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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第二部【道のり】

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Ep.31『闇に生けられる花』

 メヒクト海軍の被った損害について。そんな報告書が、オレのデスクに置かれていた。デスクの上に散らかしていた資料をわざわざ片付けてまでそんなものが置かれていたことに、オレは少なからずイラついていた。

「あぁ、アンタが進言したんだっけ?」

 わかっているだろうに、そんなことをわざわざ聞いてくる女。

 オレは、出勤途中に寄ったカフェで買ってきたカスクートと、熱いラテを持っていた。

「昨日は残業?アンタのお陰で私たちは朝五時から出てきて割を食ったのに、太陽があんなところに来るような時間に凱旋なんて、流石すぎるわぁ……!」

「あ?」

 リケティア・ビーラインは、オレより少し前に第三捜査チームに配属された、同い年の女だった。顔はそこそこに整っていて、憎たらしい目つきの相貌と綺麗に切りそろえたカールがかったボブカットは、抱いてやったらそこそこに自尊心を満たせるだろう見た目をしている。

 それが、嫌味ったらしい皮肉を垂れる同僚となった途端に苛立ちの材料へと転化するのは、人間が直情的な生き物なのだというのを実感させてくれるいいサンプルだ。

「教えてあげる。アンタの進言で配備されたメヒクト海軍は、なんの魔薬も摘発できずに、むしろ、一隻を失った。」

 オレが睨みつけても、リケティアはなんにも意に介さずに、むしろ不敵に笑ってみせた。

「いつになったら成果をあげるの?アンタが夢見てる大農場には、いつ辿り着けるんだろうね?」



 「少し、昼食に付き合ってくれませんか?」そんなことを言ったロキシーさんに連れ出されて、オレはもう昼でもないのに事務所を出た。これは、オブラートに包んだ戦力外通告だろうか。背中に、頭を無くした兄の重い感触を覚えた。それは、ゆっくりと血を沁みださせていって、オレの身体を冷たく引き摺り込んでいく。

「何が食べたいですか?」

「あぁ……そうっすね、どうせなら肉がいいっす。」

 どうせ辞めさせられるなら、というオレの含意についてを、この人は承知していただろうか。ロキシーさんなら、それくらいわかっても不思議じゃない。摘発に関してのこの人は、読心術を持ってなきゃ辻褄が合わないくらい冴えている。

 ロキシーさんは、よくよく見たら何かの映画で見た俳優に似た顔立ちを嫌味なく上げ、シャープな顎に人差し指を小突かせた。事務所の中に、ロキシーさんを狙っている女性が何人かいるのも納得だった。

 やがて、店に思い当たったのか、ロキシーさんは何を見るでもなく歩き出した。オレは、情けなくそれについていくだけだった。

 ロキシーさんが入ったのは、事務所から五分くらいのところにあるステーキハウスだった。国境沿いの地域の中で、この街は一際目を引く。定刻通りには出ないが、地下鉄はびゅんびゅん往来するし、少しばかり車を飛ばせば空港もある。立ち並ぶ中層ビルには、朝八時半から行列ができるし、午前零時でも光が灯っている。

 ロキシーさんは気兼ねなく店の中を見渡して、トイレに続く道を過ぎた、入り組んだ一番奥の席を陣取った。

「さて、何を食べますか。」

 メニューを見ながら呟いて、オレが吟味するのも待たずに、ロキシーさんは三百グラムのリブロースを二つ頼んだ。焼き加減を聞かれて、ロキシーさんはレアをオーダーした。ロキシーさんは、オレがミディアムと言おうとしたのを制して、結局テーブルには六百グラムのレアステーキが並んだ。

「ステーキはレアを食べるものですよ。」

「そう、っすか。」

 短い付き合いだけれど、この人がこんなにも強情なのは珍しいことだとわかった。オレは切り分けたステーキにフォークを突き刺して、その断面の赤さを見た。オレが少し嫌な顔をしたのがわかったのだろうか、ロキシーさんは少しだけ笑った。

