Ep.46『道』
休憩室のソファの上で、ぼーっと天井を見ていた。
大農場の完成と竣工式。それが、今日成されたのだった。
「奴らは、こんな日に僕に殺されたのか。」
かつて、クァトロ・バルデリーニとコード・ゼータは、浄水場の竣工式の日。僕とマツシマによって殺された。
もし今日、この社長室に乗り込んでくるような奴がいたら、絶対に通さないようにしようと心に決めた。わざわざ現地に赴いてくれているマツシマには悪いと思ったが、僕は全く死にたくない。
結局三冊にも増えた資料。僕らが研究開発して作り上げた技術は、ぶち当たった壁のブレイクスルーの数だけ存在する。ある区画に見つかった脆弱な地盤を、確実な安全性で担保するために新たなボウリング装置の開発などを行ったわけだが、そのお陰で農場の形は良い感じに歪になった。
農場の位置情報については、カルテルの上層部のみが知る機密事項となり、農場の様々な関門に近づいた人間の認識を少しばかり歪ませるような魔法の開発も行った。どうやって照準するのかについてはいろいろと意見を出したが、結局は新型MSCSの開発ということになり、相応に時間と金を取られた。
セスタが厚意で続けてくれていた、蜃気楼の農場の捜索も、思うような成果は出していなかった。
実際に建設する立場になってわかったが、本当にそんなものが昔から存在するということの信憑性は、随分と薄くなっていた。
部屋の隅にあるデスクの傍に、MISURANIAのエンブレムが刺繍された帽子があった。
「もう、一年前か。」
アメリクス合衆国は、完全にMISURANIAへの支援を打ち切った。大々的に公表され、『アメリクス-MIS事件』と題された新聞記事が、アメリクス大陸を駆けまわっていった。これからニキラノアという国がどうなっていくのかはわからないが、もう僕には関係のないことであった。そしてそれは、あの、光になった少女にとっても同じことだ。
空っぽになった独房。消えた、ゼンドーア・ヴェスタ。
内線が鳴った。電話を取って、名乗らなくてもいいのは楽だった。あちら側から、「リゼルキルトさん」と呼び掛けてくれる。
『お客様が来られていますが、アポイントメントがありません。』
「……君らが追い返さずに電話を掛けてくるくらいだ。どんなお客さんだ。まさか、ゼンドーア・ヴェスタが見舞いに来たか?」
僕は、デスクのパスコードキーボードに暗証番号を入力し、トラップ機構を作動させた。ランプを乗せていた壁と一体型のラック。その底面が開き、油圧によってゆっくりとアンタゴニストの姿が現れる。
「今日の僕は星が悪い。誰にも会わないぞ。」
『電話、代わりますか?』
「あぁ。そうしてくれ。」
少しのノイズと、沈黙の後。
僕はすぐに受話器を戻した。
*
「お久しぶりであります、ね。リゼルキルト殿。」
社長室の扉を開けたところに、いたく綺麗な姿のアザルベーダがいた。
ぴったりと体のラインを浮かび上がらせていた軍服とは正反対に、その豊満な胸を緩く覆い隠すような爽やかなシャツ。履いていたのは、機動力重視の細いパンツではなく、ガーリーなロングスカートだった。
「アザルベーダ……いや、ええと……アザルベーダだよな……?」
「ひ、酷い!ボクです!なんでわからないのでありますか!」
「いや、悪い。そういうのを着る柄じゃなかっただろう。少なくとも一年前は。」
「そ、そう……でしたかね?」
前はそんなに綺麗だとは思っていなかった明るい金髪が、下ろされて緩やかに靡いているのも趣味が悪い。いや、似合っていて素敵ではあるのだが、お前の普段のスタイルは、結い上げたのを帽子の中に仕舞っておくスタイルだっただろう。
こっちが変に意識させられるのも面倒だ。彼女を招き入れて、社長室の扉を閉じた。
「一体、今までどうしてたんだ?」
僕は、少なくとも一年前に、これからどうするんだ?と彼女に問いかけるつもりだったのだが、今ようやっと、一年越しに、真逆の質問をすることになるとは思わなかった。
「報酬も受け取らずに行ってしまったそうじゃないか。」
「まぁ、ええっと……はい、であります。」
帰国した僕はその顛末を、やけにニヤニヤした顔のセスタに告げられて、随分と居心地の悪い思いをしたのだった。
「僕を、待ちすらしなかった。」
「っ!あ、あのっ、寂しかったのですかっ?あぁぅ、そんなつもりではなかったのです!」
