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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第二部【道のり】

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Ep.32『病毒のある血』

 ロキシーさんが開いたラップトップのディスプレイ。メヒクト合衆国を中央に据える地図の中、いくつものピンが立っている。それは、地図を埋め尽くし、拡大しなければ何が何だかわからないような深刻な状態に陥っていた。この人は昨日も、四トンのヒュドラ密輸を摘発していた。

「第四捜査チームに、ヒュエゴという男がいます。彼にツールを借りたんです。」

「位置情報、すか。」

「えぇ。ただし、特定には端末の情報が必要になる。」

「電話番号。」

「その通り。しかし、電話番号の特定には、ある方程式による暗号化プロトコルが施されている。特定は容易ではありません。」

 カルテルの通信手段である携帯端末。そのメールを傍受するのはそう難しくない。しかし、そのメールから相手の素性を探り、その電話番号を特定するのには、相応の取捨選択と一握りの偶然が必要になる。そうして神に微笑まれた結果、オレたちはようやっと、その在処について知る手段を得る。

「流石に重要な人間への連絡は最小限にとどめられています。幹部やボスへの手がかりをつかむのには足りない。しかし、このネットワークを概観すると、ある程度規則性が見えてくる。」

「規則性……」

 ロキシーさんは言葉を続けなかった。まただ。この人はオレに、考えろ、と言っている。

 碌な成果も出していないオレに、この人は考えるチャンスをくれている。

 やけくそのダーツみたいに中央アメリクス大陸を駆け巡るピンの軌跡。隣のウィンドウには、傍受された通信ログが表示されている。その中で、やけにいくつもの端末からメールを受信している端末がある。

「中継地点がある……!」

「素晴らしい。奴らは、全構成員の情報を、一度中間地点に集約している。そして、そこから取捨選択された情報が、中継地点から転送される。この中継地点を経ることによって、末端から端末を特定していかなければならない私たちは、終着地点まで一息には進めない。」

 カルテルの麻薬密輸ネットワークは、アメリクス大陸を、あるいは世界を網羅するように張り巡らされている。どんな場所からでもアクセス可能だ。しかし、その中枢に入り込むためには、一体いくつあるのかもわからない中継地点を経由しなければならない。

 ロキシーさんは、それを関門(ゲートウェイ)と言った。

「私が見つけた関門は今の時点で六つ。彼らは相互に転送していないから、一般構成員のメールはまずこの六つの関門で処理される。」

「この六つが情報を上げたところ……第二階層にも、同じようにネットワークがある。」

「えぇ。構成員の数で言えば、第一階層の関門は六つでは足りないでしょう。第一階層の関門から上げられた情報は、更に第二階層のネットワークに送られ、そして、その第二階層の情報を集約する関門も、また存在する。」

「……それじゃあ、その情報が最後に行きつく場所は……」

「えぇ。あと、何階層あるかわからない。」

 それは、途方もない道のりだった。関門の中にはダミーもあるだろう。樹形図にすれば単純だ。けれど、オレたちはそれを概観することはできない。オレたちが三日三晩寝ないで追った情報が、関門から愛人の場所に届く可能性もある。一体自分がどんな道を辿っているのかすらわからない中で、オレたちは、その終着地に辿り着かなければならない。

「……無理、じゃないすか……こんなの。奴らは、最短四十八時間でアルゴリズムにリセットをかける。その間に特定するなんて」

 通信傍受は、もちろん捜査機関であってもグレーな領域である。その許可には、くそ長ったらしい捜査宣誓書と、判事への申請、許可が必要となる。その途中に、どこから情報が洩れ、どこから邪魔が入るかわからない。

 オレたちは、法執行の名のもとに奴らに銃口を向ける。しかし、その法こそが、オレたちの引き金を酷く鈍化させ、そして、法の埒外にある連中を肥え太らせていく。

 眩暈がしそうな絶望感に嘆いたオレに、ロキシーさんはこともなげに指を立てた。三本。

「階層は三つです。」

「……は……?」

「三つ、階層を突破すれば、ロス・アンタニオスの終着地に辿り着く。」

 わけがわからなかった。今しがた、オレとロキシーさんは、このネットワークには特定の余地がないという共通認識を構築し終えたところだったはずだ。それなのに、この人は何を言っているんだ。

「第二階層の関門はまだ特定できていませんが、彼らのメールにはある名詞が頻出する。」

「ある、名詞……」

 名前は、奴らの闇に踏み入るカギになる。ロキシーさんが教えてくれたことを、オレは忘れていなかった。

「花です。花の名前。私が確認する限り、三種類。」

 藍、紅花、麻。ロキシーさんは、声を潜めて三草を挙げた。

「第一階層でこの名前が入ったメールは、必ず関門を通過している。そして、第一階層か第二階層か定かではありませんが、その他にもこの名前を有するメールは数多くある。そしてそれは、絶対に、三回以上転送されない。」

「第一階層から関門に届いて、関門が第二階層に転送する一回と、第二階層が関門に転送する二回。第二階層の関門が、第三階層に転送する三回。」

「えぇ。つまり、この花の名前は、第三階層で終着する。」

 第三階層には、ある終着地がある。それが、ロス・アンタニオスのボスに繋がっているのか、あるいは幹部に繋がっているのかは定かではないが、第三階層より上には、もうネットワークも関門も存在しない可能性がある。だから。