「苦手ですか?」

「いや、大丈夫っす。」

「そのうち、食べられなくなる。今のうちに、食べておいた方がいいですよ。」

 それがどういうことなのか、よくわからなかったが、ロキシーさんがオレのDEAのバッヂを指したのを見て理解する。

 そういえば、うちの事務所には菜食主義者が多い。それも、年次の長い奴ばっかりだ。脳裏で、ミンチにされた人間の血肉が思い起こされた。

 思わずえずく。喉元までせりあがってきた胃液を、気合で呑み下した。焼かれた喉が、なんともいえない臭気を発した。

「ロキシーさんは、食えるんっすね。」

「私は、薄情者ですから。例えば君が死んでしまって、それに涙を流したとしても、次の日にはいつも通りの時間に出勤して、いつもと変わらないパフォーマンスを発揮する。そして、恐怖に足がすくんだ瞬間にだけ、本来想起するべきだった怒りと屈辱を思い出して、奮起する。嫌な上司でしょう?」

 それは、すごく強いことだと思った。同時、やっぱりこの人は薄情なんだとも思った。それが、この人が肉を食べる理由だ。

 この人は、薄情であるために肉を喰らう。仲間の死を思い出すために、肉を喰らう。死肉を喰らい、この人に取り込まれた亡骸は、次の敵を叩き潰すために燃え始める。

 オレは、大して得意でもなかったテーブルマナーをかなぐり捨てて、血の滴る肉を喰らった。

 噛み締めるたび、肉汁と一緒に血と脂が零れてくる。呑み下し、飲み干した。オレは、絶対に負けない。あるいはそれは、ロキシーさんがオレにそうあれと課してくれた、通過儀礼なのかもしれなかった。

「ロス・アンタニオスで小さな縄張りを与えられた小物のボス達。私は、その逮捕劇の渦中にいたことがある。」

 噛み切れない脂身に格闘しながら、視線だけでロキシーさんを見た。

「彼らは、揃いも揃ってステーキハウスで肉を喰らっている途中に、その首元に銃を突きつけられた。彼らにとって肉とは、それくらい重視するべきものだったのでしょう。あるいは、そうするようにとした私のような人間が、カルテルの中にもいたのかもしれません。」

 やっとのことで引きちぎった脂身を、大して咀嚼せずに飲みこんだ。マッシュポテトで口の中の脂を中和して、水を流し込む。

「あいつらは、なんとも思ってないんすか。人間が、あんな状態になることに。」

「えぇ。彼らはなにも思わない。だから、私もなにも思わないことにしている。人は、皮を剥がれて捌かれて、骨を引き抜かれれば、私たちが喜んで食べる家畜の肉と何も変わりはしない。死体には理性がない。人間を象徴する概念は、その精肉には介在していない。」

「奴らも、そう思ってる。」

「かも、しれません。でなければ、あんな惨状を引き起こすことはない。」

 頭を花びらみたいに解放させて死んでいた、ある死体を思い出した。そこには煩わしい羽音をぶんぶんとかき鳴らす羽虫がたかっていて、それが、蜜を求めて吸い寄せられる蝶みたいで気味が悪かった。

 メヒクト合衆国の共和制樹立前夜。そんな時期の事件だった。それ以降、奴らの凶行はとどまることを知らない。

「オレには、あいつらのやってることが、社会というものへの挑戦だとは思えない。反政府組織だとか、反体制とか、そういうイデオロギーはなにもない。それなのに、奴らには規律があって、誰よりもこの世界をハックしている。」

「その根底にあるのが、この世界をここまで発展させ、そして、後戻りのできない分水嶺に架け橋を築いた概念です。」

 魔薬について論じる誰もが、それについてスタンスを持たない。

 それは、この悪夢のような現実を生み出した張本人でありながら、世界中の大多数の人間から信奉される、神のような存在。あるいは、全ての苦痛に対する、特効薬のようですらある。唇を湿らせて、神の御名を呼ぶように厳かに口に出す。

