Ep.17『キミ』
浄水場の実験室で、僕はマツシマと落ち合った。それで、バルデリーニ・カルメアとの”謁見”について、その一部始終を語って聞かせた。彼は僕のフィルター越しの情報に価値など見出さないだろうから、おそらく話半分で聞いていただろう。
少なくとも僕の自認で、致命的なミスは犯していない、ということを理解してもらえたので、僕はマツシマに体を向けた。
それじゃあ、聞かせてもらおうか。そんな視線を送り、マツシマはそれを了承した。
「私が貴方に隠している二つのこと。そのうちの一つを、ここでお教えします。」
マツシマがテーブルに置いた大きな円筒が、その指先の小さな慣性によってくるくると回転する。自転するそれは、足跡に自身の外装を一枚ずつ残し、その内側を露呈させていった。やがて、巨大な一枚の紙面が、机の上に立ち現れる。
「私の、マツシマ姓の家系図です。」
いつだか、マツシマは、バルデリーニの野心の消失についてを、それになぞらえて話したことがあった。彼の深層心理が、この血脈の軌跡のことを、強く意識していたからなのだろう。
読めない言語で書いてあるから、読解するつもりはなかった。きっと、マツシマもそのつもりだったはずだ。その文字を、どう読むのか、発音は、どんな響きを持つのか。それを想像することすらできなかったから、僕にとってそれは無声映画だ。だからこそ、マツシマが活弁士を務める。
「私は、劇的な何かを求めてこの国に来たわけでも、何か野望があってマフィアに入ったわけでもない。私がこの国に来たのは、……私が、何の暴力衝動にも侵されていない私が、この組織の中で幹部なんて役割ができているのは。遡って、先々代。
当時のマツシマ家当主が、……あのナイフを作ったからです。」
あのナイフ。その代名詞が一体なにを示したものなのか、それがわからないほど鈍感なつもりはなかった。
「ファミリア・ナイフは、私の血族が打った刀です。」
殺し、詐欺、暴力。マツシマの民族が厭うたその非道を、臆面もなく振りかざす組織。その原点ともいえる場所に、いや、その原点から真っ直ぐに引かれた線。それを描いた筆の作り手が、目の前にいるマツシマという男を、真っ直ぐに遡った線の先に居る。
「この血を継いでいるのは、探した限り私だけです。マフィアにとっては、そして先々代にとっては、好悪こそあれど、内側に置いておきたい人物、ということなのでしょう。
私は、武器は作れませんがね。」
遠い島国をルーツに持つ男。しかし、よりマツシマという個人において強いルーツを持つ聖剣は、今、この場所。この国に、ボスと扇ぐ男が、脈々と受け継いでいる。
「あんたがマフィアらしくなくて、その上で、マフィアである理由がよくわかったよ。」
「えぇ。すみませんね。大した話ではなかったかもしれませんが、いずれ、知っておかなければ不都合が生じる場面が来ます。そして、それが、私が隠しているもう一つの秘密です。」
「それが秘密足る理由についてくらいは、教えてくれるんだろうな。それも秘密か?なら、秘密は残り二つだ。」
「いいえ。一つですよ。理由は、それが私の命を守るからです。」
「忘れてはいないですよね?」と、マツシマは言った。さて、僕は一体、何を忘れていただろうか。
マツシマの手がバッグの中を探り、そしてそれが飛び出して僕に突きつけられる前に、僕はマツシマの腹にMSCSの銃口を押し当てていた。一拍遅れて、マツシマの持った銃は、既に僕のいない空間を指している。
「忘れていないようで、安心しましたよ。私たちは、まだ、心の底から信頼し合える関係ではない。私は、貴方によって正体を暴かれ、マフィアに粛清される可能性がある。貴方にも、私という試金石が貴方を吊るし上げるというリスクがある。」
「……僕は、何か弱みを見せたか?」
マツシマの突きつけていた銃を弾き飛ばして、僕もMSCSを仕舞った。
腹の中でなにを考えているかは知らないが、ここで僕を殺すというのなら大したことは考えていないということになる。はなから、マツシマは僕を殺すつもりなんてない。もしマフィアに密告するのなら、こいつはもっとうまくやる。
それならば、自分の身を危険にさらしてまで、こんな茶番を演じた理由がある。
「私のことを信用しきらない様に、あの姉妹についても、同じです。弱みを見せられるのもいいでしょう。仲良く話すのも大変結構。しかし、忘れてはなりません。貴方は、彼女たちを殺すんです。
あれにカルメアの息がかかっていないとも、限りませんからね。」
*
とにかくクソほどにもプライベート空間がないのが、この組織の一兵卒兼コウモリとしては辛いところだった。
マツシマと直接会うときは、毎回彼の”ヤサ”というのを転々とすることになったし、移動ルートや待ち合わせ場所についてもわざわざ毎回変えていた。それについては昔やっていた集金ルートの策定と変わらないから納得もする。しかし、自分だけで計画の素地を描こうというときにすら、僕はその場所探しに苦労するのだ。マフィア本部には、反マフィア計画を描くためのイーゼルを置くスペースが極端に少ない。