わたわたとするアザルベーダに多少の留飲は下がった。が、あの後、彼女がどんな道を歩いたのか。そして、どんな中間地点を辿って、今、この場所にいるのか。僕は、それが気になって仕方がなかった。
君は、自分で行く先を決めることができたのだろうか。自分の意思で、この場所まで赴いたのだろうか。
「……あのあとは、ゼンドーアを探していたのです。」
「なんのために。」
「殺すためです。」
その可憐な姿とは正反対に、彼女の口からは、あまりにも呆気なく「殺す」という言葉が滑り出てきた。けれど、そこに含有されているのは、大局的な思想というコーティングに包まれていない、ただ、矮小な、アザルベーダからの言葉だったように思えた。
「僕らが帰国したときには、既に奴は消えていた。」
「はい。ボクが到着して、そのあとすぐです。もちろん疑われましたが、セスタさん、という方が僕を逃がしてくださいました。」
あの女。これ以上金を持ってこられないとわかればそれか。やはり全ての意思決定の優先順位、序列一位が”金”の女である。それもそうだろう。僕が敵意なしと判断した相手に、カルテルが捜索と暗殺の資金を割けば、それは損失以外の何ものでもない。
「故郷に戻ったり、オンドゥラやメヒクトを探したりしましたが、結局見つかりませんでした。」
「普通に生きよう、とは、思わなかったのか。」
「普通、というのが、ボクにはあまりよくわかりませんが、少なくとも、自分のためだけに生きよう、とはしているのです。でも、その前に済ませておかないといけないことがあります。」
「君は、父親に縛られているのか。」
「はい。だから、その鎖を引き千切らなければなりません。どれだけ遠くにいても、ボクたちは繋がっている。また後ろ髪をひっつかまれては、たまったものではないですからね。」
思わず、彼女の髪に、手を伸ばそうとしていた。
僕は一度、その綺麗な髪が引きちぎられる様を、ただ見ていたことがあった。今回に限っては、それはそうするべきだったと、今でも思っていた。でも、それに虫唾が走ったのは本当で、僕が見捨てたのも本当だ。
だから、その髪に触れる資格を、僕は有していないと思った。
「いいですよ。」
アザルベーダは、テーブルを周り込んで僕の隣に座った。
僕の躊躇を見抜いて、そのくだらない懊悩すら、愛おしそうに。
「代わりに、ボクは貴方の胸を借りますから。だから、存分に触れてください。」
そこまで御膳立てされて、今更躊躇するような可愛げを発揮できなかった。僕が手を伸ばすと、うるうると揺れた瞳が、僕を見つめていた。その瞳には、光が宿っている。
といた髪が、指の間を滑り落ちていく。それは、やがて彼女の肩を滑り、物理法則に基づいてあるべき場所へ流れていった。君の髪は、そんなに長かったんだな。
「どう……ですか?」
「綺麗だ。」
「……は、……はいっ」
不安そうな表情が、ぱっと晴れて、輝いて見える笑顔がそこにある。
僕がアザルベーダの都合も考えずにその髪を弄んでいると、おずおずと、少女は聞いた。
「ぼ、ボクも……その、いいんですよね?」
そうだった。僕が彼女の髪に触れる代わりに、彼女に胸を貸す約束だった。少し顔を逸らして、胸をあけてやると、少し躊躇った後に飛び込んでくる。もうすこし加減というものがないものかとは思ったが、押し倒されるようなことはなかった。
「リゼルキルト殿……!」
「なんだ?」
少女は、僕の耳元で囁いた。
「愛しています。」
*
セスタ・クリスタルベリーとの会合は、プライベートジェットの中、上空四万フィートで行われた。
僕が頼んだのは、カルテルに無礼を働いたMISURANIA、その首領であるゼンドーア・ヴェスタの捜索と、捕縛であった。僕に求められたのは、それに見合う相応の態度、だったが僕が手酌でワインを注いでやったら満足したらしいので対等な取引であったと言える。
クリスタル・メスは、メヒクト合衆国内で大型トラックに同乗し生活していたゼンドーア・ヴェスタの身柄を探し出し、休憩に立ち寄り停車したタイミングでその身柄を拉致した。その身柄は、つつがなくカルテルのメヒクト支部へと移送された。
「やっぱり、ここまで来たならビールを飲んでいくべきだな。」
「あー……そうでありますね。ボクが着飾って注ぎましょうか?」
「悪くないな。」
じめじめとした地下空間は、今は牢屋であるから、地下牢と呼んで差し支えないだろう。
