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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第二部【道のり】

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Ep.42『花は、綺麗に咲いていますか』

 ロキシーさんにアポを取り、翌日朝十時からの時間を貰った。会議室は別のフロアだったが、ロキシーさんの方から提案してきたから、その手間は一度棚上げにしておく。会議室のちまっこいコーヒーメーカーでコーヒーを淹れる。

 ブラックコーヒーのカプセルをセットした俺を、ロキシーさんが読めない瞳で見ていた。

 席に座り、ロキシーさんを真正面から見た。テーブルには、湯気を吐く二つのブラックコーヒーがある。

「退職の告知、というわけでは、ないですよね。」

「そりゃもちろんっす。

 少しだけ考えたことがあります。正直、俺の自問自答じゃ、その諮問は手に負えません。だから、俺の話を聞いて欲しいです。そして、それが妥当だったら頷いて欲しいし、そこに何か矛盾があれば、それを指摘してほしい。頼めますか?」

 ロキシーさんはコーヒーに口をつけた。豆から挽いたものではなかったけれど、満足そうなその表情を見れば、彼がそこまでコーヒーに凝っているわけじゃないというのがわかった。

「えぇ。聴かせてください。キルマーさん。」


 俺は、自分が組み立てた論理を語った。もちろん、それだけならば俺の妄想と変わらないから、用意していた資料も提出した。チューブを利用した輸送システムが、強度的・技術的・物理的に可能なのか、それを即席の実験装置で実践したデータだった。

 もちろん、少なくともDEAに近しい機関が行った、確度の高い情報だった。

 俺が要請すれば、ヒュエゴもすぐに用意してくれて、ソナー探知によって観測した巨大なネットワークの一部を、三次元に起こしてくれた。結局それは印刷されて二次元になってしまうものの、コンピュータで確認してもらえばその精緻さを確かめられるだろう。

 ロキシーさんは、俺の話に何も言葉を差し挟まなかった。頷きもしなかったし、嘲ることもなかった。

 俺は一通り話を終えて、話を終えたときになんと言うのかわからなかったから「以上です。」と締めくくった。

 彼は小さく頷いて、テーブルに一冊のリングファイルを置いた。

「ここ何週間か、私は関門の撃滅に注力していました。覚えていますか?彼らの通信ネットワークで、上層へと情報を取捨選択する中間地点です。」

 ロキシーさんが視線で示したので、その表紙を開く。一枚目には捜査の令状、二枚目にマップのスクリーンショット。三枚目に実際に捜査の際撮られたのであろう写真が数枚。そうしたセットが、十組ほどあっただろうか。

「全て、私が確信をもって特定した位置情報です。しかし、見ていただければわかる通り、全て空振りでした。」

 ロキシーさんが何を言いたいのか測りかねた。けれど、今日はすぐに正解を教えてくれる。

「私たちは、地上しか捜査していなかった。」

「……そうか……そうですね。地下なら、位置情報が合っていても意味がない。」

「私たちの観測装置の不足が招いた失態です。速効性を優先した結果、Z軸を省略した。これについては、手放しで判断ミスだと言えるでしょう。しかし、君の説を補強する材料となったのなら、かすり傷に収めることができる。」

 この街には、地下水道が多い。迷路のように入り組んだ、地下水道。クレノアと出逢ったのも、そんな場所だった。いや、むしろ彼女と出逢ったのは、そういった場所だったから。必然だったのだ。

 彼女は、農場から出て、そのネットワークの末端で、窮屈そうに蹲っていたのだ。

「ヒュエゴに聞いたんですが、あのソナー装置は、とあるカルテル支部から接収したものらしいですね。最初はトンネルの掘削用かと思いましたが、カルテルのトンネルはそんなにも深い場所に作られない。彼らがそれを持っていた意味を考えた。」

