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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第二部【道のり】

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Ep.33『戻ってきて、キルマー』

『メヒクト合衆国ソドラ州 反魔薬カルテルデモに手りゅう弾 死傷者23名』


 目下、オレには頭の痛い問題が二つあった。一つは、朝飯を食ってるときに出てきたネット記事の速報。もう一つは、親愛なるリケティアお嬢様のご機嫌だ。

「誰なのよ、あの女。」

 オレのデスクに座っていたリケティアに、顎でどけと示してみると、彼女はおとなしく椅子を空けてくれた。その聞き分けの良さに少しだけ彼女を見直して、すぐにオレの隣のデスクの椅子に座った諦めの悪さに見損なう。

 オレとこいつの関係性が恋人なり一晩限りの関係だったりすれば、その質問は億劫極まりないものだったが、あの女と称されたクレノアとオレの関係は組織ぐるみで敵対する宿敵同士であったので、その質問は億劫極まりなかった。

 潜めた声で、リケティアは耳打ちした。

三層(さんそう)。ドロシーさんが見つけた情報は、全職員に共有されてるのよ。」

 彼女は、誰よあの女、という質問に、私はお前が敵の幹部と逢引きしていることを知っている、という含意を込めていたらしい。女とは全く大それたコミュニケーション能力を持っている。

「ちょっと付き合いなさい。」

 舌打ちで返したオレの手を強引に取る手。彼女にされるがまま、オレはおとなしく連行された。


 データベース照会センター、とは名ばかりのクソ狭い部屋。リケティアは、一面のガラス張りに視線を向け、スイッチを押した。すぐさまにガラスが曇り、透明度が急落する。そんな機能があったなんて知らなかった。

「こんなとこでおっ始めようって?」

「誰がっ……!……アンタなんかと……」

 てっきり一発くらい拳が飛んでくるかと思ったが、オレにお出しされたのはしおらしい猫目の上目遣いだった。

 沈黙が落ちて、なんで黙るんだよ、を言いそびれる。その間にも、彼女の弱々しい視線はオレを見つめている。

「私は……っ」

 コンコン、とノックの音がして「誰か使ってるー?」と扉の奥からくぐもった声がした。

「すぐに出る!情報提供者(インフォーマント)の資料があるから、無用な漏出を防止するために曇らせてる。」

「あぁ、緊急じゃないから、ゆっくりやってくれ。」

「助かる。」

 声の主は早々に離れてくれた。オレは次こそ言い逃さないように口を開いた。

「なんの用なんだ。」

 オレが聞いてもなかなか答えが返ってこないので、持ってきていたコーヒーを飲んだ。苦くてあまり好みではなかった。

「アンタが……」

「オレが?」

「なんの手柄もないくせに……敵と内通してるなんて知れたら、もう終わりよね。それが言いたかったのよ……!」

「あぁ、そうだな。」

 もう正直、こいつの舌鋒には適応が利いた。意に介さなかったオレに、ぐっ、と息を呑むのがわかった。

「アンタって!……いつも、……そうよね。」

 こっちの台詞だ。その憎まれ口は、いつ矯正されるんだろうか。

「アンタが通じてる奴のせいで、二十三人が死んだ。グランナダラで見つかった生首の死体。その下のMSCSに何が入ってたか知ってる?その首の心臓と肺、生命維持装置。あの死体は、首だけのまま悪戯に生き永らえさせられた。

 全部、全部、奴らの仕業。殺したいから殺す。敵の利益になるから殺す。自由と秩序を履き違えた、唾棄すべき人間。その全部が、あいつの下にいるのに……!」

 ブレた視界に、服を引き裂かれ、強姦され、悪戯に四肢をもがれた死体を幻視した。悪趣味なことにリケティアに重なるように現れた幻覚に、胃の奥の更に奥底の何かの臓器が、奇妙な軋みを上げた。

