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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第一部【血と暴力の病】

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Ep.21『ゼータ』

 僕は、メルとルムを置いてマフィアの本部がある街に戻った。もちろん、マフィアと情報局に怪しまれないように、ルムは仕事の完了報告を細かに送信してくれるし、僕も本部に顔を出したりはしなかった。浄水場の地下室で、マツシマにメールを打つ。

 僕の近況をしたためたメールに、マツシマからの返信は短かった。

 『わかりました。』そんな一言で済まされたから、拍子抜けする。

 というのも、メルとルムが裏切る可能性を一度棚上げにすれば、僕の采配は最高の一手を打ったとさえ言える。

 ルムは、僕でも、マツシマでもない者の襲撃を贋作し、情報局に報告した。マツシマへの疑惑は極限まで薄まっていたし、ルムという幹部の情報から、僕はメルを襲った敵を殺し切ったとして報告され、アンタニオスの潔白が証明される。

 マツシマが言った通り、僕とマツシマは過去最高に身軽になり、そしてそれ以上に、内通者を二人獲得するということになった。

 夜中も三時を回る頃、僕は浄水場の地下室から出た。

 なんとなく、薬品池の上を渡された金網の歩道を歩き、水を見ていた。どうしてそんなことをしたくなったのかはわからなかったけれど、僕はその時間が、なにか必然であるように思えた。

 黒い端末が着信を告げて、電話を取った。暗号化された電話番号でも、それがマツシマだというのは自明だった。

「はい、アンタニオス。」

『そういえば、今、どこにいますか……っ』

 息を切らしたマツシマの声。喧騒が紛れ込んでいる。繁華街にいるのだろうか。

「浄水場だ。本部に戻るわけにはいかないからな。」

『今すぐ出てください!できるだけ身を隠しながら、それで」

 僕はマツシマの電話を切り、「遅ぇよ馬鹿。」と怨み言を吐いた。

「こんなところで会うとは……アンタニオスさん。」

 暗闇を切り裂いて、その幕の中から現れる。

「メルとルムは、元気ですか?」

 クァトロ・バルデリーニが、一人。そこにいた。



 僕とマツシマの情報工作は、完全に無に帰した。

 ただ。ただのアンタニオスがここでバルデリーニと遭遇するのなら、それで何も問題はなかったはずだ。僕は心底憔悴しながらここにいた言い訳を吐いて、バルデリーニは腹の内で何かを考える。情報局からの疑念は強くなるだろうが、致命的なミスではない。

 しかし、僕は今、メルとルムを護衛するために、一か月この街を空けているはずの人間だ。それが、こんな場所で、のうのうと立っている。

 バルデリーニがどこまで勘づくのかは未知数だった。

「姉妹は元気だよ。ただ、もうあんたらが追跡できるような場所にはいないってだけだ。」

「そうですか。それならよかった。」

 バルデリーニは煙草を取り出して、オイルライターで火をつけた。

 密売品ではなく、専売公社が販売している正規品だった。吐き出した一陣の紫煙が、中空で微風に攫われてぐにゃりと歪んだ。

「少し歩きましょうか。」

「あぁ。……そうだな。」

 僕の腰のベルトには、アンタゴニストがつるしてあった。懐にはキュルケーがあり、バルデリーニを守る護衛はいない。

 しかし、直ぐ様にその命を、というのは早計だと思った。マツシマはまだ、このバルデリーニの太い首を挿げかえる方法を、僕に開示していない。バルデリーニを殺すために、バルデリーニを殺してもいいのか、僕にはわからない。

「あの姉妹は、マフィアに住処を追われたらしいな。」

「懐かしい話ですね。ルムが話しましたか?」

「まぁ、そんなところだ。姉妹はあんたに、献上された。」

「えぇ。メルは、その役割をちゃんとわかっていた。一時期は私の侍従として雇っていた。私と身体を重ねるたびに、拒否反応は酷くなっていったので、新しい事業を任せることにしました。彼女には才能があり、そしてそれはファミリアに貢献した。

 そのお陰で、私はルムに嫌われてしまって、まともに話したのがいつなのかもわからない。いいや、もしかしたら一度も、膝を突き合わせて話したことなんてなかったかもしれません。」

