Ep.34『オモイトリガー』
「レパス・ラルエドのとある家を捜索する。」
事務所に詰めていた捜査官の全員が、ドロキシ・トリプターの言葉を傾聴していた。
「匿名の通報です。ヒュドラの栽培を摘発する。市警察による捜査では、黒に限りなく近い。ロエス判事の迅速な協力により、我々の立ち入りはアメリクス司法が保証する。」
デスクの下に隠してあるケースを、無意識につま先で蹴った。
ロキシーさんは、いつも通りの声で言った。オレも、それをいつも通りに。今までの、普通のオレの状態で聞いた。
「では出発しましょう。魔薬取締法を執行する。」
*
車のエンジンを掛け、サイドブレーキを解除する。出勤するときにいつも眺めているキーホルダーは、ルームミラーから吊り下げられて、ぶらぶらと揺れていた。
クラッチに足をかけてギアを入れようとしたとき、助手席の扉が開いた。
「乗せてって?……いいでしょ?」
動揺したオレの手から離れたシフトレバーは、ぐりん、とニュートラルに沈黙した。
「リケティア……」
「私車持ってないもん。ほら、荷物どけてよ。」
助手席には、ジャケットや使い古したネクタイの類がこんもりと積んである。後部座席はもっと酷い。車が先走らないようにしてから、仕方なく席を開けてやる。
小生意気な笑顔を浮かべたリケティアは、「お邪魔しま〜す」と人の気も知らずに助手席に座り、存外丁寧にドアを閉めた。
「最近の主流は電気自動車よ。博物館に寄贈できるわ、この車。」
「乗り心地も悪いぞ。大人しく輸送車に乗れ。」
「もう座っちゃったからいいわ。快適に送り届けてね?キルマー。」
「はぁ……ナビくらいしろよ。」
オレの車はやっとのことで走り出し、駐車場の出口へと走り出した。歩道を目前にして、歩いてくる奴がいないか確かめる。助手席の窓の向こうを見ようとしたら、その前にいやがるリケティアと目があった。
「なんでこっち見てるんだよ。人来ないか確認してくれ。」
「はーい。ふふっ」
喋ればいいものを、オレの肩を叩くことでゴーサインとするリケティア。多分、その視線はまた、オレの方を向いている。
大通りに出たオレの車は、軽快に速度を上げていく。
*
ロキシーさんがインターホンを鳴らした。パタパタという間の抜けるような音が、やがて玄関を開ける。
出てきた男は、パステルカラーのポロシャツに、礼儀正しいベルトと真っ白なスラックスを履いていた。清潔に切り揃えた髪型と碧い瞳に、血と臓物と悪魔の影は見えない。
「DEAのドロキシ・トリプターと言います。IDを確認しても?」
「ここは俺の家だ。つまり、勝手に立ち入ってきたあんたたちも、俺のルールに従ってもらう。」
ん?と嫌味な目線を向けた男に、ロキシーさんは令状を見せた。わざとらしいため息の後、雑に差し出される運転免許証。
「俺が魔薬を作ってるって?DEAは知らないかもしれないから教えてやるが、レパスの不動産の謳い文句は、薬物中毒者のいない街だ。」
「検挙率を見ればそうでもありませんよ。その不動産屋を信用するのはやめた方がいい。」
ロキシーさんは、検めたIDを男に差し出す。受け取ろうとした男の手、地面に落とされるID。
「おい!」
ロキシーさんの拳が、男の顎をぶち抜いた。物凄い音がして、吹き飛んだ男は壁に頭から激突する。壁紙に擦り付けられた血は、男がずり落ちていくのに合わせて赤のラインを引いた。
ずっと背中に隠していた男の左手には、MSCSが握られている。
「突入しますよ。」
オレは捜査官用のMSCSを構え、扉を順番に開けて行った。心臓は、見ることのできない身体の中に、確かに存在している。オレはそれを強く実感していた。