「階層は、三つ。」

 オレが呟いたのを皮切りに、ロキシーさんは普段通りのトーンで言った。

「さて、データベースを見に行きましょうか。」


 IDをリーダーにかざし、錠前につけられたキーパッドにパスワードを入力した。ロキシーさんもIDをリーダーに読ませる。

 DEAが収集してきた魔薬カルテルの人物照会データベース。ガラス張りのせまっ苦しい部屋には、様々な資料が乱雑に安置されている。

 「少し調べます。」とロキシーさんが言ったので、オレはコーヒーメーカーでコーヒーを二杯注ぎ、自分の方にフレッシュと砂糖をどばどばと入れた。ロキシーさんのところに戻ると、彼は既に全てを調べ終えていた。

 彼の椅子の隣に積んであった資料に腰かけて、ディスプレイを食い入るように見つめる。

「アイ、クレノア、リンネ。」

「全員が、魔薬の大規模な密輸に関わったとして、捜査対象になっています。そして、現場から発見された全員のDNAは、彼女たちを姉妹だと結論付けている。」

 ぼやけているものや、顔の大部分が見えないものもある。しかし、全員が目麗しい美少女で、深窓から俗世を憂うのが似合うような雰囲気を纏っているのがわかる。それが?それが一体なんだというのだろう。名前。名前を思い出す。

(アイ)紅花(クレノア)(リンネ)。」

「その通り。全て、花の別名です。」

「彼女たちの、愛称……!」

「ロス・アンタニオスの幹部。少なくともそこには、ある三姉妹の姿が浮かび上がってくる。」

 三層。ロキシーさんは言った。

 それが、やっと見つけたロス・アンタニオスの幹部。そこに与えられた、名前だった。



「クレノア。名前を言ったら……それで満足?」

 下水道の闇の中、浮かび上がった少女の横顔。そこに差した紅の鮮やかさに、オレは言葉を絶やされた。

 オレがそうやってほっといたから、彼女はオレへの興味なんてすぐに無くして、暗闇の中で身をよじった。クレノアは、魔法瓶から何かを注ぎ、湯気の立つそれを、小さな口で嚥下した。

───何をビビってるんだ、オレは。

 自分の足を竦ませたのが、果たして恐怖だったのか、そうではなかったのか、努めて考えないようにした。携行したMSCSを、すぐに突きつけられるように手を回した。背中のホルスターのボタンを外す。

 ゆっくりと歩き、少女の前に躍り出たオレに、クレノアはこてんと小首を傾げた。

「君も飲む……?」

 オレは首を縦にも横にも振っていないのに、クレノアはカップを差し出した。息を呑み、それを飲み干したい欲求に駆られた。それを拒んだときに、この子が悲しむ顔が見たくないと思った。オレが手を伸ばそうとしたのと同時、カップが引っ込められる。

「いらない、よね。わかるよ。君は臆病だもん。ずっと何かを怖がってる。怖いんでしょう?ノアのことも。

 信用できないんだ」

 引き結んだ口許が、可憐な表情を被虐的に歪ませる。違うんだ。そうじゃないんだ、オレはただ。そうやって弁解したかった。どうか、その表情を笑みで埋めて欲しいと思った。でも、オレはスパー語以外で情熱的な愛の言葉を持たなかった。

「信用できる?カルテルの血を通わせた女が、君にだけ捧げた杯。呑み下せるわけ、ないよね。」

 思わず呼吸が止まる。

 オレは、DEA捜査官だ。そして、彼女はロス・アンタニオスの幹部と目されているような少女だ。本来、出会ってしまえば一触即発の属性を持つ。それなのに、どうしてそんなにも簡単に、火花を起こすことができる。その火が、どんな可燃性のものに引火するのか、わからないのに。

 意識して奥歯を噛み締める。彼女の手の中にあったカップを奪い取り、その熱も、なにもかもを忘れて、呑み下す。

 喉元を滑り降りていく熱が、やがて食道を焼き、胃の中で温もりとなる。呑み下し、オレの中で燃える。

 クレノアは、唖然とした表情をしていた。やっと一泡吹かせてやれて、オレは嬉しかった。いや、彼女が悲しんだ顔をしていなかったから、嬉しかったのかもしれない。

「馬鹿っ……なの?」

「丁度、温かい飲み物が欲しかったんだ。ありがとな。」

「……馬鹿。馬鹿だ。本当に馬鹿。何考えて、ノアなんかのを……」

「綺麗だったから……」

 飲み干す前。カップの中に注がれたハーブティー。その色は、彼女の紅と同じ、血の色をしていた。綺麗だと思った。

「お前が綺麗だった。可愛かったからだ。そのお誘いを断るなんて、オレには無理だ。」

「……意味わかんない。誰も、誘ってない。ノアは、さっさと出て行ってほしかっただけ。それか、殺してほしかっただけ。」

 オレがカップを返すと、クレノアはそれを小さく抱きしめた。

 長い睫毛が震えていた。



 それからは、あの下水道がオレたちの逢瀬の場所になった。

 リケティアが煩わしくなったとき。情報提供者との面談までの空き時間。午前零時をまわるような帰宅前。彼女はいつでもそこにいた。そして、いつも「また……来たんだ。」と嫌そうな顔をする。

