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アルカロイドに眠る妖精-Alkaloids of the gods-  作者: 可燃性少女
第一部【血と暴力の病】

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Ep.20『君の肌に触れられない』

 マフィアの本拠地から三百五十キロメートル、州都から百九十キロメートル。昼間の経済規模は小さく、空港もない。しかし、この街は夜に化ける。年に三度開催される夜市の祭りは二百年の歴史を持ち、この街の夜の様相を見た人間は今日が夜市の日だったのかと錯覚する。しかし、この夜闇を切り裂く電飾の明かりは、この街では日常茶飯事である。

 装飾品が大好きな少女が目を輝かせる露店から、死と隣り合わせの仕事をする大男が心躍らせる娼館、ストリップクラブまで。この街には、注ぎ込まれる欲望がごった返し、そしてそれを束ね、輝きへと昇華する集合意識の理性が、太陽が沈んだ頃に目を覚ます。

「アンタニオス!すごいわ……!これ、ずっと先まで続いてるわよ……!」

 一度や二度、訪れたことくらいあるだろう。それでも、彼女は毎回、この光景にそうやって感動を湛えるのだろう。

 露店で見つけたネックレスは、もちろん偽物の粗悪品も多かったが、何故だか彼女はその一つを購入して、にやり、と僕に教えてくれた。どうやらそれは、並べられていたアクセサリーの中で唯一、希少価値の高い本物の宝石だったようで、こんなところでもその目利きを発揮するのかと呆れたものだ。

 メルは欲望の許す限りいろいろな店を見て回り、僕は彼女が風俗街に迷い込まないようにそれとなく誘導するのに苦労した。前に来たときはルムがその役割を務めたのだろうか。食べ歩きの様相を呈し始めた行程は、やがて彼女の小さな手では持て余すくらいの食べ物をたくわえたので、僕はやっとのことで提案した。

「少し、静かなところで食べないか?ちょっと、人気(ひとけ)がありすぎる。」

 メルは、いつものやかましさを潜めて、「そ、そうね……」といじらしく言った。


 小さな橋があった。その奥に、川辺を眺めるためのテーブルがある。

 爛々と輝く夜の街からは随分歩いたが、その電飾の照る様は、音もなく喧騒を思い出させた。メルはテーブルに買い集めた食べ物を並べて、丹念にその並びを整えたところで振り向いた。

「さぁ、アンタニオス、食べま……あれ……」

 そのころには僕は、橋の欄干からぶら下がり、メルの視界から消えたあとだった。

 さて、随分と気楽だった。今回の相手は、きっと僕を殺せない。

 なんとなく、持ってきていたマスクをつけた。微かな空気圧が皮膚に張り付き、僕をリゼルキルトに装う。そう、もう僕は、彼女にとってアンタニオスではないのだ。ベルトから引き抜いたアンタゴニストを起動した。

 足音は、その高いヒールも相まって闇に酷く響いた。戸惑った足取りは、やがて決定的な歩調を取り始め、そして、そのステップは欄干の前で途切れる。

 彼女は、僕のいない方の欄干を覗き込んでくれた。必然、その無防備な背に、欄干から飛び上がった僕は照準を向けた。

 トリガーは軽い。

 軽い。


───撃て……!


 アンタゴニストの駆動音、二段目のトリガーが沈んで、ショートレンジミリタリープロッダーが射撃された。その、一瞬前、メルがトリガーを引いたのが見えた。

 水飴でできた、柔らかいガラスが弾けるような音。甲高く響き渡り、しかし、不快な音域には届かない。染み渡る様な音。

「ひ……っ」

 微か、彼女の漏らした嗚咽。メルの背中に突き刺さるはずだった魔法は、その直前に何かに阻まれて、予測不能の力学がメルを中空へと弾き出した。

「障壁デバイスか……」

 着弾の瞬間、メルが引いたトリガーの正体。彼女が普段から身に着けていたのだろう、魔法の殺傷能力を削ぐデバイスであった。それは、まだ民間には下りてきていない技術で、その上、その原理についても秘匿されている。そんなMSCSだったはずだ。魔力出力は膨大で、最新鋭の研究機材でも二分持たせるのが関の山。常時発動することなど到底できない。

 彼女の論理は簡単だ。アンタニオスが傍を離れて、その姿が見えなくなる。そのせいで、彼女は警戒心にトリガーを触れる選択をした。アンタニオスに気を許していなければ、位相は崩れず、彼女の平時は続いていたはずで、彼への執着が、メルにトリガーを引かせた。