 そうなのだろう。あの姉妹は、姉妹として献上されたのだ。その魔手が、妹のルムに及ばないはずがない。だから、メルは自分を光学キューイングデコイとして使った。バルデリーニに自分を売り込み、その寵愛を一身に独占したように見せて、その実、彼の照準がルムに狙いを定めることを防ぎ続けていた。

 そして、彼女の心には、軍用魔法よりもよほど酷い魔法が降り注いだ。

「メルがあんたに耽溺しているようなことを言うのは、なぜだと思う。本当なら、嫌われて、憎まれても仕方がないだろう。」

「防衛本能でしょうか。そうすることでしか、踏みにじられた自身の尊厳を納得させられなかった。賢い()です。」

 僕に無防備な背中を見せて歩くバルデリーニの姿は、それはそれは照準しやすかった。けれど、僕はMSCSのトリガーを引かない。風の流れで届いた煙草の香りが、アステアを思い出させた。

「姉の方は、胸にどでかい穴を空けて、その次の日、昨晩死んでいたかもしれない状況なのをわかってるのか、僕に言ったよ。」


───バルデリーニ様は、殺さないであげて?


 もういいはずだった。憎しみを発露してもいいはずだった。僕は、彼女たちを助けてやると言ったんだ。それならばもう、装う必要はない。それなのに、メルは心底そう思っているように、僕に嘆願した。彼女の心はそれほどまでに屈折している。でもその結論を、僕はやすやすと聞き入れてやるつもりはなかった。それと同時、その結論を、真っ向から否定するつもりにもなれなかった。

 それでも君は、そう思ったんだろうから。

「ルムは、……メルと一緒にいるんですね?」

「あぁ。」

「そうですか。」

 バルデリーニは立ち止まって、眼下を流れる水流をしばし眺めていた。

 さて、晴れて僕は正体を現した。聖人のアンタニオスは、きっとこれで終わりだった。心の底からそう名乗るのは久しぶりだ。僕はいつだって、心のどこかに、アンタニオスを飼っている必要があったから。しかし、もう彼を使うことはない。

「僕の正体を知っているか?バルデリーニ。」

「聞かせてくれますか?」

 前髪を掻き上げて、しかと僕の双眸を見せつけてやる。覚えていろ。最期、お前が見つめることになる瞳だ。


「僕の名前はリゼルキルト。ブラウナーの火では、世話になったな。」



 いつの間にかバルデリーニは煙草を消していて、懐から取り出した携帯灰皿に吸殻を入れた。それなのに、どこからかまだ煙草の香りが漂ってきていた。

「……リゼルキルト。そう、懐かしい名前だ。まだ、一年前なのに、早いものですね。」

 バルデリーニはそう言っただけだった。そしてその目は、少なくとも僕を見てはいなかった。

 少なくとも、この場で錯乱してお前を殺そうと走り出しても、僕の行動としては不自然じゃない。これまでマフィアのボスとしてやってきた男が、そんなにも無防備なものだろうか。そしてそれよりも、彼は自身の外出についての声明を出した。

 護衛の一人もつけず、こんな真夜中に、どうしてここに現れたのだろうか。

「確か、貴方は知り合いでしたよね、エンケファリン。」

 バルデリーニはそう言って、僕に語り掛けた。いや、違う。僕にではない。僕には見えていない何かに、語り掛けた。それは、名前か?お前は今、一体誰に話しかけたんだ。お前は、知ったような顔で、今、誰に語り掛けたんだ。

「会ったことがあるのでしょう?リゼルキルトさん。」

「ぁ……?」

「貴方も、銀髪の妖精に会ったことがある。」

 アンタゴニストは、瞬く間にバルデリーニを照準した。突きつけた銃口は、激発すれば奴の頭を吹き飛ばし、祝砲のような気持ちのいい音と、花火のような爆炎を咲かせるはずだった。

 お前は今、誰と話しているんだ?

