Ep.47『もう何年も、死体を運んでいる』
「もう、一年前か……」
煙草の煙を吐いて、受話器を取った。
流れてくる暗号は、一つたりとも正しい文脈を持たず、その上、幾多の言語をない交ぜにした、出鱈目な文章だった。しかし、一年も聞いてくれば聞き方も覚えてくる。俺は大した苦労もせずにそれを聞き取り、そうした指令の受け方をするたびに、更新される暗号解読表と格闘してた一年前を思い出した。
受話器を置いて通話を切る。
「おい!行くぞ。」
俺が声をかければ、柄の悪い連中が、行儀の悪い武器を持って各々立ち上がる。
「隊長、今回は。」
「上が手先にしようとしたストリートギャングの連中だ。三ブロックの中だけじゃ、満足できなくなったんだそうだ。」
MSCSを抜くのに、もう手間取らなくなっていた。
真っ白のそれは、未だに剣をモチーフにしていると揶揄される。MSCSでありながら、トリガーの一つもついていないのが原因なのだろう。しかし仕方がない。俺はトリガーを引けないんだから。
この受話器をスムーズに取るのにも、中々の苦労があったのだ。
真っ黒な地下道の、ボロボロの壁に取り付けられた受話器を見た。
「では行こう。ロス・アンタニオスの掟を、執行する。」
俺がロス・アンタニオスに入ってから、今日で一年が経過していた。
*
ミストラン・ベリオは、アメリクスの州刑務所の中で勃興した刑務所ギャングであった。刑務所の中で酒池肉林の限りを尽くし、幼児性愛者を嬲り殺しにしているうちに、その勢力は刑務所の外にまで広がるようになり、やがて一つの街区を統率するほどにまでなった。
もちろん、それだけではカルテルの権威には欠片たりとも及ばない。幼い頃から缶ジュース一本くらいの値段で殺しを請け負ってきた彼らを、カルテルが買ったのだ。
底知れぬ残虐性と青天井の凶暴さは、容易に敵対カルテルを制圧せしめ、カルテルの恐ろしさを誇示する道具になった。
しかし、その同盟関係も長くは続かなかった。
メヒクト共和制樹立後、独裁政権に近かったメヒクト政府の隙間は、途端に厳格な法律に埋められてしまった。半ばシステムの一部のように横行してたカルテルの賄賂やカルテル絡みの汚職などは、途端にパッシブなものからアクティブなものへと変わった。つまりは、カルテル利権の大幅な縮小である。
さらには、同時巻き起こったメヒクト・ダラの急落によるインフレを皮切りに、カルテルは凶暴さを増した。
彼らが金に困ったのではない。カルテルはアメリクス・ダラしか信用しない。困窮したのは、カルテルではないメヒクトの人間だった。そんな彼らが、高級車を乗り回し、高級娼婦を呼んでセックス・パーティーに興じている魔薬利権に参入しない理由はなかった。
敵が増えれば競争は激化する。当然の市場原理が、非合法の世界を富で満たした。
軍隊規格の小銃型MSCSが、ミドルレンジの軍用魔法を乱射する。
俺が隠れていた小路を通り過ぎて、その魔法は中空を爆ぜながら、いくつかの崩落を巻き起こした。
ミストラン・ベリオの反乱も同じことだった。彼らは、市場に参入した。つまり、独占企業体となったのだ。そして、当然の原理ながら。
「独占企業体は独占企業体に、一切の容赦はしない。」
ゴーのハンドサイン。カルテルの連中が一気に飛び出していく。
この先には、農場に至るための関門がある。障壁デバイスによって防護されているとはいえ、その厳重さが逆に、彼らに悟らせる。自らが進んできた道が正しかったのだと。
真っ先に敵陣に躍り出た男が、彼らが浅知恵で持ち込んだタクティカルシールドを蹴散らし、その隙間からショートレンジ系統の軍用魔法を乱射した。機械的な銃声の全てに、敵の誰かしらの血肉が噴きあがる。
狂乱の中を、カルテルの連中は一切の容赦なく突撃する。
ものの数十秒で、敵は少なくとも人の形はしていないような肉の塊に変貌し、ぐちゃぐちゃに地面を汚した。
「清掃班に連絡しなくちゃならないじゃないか。」
「やっときます。」
申し出てくれた彼にあとを頼み、俺は真昼間なのにクソ暗い道を歩いて行った。
