Ep.43『終着点』
───十四時二十五分。最後の一台が走り出し、数千キロに渡る国境線を突き破る現金輸送ミッションが開始された。
『作戦名:BORDERLINE ATTACK』
つまるところそれは、作戦とは名ばかりの、強行突破であった。
*
十八時四十七分。アメリクス-メヒクト国境の砂漠地帯のキャンプに、八つの現金入りアタッシュケースが届く。
「一旦これだけで構いません。車を飛ばして、飛行場まで。」
マツシマの指令を聞いて、各々が自分のアタッシュケースをピックアップトラックの荷台に積み込んだ。そのエンジンが一際唸ったところで、ゼータの隊長が操る車が到着する。マツシマが駆け寄ると、自分より先にアタッシュケースを窓から下ろして「確認してください」と言った。
「撃たれたのか?」
「ロングレンジが窓に。鉄板も割れました。多分、破片が刺さってます。」
報告を聞きながら、マツシマはアタッシュケースを開けた。白い和紙のような紙が、札束の上で蓋をしている。
「治療を受けろ。埋まっているのなら、はやく摘出した方がいい。」
やっと紙を解き、その中身を検める。
そこには、ぎっしりと詰め込まれたヒュドラが入っている。
ばっ、と顔を上げたマツシマは、隊長の顔を見た。不思議そうな顔をする彼も、すぐに気付く。互い、そこから先の行動で、仲間割れの危険性があることを承知した。
「潔白を証明したい。マツシマさん、そいつについての確認が取れるまで、俺を監禁してください。」
「すまない……だが……あぁ、くそ。その通りにさせてもらいます。おい!シリアルナンバーの表を持ってこい!」
アンタニオスの後を継いだ男。マツシマの護衛としての役割も務める男。
そして、ゼータの隊長の跡を継いだ男。裏切り者の因子と、堅い忠誠の因子を持つ立場。
───恨みますよ、アンタニオス。貴方のせいで、こんな疑いをかけなくてはならない。
ゼータの隊長を連れて行くファミリアの人間たちの波を割り、マツシマはヒュドラが詰められたケースも一緒にトラックに乗せた。
「人間の数で言えば、あとは……リゼルキルトさんだけですか。」
「マツシマさん……確定的ではないんですが……」
残りのケースの行方を呟いたマツシマに、一つのケースの輸送を担った男が話しかけた。出発前、リゼルキルトと最後に話した男だった。
「リゼルキルトさんは……三十五号線に乗る、と。」
「な……あの人は……また、……わかりました。金は先に輸送してください。ゼータだけ残り、リゼルキルトさんを待つ。」
「了解しました。」
砂漠の奥、蜃気楼に隠されたアメリクスの国境。
───よりにもよって、貴方がその道を選ぶのか。
入国ゲートと直通し、片側四車線の交通量。いずれ、アメリクスを市場にする時には、莫大な利益を上げるだろう道。
最も警戒され、厳重に封鎖される道。
*
三十五号線は、おぞましい混雑の様相を呈していた。本来ならば無作為に行われる、係員による詳細な検査が、すべての車に強制されている。
僕が今所有しているMSCSと言えば、対人殺傷用の威力を辛うじて出せるか、というくらいの護身用だった。対物において、どれほどの効果が出るかもわからない。少なくとも、ゲートの左右に広がる金網を、トラックが入れるほどの大きさ抉り取ることは無理だろう。
一向に進まない先行車に見切りをつけ、ステアリングを切った時だった。僕のすぐ隣、舗装もされていない荒野を、駆け抜けていくトラック。
その綺麗な横顔と鼻筋を、僕は絶対に見間違えない。
「アザルベーダ。」
彼女の車に追従する。速度はあちらのほうが圧倒的に速い。僕がアクセルを全開に踏み締める間に、アザルベーダの車はぐんぐんと進んでいく。
砂埃を巻き上げるタイヤ。エンジン音は、危ういほどに駆動している。さっきまで遅々として回らなかった鬱憤を晴らすように、僕のトラックは、すぐに最高速度に達した。
フロントガラス越し、ある予感があった。その微細な魔素偏光は、人間が意識的に知覚できるものではない。しかし、僕には見えた。既に、MSCSの銃口を向けた国境警備隊が出張ってきている。
