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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第一部【血と暴力の病】

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Ep.2『MSCS』


「モルヒネ。」


 答えをくれたのは、黒い女だった。

 女は、肩に提げていたバッグを投げて寄越し、顎で指した。中身を確認しろ、と言外に示したのだろう。

 バッグの中には、五十万ダラの札束がしっかりと入っていた。といっても一、二枚盗まれていても気付かないだろうが。

 彼女の家なのだろう場所にズカズカと入り込んだ僕も、もちろん彼女に同じことを考えさせただろう。

「好奇心だ。盗みが目的じゃない。」

「別に、どっちでも同じでしょ。気にしない。命があるだけ、感謝するよ。」

 女は、手近な窓のカーテンを引いて、陽光を招き入れた。鬱屈とする暗さが、少しだけましになる。それで、さっきよりも女の姿がよく見える。僕の視線に気づいて、女は前髪を梳いて片目を隠した。

「服は、着替えた方がいい。」

 僕が気にしていたのは、彼女が何故だか隠した片目ではなく、挑発的に引き裂かれ、柔らかに露出した裸身だった。

 視線を下ろして自身の状態を認識した女は、特に何の反応もなく、本の塔にかけられていたジャケットを羽織り、前を閉めた。

「あなたが出て行ったら、そのあと着替える。」

 ほんの少し、赤らんだ耳が見える。

 やましい気持ちで見ていたわけではない、というのはおそらく伝わらなかっただろう。

「名前は?」

 口ぶりから、出て行ってほしいのかと思っていたが、女は意外にも名前を聞いてきた。

 隠す必要もないと思って答える。

「リゼルキルト。君は。」

「アステア。アステア・グルクロニド。」

「……憶えられない。アステアでいいか。」

「うん。いいよ。」

 黒の女───アステアは、またしても本の塔の上に置いてあった煙草の箱を取り、咥えた煙草にオイルライターで火をつけた。

「家名があるのも煙草を吸ってるのも、わたしが裕福だからじゃないよ。」

 煙の奥にくゆるアステアの瞳が、一際濃ゆい煙のせいで見えなくなる。

「グルクロニド家は没落しているし、この煙草も専売公社のじゃなくて、バルデリーニ・ファミリーが流通させてるどっかの国の粗悪品。落胆した?」

「……元から、期待してない。」

 僕が突如抱いた疑問は、すぐさまに彼女によって暴かれた。しかし、彼女が裕福などという幻想は、本当に抱いていなかったのだ。だって、

「君は、MSCSを持ってない。」

 この街で金を手に入れたときに最初にするべきことは、銃を買うことだ。

 この街で自我を手に入れたときに最初にするべきことは、カートリッジの装填の仕方を学ぶことだ。

 この街で設計をするときに最初にするべきことは、安全装置を提案してきたアシスタントを首にすることだ。

「魔法なんて、信じてない。引き金を引いて、魔法が発動して、人が死ぬ。古典武装で戦争してたときと同じ。ずっと変わらない。人間は、人殺しの感触を、ずっと武器に仮託してきた。この世界に武器として誕生した時点で、人間が鬱積させてきたその呪いを、引き受けることになる。

 そりゃあ、世界は平和にならないよね。彼らは、人間を許さないだろうから。」

 アステアは、つまらなそうに煙草の灰を灰皿に落とした。

 この部屋の中にある堆く積まれた本たちは、記憶媒体という本懐のほかに、家具という役割も担っている。彼女は本の椅子に腰かけて、本のテーブルの灰皿に灰を落とし、本の食器棚のコップを取り上げる。


「病に、侵されている。」


 アステアは云う。

「誰かが殺された。誰かを殺した。教義に反した。災厄のときが来た。レパートリー豊かな理由で、人殺しが起きる。死が撒き散らされる。この国は、病に侵されている。永遠に終わらない、憎悪の病。武器が、この病を連れてきた。武器を呪い続けたわたし達に、彼らは呪いを返すことに決めた。だから、彼らはわたしたちを病ませた。この国を病ませた。」

