Ep.37『滑走路』
「魔薬の流通経路とは、複雑に絡まり合っています。」
その男は、妙に落ち着いた様子で話し出した。
「それは、金の流れと同じだ。例えば、他の魔薬の流通経路と融合して、流れの勢いを増すこともある。逆に、他の流通経路、流通業者と激突して、減退することも。他の道筋と交わって、互いにすり抜けることもあるでしょう。しかし、その接触には、少なくとも相互作用がある。
私たちがその複雑に絡まり合った流通経路を理解するためには、そういった相互作用によって生まれた、ないし衝撃を、観測し、記録し、そして分析する必要がある。どこから来て、どこにあり、そこで、どんな影響を受けたのか。そしてその結果、どこに行くのか。」
「そんなタイトルの絵画があったな。」
「博識ですね、……えぇっと……リゼルキルト、と読むのですかね。」
僕の身分証を検めた男は、投げ渡すでもなく、それを丁重に僕に返した。
「私たちは、その全貌を知りたい。そのために、道筋で起こったあるイベントについてを、網羅する。ミクロからマクロを想像しようというのは、あまりにも現実味がない。量子力学と同じです。」
「あぁ。商品の振る舞いは、変わるだろうさ。」
「えぇ。ですから、そのミクロを集合させ、繋がりを注視する。全てのマイルストーンが、最終的な結末に繋がっている。無駄なものはなにもないんです。」
男は懐から手帳を出して、その身分を明かした。
一体、なにを目的とした組織で、どんな部署にいて、どの役職に就いているのか。それすら僕にはわからなかったが、奴は名前だけは僕に名乗った。
「ドロキシ・トリプター、と言います。」
その会話の果てに、僕はアンタゴニストを抜いた。
*
今日は、MISURANIAに届ける密輸の、その二回目だった。前回と同じようにコンテナ貨物船での密輸を考え、賄賂を撒き、前回と同じ段取りを整えた。そして、もちろん前回と同じ結果になった。僕が乗るはずだったコンテナ貨物船には、海軍の艦隊の主砲が向けられ、乗組員全員の身分の照会と、コンテナ一つ一つの中身が捜査された。
僕はその報告を、小型飛行機の助手席で了解した。
「二重スパイの線は確実か。手ずから粛清するのは面倒くさいな。」
「ボクがやりましょうか?ターゲットさえ見つけて貰えば、うちの部隊を出しますよ!」
その小さな顔には居心地が悪そうなヘッドセットを付けて、アザルベーダは危なげなくプロペラ機を操縦した。僕が安易に褒めてしまったばっかりに、「インメルマンターンでもしてみせましょうか!?」と調子に乗り出した一幕があったが、幸いなことに、僕の胃袋の中には今日の朝食がちゃんと収まったままである。
「そうだな……あんたらに頼むか。うちの殺し屋を運送するのも、骨が折れるしな。」
カルテルの殺し屋部隊は、僕がちゃんと教育して、それなりに暗殺を遂行できるようにはなっている。しかし、全員が僕やマツシマのようになっているとはいい難い。あの中から、ゼータのような男が生まれてくるとも思えない。
少なくとも彼らは、ゼータのように”戦争”を経験していない。
「やはり……軍隊か。」
オンドゥラ共和国を眼下に、小型飛行機は、その高度を緩やかに落として、滑走路へと降りて行った。
「それにしても、あんなにも立派な滑走路があるのですね。」
「あぁ、ちょっと考えていることがあって、作らせたんだ。バハラータはともかく、うちの国は防空能力に乏しいからな。スクランブルに輸送機が出てきても驚かないくらいだ。あんなザルの空域を活かさない手はない。」
アザルベーダが操る飛行機が着陸したのは、山中にある小さな飛行場だった。
