Ep.15『アイスクリーム屋さんの看板娘』
バルデリーニ様、という単語がゲシュタルト崩壊をきたすくらいには、メルは僕にバルデリーニの話をした。
州都に入ったあたりで、メルは息を吹き返したように目を覚まし、反対にルムは一言も話さなくなった。メルが妹には目もくれずにそういった話をしたのは、普段からルムが姉のその話に対して嫌悪感を示すからなのだろう。助手席のルムは、ずっとMSCSのトリガーに指をかけていた。
しかし僕は、そうやって自分の空白を手近なもので埋めるようなメルの言動に、どこか釈然としない思いを抱いていた。
州都での仕事は、姉の方の才覚がよく発揮された。フロント企業に最近入ったという男が示した資料に、メルは目敏く無駄を指摘した。そこからはとんとん拍子で、男の講じた中抜きが暴かれ、随分と簡素に処刑が執行された。メルはそれに興味を示すことなく、偽の宝石の光沢のつけ方について執拗にレクチャーした。妹の方は、それを恍惚とした表情で見ていた。
「よくもまあ、見ただけでわかるもんだな。」
メルの出番は終わりで、あとは妹が引き受けた。簡単な打ち合わせと言っていたから、僕もメルも、オフィスの中の安っぽい応接セットで雑談に興じていた。メルは紅茶を、僕はコーヒーを頼んだ。
「当たり前でしょう?美しさは、常に価値を持つ。高級娼婦でも亡国の姫でも、それは同じだわ。どれだけ世界が疲弊していても、美しさだけは純然たる価値を持つのよ。」
メルは得意げにそう言ったが、彼女のその言葉はしかし、僕に或る納得をもたらした。彼女が得意げに話すときは、大体がバルデリーニを賛美する言葉だったから、まともなことも言えるのかと少しばかり驚いたのだ。
「お前がそう思い始めたのは、どうしてだったんだ。」
だから、僕は珍しく何の打算もなく、メルにそんな問いをぶつけた。それは、好奇心以外では説明のつかない問いかけだった。
それがバレたのか、もともとそういう仕草なのか、メルは口許を分かりやすく綻ばせて語り出した。
「私とルムは、ツリーハウスで暮らしていたの。両親が遺してくれたものよ。正直に言えば、辛かったわ。この国で女二人が体を売らずに稼ぐことは難しい。でも、私たちは真っ当にお金を稼いで、なんとか生活していた。仕事とプライベート。困窮していると、そういう区別がつかなくなるものじゃない?
でも、朝目を覚まして、ベランダに出たところから見える景色、それだけは、そういう代替可能なものから隔たれて、美しかった。美しいものは、そういう、超越性を持っている。きっかけ、ってことで言えば、それだけの話よ?」
自分が生まれてから今この瞬間まで、大事に大事に守ってきた宝物。それが詰め込まれた宝箱の錠前を解くように、メルは眩しい瞳で語った。それは、彼女のその底抜けの明るさに、十分に寄与しているのだろうと思った。
「なぜ、マフィアに。」
「それを聞くにはまだ好感度が足りないわ……!これから、存分に私に気に入られたら、教えてあげる。」
珍しく蠱惑的な笑みを浮かべて、メルはその話題を煙に巻いた。
州都での用事を終えて、少しばかり予定より早かったから、僕たちは余裕を持って隣街に移動することができた。
マフィアが用意したホテルは、その街でもランドマークとなるような豪奢なものであったので、大して迷うこともなく運転できた。ロータリーで荷物(女二人とその手荷物)を下ろして、駐車場までの運転は係の人間に任せた。キーはフロントで預かっていてくれるらしい。
姉妹は同じ部屋に泊まるそうで、僕は一人では持て余すシングルルームを与えられた。一対一の取っ組み合いくらいはできそうな余剰スペースを見て、ベッドで眠れる空間さえあれば、この場所はあいつらの部屋に貸してやってもいいと思えた。
