Ep.44『鉱物に変貌する人体』
問題とは、多発するものである。
それは、各々の或る踏ん張りで抗えるほど容易くはなく、またそうした各々の行動の結果引き起こされる。その巨大な流れは、他の流れと相互作用し、良い結末を、あるいは悪い結末を齎すのだが、その好悪の区別については、僕らが勝手に付与したに過ぎない紛い物のラベルである。
さて。僕らの流れは、とある流れと接触し、そして拮抗した。合流するつもりはさらさらないし、僕らが方向を変えてやるつもりもなかった。
つまり、僕らは敵を叩き潰さなければならない。
「教えてくれよオルラエン。僕らがあんたに売った生娘の純潔は、そんなに安かったか。」
「違うっ……!違うんだ……だが……仕方のないことなんだ……すまないっ、本当にすまなかった!」
今度僕に問いかけられた相手は、どこぞの負け犬連中の大将よりよほど身を弁えていて、僕らが立つ滑走路の脇で、地面にゴリゴリと頭を擦り付けた。
「現状を教えてくれ。何が問題だ。」
「彼の会社だけでなく、今、全ての民間航空会社がフライトの中断を求められています。例外はニキラノアですが、積載荷物の検査は必須でしょう。」
僕らがプライベートジェットシェアリングの会社を取り込んだのは、ニキラノア、オンドゥラ、バハラータ、グランナダラ、メヒクトの空港で、プライベートジェットの手荷物・積載荷物検査が簡易的だからだった。
魔薬密輸においてこれほどの温床もないと思って打っていた布石が、現金輸送の計画に化ける。僕は勝ちを確信していたが、そう上手くはいかない、と翼を叩き折られた現状にも納得していた。
「アメリクスとて、この現金が少しでもアメリクス大陸に留まっていれば、周辺諸国関係当局との連携で取り戻せる可能性が高いことをわかっている。ニキラノアなどは、我先にとこの金を追うでしょう。目の敵にしていた敵の資金であり、アメリクスへ絶大な貸しを作れる。
中央アメリクス大陸に、この金の逃げ場はない。持ってあと三時間。IMFTやニキラノア政府の頑張りによってはもっと短くなります。」
「そうだな……なるほど、それで空域の閉鎖まで漕ぎ着けたわけか。流石はアメリクスだ。」
「変わり身の速さにも惚れぼれしますね。ただ、閉鎖というわけでもありません。あくまで要請です。アメリクス空軍が出張って来ることもないはずです。」
しかし、それでは僕たちは順調なフライトでこの金を持ち逃げできるはずだ。マツシマがそんなにも深刻そうに話すはずがない。
アメリクス空軍は当分出て来られない。あくまで要請。そして、このあまりの足並みの揃い方。
奴らには、僕らが飛行機を飛ばした瞬間にチェックメイトを言い渡せるほどの論拠があるのか?
そして、バハラータ、オンドゥラと亡命した戦闘機パイロットとの雑談を思い出す。
「対領空侵犯措置か……!」
「ええ。私たちが今飛び立てば、親アメリクス国家の空軍、そしてニキラノア空軍は、自国の領空侵犯でもって武力行使が可能。それは、国の防衛という大義名分に担保されている。
どんな機関であっても、彼らが私たちを撃墜したことに文句を言わない。関係機関の衝突回避策がいらない、オートマティックな空域封鎖です。」
「なるほど。要請の最中に飛び立ったプライベートジェットなら、他国の軍用機と錯誤されても仕方ないというわけか。」
無理くりの策ではある。しかし、国際社会はそれを問題にもしないだろう。僕らは、中央アメリクス諸国のどこかしらの国に侵入しようとした闖入者として扱われ、僕らに付与される国籍についてはCIMが機転を利かせる。
ともすれば、何かしらの国や機関一つを悪役に仕立て上げてでも、アメリクスはこの金を取り戻しにくる可能性がある。
「スクランブルといえば、何が出てくる。」
「大体は戦闘機でしょう。」
「こいつで戦闘機に勝てると思うか?」
「マッハまで加速できれば、緊急脱出の余地くらいあるかもしれません。」