「彼女は私に突然語り掛けてきた。この場所で。二年前くらいでしたかね。貴方の話をしたこともありましたよ。

 彼女は、美しい。銀の髪、細い身体、真っ白の肌。私が女性的で魅力的だと思う要素の、全てが真反対だった。それなのに、私は、一度たりとも触れさせてくれない彼女に、どうしても触れたくて仕方なかった。

 それからずっと、この場所で、私は彼女と会い続けている。」

 白熱した電熱線が、その触媒を焼き切るように。僕の意識の中で、理性を司るような部分は、容易に壊死してしまって。僕は、背中に感じる熱の情動のままに喚き散らす獣となった。口汚くバルデリーニを罵り、人格を否定し、その言葉が、現実の刃渡りを持って奴の身体を切り裂いてはくれないかと本気で願った。

「お前に、なんで僕じゃないんだ!お前なわけないだろうがっ!!か、かの、彼女が!姿を現すのに、お前なんかのところに来るはずがない。ぼく、僕の筈だろ!?嘘ついてんじゃねぇよチンピラ。偽物の粗悪品売りさばいてるだけの日陰者がしゃしゃってんじゃねぇよ!!」

 僕は、照準していたのも忘れてバルデリーニの胸ぐらを掴んだ。電灯が反射したせいで、その眼鏡の向こう側で、奴がどんな目をしているのかわからなかった。

「お前は相応しくないッ!でけぇ顔してちっぽけな山猿の大将やってるような半端モンが、なに訳知り顔で彼女を騙るんだよ!?

 お前はあの子のことを何も知らないッ……あいつがどんな顔で僕を揶揄うのか、あいつがどんなキスの仕方をするのか、あいつが僕に、どうやって愛を囁くのか、お前は知らねぇだろ!

 お前じゃない。絶対に、お前じゃないッ……僕の筈だ!そうだろう!?フラクタル!なんで、僕の前に現れてくれないんだよ!」

 バルデリーニの胸倉を掴んでいた腕が弾かれて、次の瞬間には、僕の手はバルデリーニにアンタゴニストの銃口を向けている。

 バルデリーニは、それを意に介さずに僕に背を向けた。

「私は、そろそろ戻らなければなりません。また会いましょう、リゼルキルトさん。」

 闇の中に消えていく背中。

───撃つ、撃つ、撃つ。殺す。撃ち殺す。殺す。殺す。撃つ、撃つ、撃つ。

 でも、奴だけが今、フラクタルの存在を知っている。

 お前が死んだら、もしかしたら。彼女の存在は、永遠にこの世界から隔たれてしまうんじゃないだろうか。僕はもう二度と、彼女に会えないんじゃないか。

「ぐっ……ぅ、……ッ」

 何度も引こうとするトリガーに、それでも僕は、二段目を引けなかった。重いトリガーを、引けなかった。

 その銃口の先、既にバルデリーニはいない。取り落したアンタゴニストが、金網に激突して大きな音を立てた。


 着信があった。マツシマからだった。

「悪いな。折角の工作もここまでだ。僕は完全に使い物にならなくなった。あとは、あんたが頑張ってくれよ。バルデリーニを殺すのは、僕がやるからさ。」

『……いいえ。バルデリーニさんがそこに通っていることを伝えなかったのが悪かった。私の失策でもあります。

 私のことは、バレそうですか?』

「いいや。僕の見立てではあるが、そこまでは読まれなかったはずだ。メルとルムが寝返ったことは、もしかしたら勘づかれたかもしれないけど。」

 マツシマは、すぐにその語調を平坦なものへと変貌させて、いくつかの業務連絡をした。そうやって巨大な事業がくじけたときに、彼はすぐに次をトライする。何度も、何度も、何度も。喪失感と絶望は、彼にとって、そんなにも取るに足らない感情なのだろうか。

『リゼルキルトさん。バルデリーニさんに顔が割れた以上、貴方がボスになるのは絶望的になった。ここでバルデリーニさんが貴方に継承しても、どの幹部も貴方を認めないはずだ。』

「なら、あんたがやれよ。」

『……え』

「ずっと思ってたんだ。僕は別に、こんなマフィアの組織なんて欲しくない。むしろさっさと潰れて欲しいくらいだ。なぁ、あんたなら、必然性があるだろう。あんたは幹部で、バルデリーニと、いや、ファミリア・ナイフと切っても切れない関係がある。