だから、僕は結局、練兵場の隅に植わっている木の上で、わんぱく少年さながらにカタログをめくることになる。
必要に駆られたのは顔を覆い隠すマスクだった。前回、ゴッゾ組の殺害は、正直しくじるつもりがなかった。事実僕は二人を殺し切ったし、殺害現場のロケーションも相まって、この顔は割れていない。
しかし、残る護衛、リトン組は、どうにも掴みどころがない。
ゴッゾ組の欠員により、ほとんど休みなしの護衛を続けているのを加味しても、彼らは行動に規則性がなさすぎる。ゴッゾ兄弟のように常に二人で動くこともないし、かと思えば二人で行動していたりもする。厄介なのは、それが完璧な疑似餌になっているということだ。
二人同時に行動するときは、平気で人目のない路地も歩く。しかし、一人で行動するときには、必ず衆目の目がある時間帯、場所しか選ばない。完全に、殺人犯の顔を割らせ、直ぐ様に殺せるようにしているとしか思えなかった。
ということで、僕は、彼らを殺し損ねたときや、街の人間に顔を見られたときのため、少しの視界の自由度を犠牲に、マスクの導入を決めた。
木の上で読書とは、傍から見れば古風な粋人にでも思われるかもしれないが、僕の頭の中にあるのは人間の殺し方だったから、そのちぐはぐさに自嘲した。
「アンタニオス!」
ある程度の目星をつけたところで、眼下、原色で言えば黄色だろう声色で、名前を叫ばれた。
普段から僕をアンタニオスと呼ぶ連中は少ないから、偽名なのも相まって反応が遅れた。すかさず、二度目の催促が僕の名前を呼ぶ。
「よぉ。姉の方。」
僕を呼んでいたのはメルだった。
マツシマから忠告されていた手前、僕だけが勝手に居心地が悪い。そのまま退散でもしてくれないものかと思ったが、わんぱくなお嬢様は、木の幹を駆けあがって僕の座っていた枝に簡単に到達した。人間の身体では実行不可能な動作だった。何かしらのトリッキーなMSCSの携行を、不本意ながら示唆される。
「元気だった?」
「あぁ。お前ほどじゃないけどな。」
「ね。今日は非番って聞いたわ。なにか話しましょうよ。」
「妹はどうした。」
「むぅ……ルムの方がお好み?この私が、わざわざ会いに来てあげたのに。」
「どっちもお好みじゃないから、姉妹間で完結してくれないかと思っただけだ。」
努めて距離を取らなければならないこちらの身にもなって欲しかった。僕は、冗談でごてごてに装飾した言葉で暗に釘を刺さなければならないし、彼女の肌に触れられない。
メルは、僕の都合などお構いなしにバルデリーニについてを捲し立て、ここ最近は大して会ってもいないだろうにレパートリー豊かに彼を賛美した。その響きは、ギャング礼賛歌に似て空虚で、毛先ほども興味をそそられない。顔の良い女に言わせても、誰も興味のない話題は空疎だ。それも、自分すら興味のない話題を騙り散らかす、この女のせいだ。
「バルデリーニの話なら、バルデリーニにしたらどうだ。僕にわざわざ会うほど暇なんだ。幹部のお前なら、喜んで応接セットを差し出すだろうさ。今ならコーヒーにお菓子もつくかもな。」
「ぁ……ぇと……怒った……?」
無理くりに膨らませていた話題は、彼女が空気を吹き込むのをやめた途端にしゅんとしなびてしまう。その呆気ない様が、まさしく僕の推測を補強する。バルデリーニに、自分から会いに行くことはないんだろうな。
「怒ってない。どうせなら、君の話を聞きたいと思っただけだ。」
「っ……ぅ、うん……」
身軽そうなドレスのスカートをぎゅっと掴んだメルは、何か言いたげに視線を寄越す。お前の良いところは、妹と違ってなんでも口から飛び出してくるところだと思っていたが、肝心なところでそうじゃない。なんだ、とこちらも視線で返す。
「君、って……」
「二人称くらいなんだっていうんだ。ちょっとブレたって、むしろ人間として自然だろう。」
「ち、違うわよっ……!ぜったい、絶対!今は、なんか、そのっ……!そういう雰囲気の”きみ”だったもの!」
「おぉ、調子が出てきたじゃないか。その調子で、少しは面白い話を聞かせてくれよ。」
僕はカタログに載っていたマスクの型番を記憶して、それとなく端末に打ち込んだ。マツシマに送信したそれを、彼は手筈通り用意してくれるはずだ。黒い方の端末を使った。
メルは、おずおずと僕の袖を握って、不安そうに聞いた。
「貴方は……どんな話を、面白い、って思うの……?」
「少なくとも、お前自身が興味のある話なら、BGM代わりにしてやるかもしれない。」
「だ、だめよっ……!片手間じゃなくて、ちゃんと私の話だけに集中してくれるような話題じゃなきゃ……!」
「さっきも言っただろ。お前の話を聞かせてくれよ。」
声量も声量なら身振り手振りまでやかましかったメルは、そこで大人しくなって考え始めた。