「資本主義。」

 全ての根底にある。全ての起源である。全ての、元凶である。

「病気みたいだ。瞬く間に広がって、手が付けられなくなる。それで、体の中にとんでもない腫瘍を作り出して、そいつらが、今や国家や政府に対して宣戦布告している。そしてその腫瘍には、特効薬がない。」

「えぇ。ありませんね。私たちのような組織は、対症療法に過ぎない。あと百年、千年。人類と、資本主義が存続する限り、どんな国家がその歴史に終止符を打っても、どんな犯罪組織が壊滅したとしても、彼らだけは生き永らえる。彼らには、特効薬がない。資本主義という宿主がいる限りは。」

 オレたちは、特効薬のない病に、どうやって立ち向かえばいいんだろう。

 いくら叩き潰しても再発する病に、どんな薬を投与すればいいんだろう。その病に罹らないための予防接種は、いつ自由診療の舞台に上がってくるんだろう。

「独裁政治について、どう思いますか。」

 落ち込み気味の話題を少しでも笑い飛ばすための冗談だった。ロキシーさんもそれをわかっていた。

「神が総統になれば、理想的な国家になるでしょう。」

 神はときに残酷で、ときに恩恵をもたらす。

 資本主義という名の神が頂点に君臨するアメリクスには、今年だけで、二兆ダラを超える魔薬(アクマ)が密輸されている。



 翌日、オレの隣の空席のデスクに座り込んだリケティアは、この間何キロという密輸を摘発したとか、CIMの捜査に協力したとか、そんな話を語った。オレは飲んでいたラテが温くなるくらいまではそれを我慢して聞いてやって、奴の話がこないだバーでひっかけた男の話、となったところで「いい加減に仕事したらどうだクソビッチ。」と話を打ち切った。

 奴は優秀だった。オレよりも成果を上げている。昨日言われたいつになったら成果を上げるのか、という言葉。それは、オレ自身が一番分かっていた。

 オレは、いつになったら”優秀”だと自分を認められるんだ?

 つい、ロキシーさんの方を見た。電話口で何かを喋りながらカレンダーを指さす彼の頭の中には、入り組んだ悪魔の足跡が記述されている。オレが解読していたカルテルの奴らの通信が、娼婦の話題に移ったところで、鼻を鳴らして事務所を出た。


 事務所を出るときに頼まれたおつかいのために、茶封筒をポストに投函した。オレが書類を差し込んだ次の瞬間には、すぐ隣のビルから出てきた男が投函し、目の前のバス停に止まったバスに乗り込んだ。出発したバスとすれ違ったタクシーが、DEAのビルの前で客を下ろし、決済されたクレジットカードの情報が何千キロという距離を渡ってカード会社のデータベースに送信される。やがて、そのデータベースの情報は決算報告書にまとめられて、それを郵送するために、おつかいを頼まれた誰かがポストに書類を投函する。そして、同じようなタイミングで投函された書類が、郵便配達員のバイクに積み込まれて、オレの家のポストにぶち込まれる。

 どこにでもある街角の、どこにでもあるようなポスト。バス停、クレジットカード。それが、誰にも追跡不可能なほど巨大で難解なネットワークに撃ち込まれ、それは血管を通る血液のように巡り、あるいは、あのバスが走る道のように様々な停留所、中間地点を経由する。

 道が交差点を作り、路地を作る。街角を生み、入り組んだ道に沿って人間の営みが肉付けされていく。

 その肉を捌いて、その中を通っている血管の血を呑み下せば、少しはそれを理解することができるだろうか。

 オレたちは、道の途中にいる。終着地までに、いくつもの赤信号を、いくつものゲートウェイを、いくつもの行き止まりを、いくつもの中間地点を経由する。

 頭の中では、また大農場のことを考えている。

 人間は、道を無くして生きられない。どこからも隔絶された場所では、絶対に生きられない。

 ロス・アンタニオスの農場でも、オレが追い求めている蜃気楼のような農場でも、それは同じはずだ。それは、或るネットワークの中に在り、どこかで道と繋がっている。それは、魔薬の流通経路であり、惨めなガキの薄汚れた足跡であったりする。