「なるほど……地下の開発用っすか。」

「えぇ。それに、その発想自体には、必然性がある。」

「必然性。」

 彼の反応は、俺にとある予感をもたらした。この人は最初から、俺に伝えられるまでもなく、農場の場所に勘づいていたんじゃないだろうか。

「右や左に彷徨って、安全な農場を作る場所を探した彼らが、垂直方向に逃げ道を探すのは、至極真っ当なことだ。それに気付くことが、容易ではないというだけで。」

「天空の農園を作られていれば、厄介でしたね。」

「それはもう。戦闘機を用意しなければなりませんから。」

 あくまで撃ち落とす気なのだろうか。俺ですら、それが墜落したあとの被害についてを思って言ったというのに。

「ですが、お手柄です。キルマーさん。チューブについてを、私は気にも留めていなかった。空気圧や荷物の位置情報を確認して管制するシステムについては、ただの犯罪組織に作れるものとは思えませんから、MSCSの魔法開発関係企業に金が渡っている可能性も考えられる。彼らの秘密に立ち入る道筋が増えた。」

 ロキシーさんが言ったことで、やっと俺もその可能性に思い当たる。

 彼らが様々なフロント企業を持つのは常だが、まさかそのなかに実務能力を持ったMSCS企業があるとは思えない。金が通り抜ける道が、カルテルから一般企業に伸びている。そしてそれを遡行することで、俺たちは更にカルテルの深部に踏み入るに至る。

「敵のボスは、一体どんな人物でしょうか。」

「きっとステーキが好きっすよ。」

 前に、ロキシーさんが言っていたことを思い出した。ロス・アンタニオスの連中が逮捕されるときの舞台には、よくステーキハウスが選ばれる。

「そのうえ随分と用心深く、しかし時に大胆。ボス自身が現場に出てくることもあるかもしれません。」

「俺は軍人崩れを推しますね。この間の摘発のとき、カルテルの奴、やけに屋内戦やゲリラ戦に通じてるような印象を受けました。」

「それならばカートリッジの魔法からも考えられますね。アメリクスから流出する武器の類が膨大とはいえ、その選び方は随分軍隊規格への執着が読み取れる。」

「それに、生粋のジャンキーのはずです。」

「さぁ、出会ってみて、聞いてみるしかありませんね。」

 彼が冗談を言うのは珍しくない。それでも、そのときのロキシーさんは楽しそうだった。

「ところで、キルマーさん。」

 仕切り直す、というような感じではなかった。閑話休題、といった感じだろうか。息をついたロキシーさんは、揶揄うような素振りで言った。

「ブラウ連邦共和国、という国を知っていますか?」

「えぇ……バハラータの隣の国ですよね。それが、どうかしたんですか。」

「いえ。」

 ブラウ連邦、というよりはバハラータ共和国の方だが、ヘイローの材料となるカラシナの密輸でやり玉に挙げられることが多い国だった。だから俺は、捜査官としての知識を試されたのだと思った。

 ゆるゆると首を振ったロキシーさんは、珍しくポケットに手を突っ込んで再び聞いた。


紅花(クレノア)は、まだ綺麗に咲いていますか?」


 腰に吊るしていたMSCSを、あの日以来手放したことはなかった。

 小さく詠唱して引き抜いたそれを、ロキシーさんの顔面に突きつける。より前に、彼のMSCSの銃口が目前にあった。

 銃身を弾く、吹き飛ばされたロキシーさんのMSCSが会議室のホワイトボードを跳ねる。ロキシーさんは臆することなく俺のMSCSを掴み、剣でいえば刃にあたるそれの照準を確かに外して、俺の首元に手を伸ばす。

「ぉ」

 ぐるり、と反転した視界。俺の上体は、少なくとも健全な人間の可動域からは外れて、その状態からさらに踏み込むことさえできた。振り回されるような上半身が遠心力を生み出し、俺を公転した軌跡の先で、MSCSはロキシーさんを捉える。

 ぐわん、と伏せたロキシーさんに容易く避けられた。そこで、視界がぐらつく。俺が踏みしめていたテーブル。彼の足が、そのキャスターのロックを外していた。テーブルを蹴ったロキシーさんによって、この世界の理である慣性の法則によって、俺の身体は宙に投げ出され、そして。その先にいたロキシーさんに、呆気なく地面へ投げ出される。