震える指先がトリガーを引いてしまわないよう、努めて呼吸を整える。
「動くな!」
張り上げた怒声は、オレの性別のお陰で少しは怯えを隠してくれる。蹴破った扉の先にいた女は、肩で息をしながら、ゆっくりと振り返った。
ナイフを握った女の腹は、不自然に膨れている。肥満ではない。しかし、思い当たったときに、それが何より自然に膨れているのだと思った。
「子供がいるのか……?」
女は、ナイフを持っている。オレたちは、確かな情報をもとにこの家に踏み込んでいる。彼女は、魔薬カルテルと関わっている疑惑を持つ。
撃つべきだ。殺すべきだ。捜査官の持つ権能は、正当防衛による殺害を担保している。
「う、ぁ……うああああああああっ!!!」
オレが躊躇っているのがバレたのか、女は振り上げたナイフを手に飛びかかってきた。それでも、躊躇った引き金に、指先はひどく無頓着だ。
「ぐっ……!」
殺すのは諦めた。銃身で打った女の手から、鈍い断裂音が聞こえた。吹き飛ばされたナイフが、部屋の壁に突き刺さる。
ひとまず、命の危機は脱した。殺傷力を失った途端、目の前の女の脅威度が格下げされる。がむしゃらに振り回される腕を掴み、反転した膝を刈った。
崩れ落ちた女の腕を極め、腹を打っていないかそれとなく視線を滑らせる。お腹の子に無用な衝撃はいかなかったはずだ。
ぐったりと項垂れて、虚な視線を地面に投げ出した女。その手首に手錠をかけて、手近な場所にあったベビーベッドの柵に繋いだ。
この場所で待っていれば、もうあんな恐怖に晒されずに済むだろうか。いいや。そうじゃない。
立ち上がり、次の扉へと向かう。オレより先に行ったリケティアのことが気がかりだった。
*
ロキシーさん達を探して廊下を歩いた。鼻腔で、吹き荒れるような血の臭いがした。覗き込んだ部屋の中には、上半身を吹き飛ばされた死体が転がっている。壁を垂れる血液が、まだドロドロと蠢いている。
吐き気と共に滲み出る脂汗で、グリップを握る手が滑る。太ももに手汗を擦り付け、MSCSを取り落とさないようにしっかりと握る。
家の中はもぬけの殻で、少なくとも息をしている人間はほとんどいなかった。捜査官までいないともなれば、オレはあの女と格闘している間に置いて行かれてしまったのだろうか。
廊下の突き当たりにあった扉を開けて、絶句した。
そこには、闇に浸された階段があった。文字通りその道は、この国の闇に続いている。
踏み入った途端、肺を汚しそうななんとも言えない臭気がした。ヒュドラ特有の臭いだった。
光源は乏しい。慎重に、階段を下る。靴裏が粘つくような感触は、あの地下水道に似ていた。ぐるりと周回する螺旋階段の終わり、ドロシーさん達の声が反響している。
「奴ら、魔薬を売るためならなんでもしますね。」
「我々と何も変わりませんよ。自らの目的の前に立ちはだかる壁を、どうにかして超えようと知恵を絞る。私たちが、昔からやってきたことです。」
オレが下りてきたことに気づいたリケティアが状況を教えてくれた。
「通常の紫外線の二倍量の魔素偏光を照射する人工照明だって。太陽の光がない地下空間でも、通常より生育の速いヒュドラを栽培できる。」
ロキシーさんたちが検めているライト。一昔前のストロボみたいな照明が、家庭菜園規模の小さな畑を満遍なく照らしていた。
開けた地下空間は、お世辞にも大農場とは言えないが、捜査官十人くらいならば窮屈ではない。充分とは言えない光源のお陰で薄暗い地下空間は、クレノアと会っていたあの地下水道を思い出させる。
