Ep.36『(仮称)大農場建設工事』
オンドゥラ共和国からの帰りの船旅を終え、僕はファミリアの本拠地へと帰ってきていた。ゼータの宿舎に程近いファミリアの本棟で、テーブルについたのは僕、マツシマ、セスタの三人だった。
MISURANIAとの会合から、一週間が経過していた。昨日泊まったホテルの寝具が体に合わず、不調な肩を押さえる僕を見て、マツシマは「鈍りましたか?」と軽口を飛ばした。
反応するのも面倒だったので、六桁のしょうもない領収書の封筒を叩きつけた。ファミリアのどす黒い経費に埋めてもらおう。
「それで、MISURANIAとの交渉は?どうだったの?」
「取りたいものは取れた形だ。」
封筒を懐に収めたマツシマが席に着くよりも前に、セスタが話し出す。鞄の中に入れていた残高照会書をテーブルに置く。
「毎週一億ダラずつ。革命が成るまで振り込まれ続けるらしい。」
マツシマとセスタは、僕が言った額と、残高照会書にある、既にMISURANIAから入金された額に言葉を失った。
そう。僕らが考えていたより、CIM、もといアメリクスは本気だ。
「なるほど……これならば、大農場の完成にも現実味が出る。いや、むしろ多すぎるくらいですか。」
「この金の流れがいつ表に出るかじゃないかしら。リークされれば、国際社会のアメリクスへの批判は並大抵のものじゃないわぁ。」
「僕が危惧しているのもそこだ。少なくとも、完成までは、国際社会に黙っていてもらう必要がある。」
「工期は?」
「一年を見ている。」
僕が想像した通り、マツシマもセスタも、その実現可能性に随分と怪訝そうな顔をした。
『(仮称)大農場建設工事』と題された分厚いファイルは、一年で消化できるものではあるまい。しかし、僕らが見積もっていたよりも資金の流れは莫大だ。その上で、その金の道筋は、火花すら億劫な可燃性を帯びている。
「完成してしまえばこちらのものだ。多少荒い金遣いでも、ペイできることは確定している。」
「しかし一年ですか。」
「土壌が生育に足るものだというのは確認済み。宿舎建設用のボウリングも済んでいる。建設事業者はファミリアのものを使う。これも、準備は済んでいるはずだ。」
僕が伝えておいたことだった。マツシマは頷く。
「図面についても、用意はしてあるんでしょお?」
「ええ。滞りなく。」
「それじゃああとは、スケジュールと人員の確保かしら。」
「それならロールモデルがあるだろう。」
カルテルの命運をかけた一大事業。それは、流れを生み出す。それゆえに、求められるレベルは高い。それこそ、公共事業と言っていいほどに。
そしてそんな実例を、少なくとも僕らは経験している。
「あの浄水場と、パターンは同じだ。」
「貧民街から人を出させますか。」
「どちらにしろ、建設に関わった奴らは皆殺しの予定だ。あの場所は、誰にも知られていないことが絶対条件になる。
もちろん、あの場所で働く人間すらもな。」
「まぁ、怖いわ……でもそれなら、建設しつつ移住、そのまま農場で働いてもらうのが、建設的ではなぁい?」
「あぁ、それなら……道中は外が見えないような輸送車で走らせましょう。この計画なら、移住してもらって、あの農場だけで十分人生が完結する。」
僕らが作ろうとしているのは、一つの街だ。農場に使用される必要最低限のスペース以外を、人間の生活に必要なもので埋め尽くす。
小規模な学校、食料自給のための畑、畜産、娯楽施設も誘致する。全ての世界の流れから隔たれた、人工の楽園。僕らが目指すゴールはそこだ。
「規模は五千人程度だが……」
「枠が足りないんじゃないですか。むしろ、希望者が殺到して溢れるかも。」
「前のキミの生活を見ていた身からすると、腑に落ちすぎるわ。」
「人員の確保についてはそれで任せた。バルデリーニの頃のノウハウは残っているだろう。」