 どうして僕を祭り上げようとするのかわからなかったけどさ。」

 お前が適任だから。お前が、一番うまくやるだろうから。

「その王位は、あんたにやるよ。」

 通話を切って、ようやっと、僕はついにやることがなくなった。いや、やることがなかったわけではないけれど、もう、何をやる気もなくしてしまった。受け身も取らずに背中から倒れて、汚い星空を眺めた。スモッグ越しじゃあ、一等星さえまともに見えない。

 煙草の匂いがした。

 世界が月色(つきいろ)に染色されて、体温が消し去られる。全てが冷却されて、そこに通っている血の脈動すらなくなってしまったのかと錯覚する。それでいて、その世界には静謐な美しさが内包されている。

 そんな、声だった。


「もう、歩けなくなってしまったの?リゼルキルト。

 わたしはずっと待っていたんだよ。あなたが、わたしを、わたしたちの地獄に連れて行ってくれる日を。」


 静謐の中、僕の前に現れてくれたのは、フラクタルじゃなかった。



 馴染みのステーキハウス。いつものウェイターが、「相方、来てるよ」と僕を案内してくれた。断りも入れずにそいつの対面に座って、二百グラムのステーキをレアでオーダーする。コーヒーは熱いブラックを食後に持って来いと言った。

「よくもまぁぬけぬけと現れたな、聖人。」

 ゼータは、その言い草とは裏腹に、凶悪に嗤った。くつくつと漏れた笑い声が、こんなにも面白いことはないとでも言いたげだった。

 この分だと、リゼルキルト、並びにアンタニオスの指名手配は全マフィア構成員に行き届いたらしい。

「心配したぜ、元気だったか?」

「あぁ。あんたにも不都合を生じさせただろう。悪かったな。」

「あぁ……?なぁんだお前らしくもない。もっと上手くやれ、とかいつもなら言うだろうが。」

 そのしゃがれた声を、やけに懐かしく思った。その会話のテンポを、心地いいと思った。

「俺がお前をぶっ殺しちまうとは思わなかったのか?」

「あんたが常日頃から言ってるじゃないか。自分の意思だけでしか引き金を引かないって。マフィアにとって不都合な僕を殺すのは、あんたの意思じゃないだろう。僕が死んだら、誰がこの昼飯に付き合ってくれるんだよ。」

「そりゃそうだ。わかってんじゃねぇか。」

 それに、そもそもゼータは僕の正体を見抜いていた節がある。

 一体どこまでわかっていたのか、今となっては聞いても意味はないが、それでも奴は僕を密告しなかったし、粛清することもなかった。そうなれば、僕は相応に苦戦を強いられた。いや、僕はゼータに、勝てるとは思えなかった。

「これからどうするつもりだ。」

「少し身を隠すよ。でも、そう長くないうちに、あんたのボスには世代交代してもらう。」

「……そうか。」

「悪いな。あんたにとっちゃ、折角作り上げてきた組織をまた掻き回されることになる。苦労をかけるよ。」

「はっ、もう先も長くないんだ心配には及ばんさ。オースのジジイと隠居してやってもいい。」

 僕が頼んだステーキが運ばれてきて、それからしばらく、僕らは無言で肉を貪った。

 ともすれば、これは僕らの最後の食事になるかもしれない。たくわえた口髭をナプキンで拭ったゼータは、ステーキを平らげた僕を見て切り出した。

「そういえば、離婚調停が終わったんだ。」

「あぁ、そうか。おめでとう、があってるのかわからないが。」

「まぁ、おめでとうだろうな。」

 そこで、僕は立ち上がろうとした腰を再び据えて、ゼータのその笑い話を聞いておくことにした。

「俺は、あいつを撃てなくなっちまったからな、だから、離れることにした。」

 そうか、とか、そんな相槌を打った気がする。

 僕は、怪訝そうな顔で「なにしてんだ……!」と遠慮するゼータの分の食事代も勘定を済ませ、「これが最後の恩返しだジジイ。元気でな。」と言い残して店を出た。

 人ごみに紛れるように、僕はただ、歩き続けた。

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