一体いつ作られたのか、煉瓦で組まれた壁のテクスチャは、ところどころをモルタルか何かで壁塗りされている。亀裂が走っているのを見ると、丁寧な仕事ではなかったか、あるいは経年劣化。もしくは。
「なぁ、これ、なんだと思う?」
証拠写真の保存は、随分前から支給の携帯端末で済まされることが多くなった。例に漏れず写真を撮っていたリケティアと、手持ち無沙汰だった捜査官が近づいてきた。彼らに示すように、オレは壁の亀裂の始発点。壁から飛び出したチューブのような透明の管を指した。
「空気穴?息が詰まらないようにかしら。」
「だが、換気扇はあそこについてる。」
リケティアの推測は、オレより先に室内を見ていた捜査官が見せた端末の画像に妥当性を格下げされる。それに、この程度の地下ならば、生命にかかわるような空気の心配はしなくてもいいはずだ。
チューブの先端には、何かに焼け溶かされたような荒い切断の跡と、妙なくびれがある。
「これ、逆止弁に見えないか?」
ベルトからペンライトを取り出して、チューブを照らした。配管に施されるような手の込んだものではなく、どちらかというと、血管などの図解で見られるような、原始的な弁。しかし、これほど細いチューブで、逆流してくるものが空気だとするのならば、それで十分だろうというような気もする。
オレのライトに鼻先を近づけて、光の反射に煌めくチューブを凝視したリケティアも小さく頷いた。彼女の綺麗な瞳に、オレのライトが一際大きなハイライトを作る。
「連邦警察の鑑識官に依頼を出してみるか。」
「直接の方が早いでしょ。私、知り合いがいるから頼んでみる。」
「わかった。」
事務的な手続きに時間を食うのは、組織が正しく設計されている証拠ともいえるが、反面、それ故に取り逃す証拠も多い。結局の所は捜査官の横の繋がりというのが、組織図には現れない即応性のネットワークであった。
捜査官用のチャットツールで文章を打つリケティアを尻目に、ロキシーさんが階段を上がっていくのが見えた。
「先に報告してくる。」と言い残して、オレも彼の背中を追った。ロキシーさんは歩くのが速かった。結局地上に上がったところでやっと追いついて、廊下に出たところで報告を終える。
「そうですか。そういえば、四班が地下トンネル捜索用のソナー装置を導入したと聞きました。貸してもらえないか、ヒュエゴに頼んでみましょう。」
言い終えて、ロキシーさんはMSCSを抜いた。
「え」
「あと一人、居るような気がしませんか。少なくとも、私が殺した連中の中に、それらしい通信装置を持っている奴がいなかった。DEAが踏み込んできたのにそれとは、少しお粗末に過ぎる。」
その言葉に、オレも遅れてMSCSを抜いた。多分遅かった。ロキシーさんがMSCSを抜いた時点で、オレもそれに応じるべきだった。もし何かの間違いで彼が裏切者だったとき、オレは簡単に撃ち殺されていただろう。誰がどこに通じているかわからない。それが、魔薬資本主義を取り締まる法執行世界の常識だ。
「一人、生け捕りにしてる奴がいます。先に見てきます。」
「わかりました。私は二階を。」
オレは、さっきの部屋へとゆっくり歩いた。室内でのMSCS戦闘は、ほとんどの場合で最後の一撃以外に魔法が使われない。会敵するレンジが極端に近い故、まず近接格闘に入った方が、照準のタイムラグの分余裕があった。カートリッジに入っている魔法は、この家を倒壊させるような威力は出ないものにしていた。
二つの曲がり角を神経質に曲がり、女が待っている筈の部屋に踏み入った。
手錠に繋いでいたはずの女はいなくなっていて、へし折られたベッドの柵が、粉々になって床に散乱していた。
───逃げられた……?