彼らにMISURANIAという名前がつく前、まだ民兵としか呼ばれていなかった時代、彼らが使っていた基地らしい。こんな小型機を相手に、わざわざ空軍は出張ってこなかった。オンドゥラの軍と捜査当局が、この密輸についてをどれほど注視しているのかはわからないが、想定は幾重にも重ねておいた方がいい。いずれは、この航空機輸送ももっと効率化するつもりだった。
「ゼンドーアは。」
「今日はクィーバに行っているのです。通話ならできますが、どうされますか?」
「いや、いいさ。もともと僕が来たのも、このフライトを視察したかったまでだ。引き渡しが終わればそれでいい。」
「かしこまりました……!」
僕が手渡したアタッシュケースを、アザルベーダは待っていた車の窓に放り投げて、ほどなくしてそれはエンジン音と共に去っていった。
セスタとマツシマの見立てでは、今回と前回出張ってきたのは、メヒクト合衆国海軍省であるとの話だった。メヒクトは、ニキラノアとは真逆で、現在アメリクスの傀儡国家として最も近しい素養を持つ国だ。つまり、僕らの利害は一致していた。しかし、メヒクト合衆国も一枚岩ではなかった。
国境を越えてそんな要請がまかり通るとは、それなりに二重スパイの身元は絞り込めそうだ。
今回賄賂を渡していたオンドゥラ共和国高官のいくつかにチェックをつけた。犯人を見つける必要はなかった。全員殺してしまって、その中に犯人がいれば御の字。その中にいなければ、僕らの覚悟を伝えることができるからそれもいい。
「アザルベーダ。」
「はい!」
「頼めるか。」
「お任せください!リゼルキルト殿が発つ明日までに、必ずや成果を持ち帰って見せます!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねる姿は、その縮尺がもう少し小さければ可愛らしかったのだろうが、僕が少しだけ見下ろすくらいで済む背丈の女が飛び跳ねれば、そこに抱くのは愛くるしさではなく警戒心だった。
僕は今回も一泊してから帰国する。MISURANIAを試すつもりなど毛頭なかったから、結果など知らせてくれなくてもよかったが、そこまで言うのならわざわざやる気を削いでやる意味もない。
ホテルまで送ってくれ、と言うと、アザルベーダは用意してあったセダンに駆けだしていった。
*
チェックインして、ベランダから街並みを見渡していた。
ニキラノア共和国と国境を接する国、オンドゥラ共和国。ニキラノア政府に反旗を翻したMISURANIAは、この国に基地を作り、日夜越境攻撃を仕掛けている。新聞受けに差さっていた夕刊には、ジャーナリストが撮影した出撃前のMISURANIAの様子が写っている。
部屋に戻り、ベッドの下や戸棚の上段。鍵穴からコンセントまで、盗聴器、カメラの類が隠せそうな場所は全て確認した。寝室やダイニング、バスルームの全ての壁を等間隔で叩き、変な抜け道が用意されていないのも確認した。
マツシマがくれた感知センサーを試してみたが、この部屋にそういった機器は設置されていない、と沈黙を以て証明してくれた。
ルームキーを持ち、拝借してきたメモ帳は、出てきた扉の内側に立てておいた。
最上階の屋外プールでノンアルコールのカクテルを注文し、日光浴用の椅子に腰かける。人間の求めるリクライニングの最大値を発揮するそれに身体を預け、二時間ほどそうしていた。直ぐ傍のプールでは、露出度の高い水着を着て姦しくはしゃぐ少女の集団や、浮き輪にすっぽりと収まって揺蕩う我が子を眺める年若い夫婦の姿があった。
彼女たちは、きっと自由だろう。経済的、あるいは法律的な柵はあっても、今、あの場所で笑っていられるのは、自由が担保されているからだ。あの家族には、きっと、家族の掟しかないのだろう。格式張った思想の掟や、我が子を雁字搦めにする鎖もないのだろう。