僕が指したプライベートジェット。定員八名の旅客機で、プロペラ機だった。旅客機の中では小さくとも、今までの飛行機に比べれば巨体。照準は随分とやりやすいだろう。
「道、どこかに、道はないか……」
その道を辿り、終着点までいく必要がある。しかし、道筋は見えず、何がその道を作り出すのかもわからない。
「散らかってきたな。」
コーヒーが欲しかった。でなければステーキ。アンタゴニストの柄を叩く音が、不快に響いた。
「速さがいる。」
提言したのは、とあるパイロットだった。
僕をこの国に送り届けた、小型飛行機のパイロット。当時から親アメリクス派だったシェンロウ王国空軍からバハラータに亡命し、その最終目的地ニキラノアへ行くために、オンドゥラの地に自分の力で降り立った男。
「名前、そういえば聞いてなかったな。」
「……いい。面倒臭い。」
「僕が呼ぶとき面倒臭いんだ。毎回専属パイロットと呼ばないと駄目か?」
「あぁ、そうか、悪かった。トールだ。そのまま呼んでくれ。」
トールは、言い方こそ気だるげだが、誠実そうに見えた。一緒にこの飛行場に降り立ったフライトでも、僕の疑問に事細かに答えてくれたのを覚えている。
「速さ、と言ったな。」
「あぁ。そこの人が言ってた通りだ。マッハに達すれば、すり抜ける道ができる。
彼らの大義名分は、領空侵犯へのスクランブル。領空を高速で突き抜けて出ていけば、わざわざ追いかけては来ない。そんなことをすれば、奴らの方が領空侵犯になる。」
「元」戦闘機パイロット。トールの腕には、あの亜音速の鋼鉄を操ってきた感覚が、まだ残っている。
「一つだけ、方法がなくもない。」
トールは、飛行場の脇にあったボロボロの小屋を指差した。辛うじて判別できるシャッター。かつての駐機場だったのかもしれない。
彼は自分について語った。
「俺は、もうあいつを使えない。最後のフライトで空間識失調を起こした。もう資格がない。だが。」
トールは、ゆっくりと歩いた。そして、その駐機場のシャッターをこじ開け、その隙間からボタンを押した。
シャッターは、甲高く軋み、擦れるような音を立てながら開いていった。引きちぎれた蔓が、ぶちぶちと音を鳴らした。
「あなた達の中に、資格を持つ者がいれば、これを譲る。」
開いたシャッターの奥に、戦闘の化身が鎮座している。
「俺の戦闘機を、譲るよ。」
*
「第三世代戦闘機。スピィルトヴォズ。スピルトボズ、が一般的な発音だ。」
「戦闘機の今の主流は……」
「第四・五世代。けど、最新鋭でそれだ。今回相手にするのは、性能が良くて第四。下手したら、第三世代が出てきても驚かない。」
マツシマが気にしていたのは、その戦闘機がどの世代にカテゴライズされるのか、だった。トールの話では、世代が違えばそれだけ戦闘パターンも違い、その性能についても雲泥の差がある。
僕らが今回相手にするのが第三、第四世代戦闘機だとするならば、同等、あるいはそれを凌駕する操縦技術が必要になる。
「さて、僕らのカルテルに、戦闘機を操縦できるようなやつがいるか?」
そんな奴がいるわけもないということを、僕もマツシマもわかっていた。だから、それは答えを期待した問いではない。マツシマもわかっていたから、肩を竦めるだけで何も言わなかった。
僕らは、最終的にはトールに運転を任せるつもりだった。彼が言ったバーティゴ、というのが、戦闘機パイロットにとってどんなことを意味するのかは、わからなかった。だからこそ、わからないままに、彼に頼むつもりだった。
「操縦席に、ケースを何台も積めるようなスペースがあるか?」
「操縦席にはない。兵器倉になら、十分に乗るはずだし、速度を落とさなくて済む。」
「わかった。積んでくれ。」
トールは頷くのみでピックアップトラックに歩きだしていった。マツシマもそれを追いかけて、ファミリアとカルテルの人間に指示を出し始める。