 それは、死と憎悪の病。

 テーブルの上に視線をやる。実験器具に見えるガラス製品や、彼女が手ずからしたためたのだろうメモが、無造作に散らばっていた。

「特効薬を作りたいのか。」

「この国の病をどうにかしたいわけじゃない。これは、わたしの特効薬。」

 壁一面、あるいは、壁四面を埋め尽くす、とある薬の名前に通ずる資料の数々。

 積み上げられた本もそれらと同じ資料ならば、埋め尽くされているのは壁や床だけでなく空間だ。

「病名は。」

「わからない。昔は医者がいたから診て貰ったこともある。でも、わからなかった。

 強い痛みを感じる。その次に、意識がなくなる。そのときの記憶はなくて、大抵は、いろんなところで暴れて、あの花畑に戻ってきて眠っている。

 この国と同じ病に罹ったのかもしれない。死と憎悪に、傅く病状。」

 それはまさしく、この国が抱える病と同じだ。

 盲目的に権威を信奉し、憎悪と怨恨だけがエネルギー源となる。

「作れそうなのか、特効薬は。」

 いつの間にか煙草を吸い終わったアステアは、吸殻を灰皿に押し付けて火を消した。

「あの薬が手に入れば。もしかしたら。」

 アステアが指さす、とある手記のページ。壁に貼り付けられたそのページに、薬の名前が濃く書かれている。

「全ての痛みを取り払う、戦場の死の病の特効薬。みんなが、”魔薬(まやく)”と呼ぶ薬。」

 オイルランプが置いてあるテーブルセットは、この部屋の中で唯一、原材料が本ではない家具だ。そのテーブルには、おびただしい量の試験管と、樹液のような黒い物質。蒸留装置のような代物に、カラフルな付箋のような紙片といくつかのバットが載っている。その下には、やけに存在感を主張する瓶やタンクの類が押し込まれていて、表面にはテープや塗料で聞いたこともないアルファベットの羅列が連ねられていた。

「あなたの鞄を奪ったわたしは、何人殺した……?」

 アステアは、なんでもないように聞いた。僕も、なんでもないように話した。

「二人。」

「そう。」

 人を殺すことは、悪いことじゃない。少なくとも、この国ではそうだ。あるいは、戦場でも、そうかもしれない。

 彼女は、この国の人間としては失格の倫理観を持っている。けれど、病に罹っているから、死生観については及第点。いまさら殺人に心を痛めるような処女性は持ち合わせていないはずだ。

 だから、そこで顔を顰めたのは。アステアの行動それ自体が、この国の病を体現しているからなのだろう。

「人を殺したときの君は、魔法を使っていたよ。」

「……わたし、MSCSは持ってない。」

「なら、君の脳が魔法を発動したんじゃないか。」

「できるわけない。人間ができないから、機械がやるのに。」

 では、どう説明するつもりだろうか。なんの武器も使わずに、大の男二人の腹を突き抜けた衝撃を生み出した原理を。

 そこまで懇切丁寧に話してやるのも億劫だった。

 MSCSは、脳を拡張する。そして、その果てに、人間が不可能とする脳の真髄を開放する。その爆発に、魔法という名前を付けた。

「暴力衝動が、人間の脳を蝕んだ病だというなら。それは、魔法の発動をも可能にするかもしれない。」

 第二次大陸戦争は、魔法が体系化され、MSCSとして制式化されて勃発した。

「魔法とは、人を殺すのには絶好の手段だ。」

 それは、死と憎悪の病に憑りつかれた人間が目覚める病状として、まったく蓋然性がある。



 昨年、我が国は未曽有の大災害に見舞われた。

 具体的には大陸プレートの歪みによる大地震である。地層の断裂により陥没が起こり、巨大な渓谷が形成されるまでに至った。二次災害で魔力災害が起こり、大気中の物質濃度が乱れ、国土の南方は生物居住不能区域となった。

 この街の被害は、首都に比べれば軽微ではあったものの、それはまずそもそもの都市構造が貧相であったためと言わざるを得ない。この街には、壊れていない物の方が少なかったのだ。

 国内には、復興支援の全てを賄えるほどの優良企業は存在せず、政府からの公共事業は軒並みマフィアの関係企業に攫われることとなった。入札された金額のほとんどはマフィアの懐に入り、武器か人間か宝石に代えられた。そして、その端数の金によって、やっとこの街に公共事業としての仕事が下りてくる。

 マフィアが切り捨てるような金額でも、貧民街の人間にとっては生きていくためのかけがえのない金であった。


 だらだらと歩く日雇い労働者の列に揉まれながら、じめじめとした地下道を歩く。少し開けた空間には、三台の改札があり、僕たちは切符を入れるのではなく、それぞれの改札に控えたマフィアの構成員にラベルを貼られる。