「血が通ってる人間の仕業じゃない。もし、それでも血が通ってるのなら」

 うるさい。頭が軋む。白骨化しかけた死体の眼窩で、腐り始めた眼球がぎゅるぎゅると巡っている。

「病に侵されている。彼らの血は、病毒のある血よ。」

 血の色をした鮮やかな紅が、オレの目の前にいた死体を塗り替えた。真っ暗な闇の中に走る、一太刀の紅。それが、オレに現実を呼び起こし、怒りは血液─脳 関門を最速で通過する。

「……もう、ちょっと黙ってろよ。」

 ぶちまけたコーヒーが、リケティアの半身を赤褐色に染めていた。

「熱っ……」

 うずくまった彼女のシャツに、乾いた血みたいな染みが広がっていく。俯いたリケティアの顔が見えない。震えた睫毛だけが、キラキラと輝いている。

「最低……っ。」

 ボロボロと涙を溢す双眸が、キツくオレを睨みつけた。立ち上がったリケティアは、けたたましい音を立てて出ていった。せいせいする。

 視界の端に、鮮やかな紅が差されている。



「珍しいね。こんな時間に。」

「駄目か?」

「悪い捜査官。」

 お前とつるんでる時点で、オレはもうDEA失格だ。オレは大農場どころか、ヒュドラの茎一本すら見つけられていない。

 オレとクレノアが見つめる水路の脇道には、幾つもの生首が等間隔に並べられている。

「お前がやったのか、あれ。」

「殺したのか、ってこと?ノアが殺させた。ノアが並べた。」

 一体、どんな武器を使えば、なんなにもズタズタに首を引きちぎることが出来るのだろうか。魔法で破裂したような跡のない首に、力の限り振り下ろされる、錆びた山刀を想像した。

「ノアはこれが、当たり前だと思ってるの。なんの罪悪感も感じない。ノアが生きてきた世界では、これが普通だった。ファミリアのみんなも、そうしてきた。

 生まれながらにして、ノアには悪魔が宿ってる。もう今更、追い出すことなんてできない悪魔。」

 病毒のある血。オレがコーヒーをぶちまけるほどに怒った言葉。彼女が言った悪魔という言葉は、その換言に他ならないように思えた。オレがこんなにも聴きたくない言葉、お前に聞かせたくない言葉。

 お前が、自分でそれを言うのか。

 そんなことはない、と言い返してやることも出来た。でも、それをそのまま受け止めてもらえるはずがないというのは、ついさっき、リケティアとかいう女が教えてくれた。だから、遠回りで婉曲で、難解な言葉遊びをしたためた。

「血は、洗浄できない。」

「そうだね。だから、ノアはずっとこのまま。ずっと、何にもなれないまま、この血に巣食った病のままに、君の仲間を殺し続ける。」

 クレノアは、オレとは反対方向に転がって、その華奢な身体を横たえた。何をも見てないその瞳を、無神経な光が悪戯に舐っていった。

「農場の場所を、お前は知ってるのか。」

「知ってたら、どうするの?」

「教えてくれ。お前のその病を、治してやる。」

「君が言ったんじゃん。血は、洗浄できない。ノアは、これを治したいと思うこともできない。ノアの頭は、その汚れた血を燃料にして、どうやって殺すかを考えてる。」

 どうして自分がこんなにもクレノアに入れ込むのか、本当のところではよくわかっていなかった。しかし、この暗闇の中の紅、オレの幻覚を祓う紅。その鮮やかさだけは、嘘じゃないと思った。

「ロス・アンタニオスのボスを殺せば、お前は、オレについてきてくれるか?」

「どうやって?……君が、殺せるの……?」

 少し含んだ嘲笑が、地下道の中を残響する。

 オレは適合者ではないし、頭が切れるわけでもない。一人の人間としても、DEA捜査官としても、別に優秀じゃない。クレノアはオレに、お前はそんなにも大した人間ではない、とそのままの言葉で教えてくれている。

 それでも、あの日、あの農場に遭遇した。あの道のりを用意した神は、オレの終着地点に何があるのかを知っている。オレが経由したあの農場という中間地点は、そこにオレを導くための布石だ。