 最初に会った時以来、彼女はハーブティーを自分で飲むだけで、オレには飲ませてくれなくなった。たまに寂しくなって、またくれないのかと聞いてみると真っ赤な顔で「あげない……!」と言われた。変な奴だ。

 オレたちは何をするでもなく一緒にいて、オレは彼女の顔を盗み見るだけだった。その紅の色に、目を奪われ続けていた。クレノアは、オレが話す近況のことを、少しだけ笑って聞いてくれるときもあれば、「へぇ……」という相槌だけのとき。何も言ってくれないときもあった。

 それでも、オレが何も話さないと「今日は何も……喋ってくれないの?」と少しだけ寂しそうな顔をする。

 ある日に、オレはロキシーさんに着いていった現場でカルテルから銃撃を受けた。割れたフロントガラスで額を切っただけだったが、顔面に直撃していれば、オレの頭も血の色の花になっていた。震えは止まらなかったが、クレノアに会いに行くのはやめなかった。頭のおかしい精神状態だった。オレの頭を吹っ飛ばしかけたのは、彼女の命令だったかもしれないのに。

 それでも、クレノアはオレの額に貼られたガーゼに触れて、優しく撫でてくれた。心配になるくらい細い腕が、退廃的な色気を孕んでいた。

「痛い……?」

「いや。今なおった。」

「ばか。」

 彼女に触れられたのは初めてだった。少し欲が出て、その細すぎる手首を掴んだ。嫌そうな顔はされた。でも、振り払われはしなかった。

「ちゃんと食べてるか?細すぎて、心配になる。」

「……心配される筋合いない。別に、ちゃんと食べてる。」

「朝飯抜いてるとかだろ。もう少し肉付きがいい方が健康的だ。」

「……なに?……ノアの肉付きがいいと、君に何か得があるの……?」

 さすがに腕を振り払われて、その細腕は自分を抱きしめるように、オレから身を守るように引っ込められた。確かに、もう少しむっちりしていた方がオレの好みだったけど、それだけで言ったわけじゃなかった。

 翌日、オレはステーキハウスでステーキをテイクアウトして持って行った。その日のクレノアは機嫌が悪かった。オレが差し出したパックに目も向けず、ただ闇を見ていた。どうせ食べないのなら、と思ってオレが切り分けると、クレノアはオレにその可愛くて小さな顔を差し向けた。「んぁ」と間抜けな声を出して口を開けるものだから、フォークに刺したステーキは彼女に喰らわれることになった。

「美味いか?」

「……そこそこ、かな。」

「可愛くねぇ奴。」

 素直じゃないクレノアへの当てつけだったが、彼女は嚥下したまんまの口を噤んで、すぐに不安げな声を出した。

「可愛く……ないの……?」

「んぐ……いや、……まぁ、顔は……可愛いけどさ。」

 そんなに可愛い上目遣いで、甘えた声を出されたら、可愛くないなんて言える男はいないと思った。ステーキのソースに滲んだ紅色が、その口許を汚していた。

 事務所に出勤すると、リケティアに外回りのことを詮索されることが増えた。

「仕事、サボってるわけじゃないでしょうね?いつもいつも、どこで油売ってるわけ?」

「お前に関係あるかよ。小手先の売人ひっ捕まえて悦に浸ってろ。」

「っ!こっちは……心配して……っ!」

「お前に心配される筋合いはない。もう早く見捨ててくれよ。オレみたいな成果を出せないやつとは、違うんだろう?お前は。」

 オレの脇腹に蹴りを叩き込んで、リケティアは足早に事務所を出て行った。

 隣のデスクの奴に「ヤったのか?」と聞かれたから、オレも蹴りを叩き込んでやろうかと思った。

 いつもの路地裏に歩いていくまでの間、考えは加速するような気がする。思考の質が高いとかそういうわけでは全然なくて、ただ、空回りするみたいに、クソの掃き溜めにもならないような自問自答の速度が速くなるだけだった。

 オレがやっているのは、DEAに対する裏切りになるだろうか。カルテルの勢力への、寄与になるだろうか。そんなことに、いろいろな理屈をこねくり回して、ノーを返すだけ。

 でも実際、DEA捜査官のオレと、ロス・アンタニオス幹部のクレノアは、一度だって魔薬の話をしたことがない。オレたちは、美貌を眺め、眺められるような、ステーキを喰わせて、喰わされるような関係性で、それ以上のことは何もないのだから。

 マンホールを下りて、いつもの場所に行く。

 開けた空間には、いつも通りにクレノアがいる。

「”あの人”は、鏖殺を指示している。……ノアの言うことがわからない?」

 潜めた声で、彼女は何かを話している。

「農場の邪魔になる奴は、全員殺してって言ってるの。」

 DEAのバッヂが、暗闇の中で憎たらしく輝いていた。

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