バゲージラックに風呂上がりの着替えだけ置いて、何をするでもなく姉妹の部屋の扉の横に背を預けた。ルムとの会話に関係なく、今回の旅程では彼女たちの命を守り切るつもりだった。ここで彼女たちが殺されてしまえば、犯人の背後関係に関わらず、僕への粛清は必至だ。
すれば、扉を開けた妹が、その微かな隙間からぬるりと出てくる。MSCSは持っていなかった。
「……部屋で休んでれば……?」
「一応は護衛だからな。」
沈黙。贅沢な絨毯を敷いた廊下で、僕たちは、その素養もないだろうに、飾られていた絵画を眺めるだけの数分を過ごした。
ルムの方は、別に僕を労いに来たわけではないようで、ただ、警戒に備えるだけの僕にどうしろ、と指図したりもしなかった。
少女は、沈黙を裂く。
「お姉さまと、……何を話していたの。」
「……お前らが、どうしてマフィアになったのか、って話だ。」
僕は、これから殺そうとしている相手に、わざわざ好感度を稼ごうなどとは思っていなかったから、絡め手でその裏道を行ってやろうと応えた。
「それなら、……お姉さまの苦労がわかったでしょう。」
「肝心なところは聞けなかった。お前が教えてくれるなら、頭の片隅に入れておくが。」
「それでどうなるの……?」
「お前の姉を守ってやろうって気概が、少しばかり大きくなるかもしれない。」
ルムは、素養を持つ者ならゾクゾクと背を震わせるような視線を僕に向けた後、観念したように語り出した。
「私たちの家は、……マフィアに壊された。」
「ツリーハウスのことか。」
「そう。……私たちは女で、……お姉さまは美しかった。だから、バルデリーニに献上された。」
「流石。美人姉妹だな。」
「……私は、……別に、美人じゃない……。」
褒められ慣れていないのか、ルムはわかりにくく頬を染めて言った。可愛い一面もあるんだな、と思った。
そんな僕の心情を読んだのか、彼女はすぐに表情を装いなおし、いつもの鋭い視線をこちらに向けた。
「お姉さまは、……私を守るために、……あの男に心酔した。」
彼女が心底軽蔑するような目をしたので、あの男、というのがバルデリーニだとわかった。
「姉は今何してるんだ。」
「私の分の紅茶を淹れてくれている。……それで、その……」
「なんだ、はっきり言え。冗長な女は嫌いだ。」
結構な勢いで飛んできた蹴りを間一髪で避けて、鈍痛の予感に痙攣した自分の足を労わってやる。ついでに、咄嗟に反応した反射神経も。
「……お姉さまは、……貴方にも、紅茶を淹れてくれている。」
「お誘いを頼まれたなら、もっと愛想よくするんだな。」
次の蹴りは流石のルムも避けられるのがわかっていたようで、大した威力じゃなかった。だからといって避けないわけはなかったから、またしても不満そうな視線を頂戴する。目で語る女である。
ルムは、ポケットに忍ばせていたルームキーをかざして扉を開け、半身で僕を促した。
「こんな光栄な機会、……きっと今後、ない。」
正直なところ、その茶会については、護衛対象を守りやすい、という以外の利点を見出せなかったから、参加しなくてもよかったのだが。ここで断っては、きっとメルの好感度に差し障る。
僕は一息、ため息を吐いて、その茶会の末席を頂戴することにした。
*
姉がホテルの朝食を食べたいというから、僕は朝の六時半から叩き起こされて、クソうるさいベルの音に不機嫌に扉を開けることになった。もちろん、寝る前に全ての装備は終えていたから、顔だけ洗って同伴した。僕は別の席でいいとウェイターに伝えると、メルは随分と駄々をこねたが、珍しく妹の方が僕の味方をしてくれて、二人は絵画のように美しい様相でコース料理を平らげた。
多分、姉と二人きりで食べたかっただけなんだろう。