この戦闘機は確か単座型とか言われる、定員一名のものだったはずだ。パイロット一名と、現金総額三億ダラが、大海を超えて密輸される。人間の密輸ならば苦労はない。僕たちは、最悪正規の手続きを踏んで帰国できるだろう。経歴に黒い跡があるメンバーについては、コンテナ船の密輸で事足りる。今回の作戦を労って、プライベートジェットの席を貸してやったっていい。
だから、ここで重要なのは、”確実な操縦ができる”人間に乗ってもらうことだった。
僕は思考に沈みながら、くぐもった音圧のVIPルームを思い出していた。
「この戦闘機、最高速度はどれくらい出る。」
「カタログスペックだとマッハ三。ただ、機体が多少壊れてもいいなら、マッハ三・二。」
トールはつらつらと語った。彼がどれくらいこの機体と向き合っていたのかは知らないが、彼が向ける視線からは、並々ならない愛情、あるいは親愛。どうにも僕には言語化できない何かが感じ取れる。
そこで、僕はとある違和感に気付きつつあった。最近の記事である。
アメリクス・ジャーナルは、空港のラウンジで読んでいた。アメリクスの航空機メーカーでは、第五世代戦闘機の開発が進められているという。第四世代、第四・五世代、そこに共通する最高速度の数値。
「最新の機体の方が、最高速度が遅くはないか……?」
僕が思わず呟いた言葉に、トールは少しばかり困惑を浮かべた。しかし、すぐにいつもの無表情を取り戻すと、少しの思考を経て話し出した。
「世代間で、戦闘の手法が変わる、という話は憶えているだろうか。」
「あぁ。君が教えてくれた。」
「失念していた。戦闘機は、少なくとも現代において、速さを重視していない。」
彼が言った言葉は、戦闘機パイロットとして、あるいは、戦闘機という存在についての推移を追っている者にとっては、当然の事実だったのだろう。だから、彼は僕の不信感にすぐに思い至らなかった。
そうか。戦闘パターンや手法の変化というのは、その開発思想に直結する。
「大雑把に言えば、今の時勢、次世代戦闘機に求められている性能は、そこそこの速度と、アビオニクス。そして、ステルス性能だ。」
「……速度は、もはや優先順位で言えば……」
「そう。大して高くない。」
盲点だった。僕の戦闘機に対する知識は、一般人と大して変わらないだろう。だからこそ、どれくらい速いか、という尺度で祭り上げられていた時代のイメージに憑りつかれていた。当然といえば当然であった。
どれだけ速かろうと、戦闘機という巨体が、空対空MSCS誘導型ミサイルのような兵器に、速度で勝てる筈はない。それならば、隠密性を底上げし、認識されないままに敵に攻撃を叩き込む戦闘スタイルに変遷するのが、当然だった。
「もし、相手が第四・五世代の戦闘機を持ち出してきたとしたら。」
「速度で言えば、俺たちの勝ちだ。戦闘機パイロットというものは、そう易々とウェポンベイを開かない。」
例えば、国家という柵を一切気にすることのない、そんな幻想のような空域で、フライトシュミレーターのような空域で、僕らの戦闘機と次世代戦闘機が会敵したとしたら。僕らの敗北は必至だろう。しかし、現実とはそんなものではない。
もし、敵を捉えきれなかった空対空ミサイルが、好戦的な国家の領土、領海に弾着したら。もし、敵が武装を満載していて、反撃に出たとしたら。そんな、いくつものIFが、戦闘機パイロットのトリガーを重く、滞らせる。
そして、その重いトリガーの引き代に、僕らの速度は容易に領空を飛び去って行く。
「念のため、聞いておきたいんだが。」
僕は、とある可能性についてを想像していた。
「この戦闘機は、有史以来作られてきた戦闘機の中で、どれくらい速い。」
トールは、大した愉悦も見せず、かといって、悲観も見せずに言った。
「人間が操縦する機械の中で、世界最速だ。」
*
後部座席の扉が開いて、アザルベーダが下りてきた。照準を完了し、ロックの外れたトリガーで彼女を狙うカルテルの人間に、目線だけで指示してその銃を下ろさせた。彼女は、随分と弱っていて、その瞳に光はなかった。