 それならばオレは、こんなオレが、魔薬という道を終わらせる特効薬であるはずなんだ。

 なぜオレなのかは見当もつかない。それこそ、ロキシーさんなんて適任だろう。リケティアだって悪くない。でも、オレだった。

 オレには何かがあるんだ。オレには論拠がない。それなのに、確信があった。そしてそういうものを、運命と呼ぶのだと思った。

「オレだけが、この最悪の現実を終わらせられる。」

 叩き潰す。ロス・アンタニオスを、数多の魔薬カルテルの全てを、オレが叩き潰す。そうすれば。

 君のその紅色は、オレだけのものにならないだろうか。

「っ、……信用できない。……ノアにそんなに執着する意味もわかんない。ノアはそんな簡単に、騙されたりしない。」

 それに、とクレノアは息を継いだ。

「この病には、特効薬がない。」



 オレの預金残高は、この年にしちゃ大したものだったはずだ。アメリクス国債やインデックスファンドに突っ込んでいる金も含めれば、高級車だって夢じゃない。

 しかしオレは、そんな預金残高を、人生序盤、早々に棒に振ろうとしていた。

 オーダーメイドのMSCSなんてのは、技師と相応の信頼関係がないと作ってもらえない。でも、オレにはそれが必要だった。それは、オレの聖剣になる。オレのモチーフとなり、オレの体現する理想となり、そしてそれは、魔薬ビジネスというものに差し込まれる、鋭い注射針のメタファーとなる。その薬液はやがて、地球が脈動するのに合わせて循環器系に取り込まれ、全地球へと波及していく。

 オレが訪ねたのは、とあるプライベートバンカーの友人だった。オレの資産運用について意見してくれるのも彼で、高校のときからの友人だった。彼は、金が有り余って仕方がない富裕層の享楽に、オーダーメイドMSCSが好まれるのを知っている。その技師にも、一人や二人顔が利いた。

「武器を買うのなら、一番いいのはクリスタル・メスだ。レディ・メイドの手広さで注目されないが、彼らが有する造形師と職人へのパイプは断トツだ。」

 友人のその言葉に、オレは武器商社クリスタル・メスの技師を紹介してもらった。後ろ暗いことをいくつも隠しているという噂がある会社だ。CIMが、彼らの悪行を暴くためだけにIMFT───国際MSCS送金通信協会───に協力を要請したこともあった。

 でも正直、オレにとっては関係のないことだった。クリスタル・メスの技師は、オレの予算のヒアリングと、造形の3Dモデルを見せてくれた。おあつらえ向きの武器の在庫があるらしく、それだったら安くで譲ってくれるそうで、それは彼が過去に作ったものらしかった。

 技師はオレに聞いた。

「こんな時代に、剣で戦おうとしているやつがまだいたなんてな。」

 オレは馬鹿馬鹿しくて、「そうだな。」とだけ答えた。



 事務所に行くと、オレのデスクには先客がいた。普段の憎たらしさのせいで忘れていたが、リケティアは存外小柄だった。しゅんと項垂れた様子に、面倒くさそうな気配を察して着席を諦める。オレがコーヒーメーカーの前で時間を潰そうとしていると、がら空きの背中を頭突きされた。

「なんで……逃げるわけ……?」

「面倒くさそうだったからな。なんだ?クリーニング代か?いくらだよ。」

「違う……っ……ただ、その……」

 やはり、人間が皮肉を考える器官と、本心を言語化する器官は全く別のところにあるらしい。普段は流暢に嫌味を生成する言語エンジンは、今は稼働していなかった。

 ぐりぐりとオレを痛めつける石頭は、オレの背中を掘削しようとしているのだろうか。急に止まった掘削機は、運転席から顔を覗かせて、小さな声で言った。

「ごめん。……アンタがあんなに怒るなんて、思わなかったから。」

「……ぉ、う……いや、DEAとして悪いのはオレだから、お前が謝るのも違うかもしれないけど。」

 急にそんなに真摯に謝られると、バツが悪いのはオレの方だった。

 オレの心情を抜きにして考えれば、彼女がやったことは、内通者になり得る同僚を正しい道に引き戻そうとする行為だったのだから。

 リケティアは、オレの言葉なんて聞いてないみたいに続けた。やっと、その小さな頭を上げる。

「……私が何言ってもアンタって全然取り合わないから、だから、軽んじられてるんだって、ずっと思ってた。今まで突っかかって……ごめん。でもこの前は初めて、……ちゃんと、私の言葉に向き合ってくれた。コーヒーは……熱かったけど。」