「えぇ。幸いにも、ヴィオレタさんは貴方の殺害対象じゃありませんでしたからね。」
ヴィオレタ・ホワイト───ファミリアの人事担当、もとい人手のいる仕事の斡旋屋だった。
「今の手法でいこう。最低限の生活インフラを一年で完成させる。農場で働く予定の奴らには、自分の住む街を自分でクリエイトしてもらう。一年を過ぎて不足があるようなら、奴らに好きにさせればいい。自治組織についても、あんたらから教えてやってくれ。」
「最低限必要な補給については、アタシが任されていいのよね?」
「あぁ。最低限をどこまで切り詰められるかだ。補給ルートと足がつかない補給方法については、こっちで少し考えよう。」
特に何も言わずに、セスタは瞳だけで了承した。
目下、僕らの目的は、アメリクスからどこまでふんだくれるか、だ。そしてその目的のために、ニキラノアへの継続的な密輸が必要になる。
大農場建設に関して、僕は門外漢甚だしい。主導はファミリアになるだろう。構成員の数で見ても、カルテルよりファミリア直属の人間の方が多い。振れる仕事も幅広いはずだ。
カルテルとして僕らがやるべきは、やっと訪れたこのチャンス。全世界が、魔薬を非合法の領域に追いやり始めた、この瞬間。どれだけ画期的な方法で密輸できるかだ。
ゴールは大農場完成。その道のりに、”道”を作る密輸ビジネスがある。
カルテルの方針としては、しばらくそこに注力することになるだろう。
「そういえば、リゼルキルトくんに懐いてたMISURANIAの一人娘、結局どうしてきたのかしら。」
「あぁ、それか。」
哀れにも、これまで引き摺られ続け、それゆえに光を志した彼女は───
*
「アザルベーダは、MISURANIAの次期首領となる。貴殿を疑うわけではないが、お手つきには相応の代償を支払わせる。よろしいかな。」
「そうか。人の娘をどうこうというつもりはないが、……」
ちらり、アザルベーダを見やる。少し恍惚として蕩けた視線とかち合った。
「うん。安心したよ。僕は結構だ。」
「えぇ……!!」
「リゼルキルト殿ぉ…」とかなんとか呟いたアザルベーダ。しかし、ゼンドーアが言葉を発するための予備動作で、すぐさまに頬が引き締まった。
「いつからお前はそちら側になったんだ、アザルベーダ。」
「は、はい……申し訳ありません……お父様。」
遊びに駆け出していく我が子の手を引っ張るように、その親の視線は冷たかった。引き寄せた子供を部屋に押し込み、その扉はけたたましい音を立てて閉じられる。
「で、ですが……お父様、ボクは……」
「我々の血族が共有する命題だ。お前には、それがわからないか。」
「ぃ、いえ……わかっております。」
ぐっと引き結んだ表情。握りしめた拳。
蛍光灯の無機質な光は、彼女の切長の瞳で反射すると、熱く、眩い生命力を持った輝きに転化した。
「わかっては、……います。ですが!……お父様!」
「自由に生きさせてくれ、などと言うつもりじゃないだろうな。」
そう言ってんだろ。目の前で繰り広げられる親子喧嘩。普通のそれと違うのは、彼らの論じるスタンダードは、国家という概念に相当する体制の話だということ。
ゼンドーアが説くのは、教育論などでは決してなく、彼はずっと、思想の話をしている。
「血族とか、体制とか、それに迎合しなくちゃいけないなんて、……そっちの方が、ボクはよほど全体主義に思えます……!」
「お前は、この道の先にあるものが見えていないのだ。だから、そんな理想論に振り回される。」
「でもボクらが目指してきたのはその理想ではないですか……!ボクは、」
「なら具体的にどうする。言ってみろ」
「ぇ……」と、自由を夢見る少女は言葉を絶やした。
それはまるで、飲み水もなく、砂漠に立ちすくむ遭難者のように見えた。
ないだろう。彼女の周りには、大義と理想を抽象的に語る人物しかいなかった。だから、彼女は自由の語り方を知らない。