「頼むから、殺さないでくださいよ。キルマーさん。」

「とか言う割に、抜くのが速かったっすね、ロキシーさん。」



 俺は、背にした会議室の扉を、どこか夢心地の思いで振り返った。

『情報源にカルテルの幹部がいるのですから、それをどうとはしませんよ。貴方が敵に通じているとも思っていない。ですから、いい情報を引き抜いてきてくださいね。』淀みなく話すのは、ロキシーさんにとってはいつものことだった。でも、俺とクレノアとの関係を知ったときの正しい反応は、多分リケティアのものだったから、拍子抜けだった。

 本当に俺はあのとき、この人を殺すか、殺されるかしか、選択肢はないと思っていたのに。

 もし、必要ならば。

「あぁ、悪かったよ。兄貴。」

 あんたの手を借りることも、厭わなかったというのに。



 地下水道に下りた。迷うことなくクレノアの定位置に辿り着く。定位置というからには、彼女は定められたようにそこにいる。

 彼女との約束は、カルテルの連中のせいで遂げられていなかった。明日の十時にこの場所に来る、という言葉は、巡り巡って、一か月ほどのスパンを開けて、やっと今日果たされる。

 だというのに、俺はそれに、焦りみたいなものを感じてはいなかった。クレノアの方も、それを怒るようなことはなかった。

「遅くなって、ごめん。」

「……こっちこそ。この前は、ごめんね。」

 俺たちはサバンナを生きている。明日食い殺されるのか、あるいは食い殺すのか。それは、各々の判断に尊重され、その代わりに、誰もが、いつか食われるかもしれないという責任を担っている。

 彼女の中にいる悪魔は、きっとそう言うだろう。だから、彼女の謝罪に俺はなにも言わなかった。

 それに。

「お前が助けてくれた。」

「……でも、遅かった。ノアがもっとはやく気付いてれば、そんなに……」

「でも、駆けつけてくれたのはお前だ。DEAでも、連邦警察でもない、敵対する魔薬カルテルの、お前だ。」

 俺は死にかけた。俺はトリガーを引けなくなった。俺は、よくわからない幻覚が見えるようになった。それでも。

「お前が助けてくれた。だから、俺も、お前を助ける。」

 クレノアは、あの人、と言った。それは、彼女をカルテルたらしめる呪い。それをかけた張本人だ。彼女に、悪魔を背負わせた張本人。

 ロス・アンタニオスという化け物をこの世界に産み落とした、張本人。

 俺たちは、名前を知ることも出来ないその存在に、出会ったこともないその存在に、この針の切っ先を向ける。果たして、奴が今いる場所と、俺のこの針の先に、どれほどの物理的な距離があるだろうか。

 しかし、その隔たれた空間には、道がある。数多のネットワークが、相互作用しながら流れていて、そしていつかは、その道のりを辿って、俺の手が、その首に届く。

「あの人は、強い。」

 クレノアのそれは、独白に近い。下唇をなぞるように、指の付け根を擦り付ける。震える唇には、今日も見惚れるような紅がのっていて、それが弱々しい光を反射するたびに、目が吸い寄せられる。

「あの人は最初は、遠くの国のマフィアにいた。煙草の密売とか、偽物のブランド品とか、公共事業の不正入札とか、そういう小さなビジネスをやってるだけだった。でも、魔薬の存在を知った。呑み下さば。それが口癖で、いろんな事業を呑み下した。優秀な資本家に、軍事に通じた犯罪組織。どんな場所にあった誰の金でも、呑み下した。」

 最後に彼女に会ったとき、呑み下さば、と呟いた彼女のことを思い出した。

「アンタニオスは、あの人にとって、とても大事な名前。自分の名前を出せないから、その名前に愛憎を仮託している。」

「どうして、そんなこと教えてくれるんだ。」

 ぴくり、と睫毛を震わせたクレノアは、思わず抱きしめてしまいたいほどに、思わず、その唇を奪ってしまいたいほどに可憐で、それでいて蠱惑的で、それでいて、被虐的な瞳をしていた。そんな、愛くるしい顔をしていた。

