表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第二部【道のり】

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/63

Ep.40『魔薬戦争』

「大スキャンダルだ!」

 デスクを殴りつけた音は、喧騒に満たされた事務所の中の雑音に吸収されて絶えた。

 事務所の中では、電話口で怒鳴りつける声や、普段は見ない仕立ての良いスーツを着た男たちが怒号を飛ばし合っている。電話の音は鳴りやまず、暗号解読や通信傍受を行う第四班も集結しているようだった。ただ、その中で、ロキシーさんだけは、自分のデスクでいつも通りにキーボードを叩いていた。

 キティ・キルマーの見舞いのために持ってきていたラテが、通りがかった男の腕に当たって手から落ちる。それは、私の腕を跳ねて中身をぶちまけ、ブラウスを薄茶色に浸した。「邪魔だッ!」と吐き棄てて忙しなく走っていった男の顔は憶えた。

 私は、カップの中に少しだけ残っていたラテを飲み干して、自分の姿のみすぼらしさも棚上げに資料を読んだ。

 それは、ネット上のとあるサイトのスクリーンショットを印刷したものだった。

「アンクルリークス。」

 読んだスペルを呟いた。

 法執行機関にいる者で、その名を知らない者はいない。軍に属するもので、それを恐れない者はいない。星に彩られた国旗を翻す機関に、それを疎まない者はいない。

 今まで、CIMやアメリクス軍は何度も、そのサイト上での告発に煮え湯を飲まされてきた。

 正直なところ、それが自浄作用として機能しているのは認めるところだった。そのサイトに暴露される情報は、総じて国家の汚職・不法行為の類だ。

 少し前には、資本家が作り上げた売春専用の都市が告発され、この間はアメリクス陸軍によるジェノサイドが摘発された。

 そして今回、その渦中にいるのは。

───『ロス・アンタニオス』

 スパー語で、そう銘打たれた画像が、画面をびっしりと埋めるアルファベットの中にでかでかと配置されている。

「このあと、メヒクト合衆国大統領府から会見がある。」

「国境の封鎖はどうする!?」

「一体、どれほどの金がカルテルに流れたのか、わかってるのか!?」

 耳に入る怒声で、状況がどんな風に推移しているのかはわかった。

 連邦警察にいる同郷の友人にチャットを送る。すぐに返信があった。連邦警察では、国境までの街区の封鎖と検問を実施し、三十五号線を始めとする入出国ゲートの警備については、国境警備隊が担うとのことだった。

 果たしてそれだけで十分だろうか?そう、思わざるを得ない。

 敵はロス・アンタニオス。最悪の暴力をこの世界に呼び出した、魔薬カルテルだ。それに、国境線は数千キロに渡る。そこから、彼らの逃亡を阻止しようなどという試みは、果たして現実的だと言えるだろうか?

「懐かしいですね。」

 ロキシーさんが、そう呟いた。聞いていたのは、私だけみたいだった。

「……国境線のアタックに?」

 彼のデスクの前で、他人事みたいに喧騒を眺めた。私が聞いていたことに気付いていたのか、彼は驚きはしなかった。

「三十五号線は、私がかつていた場所でもあります。それに、貴方も覚えがあるでしょう。」

 無言でうなずく。

 あの世界最長クラスの国境線は、密入国も密輸も、日常的に行われている。しかし、そこを突破しようとする同時多発的かつ強硬的な事件には、思い当たる節がある。

 もう、二十年も前のことだ。私はまだアルファベットをAから覚えるのに苦労していたような時だったと思う。私がそれを最初に知ったのは、学校の教室にあった壁掛けのテレビのニュースで、それを深く知ったのは教科書の凄惨な事件現場の写真でだ。