メインのステーキだけ持ってこいと言った僕に、ウェイターは少しばかり眉をひきつらせたが、キッチンの連中は気が利いたのか、姉妹が食っていたのとは違う大ぶりなものを、二枚も乗せて運んできた。
余計なイベントとチェックアウトを終えて、僕たちは現地の密輸業者の事務所に赴いた。
姉の方はよほどの大食漢なのか、道端のアイスクリームの露店を目敏く見つけて、僕は仕事が終わったらな、とたしなめるのに苦労した。姉の役割が終わった途端、メルは「それじゃ!」と言い残して事務所を出ていったから、僕は護衛対象の分散という頭の痛い問題に直面することとなった。といっても、直ぐ様にアイコンタクトで姉を守れ、と指示してきた妹の機転のお陰で、そう長い時間思い悩むことはせずにすんだ。
ルムならば、並大抵の刺客は自分でどうにかするだろう。彼女が肌身離さずに持ち歩く、仰々しいMSCSを想った。
メルは、露店で商品を受け取ってやっと、自分が現金を持ち歩いていないことを思い出したらしく、店主を撃ち殺すこともなくあたふたとしていた。随分と小市民的なマフィアである。僕は預けられていた金で代金を支払い、「貴方は要らないの?」と舐めたことを言う女を無視して領収書を書かせた。差し出されたそれは、書式もなにもないメモ書きだったが、もともと犯罪組織に提出するものである。厳格さは要求されないだろう。奪い取るようにそれを懐に仕舞って、帰路についた。
「アイスって素晴らしいわ。美しさと同じね。美味しさは、どんな状況においても貨幣価値を持つわ。」
「あぁ。素晴らしいな。転職出来たらアイスクリーム売りになったらいい。」
僕がそんなことを言ったせいだろうか、メルは急に立ち止まって、僕は彼女が止まってしまった時間分の歩行を遡る必要があった。僕の徒労など厭うこともなく、メルは地面を見つめていた。そして、そのせいでポロリと手からアイスのコーンを取り落した。
「おい」
地面で悲惨に砕け散る前にそれを掴んで、彼女の手を手繰って握らせてやる。
「あ……ごめんなさい。」
メルはすぐに手を引いて、半歩、一歩と距離を取った。
僕は、彼女の肌に浮かんだ鳥肌を見逃さなかった。だから、その距離を詰めようともしなかった。けれど、言葉でくらいは、その意図を汲んでやろうと思ったのだ。
「男は嫌いか。」
「ち、ちがっ……貴方が、だめ、だって、……そういうことじゃないの。」
「それでも別にいい。今後、急に触れないといけない可能性もある。そのヒアリングだ。」
「っ……私だって、……嫌よ。バルデリーニ様に触れられたときも、こうなる……それであの人は、寂しそうに笑うんですもの。」
「……そうか。」
それに、と呼吸を継いで、メルは視線を落としたまま言った。
「貴方だって、そうやって……距離を取るじゃない。」
ぐ、と表情を軋ませて、けれど、それを見せまいとしたのか、メルは僕の横を駆け抜けていって、僕はそれを、走って追いかける気にはなれなかった。確かに、僕はお前から距離を取っているのかもしれない。
事務所に戻るまで、ちゃんと直ぐに守れるような距離で、それでも。
僕は、努めて彼女と距離を詰めるようなことはなかった。
*
「散らかってきたな。」
僕は一人で呟いたつもりだったが、いつの間にか隣に来ていたルムが怪訝そうな顔をした。
ゼータのお陰で、気配には人一倍敏感だったから、彼女に気付いていなかったわけじゃなかった。だからといって、彼女に聞かせるつもりだったというわけでもなく、ただ、どうせ僕の内心はわからないだろうと思って呟いたのだ。ルムは気になるようだったが、僕に関心がある、というのを表に出すのが不快だったのか、想像通り何も聞いてこなかった。