壁を伝った水滴が、空間を湿気で埋め尽くし、行き場を失ったそれがあらゆる菌を誘発する。醸成された有菌室には酷い臭いが蔓延していて、深呼吸でもしようものならあらゆる呼吸器を侵され、新たな疾患の症例第一例目になれそうだった。
「さて、久しぶりだな、ゼンドーア・ヴェスタ。」
僕らと檻を挟んで向こう側、そのボーダーラインの向こう側、ゼンドーア・ヴェスタがいた。
命令である、絶対に殺すな、はしっかりと守られている。逆に言えば、死なない程度のあらゆる拷問を加えられていると言っていい。
ぱっくりと裂けた額の奥には、生々しく覗く骨が見えていて、そこから流れた血液は、顔面の半分を覆っても飽き足らず、その首元から服の中にまで侵入している。血液色のコーティングが一体何重にされているのかはわからなかったが、乾燥して角質の模様にひび割れたそれが、まさか一度の暴行の結果というわけではないだろう。
ゼンドーアは、随分と重そうにその首をもたげ、最後には視線だけをこちらに寄越した。あのバカバカしい革命家語録は、拷問の中で残弾を切らしたらしい。
「僕がこいつのためにあんたを探させたと思われたら癪だから言っておくんだが、これは僕らの期待に沿えなかった、あまつさえ、僕に舐めた口を利いた制裁だ。誰を敵に回したのか、僕らを敵に回したらどうなるのか、僕らが今、どんな力を持っているのか。それを、あんたらと、まだ見ぬ僕らの潜在顧客に教えてやるんだ。」
僕の残忍なカルテル語録も、随分とレパートリーが増えてきた。まだ当分の間は、弾切れに悩まされることはなさそうだった。
「癪って……リゼルキルト殿、結構寂しがってたみたいでしたけど……」
せっかく僕が七面倒臭い処刑シーンを演出しようとしているのに、よく似合っているセミロングの毛先を操るアザルベーダは後ろでぶつぶつと言っている。別に構わないが。
「……あざる、べーだぁ……そんな、得体の知れない連中、にぃ……たぶらかされた、か……!」
マツシマといい、こいつといい、失礼な奴らである。僕らはニーズに応じて処方する、みんなのためのお薬屋さんだ。思想のために命をかけるような反政府組織のあんたらの方が、僕からしたら得体が知れない。
僕は置いてあった汚い椅子に腰かけて、わざわざ持ってきた綺麗な椅子にアザルベーダを座らせた。まわりを見渡してみたが、ゼンドーアの椅子はないようだった。仕方がないので、そのまま這いつくばっていてもらう。
「アンタゴニスト。」
僕の声に呼応したアンタゴニストは、正しく駆動して戦時状態に移行した。
*
ボクの目の前には、ボロ切れのようになったゼンドーア・ヴェスタという男がいた。
血縁関係で言えばボクの父親にあたり、人間関係でいえばボクの仇敵にあたる。
もはやそれを父親だと感じるようなセンチメンタルな感情は持ち合わせていなかったし、考えてみれば、そんな感情を抱いていたことはなかったような気もする。
それでも、血はボクらの体の中を巡っていて、そして、皮膚を突き抜け、この空間を媒介し、ゆっくりと不可視の糸を接続している。その糸が、不可視の鎖となってボクを縛っていて、ボクの速さを引き摺っていた。あるいはそれは、道だったのかもしれない。
ボクに思想を陸送する道。ボクが盲目に突き進む道。随分と前に通行止めになっていたのに、改修工事は行われず、こうして今になって、その不全が事故を引き起こした。
「ゼンドーア。あるいは、軽蔑せしお父様。」
ゼンドーアは、ボクに壮絶な瞳を向けた。拷問の果て、実の娘の前で這いつくばり、その娘の一挙手一投足に、命を握られている。
あぁ、それでも、彼はボクの父親なんだ。
「これまで育ててくれてありがとう。ボクは……」
どうしてだろう。こんなにも憎んだ相手だ。殺すために、一年も探し回った相手だ。ボクが、殺さなければならない相手だ。それなのに、ボクらの間にある物理的な障壁をバイパスした血脈は、それでも。親殺しに、こんなにも引き金を躊躇させる。
「どうして……どうして普通の道を歩ませてくれなかったんだ……!どうして貴方はそんな人間なんだ。どうして、もっと普通の、幸せな家庭を築けなかったの!?ボクに、どうして親殺しなんてさせるんだよ……ッ!」
興味のなさそうな眼が、ボクを見据えている。貴方はずっとそうだった。
「自分の娘が、銃の扱いを覚えていくのをどんな思いで見てたんだ!ボクが人を殺す度に、ボクが新しい資金洗浄の方法を見つけてくる度に、ボクが手榴弾のピンを抜くたびに、どんなことを考えてたんだよ!」