 色は三種類。赤色は、完成間近の運河をシャベルで掘削する治水作業。黄色は導水管や薬品池を作る土木作業。緑色は、ポリ塩化アルメンや次亜塩素ナトロンなどの薬品を調達する係。

 貧民街の有象無象を徴用する都合上、専門性のある仕事を任されることはほとんどない。僕たちが担うのは、文字通り人間工業機械だ。この街のマフィアは、勢力の拡大に必要な銃器や酒、煙草の製造・流通に資本を投入する。公衆衛生が担保されなくて困るのは貧民だけである。そんな事業に、わざわざショベルやダンプなどを買い揃えてやることはない。

 大地を割り、たくさんの人々を殺した災害は、マフィアには全く手をかけることはなく、むしろ、肥え太らせる結果となった。

 いつも通り、殴るようにラベルを張る男の改札を通り過ぎる。肩に叩きつけられたラベル。

 黒色だった。



 いつもの癖で、用意されたラベル通りの通路に進んでしまったが、普段は黒色のラベルなどないのだから、もう少し狼狽えるべきだっただろう。妙に小綺麗に整備された廊下を歩いて、屈強なマフィアの構成員にボディチェックをされる。もちろんMSCSは持ってきていなかった。

 入れ墨塗れの彼らは、見るからにゴロツキという感じで、マフィアやギャングという名に即しているように見える。そしてつまりはそれが、彼らがマフィアの中でも下っ端であるということも表している。真のマフィアというのは、呼吸をするように億単位の取引を行い、何千人という社員のマネジメントを行う代表取締役である。その風貌は、大陸中央証券取引センターのビジネスマンや、プライベートジェットを乗り回す上場企業の社長に近い。

 二分ほど廊下を歩いたところで、二つ目のボディチェックが入る。僕の身体検査のために待ち受けていた二人の男は、仕立ての良いスーツを着込み、資産価値すら持つだろう腕時計をはめた、清潔な姿をしていた。マフィアの上層部が、こんな場所に現れることはない。彼らにとってここは、文字通り掃き溜めである。

 つまりここから先は、暴力の世界から接続した、資本主義の世界ということになる。


「久しぶり、リゼルキルトくん。」


 限りなく白に近いセミロングの髪。到底貧民街に生きていては維持できない艶やかさを湛えたそれは、瞳を覆い隠さない程度の場所で切り揃えられていて、その眦の傍らに、気色の悪いデザインの花飾りをつけている。極東の島国のとある植物を模したものだと聞かされたことを思い出すが、その名前を思い出すには至らなかった。密集した水分子から触手が突き出たような様相のそれは、黄色に着色されていて、辛うじて花と認識できる。

「ふふっ、あぁ~その面倒くさそうな顔……堪らなくなってしまうわぁ……!」

 予想していないわけではなかった。というかむしろ、こんなことをするのは───=できるのは───彼女だけだろうと思った。

───セスタ・クリスタルベリー。

 初めて会ったのは、僕が本格的に身寄りをなくしたくらいの頃。

 当時は、こんなにも快楽主義者(ヘドニスト)然とした女ではなかった。この世界の全てを知り尽くし、全知全能となったうえで、全くこの世界はくだらない、と宣うようなつまらなそうな顔をした女だった。

 一体いつからか、この女は僕の前に度々現れるようになり、こうして面白い感じに変貌した。

「アタシのことは、……嫌い?」

「君のことはそれほど。……単刀直入じゃないやつは嫌いだ。」

「は~いっ!」

 公共事業、それも浄水場の補修工事は、もちろんマフィアの関連企業が入札した。しかし、全てじゃない。

 ほとんどのマフィア関連企業の狭間、そこに、彼女の会社が滑り込んだ。総合商社クリスタル・ベリー。この街の公共事業の中で、クリスタル・ベリーの手が入っているのはここだけだった。

「この前お願いされたオーダーメイドのMSCS、完成の目途が立った。」

「料金は足りたか……?」

「ううん。ちゃんと飛び出た。あは、別に、アタシが全部出してあげてもよかったのよ?」

「何を担保にされるかわかったもんじゃない。」

「えぇ……!ちゃんと大事にするのに……」

 セスタが僕との交渉事のテーブルに求めるのは、僕そのものの所有権だ。しかし、僕は未だかつて、彼女との交渉に自分の所有権を持ち込んだことはない。それは、セスタという女への好悪に限らない理由だ。