これまた高級ホテルのロビーで、僕は一人、無駄に高いコーヒーを飲んでいた。一緒に出された菓子の類が、その値段のいくらかを担っているのだろうというのは理解できた。
僕に断りもなくその菓子をつまみ出したルムに何か言ってやろうかとは思ったが、はなから食べるつもりもなかったのでそのままにしておいた。
「護衛の癖に、……こんなところでサボってる。」
「ここはセキュリティが完璧だ。ここで張ってれば事足りる。ここにいれば、余計な茶会に呼ばれることもないしな。」
ルムの攻撃はちゃんと避けて、この力で足を踏まれていたら、それなりに痛かっただろうな、と、ロビーに響き渡った彼女の靴音の残響を聞いていた。
「なんだ?地上四十六階のスウィートルームに、魔法をぶち込む奴がいると思ったのか?そんな精度の照準器を持ってるか、魔法出力がある奴なら、近くで守ってても守りきれんさ。戦略的配置だ。」
「相変わらず、……口だけは達者。」
僕の前に置かれていた茶請けの皿を空っぽにしやがったルムは、踏み抜く足を求めてか、ぶらぶらと揺れていた。
「お姉さまは……」
「大体はわかる。普通の感受性があれば、あれだけ丁寧に導出されてわからない奴はいない。」
「でも、……そんな感受性を持ってる人間は……マフィアにはいない。貴方は、……特別、だと思う。」
珍しく、ルムは何の臆面もなくそう言った。メルと知り合ってそう長くない僕が勘づくくらいだ。出張先のホテルでも同じ部屋で眠るくらい共に過ごしてきた妹には、姉のことは手に取るようにわかるだろう。その、原因についても。
「それを突きつけてやらないのは、何かの負い目か?」
「……だって、お姉さまは、……私のために」
「くだらない。女ってのは、そんなに全員面倒くさいのか。苦労しそうだな。」
「……何も知らないくせに。」
「何も知らない奴の方が、穿たずに物事を見れる。……まぁ、お前の辛さを察しないわけじゃないが。」
ルムの足は、本当に優しく僕の足を蹴ろうとしたけれど、僕はそこまで優しくないから当たってやらなかった。
つまらなそうなルムは、僕と話しているのだろうにそっぽを向いて、これまたつまらなそうな声色で言った。
「貴方なら、……お姉さまを、……解放してあげられる……?」
「死は救済、と言った奴がいたよ。」
「黙れ……!」
公衆の面前だというのに、ルムは僕に銃をつきつけた。その煌びやかなスカートの中に潜ませていたのか、その拳銃の銃口が、真っ直ぐに僕の額に向いている。こいつも、パブリックという概念を知らないらしい。
「お姉さまは……っ」
「仕舞えよ。大好きな片割れが来るぞ。」
エレベーターの到着を告げるベルの音がして、ゆっくりと開いた扉からメルが降りてくる。視線を戻せば、ルムは既に銃を仕舞っていて、不機嫌そうに僕を睨んでいる。メルがこのテーブルに辿り着くまで、一体どれくらいだろうか。
僕はその間に、この女に何を言ってやろうか迷っていた。
ルムという少女への僕たちのスタンスは、曖昧だ。
事前の殺害は必要ないし、メルが死んだ後の行動によっては殺害の必要すらないかもしれない。彼女は、僕らの銃口から外れる可能性がある。その上、彼女は僕に、協力する、という言葉まで吐いた。ただ、姉の命を天秤にかけただけで。
責任を持てないことを、無暗に口にするべきではないと思った。逆に、口にしたことには、確実に責任を持たなければならないと思った。僕は、お前の人生に責任を持てない。
だから僕は、助けてやる、とも、見捨てる、とも言わなかった。僕は、この姉妹の人生に責任を持てない。
ただ、ただ、それは、なんとも曖昧な言葉だっただろう。それでも。
「二人で、露店の看板娘でもやったらどうだ。」
死後の世界でくらいは、この姉妹によくしてやりたいと思って。
僕は言葉の責任を、天国に繰り越した。




