離用の空間伝達型衝撃魔法が、鼠の小さな体をずたずたに破裂させた。小さく連鎖した粟立った血の破裂、粉々に粉砕された骨のようなものが、地面をほんの少しばかり抉り取って埋没していた。

 MSCSに登録されていたのは、コンクリートを抉るような衝撃波を放つ魔法で、確か正式名称をロングレンジショックウェーバーと言って販売されているパッケージだったはずだ。相手の武装を壊すような魔法を、まさか、小動物に使う日が来るとは思わなかった。

 微かな衝撃に、息が切れた。死体の壁から離れて、MSCSを素早くベルトに収める。

 深く、深呼吸して、何度か繰り返した。死体の壁の傍でやるよりは、よほど美味い空気が吸えた。けれど、浅い呼吸の乱れは収まることはなくて、思考を巡らせることにした。

 あの鼠が、もし。僕が捨てた死体の中に紛れ込んでいた個体だとしたら。

 そういえば、彼らは何故死んだのだろうか。何故、あんなにも大量に、僕の家の地下収納に集まってきたのだろうか。

 呼吸が止まる。

 背筋を走るような悪寒はすぐさまに引っ込んで、ただ、冷静な俯瞰のみがあった。

 とある生物活性を持つ物質を分泌する植物。つまりそれを辿れば、とある基原植物に辿り着く。彼女が横たわる花畑がよぎる。


「あの花には、生物活性がある。」


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