なにより、語られることのない瞬間こそが、自由なのだということを、知らない。
ゼンドーアが立ち上がると、アザルベーダはぴくりと反応した。それは、もはや身体に染みついた反射だった。微かに交わし合った視線。僕は、その縋るような目を、ただ見ていた。
光を宿した瞳は、その軌跡を残してかき消えて、我が子を突き倒したゼンドーアの拳の音で沈黙した。地面に投げ出されたアザルベーダの長身。ゼンドーアは、彼女の髪を鷲掴みにして引き摺った。
ぐい、と力が込められるたび、ぶちぶちと毟り取られる髪の音がした。引き摺られたアザルベーダは、ゼンドーアの片腕の腕力のみで壁に叩きつけられ、絡まった足に再び地面へと沈んだ。
「理想すら語れないか。我々は、そんな!弱い!思想に!こけにされたというのか!」
容赦のない蹴りが、アザルベーダの顔面を踏みつけ、防ごうとした両腕を弾き、綺麗な鼻筋をへし折る。一瞬で粘ついた血液と引き剥がされた皮膚の傷口を晒した少女。そこに、もはや何かを語るような気力は残されていなかった。
「いいか、我々は、あの独裁から独立する。何者にも支配されない。それが自由だ。それが革命だ。私が歩き続ける道の先にこそ、真の自由がある。
そして、その足跡には、貴様も追従している。私に着いているだけで、お前の求めてやまない自由が手に入る。大人しく着いてくればいいのだ!」
「……はい、お父様……」
ゼンドーアは、最後に唾を吐き捨てた。実の娘に。
これがMISURANIA式の子育てというものなのか。それは、あんな娘が出来上がるはずだ。
彼女の望んだ自由と独立は、こんな矮小な家族間ですら許されない。ミクロとマクロの違い。
僕には関係のないことだった。胸糞は悪い。後味もよくない。しかし、それまでだった。
ゼンドーアとは、少なくとも農場の完成までは良好な関係を築かなければならない。ここで無用な火を起こせば、どこで何に着火するかわからない。
ドアの前で待機していた男から、アンタゴニストと拳銃型MSCSを返してもらった。これ以上家族の団欒に水を差すのも悪かろう。
僕は、別れの挨拶もせずに扉を抜けた。
遅れて、顔を腫らしたアザルベーダだけが出てきた。血を拭っただけで、碌な応急手当てもされていなかった。
「父親は。」
「帰られたのです。父は、忙しいですから。今日は泊まられていきますよね。ホテルまで、お送りします。」
二人、並んで後部座席に座った。姦しい本性は鳴りを潜め、平然を装った瞳は、涙を溢さぬようずっと力んでいる。
仕方がないので、僕はその応急処置にあたることにした。流石は反政府軍の車である。ステアリングを繰り車を走らせ始めたドライバーの横に、迷彩柄の救急箱があった。
僕の応急手当ての知識は、随分と雑なマツシマの見様見真似だった。消毒液を絞る。
「顔、貸せ。」
「そんなっ!リゼルキルト殿にそんなことさせられません!自分でっ!」
「へし折られた鼻の具合は、自分じゃわかんないものなんだよ。傷口に染みるだろうから、我慢しろよ。」
「は、はい……」
ガーゼを押し当てる。これくらい、彼女にとっては痛くも痒くもないだろう。
「悪い。液、目に入ったかもしれない。」
「だ、大丈夫であります……!」
「失明したらどうする。頑張って泣いてくれ。自浄だ。」
綺麗な瞳が、僕を見ていた。消毒液をわざと人の眼球に垂らすようなサディストじゃない。泣きたいなら泣く。殺したいなら殺す。生きたいなら生きる。そういう節々の自由さを、こいつは知らないんだ。
「ふっ……ぐ……うぅ……」
ゆっくりと、ガーゼが湿り始める。
僕は、そんなにも自由になりたいのなら、自分で行動を起こしてみろ、と奮起させることも出来た。しかし、僕はその言葉に責任を持てない。彼女の人生に不誠実だとか、そういう話じゃなかった。僕は少なくとも、僕一人の力で今の自由を手に入れたわけじゃない。