 思い出したくもない凄惨な死体の写真は、DEAになってから見た。

「あのときは、所詮ただの犯罪組織による犯行でした。でも今回は、……」

「ロス・アンタニオスだって、所詮はただの犯罪組織ですよ。」

「でも、奴らによって枢機卿が殺された。私はもう。彼らを、()()()()()()()だとは思えません。」

 どうしてそんなに落ち着いているのか、ロキシーさんは微笑む余裕すらあるようだった。

「ロキシーさんは、成功すると思いますか……?」

 私は、到底そう思えません。そう言うのが憚られたから、婉曲に言った。

 喉の奥でくつくつと嗤ったロキシーさんは、その行為を咎められることにすら無頓着で、その姿が、どこか末恐ろしかった。カップのコーヒーを飲んで、彼は言った。

「無理ですよ。アメリクスには。」



 その日の夜。全ては決まった。

 ロキシーさんの言ったことは、その通りになった。

 助手席の窓から眺めた夜空は、呑気に光り輝いている。

 国境警備隊はほとんどが全滅。アメリクスは、今回のスキャンダルに関わったロス・アンタニオスの人間の、そのほとんどを取り逃がしたらしい。

 メヒクト合衆国のカルダリア大統領は、ロス・アンタニオスに限らない全ての魔薬カルテルに宣戦布告した。『我々は、戦時状態に陥っている。敵は国家でなく、犯罪組織である。これは、魔薬戦争である。』後世に語り継がれるのであろうその語り草に、しかし、当事者の私たちは失笑を禁じ得なかった。

 そんなことは、みんなわかっていた。

 もう十年前から、私たちは、彼らと戦争を繰り広げている。グランナダラなどは、最も最初にその犠牲になった国だ。それを、何をいまさら、と。

 運転席に置いていた毛布を取った。随分使い込まれたそれにくるまって、もう数週間と動いていないおんぼろ車の助手席で眠る。シャワーは事務所で済ませていて、家には帰っていなかった。

 明るい時間に彼に会いに行って、仕事が終われば、無理を言って奪い取ったキーで彼の車に乗り込む。そこで私は眠りに就いて、また魔薬を追いかける。

 これは、みんなが無意識のうちに忘却しようとしている事実を、キティ・キルマーという人物を、私が忘れないための儀式だった。そして、もう軽率には触れさせてくれないだろう彼に対する、ある種の抵抗。言葉を選ばずに言えば、年甲斐もなく拗ねた面倒くさい女の、我儘だったのだ。

 私だけは、あんたの手を放してあげない。絶対に、あちら側には行かせない。

 ちらりと見たルームミラーに、きっと彼がお気に入りにしているキーホルダーがぶら下がっている。

 この車は、どうやって動かすんだろう。私だって、免許くらいは持っている。でも、こんなにレバーをがちゃがちゃとやるような車には乗ったことがなかったし、乗ろうとするのは法的にアウトだと思った。

 でも彼は、それがさも当然であるかのようにレバーを繰り、速度を変えるたびに何気なく両足を動かす。私が話しかければ、ちゃんと意識を向けてくれるし、ときには視線すら寄越すときがあった。

 まだ一度しか乗ったことがないのに、助手席から見た彼の顔を、いろいろな状況で思い出すことができた。それなのに、彼の助手席で見た外の景色については全然思い出すことができない。多分私は、彼の顔ばかり見ていたのだろう。

 駐車するときに私のヘッドレストに腕を回したときは、キスされるのかと思って本当にびっくりした。そんな私の様子を、彼はきっと、どうとも思っていないんだろうけど。

 瞼の裏側、弱々しく微笑んだキルマーの顔が、ずっと焼き付いている。


「全体的に、損傷が酷い。」

 私が容体を尋ねても教えてくれないキルマーにしびれを切らし、担当医をひっ捕まえて詰問したとき。そんな言葉が返ってきた。

「骨や筋肉の損傷は、奇跡的に後遺症なく治るでしょう。ただ、関節については、分かりやすく言えば緩くなっている。無理な方向に簡単に折れるようになっていますから、考えなしに身体を動かせば肘や肩がはち切れる。

 剥がされた爪も、何枚かはもう生えてこないでしょう。指も何本か切断されていましたから、縫合はしています。が、前みたいに満足に動かすことは、もう。それこそ、MSCSのトリガーを引くようなことは、できないでしょう。

 最も酷いのは直腸です。文字通り、腹の中で魔法が炸裂しています。内臓にどんな影響が生じているのか、それがどんな病気を喚起するのかは未知数。今の実害としては、人工肛門を強いられているという所ですね。もう、元には戻りません。排泄は、チューブを通じて右胸のパックに行われる。」