アザルベーダは、そんなことを気にする様子もなく、あろうことか扉を開けた。運転席から身を乗り出し、あの車を動かしているのは、ただ踏みしめられたアクセルのみであった。
「何するつもりだ」
噴き上がる砂埃と、フロントガラスを叩きつける砂利のせいで、よくは見えない。しかし、彼女の放った魔法の輝きだけは、よく見えた。
「まさか」
幻覚が晴らされるようだった。
彼女の突貫する先の金網のフェンスが、型抜きでくり抜かれたように消失した。
それは、もともと存在していた壁自体が幻覚だったと知らしめ、正気を気取っていた現実こそが、全くなんの根拠も持たないと証明するようであった。
───国境という不可視の壁が、破られる。
アザルベーダはすぐに身体を引っ込め、扉を閉めようと手を伸ばす。その腕を、魔法が掠めた。魔法は見えなかった。しかし、血を吐いた彼女の手首が見えた。千切れてはいない。しかし、ただ千切れていないだけだ。
ぶらぶらと掌を垂らしたアザルベーダが、脂汗を浮かべながらアクセルを踏む姿が容易に想像できた。
「くそっ、アステア。頼む。」
片手でステアリングを繰りながら、空いたもう片方の手でアステアに発信する。通話の必要はない。手製の携帯起爆装置と同じだ。発信すれば、相手側が勝手に信号を解釈する。
アザルベーダと、そして僕とを狙う国境警備隊の銃口。既に魔法を放ったもの、まだ放たれていなもの。その全てが、軍用魔法のはずだ。消し飛ばされるかもしれない。
そんな逡巡のあと、彼らの肉体は、数多の風穴を開けられて滑落した。すぐ隣の国境警備隊が、人肉で出来た蜂の巣へと突如に変貌し、その穴という穴から流動体の血液が噴き出す様を、徒歩の国境通過客が呆然と見つめていた。
そんな様子はパターンを変えていくつも見られて、国境警備隊の数だけ凄惨な死に様が繰り広げられた。
僕より先に国境を抜けたアザルベーダに次いで、僕も、彼女の作った突破口に滑り込む。
その先、随分と空いている三十五号線に復帰して、しばらくアザルベーダと並走した。
終わったと思っていた通話。端末の向こう側から。
「ありがとう。理想を司る女神」と、囁く声が聞こえた。
*
三十五号線は、澄み渡るように続いていた。車はまばらで、ゲートから随分離れた今となっては、隣を走るリゼルキルトくらいしかいなかった。
アメリクスは、国内でしか即応できない。国境さえ超えて仕舞えば、しばらくは安心だった。アザルベーダはステアリングから手を離し、乗せていた救急セットの包帯を、だらりとぶら下がる手首に巻きつけた。皮膚と細長い筋繊維だけで繋がっているような状態だったから、綺麗にくっつけるのに苦労した。
欠損の危機にそんなにも冷静でいられたのは、バンド型の神経遮断MSCSのお陰だった。止血も担うそれのお陰で、彼女の車は三十五号線を走り続けた。
片手でステアリングを持ち直す。視界の端で、アタッシュケースが見えている。
「これを、ちゃんと持って帰れば……お父様も、みんなも……ッ」
すぐ隣には、心配そうにこちらを見るリゼルキルトが並走している。二つの窓越しの彼の姿。もう、こうして視線を合わせるのは最後かもしれないと思ったら、自然と涙で視界が滲んだ。
それでも、彼と一緒に走るこの街の先に、僕らの自由はない。そう盲信する脳神経だけが、アザルベーダを生かし続けていた。
「誰よりも……誰よりも早く逃げ切る。」
ずっと、髪の毛を掴まれて、引き摺られてきた人生だった。母を殺した光の幻惑に取り憑かれ、うなされ続ける日々。目が覚めると、自由のない自由の道を引き摺られて、家族という鎖が、少女の身体を雁字搦めにしていた。
でも、彼は、彼だけは、輝きを見せてくれた。憧れを与えてくれた。そう声高に唱える勇気をくれた。
この道の先、三十五号線の終着点。彼と走り続ければ、僕だけの自由がある。けれど、そうすれば、お父様や、MISURANIAのみんなの自由は、殺されてしまうだろう。
ゆっくりと、ステアリングを切った。これは、彼の道だ。アザルベーダは確かに、その奥歯を噛み締めた。
ゆっくりと、リゼルキルトの車との距離が離れて行く。