ボクがこれだけ叫んでも、きっと貴方に涙を流させることはできない。貴方に血を流させることはできない。
ボクは、貴方の思想じゃなく、貴方のことを話したいんだ。貴方に刃先を突き立てて、貴方の血液を浴びて、貴方の涙を受け止めたかった。それが、みんなが貰って当たり前だっていう”愛”だったはずだ。
「ねえ、お父様。」
ボクは、リゼルキルトの方を見た。
彼の手にしたMSCSは、ボクのものと同じオーダーメイドのはずだ。あんな形のものは、カタログでも見たことがなかった。その形は、決闘とかをしていた時代の剣のようだった。前時代的なモチーフをあしらったそれは、しかし、最新鋭の方法で敵に死を密輸する。
ボクの視線を受け取って、彼はその引き金の一段目を引いた。突きつけた銃口から、ゆっくりと魔素偏光が延びていく。それは、朝霧の中に揺蕩う木の葉のように、外から与えられた光によって可視化される。ゆっくりと砲身を形作り、その先は、鉄製の柵の間をかいくぐって、その境界線を割って、ゼンドーア・ヴェスタの額に達した。
「トリガーを引けば、お前の父親は死ぬ。」
「ボクに、引かせてくれますか。」
リゼルキルトは、なんにも言わないで頷いた。ボクは、彼の手からそのMSCSを引き取り、トリガーに指先を据えた。
そのときに、ゼンドーアは静かに泣いた。
あぁ、まだ、ボクの前で泣いてくれるんだ。思想も何もない、ただ、血と、暴力だけがあるこの場所で、貴方は、ボクのことで、涙を流してくれるんだ。
なにを想って泣いているんだろう。ボクのことを、どう思っているんだろう。あるいはそれは、ただ彼の思想から流れ出た血液だろうか。わからないから、ボクは、少なくともこれまでの自分を省みて、その後悔に涙したのだと思うことにする。だってその方が、後味がいい。
「さようなら、お父様。」
さようなら、ボクのお父様。そして。
「さらばだ、ゼンドーア・ヴェスタ。」
引き金を引いた。
魔法は、静かに発動した。やがて、彼の額から注入された魔法は、そこに一切の苦痛を齎さず、ゼンドーア・ヴェスタを死に誘った。反政府組織の首領であり、ボクの敵であった男。地面に突っ伏し、光のない瞳をその眼窩に宿す男。
そしてそのときに気付いた。
彼の魔法とは、剣を模していたわけではない。それは、道だ。
その死が、果たしてゼンドーア・ヴェスタのどの行動により生み出されたのかはわからない。でも、これだけは言える。それは、リゼルキルトという存在によって運ばれてきた。そしてそれは、やがて彼によって、この魔法で、その道のりによって届けられる。
彼はずっと、そうしてきた。彼はこれからもそうするだろう。彼というMSCSが生み出した、魔薬という魔法を、カルテルという道があるべき場所へと注入する。そしてその道は、彼に力を与えるだろう。
ボクを光にしてくれたように、その道は。
彼を、王に変貌させる。
*
アザルベーダが滞在している間に、僕は大農場まで赴くことにした。
「そういえばなのですが」
「あぁ。」
「リゼルキルト殿が探していると言っていた農園は、結局あったのですか?」
それは、僕以外の人間が、この砂漠の中に、既に大農場を作り上げていたのではないか、という、寝物語にもならないような話である。たしか、アザルベーダにもそんな話をしたことがあったかもしれない。
僕は、セスタが提出した報告書の内容を思い出した。
小型機をローラー作戦で飛ばし、何台ものピックアップトラックが土ぼこりを上げ、ソナーによる地中捜査までやった。そして、とうとう僕たちはある事実を発見した。
「───なかった。完膚なきまでに、何もなかった。この砂漠には、昔からある農園なんてなかった。僕らの思想を、僕らより先に見つけていた同志は、いなかった。本当に、ただの蜃気楼だったんだよ。」
しかし、それは少し前までのことである。
僕らは、この場所に、蜃気楼ではない蜃気楼の農場を作り上げた。
昼間なのに真っ暗の通路を抜けて、専用のパスコードを入力する。アザルベーダを連れたって、開いた扉を抜けた。
瞳が疼く。だだっ広い農場の中には、街がある。緑に溢れ、子供たちが駆け回っている。僕らの目の前に、農場を見渡す展望台の入り口がある。
その向こう側で、随分と久しぶりに会った男が立っていた。
その貌に、思わず拳を握り固める。
「久しぶりですね。リゼルキルトさん。」