小さく呟き、MSCSを起動させる。大ぶりなナイフ、あるいは山刀くらいだった刃渡りが、螺旋を描いて延伸し、僅かな電子音を響かせて口径を収縮させる。
こうして見てみれば、珍妙な決闘用の剣に見えなくもない。
曲がり角の向こう側に、微かな魔素偏光を認める。これは感覚だから、誰にもわかってもらえたことはなかった。でも、照準されたことをわからずに、どうやって不可視の魔法を迎撃できるのだろうか。
虚空にMSCSの切っ先を突きつける。
敵のトリガーが沈み込み、MSCSは忠実に演算して魔法を激発させる。音もなく音速に到達した軍用魔法は、その疾駆の過程をぶつ切りにしたように俺の眼前に到達し───。
手榴弾が爆発したようなくぐもった轟音が響き、遅れて、掃除の行き届いていない地下道の土埃がわっと背後に抜けていった。
俺の死を確信して敵がその顔を出したとき、既に。俺のMSCSの切っ先が、奴の顎に触れている。
「ぐぶ」
どぱん、と水でぱんぱんに膨れた袋が破裂したように、男の頭が首からすっぽ抜け、地下道の低い天井の隅に叩きつけられた。硬い殻が砕けたような音。沁みだした水音が、暗闇を不快に反響する。
首を無くした死体をシールド代わりに、踏み出した俺の一歩は、常人のそれとは明らかに違う速さを持っている。
死体には、無遠慮に魔法が叩き込まれ、しかし、そこから噴き出す血液や臓器の切れ端などは、俺の進撃を止めるに至らなかった。シールドが骨ばかりの空疎なものになる頃には、ミストラン・ベリオの連中は俺の射程圏内にいる。
定石通り、徒手格闘に移行したところを見るに、奴らにも多少の戦闘の心得があったと見える。俺の顎のすぐそばを通過した腕が、根元からはち切れて切断される。
避けた重心は、俺の上体をわずかに反らせている。本能がそうさせるように、滑らかに足を運んだ。隆起する下腿三頭筋が、寸分違わずに、敵の鳩尾を撃った。間違いじゃなかったはずだ。放射状に伝播する衝撃が、その身体を吹き飛ばすのに、銃撃という比喩はぴったりなように思えた。
俺が撃ち放った弾丸によって、三人ほどがつづら折りになって地面に激突する。
「ポゥカンターンラピド!!」
懐かしいスパー語の訛りだった。俺とお前の戸籍は、同じ役所の、同じラックで管理されていたかもな。
答えてやる義理もなかったが、少し気をよくして俺は教えてやった。
「もう何年も、死体を背負って生きてるからだよ。」
コツリ、小さく小突いた俺のMSCSが、彼らに死という烙印を押す。そいつの感想を聞くより先に、肉片が爆ぜた。確か四人はいたはずの敵は、今となっては誰が誰だったのかもわからなくなっていた。
*
「あんたがいると、毎回こうだ。」
「俺のお陰で飯が食えてるんだな。感謝してくれ。」
俺が死骸で汚し尽くした通路を前に、清掃班の班長が呟いた。俺だけの手柄だと思われては困る。さっさと引き上げていった部隊の連中も、それなりに楽しんでいた。
ただ流石に、通路の奥で蹲って吐いている奴を見て、気の毒になる。
「酷いところは俺がやる。薬液とブラシを貸してくれるか?」
固形の内臓や肉体の破片を取り除いた後、専用容器に入れていた薬液をぶちまける。
波打ち際のように薄く地面を這った薬液は、血や肉に限らず、骨まで溶かす強力なやつだった。その昔は血を落とすだけだったらしいが、MSCSによって吹き飛ばされた骨の破片が、今となっては唯一の幹部となったクレノア嬢の裸足の足に刺さったらしく、それ以来、「骨すら残すな」が清掃班のスローガンとなったらしい。
壁と天井には噴霧器で噴きつけて、ゴシゴシとブラシを擦り付ける。DEAにいたころは、その薬液は毒物を超えて兵器のような扱いをされていたが、流石犯罪組織というべきか、カルテルの中ではそう厳重な管理をされているようには見えない。
一時間ほどかけて凄惨な現場の後片付けを終えて、地下道のところどころに隠されている弁を回す。俺のそれに合わせて、清掃班の連中がめいめいにブラシをかける。地面に残った薬液を水で洗い流し、はく離した血液も一緒に押し出される。やがてそれは壁面の僅かな隙間に流れていき、最終的にはメヒクト湾に向かって海の藻屑となる。