「誰よりも、速く。もう絶対に、ボクは……!誰にも引き摺られない。」
エンジンはアザルベーダを鼓舞するように唸り声を上げ、それに比例してリゼルキルトとの距離は開いて行く。最後、その姿を一目見たい。最後に、この視線を交わしていたい。
そう思ったアザルベーダの見た先、燦々と輝く太陽の反射が、リゼルキルトの車の窓を眩ませる。
「あぁ〜……だめ、でありますか……」
最後くらい、味方をしてくれてもいいではないか。震える腕。カタカタとステアリングに当たって音を鳴らす爪。
そうして、アザルベーダはその道を外れる。それでも、彼女は、逸れた道の先で加速して、光速を得るつもりだった。
その道の先にある、みんなの自由のために。
「ボクが、光になる───!」
なれるはずのないものになる。そのために、人は道の力を借りることができる。その道を形作るのは、美しさや、暴力。そしてその道には、物理的な名前がついている。
ランウェイであり、三十五号線であり、そして、アザルベーダにとっては。
サスペンションでも吸収しきれない衝撃の中、いっそ車が空中分解でもしてくれれば爽快でいいと思った。アクセルを緩めることはなかった。
彼女は今、革命の第一歩を、誰よりも速く駆け抜けている。そして───。
破裂したタイヤが車体を跳ね上げ、アザルベーダのピックアップトラックは、幾度かの横転の果て、荒野に叩きつけられた。
*
「はい、マツシマ。」
『奴らの情報、本当みたいです。僕らが張ってた地点に、一人娘が来ました。』
「了解しました。金を回収して殺してください。」
端末の向こうで、派手な音が聞こえた。金属がはしゃげるような音と、噴き出した炎の熱が空気を掻き回す音。最後に一際大きな爆発音がして、BGMだったエンジン音も終息する。
「アザルベーダですか。」
『はい、間違いありません。まだ息はありますが、』
「……では殺すのは待ってください。リゼルキルトさんのお気に入りだったら厄介だ。ケースは。」
電話口の男が指示すると、いくつかの声が駆けていくのが聞こえた。少しばかり待っていると、やっと返事が返ってくる。
マツシマはそれを聞いて鼻で嗤い、電話を切った。
地平線の向こう。土埃を上げるリゼルキルトの車が見えた。
*
───あ、れ……事故った……?いや、違う……魔法。タイヤをやられたなら、ミリタリープロッダー。メヒクト軍はまだ出てきてないはずだから、カルテル……?
見上げたと思った場所には、荒野の地面があった。真っ逆さまに、アザルベーダはシートベルトから吊り下げられていた。額を切ったのか、血液が眼窩に流れ込んできていた。
「あぁ、……だめだ……ボクは……ボクは、光になれない……折角、みんなを、自由にしてあげられるところだったのに……」
窓の外からこちらを覗き込んだ男が、扉を開け、アザルベーダを引っ張り出した。彼は、その少女の腕の惨状にしばし硬直し、やがて緩やかにアザルベーダを引き摺った。荒野の地面に、血が滴る這い跡が残った。
───ここが、終着点か……ボクの道程。
アザルベーダは、安置された地面から、カルテルの男によって捨て置かれたアタッシュケースを見た。千切れかけの手を、届くはずもないのに伸ばした。
でもボクは、みんなの革命のために、最後まで使命を全うした。ボクのことを、みんな褒めてくれるはずだ。だって、それくらいボクを信用してくれて、ボクに全部を託してくれた。それは、ボクがあの人の娘であると認めてもらったようなものだった。
ボクらは、カルテルによって絞首台に上げられるだろう。でもきっと、みんな笑って、ダメだったね、って、一緒に死んでくれる。この世にボクらの自由がなかったから、ボクらは、この世では生きていけなかった。
だからボクは、家族という小さな小さな柵からも、独立することができなかった。じゃあ、ボクが望んだ終着点に行くためには、どの道を選ぶべきだったんだろう。
右でも左でも、真っ直ぐでもないのなら。東でも西でも南でも北でもないのだとしたら。じゃあ、ボクを包囲するこの柵を超えるための道は、どこにあったんだろう?