 余計なことをしてくれたな、君は。アンタニオス。

 中空で、メルは自分を襲った敵についてを、確かにその目で認めただろう。しかし、飛び上がった時点でおしまいだった。僕だって、踏ん張れる地面も、反作用をくれる壁もない空中は、戦闘の舞台にしたくない。その女は、そんなことを知りもしないのだろう。

 落下するメルは、着地のための姿勢に入っている。欄干へ飛び乗り、その勢いのまま飛び上がる。片腕逆手で振りかぶったアンタゴニストの真四角の切っ先は、僕の脳の物理学に忠実に、綺麗な軌跡を描いて落下するメルを狙い澄ます。

 小指で引いたトリガー。ゼータの言うとおりだ。躊躇すると、ろくなことにならない。叩きつけたアンタゴニストの切っ先が、メルの胸に突き刺さり、その柔らかな肉の中で、魔法が激発する。

 重力加速度ではありえない速度で、その肢体は河川敷へと打ち出された。暗闇の中で、水気を含んだ肉が叩きつけられる音だけが聞こえた。


 その橋から河川敷に下りるまでの間、僕は、自分の行動にそれらしい理由をつけることができなかった。

 アンタゴニストを平時形態に戻し、羽織ったローブでそれを隠した。マスクを外して、アンタニオスになった。次に、何を騙ろうかと舌先を湿らせた。

「……メル。」

 少女には、まだ息があった。

 ぱっくりと切り開かれた肉は、見た目では派手な出血をしているが、心臓を破裂させるようなことはなかったようだった。それ以外は、地面に叩きつけられたときの全身骨折くらいだろうか。きっと粉砕骨折だろうから、太い骨が肺を突き破ったりはしていないはずだ。その証拠に、メルは存外流暢に話した。

「アンタニオス……逃げて……!」

 言葉の間に吐いた血が、嫌な粘性を持って雑草に絡みついた。

 なぁ、アンタゴニスト。僕が、僕の意思だけで引いたトリガーの感触を、お前に仮託するのは筋違いだよな。そうすれば、お前は僕の聖剣になるかもしれない。お前の見た目は剣みたいだから、きっとそれを許してくれるだろう。

 でもそれじゃあ、お前の中に溜まり続けるこの呪いは、一体いつ、解き放たれるんだろう。

 いつかは、全部。僕に返ってくる。マフィアが溜め込んだ呪いは、いつか、或る災いをもって、彼らを襲うことになるだろう。そして、その姿(かたち)は、注射器のシルエットを持つ特効薬だ。

 僕であっても、それは同じだろう。僕がアンタゴニストに呪いを注げば、こいつは、しっかりと、僕に等価の呪いをかけてくれる。この国が、そうだったじゃないか。下らない恨みと死の感触を、ずっと武器に仮託し続けてきた。アステアの言うとおりだ。その武器の呪いは、マフィアという形で具象化して、それを、僕らは死と憎悪の病と呼んだ。

「いい……逃げる必要なんてない。」

「……そう、そっか……私、死んじゃうかな……?」

「僕が、助けるよ。」

 あぁ、また、責任のとれない言葉を吐いた。

「諦めたらだめ……だよ、アンタニオス。」

 弱々しい声だった。自分でも律することができない呼吸は、不規則なリズムを取り、死戦期呼吸だったのかもしれなかった。

 僕はそれを、リゼルキルトとして受け入れることにした。僕は、自分のためだけにトリガーを引いた。ならばその責任は、僕が引き受けるべきだ。

 メルの目は、輝きの街から離れて尚輝く、夜空の星々を見ている。

 流れ出た血液が眼球に入り込んで、結膜をじっとりと充血させていく。数少ない言葉の残弾。それを、メルは一体、何を語るのに使うだろうか。僕はただ、それを聞いていた。

「会えたらいいね……貴方が、会いたがってる人」

 メルは、それはそれは可憐に微笑んだ。心の底から、彼女は、僕にロマンチックを説いた。その今わの際で喋ることが、僕なんかの夢のことなのか?怨み言ぐらい吐けよ。妹の話をしろよ。お前の夢の話を、君の話を聞かせてくれよ。

 どうして、アンタニオスは、お前の中でそんなにも大きな存在になってしまったんだ!

「どんだけ残念な脳みそなんだよ……馬鹿が。僕はマフィアの裏切り者だ。僕が撃った。僕は……ずっと、お前を、殺そうとしてたんだよ……ッ!