 憎まれ口を挟まないと死んでしまうのだろうか。でも、そうやって内心を告白してくれたのに毒気を抜かれて、オレもいつも通りの無関心な言葉が出てこなかった。

「……少し、出るか。捜査に付き合ってくれるか?」

「……!うんっ」

 オレは、コーヒーマシンが真心こめて作ってくれたコーヒーを差し置いて、リケティアと共にコーヒーを飲みに行く。


 オレがラテを頼んだのを見て、リケティアは堪え切れないというように笑みを漏らした。

「苦いの、まだ苦手?」

「悪いかよ。むしろ、あんな苦い汁を喜んで飲んでるやつの方が得体が知れない。」

「お子様なのね。」

 あてつけのように、こいつが頼んだのはグランナダラ産の豆を使った、ブラックのストロングコーヒーだった。

 オレはわざわざその揶揄いを取り合ってやるのが億劫で、窓の外に視線を流した。こういうところが、これまでこいつを苛つかせ続けてきたのだろう。

「アンタってさ。」

「あぁ。」

 窓の外を見たままで、ニュートラルな意識が相槌を打った。

「最近、変わったの気付いてる?」

「変わったって、何が。」

「死体の写真見ても、嫌そうな顔しなくなった。」

「それは……」

 ここ最近の自分を思い返した。

 ロキシーさんとステーキを食べて、死体のことを思い出して、喉奥に感じた胃液の苦みと、それが焦がした喉元の感触。

 そういえばオレは、クレノアとステーキを食べたとき、そんなことを一端でも思い出しただろうか。

「前は、お土産についてる写真見て、嬉しそうな顔してた。私、アンタがそういう顔するの、案外好きだった。でも最近は、ああいう顔、しなくなったよね。」

 水面に浮いた油みたいな、不快な形を描く意識が、意図せず視界を眩ませた。自分の認識がゆっくりと歪んで、あるいは、オレを引き戻そうと掴んだ手によって正されて、ゆっくりと、瞼を閉じた。

 くぐもった聴覚の向こう側で、頼んでいたラテとコーヒーが届いた。

「自分がちょっとおかしくなってるの、気付いてる?」

 それなのに、こいつの声だけは、鮮明にオレに届く。

「今、あいつらの殺した人間の死体の顔、見られる?」

 連射された魔法によって、ズタズタになった人間の身体。おびただしい量の血液と、それをものの数十分で綺麗に片づけてしまう連邦警察。餌を巻きつけられて、十匹に及ぶ野犬に生きたまま全身を喰われた死体。唸り声をあげたチェンソーが、縛られた男の首にゆっくりと沈んでいく光景と、その血しぶきの一部始終を捉えた犯行声明の動画。

 水路の端に等間隔に置かれた、身元不明のいくつもの首。

「ッ……!」

 噴き出した吐瀉物が、歯の間を抜けて、テーブルの上を飛び散った。なんとか死守した固形のゲロを、脂汗の冷たさを感じながら飲み干した。反芻なんて、牛野郎の特権だと思っていた。

 オレの前にいくつかの雫として飛び散った吐瀉物を、リケティアは手にしたナプキンで拭こうとした。優しい瞳だった。

「いい。……自分でやる。」

「そんな涙目で言われても信用できない。大人しく休んでなさい。」

 そんな汚いものを、どうして自分から処理してやろうと思えるんだろう。彼女は、丹念にテーブルを拭いて、そのナプキンを丸めて自分の傍に置いた。胃液のせいで軋んだ歯根が、噛み締めたせいでギシギシと鳴った。

「……戻ってきて、キルマー。」

 視界の端に、鮮やかな紅色が明滅している。

「血液型の違う血は、絶対に、相容れない。」

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