慌てて廊下に飛び出す。敵が、残っている一人とあの女含めて二人なら、ロキシーさんが二対一になる可能性がある。弾速の面で音速の世界になる対MSCS戦闘で、銃口の数の差は勝率に直結する。そしてそれは、生存確率という点でも同じだ。
二階への階段。思い当たったその場所に向き直ったところで、少しばかり距離を開けて。オレを向いている銃口があった。
「ッ!」
片手に持っていたライトを点ける。咄嗟にそれを放り投げた。中空で、破裂するライト。照準は視覚、人間の目は光を追う。ネジだとかバネだとか少しばかりの火花だとかに分解されたライトは、プラスチック製の外殻を破片化させて、そのうちの鋭利ないくつかが床や壁に突き刺さった。
すぐに応じる。トリガーの一段目を引き、照星の中に敵の姿が浮かび上がる。昏い瞳をした女が、オレに銃口を向けている。
正直に言えばオレは、怖気づいた。躊躇った。引き金を引けなかった。
オレがそこで、安全装置の解除された軽いトリガーを引けば、女の頭は魔法の結実によって破壊力の餌食となり、その頭蓋は陥没して、真っ黒の血液の飛沫を撒き散らしながら無力化が果たされるはずだった。しかしそれは、あのお腹の中の子供にとっても同じ事だ。
躊躇った、重いトリガー。
彼女も、同じだったのだろうか。その華奢な腕から取り落されたMSCSが、重い音を立てて地面に激突する。その時すでに、女は走り出している。徒手格闘の心得がないのは、さっきのでわかっていた。あったとしても、身重の身体では碌な動きはできないだろう。
オレに激突してきた女に引き倒されて、オレたちは地面でみっともなく取っ組み合いを演じた。それでも、すぐに彼女の腕を極め、無力化が成功する。腕の中で暴れる女の肩越し、視線を感じた。
顔の、というよりは頭の半分をタトゥーで覆い尽くした、スキンヘッドの男だった。その手には、少なくとも軍隊規格でしか見たことのないような自動小銃型のMSCSが握られている。恐らく中身も外身に負けないようなものが入っているのだろう。
歯噛みする。女はまだ暴れていた。片腕でMSCSを繰るような時間を、奴は与えてくれるだろうか。
きっとオレよりも遥かに軽いトリガーが、呆気なく絞られた。軍用魔法ならば、プロッダー系統でも肉体は細切れにされる。次の瞬間、オレは鉄臭い液体になるのだろう。待ち受ける運命、照準が女を捉えていないのを願った。
網膜できらりと瞬いた鈍い光。魔法の魔素偏光だったのかもしれない。花火と同じだ。見えてしまったのなら、音は必ずやってくる。その音と一緒に、死が直送される。
その、一瞬前だった。
荷物を満載したトレーラーが、正面から激突したような音。音だけではない。魔法の破壊力が屈折し、爆風と可視化された魔素の光が視界を席巻する。こういった爆風は、室内で受けた場合、酷く内臓に負荷をかける。自分の呼吸が特に異常を示さなかったのを確認して、やっと顔を上げた。
いつの間にかそこに立っていたロキシーさんが、片手で魔法を受けていた。いや、障壁デバイスによって、軍用魔法を真正面から受け止めたのだろう。障壁に過信は厳禁。どれほどの胆力があれば、そんなことができるのだろうか。
彼のトリガーは軽かった。まだ残響にくぐもったような世界で、敵は全身に風穴を空けられて倒れ込んだ。
MSCSを仕舞い、ロキシーさんはオレに言った。
「大丈夫ですか?」
「……はい、すんません……躊躇いました。」
女は、オレの腕の中でぐったりとしていた。意識までは失っていない。呼吸や脈拍も正常だった。おそらくは、三半規管をやられたのだろう。ゆっくりと女を横たえて、地面に捨て置かれていた自分のMSCSを拾い上げた。
ロキシーさんは、端末で廊下の写真を撮り、思い出すように上を見上げた。それは、思考の癖というよりは、本当に上を。二階を見上げたのだと思う。
「よく、躊躇してくれました。貴方が躊躇ってくれたおかげで、彼女は死なずにすんだ。」
オレは臆病者だ。殺す覚悟も、殺される覚悟もなかった。その半端な精神状態の代謝として、オレの指先は動かなかった。ただ、それだけだったというのに。
「上で見ました。彼女は、カルテルの関係者ではない。」
「ぇ……それって」
「恐らくは密入国者でしょう。そして、運悪く彼らに捕まった。その子供も、誰のを身籠ったのかわからない。彼女は売人でない、私たちが、保護するべき人間です。」
結果論と言われてしまえばその通りだった。しかし、それでも。
「存分に躊躇ってください。その躊躇いの引き代に、今回のような幸いがある。」
オレはロキシーさんのその言葉を、忘れないだろうと思った。