「どんな場所からでも、アクセスできるはずだ。」

 入り組んだ道は、いつか、必ず終着地に辿り着く。オレにとってそれは、あの大農場だ。オレは、あの場所で始発した。ここはそこに舞い戻るための中間地点だ。

 ふと目を向けた路地裏。半分開いたマンホールを動かして、その中に消えていく少女の姿が見えた。



 踏み入れた下水道には碌な光源がなかった。自前のライトで照らすと、緩やかに流れる水道の両端に、人が歩くのにおあつらえ向きの道があった。梯子から飛び降りて、少女の姿を探す。背にした方向は金網で仕切られている。あの矮躯でも、すり抜けることはできないだろう。オレは示された唯一の道へゆっくりと歩いていった。

 暗闇では、体内時計が否応なく狂った。何メートル歩いたのか、何分歩いたのかもわからなかった。どんな道を辿ってきたのかもよくわからなくなっていた。幸いなことに、先日の大雨のお陰で、下水道は随分と綺麗に水洗いされている。息ができないほどの悪臭はしなかった。

 狂いまくった体内時計が、おおよそ五分ほどをまわったところで、少し開けた空間に辿り着く。

 そこから地上に続くのだろうお粗末な鉄扉は、崩落した岩塊によってひしゃげていて、既にその本懐を果たしていない。だからその場所に、少女はいた。

 オレのライトに気付いても、彼女は特に反応しなかった。オレの足音を聞いていたはずだから、それもそうだと思った。

「なにしてる。こんなところで。」

 問いかけておいて、まさか清廉潔白な理由があるとも思わなかった。

 闇の中には、光の中では生きられない得体の知れない生物が蠢いている。彼女はきっと、それに吸い寄せられたのだ。光に向かって飛び立つことができず、闇に向かって沈み込んでいくことしかできなかった。

「DEA捜査官のキティ・キルマーだ。IDはあるか?」

 照らしたライトの光が、少女の口元を浮かび上がらせた。心臓が跳ねた。

 血だ。

 いや、そうじゃない。鮮やかな(べに)

 鋭く、研ぎ澄まされた刃で、一太刀に描かれた傷跡。そう錯覚するほどに、耽美な色香と心酔してしまいそうな深みを持つ、(あか)

 不健康なまでに真っ白な肌と、やけに艶やかなショートカットの黒髪が、この暗闇を味方につけて、彼女に傅いている。その紅を際立たせるために、そこに存在している。彼女は、闇に堕ち、闇に塗れ、そして闇を従えている、そんな錯覚を抱いた。賑やかな死者の祭りの後、墓場に供えられた一輪だけの花。血の色をした、鮮やかな花。

 そんな雰囲気の少女が、一般的な世界を生きていて生まれるものだろうか。自然発生的に、こんな美しさが生まれるのだろうか。

「ノアを、どうするつもり……?」

 人だった。声を発し、こちらに意識を向けるのは当然の筈だった。それなのに、暗闇の中に艶やかに落ちた声色に、肺の下にある何かが熱く、熱を持つのを感じた。

「……きみは……一体……」

「捕まえる?それとも、犯す?殺してもいいよ。でも、できれば、……痛くはしないでね。」

 ひび割れた表情。快とも不快とも違う表情を走る亀裂。引き寄せられる。

 オレは、死体に群がっていたハエどもと同じだったんだ。血に引き寄せられる。その色香に惑わされる。自然界にはないその鮮やかさに、羽音を響かせる。

 オレは、少し前に読んだ植物図鑑の一節を思い出していた。


───自然界には、綺麗な血の色に染まる植物が少ない。


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