 私がふらついて廊下の壁に手を突いたから、担当医の男はその言葉を切り、私を案じた。大丈夫。彼に比べたら、私が感じた途方もない眩暈なんて、ないのと同じだ。

「あとは、なにかありますか。」

「実生活にどれほど支障があるかわかりませんが、脳機能にも多少障害が残ります。ライターで火をつける仕草ができますか?」

 彼が言ったそれが何を意味するのかわからなかったから、実際にやってみる。実物はないから、虚空を掴み、利き手じゃない方の手で風よけを作る。利き手でトリガーを押す。実際にライターを持っていたら、ちゃんと火がついたと思う。

「彼は、もうそれができません。」

「……それは、どういう……」

「実際にライターを渡せば、火をつけることができます。ですが、今のように、真似をしろというのができないんです。」

 脳機能の障害、という前置きに得心した。それは、肉体的に不可能という意味じゃなく、それを実行する意識、つまりは脳が司る領域の話だ。

「カウンセリングは、毎日行っています。カウンセラーは全員、精神的な異常や、その兆候は見受けられないとしています。ですが、……たまにいるんです。そういうものすら掻い潜って、おかしくなろうとする人が。」

 受けた仕打ちを思えば、当たり前のことではありますがね。と付け加えて、彼は小さく会釈した。私も、聞きたかったことは聞けたからお礼を言ってその背中を見送った。

 無機質な病室のベッドの上で面会した彼が、泣き腫らした私にかけた第一声は「やっぱり落ちこぼれだな、俺は。」だった。

 私はそれで、湧き上がった感情のままに彼に言葉を吐き出した。それは、罵倒とも吐露ともつかない、癇癪のようなものだった。ボロボロと涙が止まらなくなって、肝心な時に涙で誤魔化す女が嫌いだったから必死にそれを拭った。それなのに、どれだけ瞬きをしても、瞼に力を込めても、涙は引っ込んでくれなくて、ふと合った彼の目が、明らかに前の彼の目と違っていて、更に涙が湧きだした。

 なにか声をかけてくれていた彼を残して走り出して、喫煙所で電子タバコをふかしたあと、ばったり会った担当医に恐ろしい形相で質問を吹っ掛けた。

 幸せそうな写真を見て頬を綻ばせる彼。私が嫌がらせで渡してやったブラックコーヒーに顔をしかめる彼。初めて出会ったとき、しくじった私に、甘ったるくて飲んでいられないラテを差し入れした彼。

「戻ってきて、……キルマー……」

 私は、彼の肉体に刻まれた痛みはおろか、その心に刻まれた傷跡すら背負わせてもらえない。



 目を覚ました。

 フロントガラスから差し込んだ陽光の中を、キラキラと埃が舞っている。その日差しの角度からすれば、お昼までお寝坊さんを演じたわけではないみたいだった。ぐっと伸びをしようとしたところで、せまっ苦しい車内では手がつっかえてしまうのに気付いた。勝手に使っている負い目で彼の毛布を綺麗に畳んで、運転席に置いておく。

 助手席から下りて、ぐっと背伸びした。手はつっかえない。

 取り出した端末のディスプレイには、スケジュールアプリが同期されている。なんにも示さないそれは、今日の私が暇人であることを表している。

 彼が入院している病院までは、バスに乗らなければならない。最寄りのバス停まで、なにをするでもなく歩いた。ポケットの中にはワイヤレスイヤホンが入っていたけれど、聞きたい音楽もなかった。

 バスに乗ったら、時刻表示が朝の十時を示している。通勤するには遅すぎるし、ランチに行くには早すぎる。車内はそれなりに空いていて、私は快適に十個ほどのバス停を通過した。

 バスを降りて、もう慣れてしまった歩みで病院の自動ドアをくぐる。

 彼の病室に至る手続きと道順についてはもう身体に染み付いていて、私はそれを無意識に実行する。それゆえに、自分が何の手土産もなく来てしまったことに今更気付いた。エスカレータを上っている途中だったものだから、わざわざ一階に下って自動販売機や売店に行くのも億劫だった。