「武器商人だからって、乱暴には扱わないのに。」

 武器商社クリスタル・メス。表の顔は、黄色の可憐な花を咲かせた、慈善事業に金を出す資産家。しかし、そう宣う彼らは気付いていない。その黄色の花とは、抽出・合成することで猛毒を生み出す、そんな毒物の原料となる基原植物であるということを。

「それにしても変わったMSCSを作るのね……もっと普通の形状だったら、リゼルキルトくんの予算で全然足りたのに。」

 彼女との空間を分かつテーブルに紅茶が運ばれてくる。人から茶を提供されるなど、何年ぶりだろうか。

「ねぇ、考えてくれたかしら?……この国を、出ていくこと。」

 クリスタル・ベリーの本拠地は、隣国にして大国、バハラータ共和国である。彼女からしてみれば、我が国はあまりにも矮小で、レベルが低い。それは、生活水準、治安、犯罪組織、その全てにおいてである。この国のマフィアが彼女の横暴を許すのも、それが理由の筈だ。

 クリスタルベリーという名前、ひいてはクリスタル・メスという名前が持つ力は、一企業という範疇を逸脱しない。しかし、非合法の限りを尽くすこの街のバルデリーニ・ファミリーは、その一社に拮抗できない。

「故郷に帰って、もっと人間みたいな暮らしをしたほうがいいわ。この国は、ちょっと、おかしいし。」

「君の国に帰っても、何も残してきたものはない。それに、やっと糸口が掴めそうなんだ。」

「……リゼルキルトくんの、目的の……?」

「あぁ。彼女なら、できるかもしれない。」

 そう口走ったところで、セスタの姿が消えた。まるで霧散するようなそれは、一度の跳躍でテーブルを超えた、彼女の身体能力の成せる技だった。せっかく区切られていたのに、可憐な女社長は容易くそれを越境する。瞬く間にソファに押し倒され、純度の高い結晶のような双眸が、僕を見ている。

「キミは、自分の目的も、その道のりも、アタシには何も教えてくれないのね。」

「必要がない。」

「彼女って、誰のこと?」

「貧民街で知り合った女だ。」

「女だわぁ……!」

「大体は男か女だ。」

「ふ~~~ん、そ。そーですか。ふんっ」

 掴まれていた腕を押し返して、「わ!」とバランスを崩したセスタを組み伏せた。

 体勢が逆転して、彼女の肢体に僕の影が落ちた。なんの社会的価値も加味しない筋力という基準でいえば、一般的な成人男性の体格に、少しばかり身長の高い女が拮抗することはない。

「ぁ、あの……なに……?」

 おずおずと、セスタのか細い声が聞こえた。

「しつこい女も嫌いだ。」

「わ、わかったから……!ごめんなさい……って……」

 細腕が、僕の手を解こうと身じろぎしていた。

「ねぇ……ごめんなさいぃ……嫌いに、ならないで……?」

 もとから、大して好いてもいないから、「ならない。」と言い捨てた。不安そうにこくりと頷いた表情の横に、気色の悪い髪飾りがある。

「キミがくれた手紙の本、ちゃんと手に入ったわ……」

 腕の力を緩めて、ゆっくりと起き上がるセスタに手を貸す。

「何語だ。」

「んぅ……現金な人っ……ちゃんと、キミが読める言語よ。」

 セスタは大判の小包を持ってきて、僕に差し出した。受け取った本のタイトルを(あらた)める。

「本の代金と手間賃は、足りなかった料金と足してツケといてくれ。」

 ソファから立ち上がり、そう言い残して背を向ける。「ぇ、もう……?」と溢したセスタに、何も返さなかった。

 その背中に、硬く、鋭い感触が突き刺さった。

 皮膚や衣服を貫くほどではなかったその衝撃と、振り向く前に地面に落ちた金属製の音。

 僕の踵に触れたそれは、彼女がつけていた髪飾りだった。随分手癖の悪い女だな、と思った。

 解けた髪を微かに梳いて、ぞっとするような表情でセスタは言った。


「最期には、ちゃんと。アタシのところに戻ってくるんだよ……リゼルキルト。」


 あの髪飾りは、ともすれば、注射器となって僕の血管に突き刺さってしまいそうだ。あるいは、もう、ある化学物質は僕の身体を巡っていて、注入された傍から脳を目指し、そのために、血液─脳 関門に到達しているかもしれない。

 脳内報酬系が、異常な快楽物質を放出している。



 

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