アザルベーダが、そのプールに居るのを幻想した。しかし、どうにも想像できなかった。彼女があの軍服を脱いでいる姿も、女性らしい体つきを露にする水着を着ている姿も、自由の元に気ままに水浴びをする姿も。
彼女は、自由に終着するべきだ。しかし、彼女がどこから始発し、どんな道と交わり、あるいは、合流し、叩き潰し、今の場所にいるのかを、僕も、彼女も知らない。きっと、そのせいだろう。僕らは、アザルベーダの人生の道程の全貌を理解できない。その終着点についても、予測できない。
そうなるためには、彼女に始発点を与えてやる必要がある。彼女が、光速に迫る、その滑走路である。果たして、どれほど長い滑走路が必要だろうか。その着工には、どれほどの障壁があるだろうか。
考えるのが億劫になって、僕は退散することにした。
無駄に豪奢で広いエレベータの中で、そこそこに腹が減ってきたのを自覚した。ルームサービスの番号は007番だった。ふと、エレベータの中に掲示してあったルームサービスの混雑案内に目が留まる。時計がなくとも、それが現在時刻を示しているのがわかった。
ロビーで一度降りて、フロントにコンビニエンスストアの場所を聞いた。建物の中にあるそうだったから、一階に降りるだけでよかった。再びエレベータに乗り、数秒とかからずに一階に辿り着く。
開いた扉の先で、盛大にひび割れた一面のガラスと、そこに付着した血液を認める。
小さなテナントの中、薙ぎ倒された商品棚からスナック菓子や常温のペットボトルがぶちまけられていた。それによって開けた空間に、三門の照星が狙う標的がいる。
「MISの女です。」
「私を殺しに来たんだろう……!あんな得体の知れない連中に肩入れして、これ以上この国で何をしでかすつもりだ!」
「ごめんなぁ、お嬢。あんたの父親には、もう付いていけなくってさ。」
三者三様。秘書、高官、MISURANIAの裏切者。立場は明確だった。彼らが銃を向ける相手についても、僕は承知している。
項垂れたまま、その失意に口許を引き結ぶ少女。僕の想像が、現実に具象したのだろうか。僕が二時間も馬鹿真面目に考えていたから、その願いが通じたのだろうか。
馬鹿らしい。アザルベーダはただそこに、現実として存在している。
「散らかってきたな。」
いつでも懐に忍ばせているキュルケーを口に含んだ。これでは完全には力を扱えないだろう。もちろん、そんな必要があるとも思わなかったが。僕は、一般人として入店し、散りばめられた商品の数々を避けながら、平置きにされたステーキと魚の素揚げを掴んだ。
誰もいないレジに商品を置いたが、一向に店員は出てこない。
「おい、状況わかってるか、兄ちゃん。」
銃口はアザルベーダに向けたまま、裏切者の男は僕に鋭い視線を向けた。都合のいいことに、僕が腕を振り回せば顎に入りそうな距離まで来てくれた。その胸をぽんと叩いて、「悪かった。腹が減ってるんだ。」と真偽ヒフティー・ヒフティーの台詞を吐く。
怪訝そうな顔。呼吸の狭間。油断して、動揺して、緩んだトリガー。よく利く僕の目端は、それをしっかり見逃さず、だから僕は小さく呟いた。
「打て、聖火の守護聖人。」
身体を痙攣させてのけぞった男が、あぶくと一緒に掻き鳴らすような嗚咽を漏らした。
「あ、づ、熱っ、つつ、痛ッ」
全身を壊疽させて、服から露出している男の肌は、直火でじっくり炙られたような色に変色した。もちろんそれは服に隠されている皮膚も同じであったし、その内部にある細胞に置き換えても同じことだった。細胞は自己融解し、与えらえた職務を堂々たる死にざまで放棄する。