僕の道程は、アステアに出会ったことで加速して、セスタによって収束して、バルデリーニ・ファミリーの道と激突し、叩き潰した。その仮定には、メルやルム、そして、最大の功労者でもあるマツシマの存在と、それぞれの道からの相互作用がある。
そして、僕の道程と彼女の道程に共通するのは、何かを、叩き潰さなければならないということ。少なくとも、僕は一人でそれを成し得なかった。
だから彼女に、一人でそうしろ、と語る言葉には、きっと体重が乗らない。僕はその奮起に、責任を取れない。
へし折れたと思っていたアザルベーダの鼻筋は、少し歪んではいたが、折れてはいなかった。腫れが引けば、きっと元通りの綺麗な形に戻るだろう。
「……これから、どうするんだ。」
僕は、慰めることも、突き放すことも出来ず、そんな好奇心に逃げ込んだ。
そういえば、僕に対して二度もそんなことを聞いてきたやつがいた気がする。痛いほどわかる。少なくともここまで深く関わってしまった人間の行く先についてを、僕らは、どうしても知りたくなってしまうものなのだ。
「認めさせて、……ッ、見せます……!ボクは、……」
しゃくりあげながらも、アザルベーダの瞳には、輝きが宿っている。それが果たしていいことなのか、悪いことなのか、僕にはわからなかった。
でも一つだけ。彼女が言った言葉について。
───ボクは、光になりたかった……ッ!!
そう叫んだアザルベーダの姿が、ずっと、脳裏で繰り返されている。
ずっと、自分より速く、強いものに引き摺られ続けていた少女が、そうされないために、全宇宙最速の速度を憧憬する。重力の端っこで這いずり回って、その這い跡を刻み続けるだけの僕たちが、最終的に目指すのは、やはり。そんな平面の世界から、垂直に見上げるあの空。成層圏と中間層を抜けて、突き抜けていく、その行く先。あの宇宙を憧憬するのは、自然なことだったのかもしれない。
「悪かったな。こんなときに聞いて。」
「いいえ……違うんです。」
やっと、アザルベーダは彼女らしい微笑みを見せてくれた。僕が気を遣って言ってやった詫びの言葉を柔らかに否定して、そして、はっきりと彼女は言った。
「こんなときにこそ、聞いていただかなければ。」
やっと手に入れた純粋無垢な憧憬。それを、実の父に、”自由”と宣う”支配”に叩きのめされて。そんなときに。こんなときに。
こんなときにこそ。強く、少女は輝いた。
*
「余裕があれば、仲間に引き込みたいと思ってる。」
僕がそんなことを軽率にも言ってしまったものだから、セスタの視線は痛いほどに僕を貫いている。マツシマも、またですか、と言わんばかりの表情をしていた。彼がそういう顔をするのはわかる。かつて僕のせいで、マツシマの計画はいくらかのショートカットを強いられたのだから。しかし、セスタに迷惑をかけた覚えはない。心外であった。
「次は何に利用できるのかしら。アイスクリーム屋さんの可愛い看板娘が、一人増えるだけ、なんて言わないわよね。」
むぅ、と大層わかりやすく不満を表明してくれるセスタ。不満や不信感とは、もっと隠密させるべきというのを、教えてやった方がいいだろうか。
「少なくとも有用な奴だ。お前の護衛にしてやってもいい。」
「私より強いのですか?」
「あまりわかったような口を利くのは好きじゃないが、見れば大体わかる。僕と同じくらいには戦えるはずだ。」
「貴方達って、そんなに強いの?」
僕は、マツシマと目を見合わせた。
僕もマツシマも、そういえばそうでもなかったな、というような台詞を、言葉や文法は違っても言うつもりだったはずだ。しかし、その直前で、僕とマツシマを並べた偶然が思い出させる。
バルデリーニ・ファミリーを終わらせたのは、僕たち二人だった。
「いや、そうでもない。」
「いいえ。そんなことはないですよ。」