 殺すために近づいた!世間話もした!それが……なんでここまできて分からないんだよッ!」

 とどめの一撃も刺さないで、落ちこぼれの暗殺者は慟哭した。そしてそれを聞いた落ちこぼれの被害者も、似つかわしくない笑顔を見せた。

「ふふっ……そ、っか。……そっか。もう、心外だなぁ。そんなの、全部、わかってたもん。貴方が思ってたより、ずっと……貴方のこと見てたよ?

 私、馬鹿だけど、貴方が思ってるほど可愛くなくて、……頭も悪くないんだ、よ……。貴方の知らない私の貴方を、……私はずっと、書き記してきた。」

 ごめんね、と付け加えた君の言葉に、何に対するのかもわからない怒りが脳髄に激突する。

「最初から、殺そうとしてたもんね。内通者はマツシマかな?おんなじ携帯、使ってたもんね。黒いやつ。

 詰めが甘いなぁ、リゼルキルト。私の夢、あんなに優しい顔で聞いちゃってさ。私の肌に触れないようにしたり、私が辛そうな顔したの、あとから健気に後悔してたりさ。面倒くさそうな顔して、ちゃんと話、聞いてくれて。

 でも、殺そうとしてたんだもんね。

 君は、私に毒も盛らなかったし、私のトラウマに触れないようにしていたし、私をぺちゃんこに潰したりもしなくて、わざわざアイスクリーム屋さんに着いてきてくれて、殺そうと思ってる相手の前で、その計画に使う道具のカタログなんて開いちゃったりして。それでも、殺そうとしてたんだもんね?」

「起きてたのか……」

「あははっ!……私のが一枚上手だったね?……でもどうせなら、……嘘でもいいからさ。助けてやる、って。言ってくれてもよかったじゃん。そしたら私、心置きなく、君とアイスクリーム屋さんをする夢が見れたのに。ルムと、君と、私で。」

 握りしめた拳が、血を吐いている。

 僕は、こんなにも無防備だったんだな。ターゲットに入れ込んで、バレバレの殺害計画を立てて、最初のトリガーを躊躇して、最後のトリガーを、手加減した。

「あぁ〜……!けっこう、仲良くなったと思ったんだけどなぁ……!私の好感度じゃ、……足りなかったかぁ……」

 にま、と笑って、メルは僕に手を差し出した。

「最期にさ、握ってよ。鳥肌でても、離さないでね。私がお願いしたんだから。」

「……そのトラウマを克服したら、握ってやる。」

「いけず。もう死んじゃうのに……私」

 メルは、ゆっくりと眼を閉じた。

 そうして最後に、消え入りそうな声で呟いた。それは、誰に聞かせるでもなく、最後に、自分のためだけに言った言葉だった。

「愛してる、ルム。」

 次に目を開けたときには、きっと。お前と同じところに、妹はいるよ。

 脱力したメルを抱きかかえて、リゼルキルトは歩き出した。



 小さな小屋のベランダには、存外いい座り心地の椅子があって、太陽は直上から、この世界を照らしていた。

 扉が開いて、ルムが出てくる。手にしたMSCSは、相変わらずどす黒い殺気を纏っていて、その銃口を覗き込む日が来ないことを祈るばかりだった。

「……容体、安定したって。」

「そうか。」

「応急措置がよかったって……あのまま放っておいたら、……死んでただろうって。ありがとう。感謝する。」

 感謝する、なんて言い草の割に、わざわざMSCSを持ってきて、椅子にも座らずに僕の全身が視界に入るような場所にいる。メルは果たして、妹にどんな話を聞かせただろうか。あるいは、何も聞いていないのだろうか。

 ルムは、ひとりでに話してくれる。

「お姉さまは、道に迷って貴方からはぐれた。……そして、お姉さまを狙った刺客に襲われた。……貴方はそれを、それを……助けた。間違いはないよね。……アンタニオス。」

 あぁ、そうだ。間違いない。

 そんなわけないだろ。妹の方も頭が残念だったのか?