奴らの着ているような防護コートを、俺は頂戴してなかったから、班長は気を利かせて俺を水洗いしてくれた。綺麗ではないだろう水がシャツに染み渡り、不快に肌に張り付いた。
「お前がもし裏切ったら、俺が殺してやるよ。班長」
「こちらこそだ。あんたが死んだら、俺が綺麗さっぱり掃除してやる。」
ずぶ濡れの俺にタオルをひっかけて、清掃班は引き上げていった。
「俺も帰るか。」
びしゃびしゃになってしまって不快なシャツを脱ぎ、タオルで体の水気を拭きとっていく。
農場はカルテルの基地も兼ねている。タクシーも車も使えないから帰るのは億劫だが、住めば楽園のようになんでも揃っていた。
常駐する構成員から、普段は支部にいる構成員が寝泊まりしても十分なほどに寝床が確保されているし、食糧もある。この間は、ヒュドラ畑の間をまだ小さなガキが走り抜けていって度肝を抜かれた。どうやら最近、学校ができたらしい。
それが良識的なのかは中々難しい問題だったが、彼らが走り抜けていった先のトンネルには昼間っから喘ぎ声が反響するような娼館通りがあったから、まぁ非常識だっただろう。
やっとたどり着いた関門は、鉄格子と、なんとかという素材でできた巨大な鉄扉があり、その表面はでこぼこと歴戦の風格を見せている。何十発と魔法をぶっ放された跡だった。
壁に埋め込まれたインターフェイスの、『認証』を押した。俺の虹彩を判別し、鉄格子と鉄扉が開かれる。鉄扉、とは言っても、その扉は重々しく持ち上がっていく方式で、それをなに戸と呼ぶのか俺は知らなかった。
関門からも、随分と歩かされる。
次の扉は、俺が自信を持って引き戸、と呼べるタイプのもので、しかし自動だった。いい加減面倒くさい認証を終えて乗り込むと、その小さな部屋は音もなく駆動した。これで、農場最寄り駅まで俺を直送してくれる。
何かの映画で見た脱出ポッドを思い出しながら、俺はぐったりと、太陽のない頭上を見上げた。
昼間なのに真っ暗な通路の終着点、認証を終えた俺の目に、光が飛び込んでくる。膨大な地下空間に否応なく設置された、カルテル手製の照明器具のお陰だった。どうやら調整して太陽光と似たような光を放っているらしく、ここで目を覚ました時には地上と区別がつかない。
しかし、その光も全てはヒュドラ栽培のためだった。眼下に広がる街と、青々としたヒュドラ畑を見渡して、カルテルの言う技術的問題解決のためのブレイクスルーというのがどれほどの資金を必要とするのか、冷や汗が出る。
通常の太陽光の約二・二四倍の魔素偏光を含んだ光は、どうやら人間の視覚には正常よりも強く輝いて見えるらしい。大して気温は高くないのに、メヒクトの砂漠の直射日光を思い出す。確かに、こんな光にばかり囲まれていれば、闇が恋しくもなるだろう。
とぼとぼと歩いて、俺に割り当てられた宿舎に戻る。
扉に手をかけたとき、中から人の気配を感じた。
「こっちが警戒してんだから、ちょっとはそれに付き合ってくれてもいいんだけどな。」
やけくそに扉を開けて、ダイニングに入る。俺が寝っ転がるために搬入させたソファで、クレノアが寝息を立てている。
起こしてしまったか、少しばかり微睡に目を細めたクレノアは、ぱっと覚醒した。
「おかえり。」
「お、おう……ただいま。」
そうやって微笑まれるだけで、奇麗な曲線を描く紅に何度でも心を奪われる。
「他の奴に見られてないだろうな。変な噂立てられたら、あの人に殺される。」
「大丈夫だもん。」
ぷいっとそっぽを向いたクレノア。ローテーブルに置いた紅茶を啜って、彼女は思い出したようにこちらを見た。
そして、子供にするように俺に手招きした。大した屈託もなくそれに従って、彼女の隣に腰を据える。ソファが二人の体重分沈む。
「怪我、してる。」
「かすり傷だ。」
「だめ。」
そういえば、シャツは脱いできていた。俺の身体に浮き上がった痣や切り傷は、クレノアには一目瞭然だっただろう。