あまりにも頼りなさげに歩くものだから、思わず肩を貸す。しかし、思ったよりも強い力で跳ねのけられた。千切れかけていた手首は、今は、がっちりと固定されている。
「……優しく、しないでください。ボクは、裏切者ですよ。」
北極星も見えないような夜闇、彼女の瞳に抱いた感想はそれに尽きた。
僕があのコンテナ船の上で見惚れた瞳は、今はもうない。
よたよたと歩いたアザルベーダは、しかし、次の瞬間には戻ってきて、僕の胸にその小さな頭を預けた。
「すみ、……ません。リゼルキルト殿がそんなに甘いのは……その……珍しいので。……やっぱり、優しくしてほしいのであります。」
僕がため息を吐くと、少女は引き結んでいた口許をほんの少しだけ緩めてくれた。
冷たい体温。それが、本当に生きている人間なのかと疑うような、どこか人間離れしたような様子。何か、この世界から浮遊しているような彼女の姿。それでも、その瞳に、少しばかりの光が宿っている。
「僕が考えていること、少しは、わかるか?」
「……わからないのであります、なんにも。でも、心地いいから、それでいい。」
僕は、アザルベーダを抱き留めたまま、車に積んでいた僕の替えの服を持ってくるように頼んだ。運転手を務めてくれた男が、すぐに持ってくる。
MISURANIAのエンブレムが象られた軍服のジャケットを脱がせる。彼女は抵抗しなかった。
肌にぴったりと張り付くようなインナーに、血や汗が滲んで、退廃的な色気を醸し出していた。
カルテルもマフィアも男社会だ。周囲をぐるりと見渡すと、すぐに下品な視線はアザルベーダから外れる。僕のジャケットを着せた。ファミリアの宿舎から奪い取ってきたものだったから、どこかミリタリーな印象は拭えなかったけれど、それでも、見た目でくらいは、彼女をMISURANIAから解放できたような気がした。
実際それは僕の自己満足で、彼女の手綱を握ろうというのが、今ここで最も相応しくない行動だと思った。
僕は、彼女の責任を取ってはいけないのだ。彼女は、自分で、自分の責任を負おうとしている。
「君は、何になりたい。」
「光。誰にも追い付けない。誰も、ボクの前で先導者を気取らない、そんな最速に、なりたい。」
「僕は、君の人生に責任を取るつもりがない。君がこれから何をしようとも、どう生きようとも、君を引き摺って行くような真似を、するつもりがない。」
「リゼルキルト殿なら、ボクの髪を引っ張っても。引き千切っても、いいのですが。」
「真面目な話をしてるんだよ。」
こつん、と頭を小突いてやると、アザルベーダは、こんなにも面白いことはないと言わんばかりにころころと笑った。
「宇宙最速の速度を知ってるか。」
「光、であります。秒速、三十万キロメートル。」
「人間が、自分の意思で出せる最高速度を、知っているか。」
「ロケットですか?」
「あれは自分の意思と言えるのか?むしろ、最も人間の意思からかけ離れているように感じるな。あれは、演算された通りに進むことが美徳なんだ。自分の意思で軌跡を変えては意味がない。」
「それじゃあ、……なんなのですか……?」
僕は、受け売りの言葉を、得意げに語ろうとした。胸の中、アザルベーダの瞳が、僕を見ている。
自分で切り裂いた首の傷跡。包帯でぐるぐる巻きにされて、その傷跡を見ることは敵わないが、そこに至る過程についてを、僕は少しばかり目撃している。
「マッハ三、らしい。」
「そう、ですか……。」
「……あそこに、限界を超えれば、マッハ三・二を出せる機械がある。」
僕の言葉を聞いて、輝きが視界を席巻した。
それは、僕の幻覚だっただろうか。いや、それは、誰にもわからない。僕にしか知覚できないこの自意識が、わからないと結論付けたのだから、この世界の誰にもわからない。だから僕は、それを幻覚ではなかったと解釈した。
輝きが、アザルベーダを覆っている。