健全なバーバルコミュニケーションに、余計な身振りも虚飾も、つんざくような声のデカさも必要ないということを、誰かが教えてやらなければならない。
横目に見た彼女の瞳と目が合ったところで、メルは追憶した。
「ぁ、……アイスクリーム屋さん……」
「あぁ。」
「アイスクリーム屋さんを、できたら、……楽しいだろうな、って。」
「そうか。美人姉妹で、いい看板娘になるさ。」
「そっ……そう……?」
「知らん。」
「ちょっ……なんで最後まで肯定してくれないのよ!」
端末に、マツシマから返信がある。
今この状況を見たら、お前は、どんな顔するかな。
*
「仕掛けるなら今日だな。」
「バルデリーニさんの会食が二十時から。二十四時頃が帰宅タイミングでしょう。通例で、来賓の見送りにはホテルまで護衛がつく。」
「ゴッゾ組はいないが、バルデリーニは護衛を相手につけさせると思うか?」
「ほぼ確実に。しかし、移動は車になるでしょう。」
「あっちが守らないといけない奴を抱えてるんなら楽だ。それに、」
「えぇ。襲撃のターゲットを、錯誤させることも可能かもしれません。」
郵便で届いた荷物の包装を破り、中身のマスクを取り出した。皮膚に吸着するような機構を備えていて、バンドで頭部とも固定するので、アクロバディックな動きにもずり落ちる心配はない、とはマツシマの評価だが、実際に着けてみて実感する。
マツシマの方も、アタッシュケースからカートリッジを取り出してテーブルに並べた。計三つ。黒を基調としたカートリッジの中には、軍用魔法のアルゴリズムがパッケージングされている。
マツシマは、その中の一つを投げ渡して言う。「ロングレンジミリタリーボマー。」受け取った傍から、二つ目が飛んでくる「ショートレンジミリタリープロッダー」。受け取った二つの状態を確認する。問題はなさそうだった。
残りの一つの型番を確認して、マツシマは何も言わずにそれを投げ渡してきた。オーダーメイドのデザインキャストである。汎用魔法名は設定されていない。印字もされていなかっただろう。
それから、アタッシュケースと一緒にマツシマの持ってきたもの。重厚なケースに収められたそれを、僕は久しぶりに見た。名前をちゃんと聞いていなかったけれど、なんとなく予想はついたから、それを覚えていた。
真っ黒の外装と、デフォルメされた剣のようなシルエット。トリガー以外に目立った機構は見えないMSCS。
「アンタゴニスト。」
起動は、音声認証で可能だった。本当はパスワード式がよかったのだが、そうなればボタンの配置などで外装デザインの費用が高騰する。大人しく音声認識にしておいた。アンタゴニストに管理モードを要求し、解放されたカートリッジスロットに魔法を挿入していく。
ロングレンジミリタリーボマー。
ショートレンジミリタリープロッダー。
そして。
アンタゴニストは、その全てのカートリッジを認識し、動作可能状態へと移行した。今すぐにでもトリガーを引けば、照準から激発まで行える。
「本当に、見たこともないMSCSですね。剣がモチーフですか?」
「まぁ、近いかもな。」
答えたようなそうでないような曖昧な返答をすると、マツシマはそれ以上聞いてこなかった。
マツシマが山岳ゲリラから仕入れてきた、他国正規軍の採用していたタクティカルベストを羽織る。着心地としてはゼータのものとそこまで変わらなかったが、照準アラートについては装備されているらしい。ベストにはリングがいくつかついていて、僕は、これまたマツシマに用意してもらった光学キューイングデコイをそこに吊るした。
人間の空間認識能力を利用するMSCSの照準。それは、人間の視覚を原資とする照準、と換言できる。デコイは、人間の可視光領域で特に強い光源の反射を行い、照準を吸い寄せる代物だった。
残りはサイドアームで、一般的なロングレンジショックウェーバーのカートリッジがささったものをホルスターに装備した。リゼルキルトだった僕が使っていたものだった。あの頃と違うのは、安全装置を取り外したところくらいだろうか。
準備は上々、残るは、襲撃の時間を待つのみとなった。
「ターゲットは、リリン・リトン氏とアンシェル・リトン氏。聞いた話によれば、ゴッゾ組より腕が立ちます。」
「結構なことだ。」
ゆっくりと背伸びして、腕周りの筋肉の可動域を拡張しておく。次は脇腹を、そして股関節から大腿、ふくらはぎからつま先に向かっていく。
「奴らに挨拶は済ませたのか?」
「えぇ。つつがなく。礼儀正しい人たちですからね、罪悪感はありますが。」
「是非、お行儀のいい戦い方をしてほしいもんだな。」
ゴッゾ兄弟を殺したときのことを、微かに追憶した。
時刻は二十三時を刻む。歩き出した僕の胸元で、デコイ同士が擦れる金属音がした。手中のアンタゴニストは、真っ黒の輝きを反射する。
ただ、染み渡る静謐な夜闇の中で、リリン・リトン、アンシェル・リトンの暗殺計画が開始した。