「君が、言った気がしたから。」

 クレノアから身を預けられる。俺の肩に頬擦りした彼女は、俺の指先を弄び、その温もりを共有した。

「君が、あの人を殺してやる、って。そう、言ってくれた気がしたから。」

 胃の奥の、それよりも奥にあるような何かから、湧き上がるような熱を感じた。

 そうなのかもしれない。俺は、彼女の手を取るために、彼女の悲願を果たすためだけに、この世界に生まれてきたのかもしれない。

 空いた手で、彼女の頬に触れようとした。触れようとしたのに、その直前で、弾かれたように、肩が跳ねた。

「なに……?」

 少しだけ不満げに、クレノアは、差し出した頬を傾げた。

 触れてくれないの?そんな言葉を瞳に見たのは、俺の都合のよすぎる妄想だっただろうか。それでも、俺はその手を彼女に添えることができなかった。何かが、手首を縛っている。いや、握っている。

 一体、それは。


───……戻ってきて、キルマー。


 脳みそのどこかから聞こえてきた声。それは、俺が大事に頭蓋の中に押し込めていて、脳漿の中で飼っていた言葉。それが、どうして今、頭蓋の中を反響して、この手を掴むのだろうか。

 いや、わかりきっている。

 俺は、狭間にいる。この道の先に進むことを強制されている。神ももう、これ以上は待ってくれない。

 俺は、分岐点にいる。どちらの道を選ぶのか、その答えを、出さなければならない。

 誰もが狭間にいられない。誰もが、分岐点で立ち止まっていることができない。絶対にどちらかを選ばねばならず、選べなければ、その背中を運命にどつかれて、どちらかの道に弾き出される。

 俺の運命は、既に決まっている。

 俺が選んだ道の先に、神はいるだろう。俺が選んだ道の先、悪魔を殺すなにかがあるだろう。ただ、俺の選んだ道の先に、リケティアがいるのか、クレノアがいるのか。そればっかりは、神にとっては関心事ではない。

 俺は、選ばなければならない。

 リケティアの手を取るのか、クレノアの手を取るのか。

 暴力の側にいるのか、そうでない側にいるのか。

「……馬鹿だった。」

 クレノアは、俺の手を放して、もとの位置に腰を据えた。

 失望したように、いや落胆したように、冷たい視線を投げかけてくる。

「俺は、別にお前のいう”あの人”を殺したいわけじゃなかった。」

「別に……いいよ。君はDEAだし、それに……」

 そういうことじゃない。

 口に出ていただろうか、クレノアは口を閉ざして、少し遅れて、その視線を俺に寄越した。

「俺は、お前を助けたいって言ったんだ。」

 愛している。その言葉は、たとえ悪魔を飼っていない人間にとっても、簡単には口にできないものだったろう。

 だから俺は、婉曲で、難解で、そんな言葉遊びを含んだ言い回しをする。

「俺は、お前の血の浄化の仕方を教えてやる、そう言ったんだ。」

 ”あの人”を殺すことで、彼女を救ってやれるだろうか。その悪魔は、息を絶やすだろうか。彼女の血は、清らかなものになるだろうか。それは、対症療法に過ぎない。俺たちは、魔薬に対しても、免疫を発揮できていない。

 だから。俺たちには、もっとやるべきことがある。

「そのために、ノアは、なにしたらいい……の?」

 俺は、自分のDEA最後の仕事を予感していた。

 ロス・アンタニオスの農場を摘発する。そして、そこにいるはずの”あの人”に法の裁きを下す。

「そいつの名前を、教えてくれ。」

 ロス・アンタニオスの、ボスの名前を、教えてくれ。

 彼女は、小さく言った。

「あの人の名前は───」



 深夜のデータベース照会センター。

 ドロキシ・トリプターは、とある報告書を読んでいた。それは、国境線にアタックをしかけたカルテルの人間と、その攻防についてを記したものであった。

 表示させたデータベースに、敵の行動開始時刻が印字されている。

 十四時二十五分───。

 ドロキシ・トリプターは、その時刻を見て嗤った。

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