MSCSの特性的に、自分が被弾していなくても、接近戦ではこうした些細な傷を受容しなければならない。それこそ、弾け飛んだ骨や武器の類は、人間の皮膚を削り取るのに最適な形をしている。
クレノアは、ゆっくりと俺に顔を近づけて、俺は、彼女のその唇に意識の全てを奪われていた。そんな間に、彼女の顔は俺の首に埋められていて、その少し後に感じた湿り気のある感触にくすぐったい笑みが零れる。
彼女が舌を落としたのは、俺の首筋に引かれた一際長い切り傷だった。一体どの攻撃のときについたものかは定かじゃないが、少し、血も流れていたみたいだった。水を頭からかぶったのに流れていたのなら、帰路で瘡蓋が剥げたのだろう。
頬にバシバシとあたる彼女の綺麗な黒髪。そしてその奥で確かに感じる人間の体温に、悟られない程度に頬擦りした。小刻みに揺れるその頭は、丹念に俺の傷口を舐めとり、生暖かく湿る首筋に、甘やかで、どこか物足りない情動が湧き上がる気がした。
そんな魅力的な時間は、俺が惚けている間に終わってしまい、最後に、柔らかな何かが、俺の傷口を少しばかり触れた。顔を上げたクレノアの悪戯な笑みに、思わず赤面させられる。最後のキスは、まだ、俺の唇がもらったことのないもので、貰ったことのない言葉を思い出させた。
「血液ってのは汚いんだ。病気になっても知らないからな。」
「じゃあ、舐める前に言った方がよかったね。ノアが舐めるの、わかってたんでしょ?」
べ、と小さな舌を見せたクレノア。全くその通りな正論に、有効な弁解を持たなかった。
「でも、ノアは大丈夫。」
だって、と前置いて、クレノアは眦を綻ばせる。
「ノアの体は、特別だから。」
部屋の隅に置かれた花瓶。そこに、紅花が飾ってある。
*
真夜中。農場の中は、勤勉にも夜闇を再現する。
自室を抜けて、ヒュドラ畑の方に出た。娼館通りはさすがにぽつぽつとしか明かりがついていなくて、暇そうな客引きがトンネルの中で紫煙を吐いていた。
植えられたばかりのヒュドラの一角。その土を掘り起こして、端末を取り出す。持ち込むのには苦労したが、持ち込んでしまえば、こいつが露見することはないだろうと確信を持って言えた。
発信する番号は暗記していた。忘れたことはない。カルテルの構成員として生活するこの一年の、その前から、俺はその番号を忘れていない。
『もしもし。』
「俺だ。定期連絡にかけた。」
『そ。久しぶり、ね。』
通話の向こう側の不愛想な声。
『まだ怒ってるのか、リケティア。』
リケティアお嬢様のご機嫌は、今日も悪い。
深夜の定期連絡の電話番は、その時間帯の都合の悪さも相まって当番制だった。けれど、ここ数か月はずっとリケティアが務めている。怒っていながら、毎週そうやって電話番に名乗りをあげるリケティアを想うと、その愛くるしさに笑みが漏れた。
『なに笑ってるのよ……もう。……大丈夫、なの?怪我とかしてない?』
「あぁ。元気だよ。そっちは」
『…………さみしい』
「あ、あぁ……悪い」
俺が独断で決めたカルテルへの潜入は、直接ロキシーさんに承認されたので、リケティアという諮問機関を通っていない。手続き上必要なかったから省略したが、関係性上省略するべきではないというのは、当時の俺もわかっていた。だからこそ、俺は相談しなかったし、今日もリケティアお嬢様は情緒が不安定なのだ。
『戻ってこられる目途は立った?』
「……一か月後、あの人が農場に来る。警備は厳重になるが、帰る時にはそっちに引っ張られる。そのときが狙い目だ。」
『わかった。』
見渡した場所。この場所で、ロス・アンタニオスは終着する。
『そっちでは、なんて呼ばれてるんだっけ』
アンタニオスとは、この組織にとってとても重要な名前だったという。しかし、俺がこの組織で名乗っているのは、そんな大層なものじゃなかった。ただ、自分のフルネームを雑に取ってきただけの、そんな簡単なコードネーム。
「キキ。」
悲しそうに笑ったリケティアの声が、随分懐かしく思えた。