リゼルキルトについて行けばよかった?それもよかったかもしれない。でもそれは、また、彼に引き摺られているのと変わらないんじゃないか。
アザルベーダの伸ばした手の先で、転がったままのアタッシュケース。それを置いて、カルテルの何台かの車が出ようとしていた。
「ちょ、……と、待って……!それ、を、……リゼルキルト殿に、……届けてあげない、と、……せめて」
アザルベーダの声を聞いた男が、呆れたように笑った。
「こんなの持ってったら、俺らが殺される。」
男は、親切にもケースのところまで歩いて行き、片手でそれを持ち上げた。ぶらぶらとケースを揺らし、アザルベーダの顔の隣に放り投げる。
口を開いたケースの中。空っぽのケースの中に。
光が途絶えた暗闇だけが入っていた。
*
マツシマからMISURANIAの顛末を聞いた僕は、わざわざまた車を走らせて、砂漠の中で死刑執行人を努めなければならなかった。
都合三人の四肢を、戦時状態のアンタゴニストで叩き切った。ファントム・ペインの生き証人となった彼らは、残念なことに、寸断の痛みと区別がつかなかったようで、ひび割れた悲鳴をあげながら頭を振り回すばかりだった。
半分になってしまった手足でジタバタともがいた奴は、荒野に突き立てた腕の断面に、ガタガタとした地面が応えたらしく、その醜悪さを見る側の気も知らないで、血を撒き散らしながら背中で飛び回った。
哀れにも小便を漏らした男は、「おねがいします……おねがいします……おねがいします……」と繰り返して、もうそこにはない手足のその先をぼーっと見つめていた。
最後の男は、確かアザルベーダと最後に話していた男だった。隣で哀願している男を見習って、少しは静かにして欲しかったのだが、虫みたいなバランスの四肢を振り回して「殺して!!お願いっ!!おねがいだ!」と宣った。馬鹿みたいな挙動がコミカルで、思わず失笑が漏れた。
「他にMISURANIAからの人間はいないんだな。」
「はい。そいつが運んでいたケースに、最後の現金も入ってました。」
「わかった。マツシマに電話してから出る。車、こっちに回してくれ。」
「了解です。」
アンタゴニストは、僕が命じるとすぐさまに刃を収め、それを覆い隠す鞘が駆動した。最後に駆動の排熱を一息の蒸気で完結させて、その姿は真四角の奇妙な形を取り戻す。
「ぁ、あの、待ってください!俺たち、このままですか!?……あの!」
僕に叫んだ男は、まだバランスの取り方に慣れていないのか、前傾で転がって下顎を地面にぶち当てた。砂利を食う様を眺めていても面白かったかもしれないが、こいつの顔は心底胸糞が悪かったから、もう見たくなかった。
まぁ、多分もう見ることはないと思った。
着信がある。誰からなのかも見ずに電話を取る。
「アザルベーダは。」
電話越し、マツシマが言う。
『自殺未遂です。MSCSを奪われたそうで……でも、頭を吹っ飛ばす直前で、手首の固定が外れて成就しなかった。』
「生きてるんだな。」
『ええ。その後、持っていたナイフで首を裂いたようですが、すぐに取り押さえられて、少し傷が残るくらいに。』
「わかった。飛行場で合流しよう。多分、労働省が迎えを出してくれるはずだ。」
『わかりました。』
砂埃を上げ、ピックアップトラックが近づいてくる。
「オンドゥラまで行けば、あとはプラベートジェットでひとっ飛びだ。」