「大間違いだ。僕はお前の姉を殺そうとした。でも殺しきれなかった。中途半端に痛めつけて、僕が助けましたとでかい顔してここに座ってる。」

「……そう。」

 ごとり、と地面に落ちたMSCS。ルムは視線だけで僕を促して、僕の座っていた椅子を横取りした。仕方なくその隣の椅子に腰かけてみたが、確かにこちらの方が質が悪い。

「面倒くさい人。」

 ルムは、きっとアンタニオスにそう言った。けれど、僕はもうその仮面を持っていなかった。

 僕は、初めて出会ったその女性に、挨拶をすることにした。

 僕は隣国の大国で生まれ、両親を失った。昔なじみの女とも行き先を異なり、この国の貧民街で出会った女に可能性を見出した。僕らは事業をマフィアに潰されて、僕は復讐と事業再建のためにマフィアを乗っ取ろうと画策して、その過程で、君たちを殺すに至った。

 初めまして。

「僕の名前は、リゼルキルトだ。」

 ルムは驚かなかった。当然か。

 代わりに、こちらを向かずにぶっきらぼうに言い放つ。

「ずっと……貴方の目は揺れていた、……気がする。……どうせ、殺せないと思った。だって……貴方は私にちゃんと言い切ったから。お姉さまに、手は出さないって。」

 姉が姉なら妹も妹だ。不機嫌そうに助手席で座っている間に、そうやって僕の精神分析をしていたわけか。そしてその精度は驚異的で、僕でさえ気付かなかった言動の綻びを、嘲笑交じりに概観してやる余裕さえある。

「でも、……今の貴方は、揺れていない……どんな覚悟を決めたの……?」

 頼むから、そんなにズカズカと入り込まないでくれ。無遠慮で不愛想、無作法な闖入者に、僕は成すがままに心象世界を踏み荒らされた。彼女が踏み荒らしたその土壌が、地盤となって固まり、やがてそこから芽吹いた言葉が、僕の答えになる。

「バルデリーニを殺す。」

「協力する。」

 ルムの言葉は、驚くほど速かった。

「いいのか?僕は少なくともお前の姉にあんな重傷を負わせた。申し開きをするつもりもないが、一歩間違えれば死んでた。」

 結果的に助かった、ただそれだけのことだった。

 姉妹が二人がかりで見抜いた僕の躊躇。それは、しかし中途半端とはいえ襲撃を決行した。僕の意思に関わらず、メルは死線に踏み込んだ。今こうしてルムと会話が成立しているのも、全ては、結果論だ。

「許さないよ……一生、許さないと思う。」

「あぁ。そうだな。」

「でも、貴方は特別。」

 僕は、メルを殺してやれなかった。彼女はトラウマに苛まれたまま、僕に悪戯に生かされた。死して幸せなアイスクリーム屋さんの看板娘になることも出来ず、ただ重傷だけを負い、ときたま、鳥肌が肌を走る。僕は彼女を救えなかった。

 死後の世界に繰り越した言葉は、責任を負うことができずに嘘へと変貌した。

「なぁ、ルム。」

「……。」

「アイスクリーム屋さんをやるつもりはないか。」

「……は……、え、……なに?……なんの、隠語。」

「真っ直ぐ受け取れ。お前の姉の夢なんだ。お前と、アイスクリームを売る仕事。美人姉妹の看板娘がいて、うち一人はアイスの超越性に神がかり的な執着を持ってる。それで、その妹は、そんな姉を支えてやれる冷静な頭がある。」

 随分とわかりにくいレトリックだ、と自分で思った。

 ルムは、照れが半分と困惑が半分の複雑な表情をしていた。

 お前から訊いてくれたら楽だったのに、と思ったけれど、それは、僕が一から言葉を紡ぎ、全を表明することで確かな効力を持つものだとも思ったから、やっとのことで、重い口を開く。

「お前の姉の辛さがわかる。お前の辛さがわかる。」

 責任を取れないことは、口にしないことにしている。僕の投げかけた何気ない言葉が、そいつの人生を狂わせる可能性がある。僕は、その人生に責任が取れない。

 責任が取れないことは、口にしないようにしている。

「僕は、メルの肌に触れられない。でも、それは今そうというだけだ。だから、いつかは、メルの肌に触れられる。」

「バルデリーニは許さない。」

「お前の姉とお前を、救ってやる。」

 手繰り寄せた責任が、死後の世界から現世に下りてくる。

 口に出して、世界に溶けて、この世界の裁定者がいるのなら、今、僕の胸に一つ、楔が打ち込まれた。

 さて、ルムが裏切ったらどうしようか。マツシマは怒るだろうか。もしかしたら、まぁそんなもんか、と。僕と一緒に軽口を叩きながら絞首台に上がるかもしれない。セスタは悲しんでくれるだろうか。いつまで待っても訪れない僕に、愛想をつかして、「損切り」と口にするかもしれない。

 アステアは、また、笑ってくれるだろうか。

 そんなでかい声が出せたんだな、と思ったけれど。僕はルムのその泣き声に、いつも通り、関心を向けなかった。

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