 ここは、私という存在を手土産ということでひとつ。多分彼はそんなに喜ばないだろうけど、自分にはそうやって納得させた。

 病室のドアを開けて、簡素な室内に入る。全体的に寒色だから、この部屋は少し寒いような感じがしてしまう。

 キルマーは、起きていた。何をするでもなくぼーっと外を眺め、私に気付くと表情を緩めた。それが果たして、どこまで意識的に行われたことなのか、私は測りかねる。

「昨日ぶり。」

「おう。昨日ぶり。悪いな、毎日。」

「こっちこそ。ごめんね、今日は何の手土産もないの。」

「いいよ別に。」

 なんとなく、私が来てくれただけで嬉しいでしょう?という揶揄いの言葉を言いそびれた。いや、言えなかったの間違いか。

 私は彼のベッドの横のソファに腰かけ、体をゆったりとさせた。流石に、助手席の硬いシートは睡眠には適さない。

「今日も俺の車で寝てたのかよ。いい加減体壊すぞ。自分の家に帰れ。」

 努めて明るく言ったけど、本当は自分が大事にしている車に入り浸られているのが嫌なのかもしれない。だからといってその言葉を受け入れてやるつもりもなかったけど。

 でも、私がこんなに柔らかなベッドにお熱になっているのは、巡り巡って貴方が原因。

「じゃあ……はやく元気になってよ。」

 私は、なんとなく彼の顔を見られなかったから、そっぽを向いて言った。返事が返ってこないから、彼の方を向こうとして、小さく息を吸う音が聞こえる。

「もう、割と元気だよ。」

 思わずばっと振り向いて、その表情を見た。

 私は、彼がそういう、傷ついた顔をするのが見たかったんだ。

 字面にしてみれば性悪だけど、というか私は性悪だけど、でも、拷問を受けて死にかけたのに、目を覚ました瞬間から普通みたいに振舞うことの異常性に比べたら、なんでもなかった。だから、君はようやく、普通に私に感情を見せてくれた。

「飯はまずいしナースは不愛想だしで、さっさと家に帰りたいんだ。久しぶりに、運転もしたいしな。」

「そ。……そんな身体で運転できるわけ?」

 まったく、退院して最初にやりたいことが運転だなんて、私にはよくわからない。もっと、外の空気を吸いたいとか、美味しいものを食べに行きたいとか、そういうことを思うものなんじゃないのだろうか。

「ごめん、多分また、変なこと言ったよな、俺……」

「はぁ……?なんで……っ」

 そうやって気遣わし気な声を掛けられて、やっと自分が泣いているのに気付いた。

 わけがわからない。自分の感情の、制御どころか、観測もできないなんて。

 確かに、視界はぼやけていて、いつもみたいに出した声は、涙によって上擦っている。

「悪い……」

「ちがっ……違うわよ……違う、……違うの……!」

 こうして私が涙を流すのは、彼が流すべき涙を奪っているようで嫌だった。それに、いきなり泣き始める女の異様さは、同性でもぎょっとする。女性の精神構造についてを実感として理解できない男性のキルマーにとっては、もっと奇妙に見えるはずだ。

 彼の手は、私の手を握った。

 もう、トリガーを引くことのできない指先。縫合跡は、この指は切断されました、と誇示するようにあからさまで、むしろキリトリ線のようにすら見えた。

 彼の目が、真っ直ぐに私を見ている。メイクしていない顔を見られるのなんて慣れっこだったから、別に恥ずかしくなんてなかった。でも、泣き顔を見られているのに慣れているわけじゃなかった。恥ずかしさとかやるせなさとか私泣き顔可愛くないかもしれないとか、いろいろと考えてしまって、顔を逸らす。

 それで、彼のベッドのサイドテーブルに置いてあるカップの中を見てしまう。

 それは、この状況からすれば、彼が飲んでいた飲み物であるはずだ。混じり気のない黒で、その表面は、微かな陽光に照らされて、少しマイルドな色を透かしている部分もある。

「なんで……ブラックコーヒーなんて飲んでるの?」

 本当は、気付いていた。思わず漏れた、笑みを交えた問い。もちろんそれを、彼は楽しい質問だとは受け取ってくれなかっただろう。

 全部、わかってる。

 彼の話しぶりが以前より大人しくなっていること。彼の目が、私の事なんて見ていなくて。何か、この世界に存在しないようなものを見ているようだったこと。

 あれから彼が、甘いものを口にしていないこと。

 病院食の肉を、平気な顔で、平らげること。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