人生最後の舞台とばかりに、男は壊死した四肢を振り回し、あらん限りの力で痙攣した。海の中を泳ぐように店の中を羽ばたいた男は、残りの二人を巻き込んで地面に激突した。あとは、同じことの繰り返しを、二回やっただけだった。焼死体に似た不審死の死体が、三人仲良く寝転んでいた。
「……はやく出るぞ。」
「は、……い。」
まだ、俯いたままのアザルベーダは、いつもより随分と小さく見えた。
僕がマフィアを殺すのに躍起になっていた時代、そんなときから久しく使っていなかったローブを引っ張り出してきて、アザルベーダに投げ渡した。幸いにも、彼女の軍装には血痕や死肉の類がついていなかったから、MISURANIAのエンブレムを隠すだけで、すんなりと僕の部屋に匿うことができた。彼女は震えていた。
僕が出してやったコーヒーに口をつける前に、彼女の端末に着信があった。僕にちらりと視線を向けたから、「出てこい」と顎で示した。おずおずと寝室に入っていったアザルベーダの背中。着信は、きっと父からなのだろう。
半開きの扉。掠れて聞こえてくる怒号が、ひっきりなしにアザルベーダを責め立てていた。
『無能』
『ヴェスタ一族の恥さらし』
『組織の名前に泥を塗る』
『欠如したカリスマ』
『破綻した人格』
やけに理性的な人間ぶった、直情的な人間の冗長な語り草。その狭間に聴こえてくる、苦笑してしまいそうな叱責のワードセンスはしかし、少女の心を的確に抉っただろう。アザルベーダは最後に「申し訳ありませんでした。お父様。」と呟いて、通話を終えた。全く同じ言葉が、再びそのドアの向こう側から聞こえた。
僕だってまだ寝ていなかったベッドに横たわって、アザルベーダは事の顛末を聞かせてくれた。
彼女を裏切っていたあの男は、長く彼女の腹心を務めていた信頼できる部下だったこと。二人であの男のもとに向かい、暗殺を遂行するつもりだったこと。僕に直ぐ電話して、その成果を、ターゲットの死体という形で示そうとしていたこと。そのために、このホテルに泊まっていた標的を選んだということ。
「罵ってください、リゼルキルト殿。ボクは、こんな簡単なこともできない、無能なのです。部下の心も読めないような、そんな、……」
枕にその横顔を埋めて、彼女の瞳は、その傍らの椅子に座る僕の瞳すら見ていなかった。ヘドロのように淀んだ、深い絶望だけが、その瞳に沈殿している。
「罵ったら、お前は喜ぶだろう。」
「そう、ですね……これは、ボクが楽になりたいだけ、でした。」
そういうつもりで言ったわけではなかったが、今となっては僕の軽口すらも、彼女を追い立てる言葉に聴こえたか。僕が何も言わなくなったから、アザルベーダは瞳を閉じ、眠りについた。
不規則な寝息が聞こえ始めて、やがて、その瞼の裏側で、恐怖の夜が再現される。光に追い立てられ、恐怖し、忌避する悪夢。光を志した少女が、そうはなれないのだという現実を突きつけられ、そして、その憧憬の対象にうなされる様。
見ていられるものじゃなかった。
今となってはただ一人の肉親となった父親に、こうも呪いを鬱積させられている少女。その呪いは、まだ特効薬を与えてはくれないのだろうか。ファミリア・ナイフが呼び寄せたような因果の軌跡は、一体この宇宙のどこをほっつき歩いているのだろうか。
それは一体いつ、このアザルベーダという少女に終着するのだろうか。
*
夢を見ていた。
それは、輝きに人生を眩まされるような悪夢ではなかった。
自分は、我慢しても漏れ出してしまう笑い声を響かせていて、手を繋いだ彼は、呆れたような顔をしていたけれど、その瞳の奥に、優し気な感情を湛えている。
着たことがないような女の子らしい水着を着て、プールサイドをテーブルに、ささやかな乾杯をする。
生温いプールに身を浸しながら、夜景を眺めている。
その星空には、誰にも追い付けない。そんな光が、輝いている。




