Ep.13『月と、愛を司り。』
マツシマの部屋で、僕たちはダーツに興じていた。
別に遊びに来たわけじゃなかった。ただ、コーヒーを飲んだり、煙草をふかしたりするように、会話だけでは余るリソースに何かを詰め込んでおきたかっただけだった。
「貴方の協力者は、総合商社クリスタル・ベリー。というよりは、セスタ・クリスタルベリー、といったところでしょうか。」
「……それも盗聴してたのか?」
「いいえ。彼女の通信傍受対策は完璧だった。私たちは、一言一句、傍受した通信から彼女の声を聞いたことはない。しかし、私たちが目星をつけた、リゼルキルトの協力者の中に、そんな芸当ができるのは彼女しかいなかった。」
「あぁ、正解だ。セスタ、それと、もう一人。貧民街の女で」
「アステア。アステア・グルクロニド、ですね。ブラウ大学附属病院に入院中です。」
「……その通りだ。」
マツシマは勿体ぶって矢を投げて、結局、汚い放物線を描いたそれは、盤の縁に激突して地面を転がった。
「アステアについては、いつわかった。」
「彼女は煙草密売の販売店に勤務していたでしょう。そこから大体は。まぁ、セスタ氏について決定的な情報を持ってきたのは情報局なので、私が勘付いたのはアステア氏だけですが。」
僕は、大して狙うこともなく立て続けに三本を投げ、それは大体盤の真ん中に、場所は違えど弾着した。
「上手いですね。」なんていう屈託のない野次をマツシマが飛ばした。
「僕を、マフィアのボスにできると言ったな。」
「えぇ。それはもちろん。」
「方法についてはいい。僕らは、何をすればいい。」
マツシマは下手くそな二投目をまたしても勿体ぶって投げて、大した得点にもならないマスに初めての命中を打ち立てた。「いやぁ、私には向いてないですね。」という言い訳がましい言葉を吐くまで待たされて、マツシマはカウンターに腰を据えた。
「必要なのは、幹部連中の選定です。突然頭を挿げ替えられて、それに大人しく従えるような幹部は残しておきたい。逆に、そうできない幹部は殺す。その選定のあとは、まぁ、実際に……えい、とね。」
マツシマは、トリガーを引くような動作をして、マフィアとは思えないほど牧歌的に殺しを表した。
「しかし、それよりも前にやることも、まぁなくはないですね。」
「というと?」
「どちらでもない者については、先に殺しておかなければなりません。」
新生マフィアに順応できる者と、そうでない者。それを差し置いて、まず先に殺さなければならない者。
「突然頭を挿げ替えられることを、許さない連中です。」
それは、僕たちがマフィアを乗っ取るその直前まで、僕らの急所に虎視眈々と狙いを定めている連中である。
マツシマを抜けば、幹部は十一人。マツシマが与えたカテゴリが、どんな割合で十一人を割るのかは、一兵卒の僕には想像がつかない。
「一番単純なのは、バルデリーニさんの護衛を担当する四人ですね。おそらく、私たちが最初に殺すことになる幹部です。」
「護衛が四人、ね。腕利きなんだろうな。」
「それはもう。彼らは、三日交代のルーティーンで、二人ずつバルデリーニさんを護衛します。ゴッゾ兄弟とリトン兄弟。彼らは、バルデリーニさんに拾われて、手塩にかけて育てられた。彼らが信奉しているのはマフィアではなくバルデリーニさんだ。」
「相手にするなら二人ずつか。」
四人一気に倒さなければならないともなれば、爆殺以外に効果的なやり方を思いつかなかったが、二人ずつ処理できるのならまだマシだ。もちろん、一人ずつできればもっとマシだ。
「バルデリーニさんを守る暴力装置としては、彼らを最も警戒するべきでしょうね。」
「警戒すべきはゼータだろう。」
「部下だからこその視点ですか?ゼータ氏については私もちゃんと了解していますよ。しかし、それ故に、彼はもう肉弾戦ができるような体ではない。」
自分の片足を指すマツシマのジェスチャーに、ぶらぶらと揺れているズボンの裾を思い出した。ゼータには、片足がない。
「謀略という面で警戒すべきは、貴方の言った通りゼータ氏とメル・ルム姉妹でしょうか。」
「姉妹……謀略に長けているのなら、情報局の幹部か?」
「いえ。偽ブランド品や偽宝飾品の担当です。情報局の幹部はカルメアさんですね。彼女は、バルデリーニさんの愛人という感じですが、あの感じだと、二人は昔なじみの友人くらいの認識です。身体を重ねることもあるけれど、そこにあるのは愛ではなく友情。互いのことを知り、互いの欠点を補い合う。しかし、それ故にカルメアさんの忠誠心はバルデリーニさんに依存していない。少し難しいところですが、大きな障害にはならないでしょう。まず警戒することは前提として、ですがね。」
「友情……か。そのレトリックなら、ゼータとその姉妹は、バルデリーニに唯一無二の何かを向けている。」
「えぇ。メル・ルム姉妹の、姉の方。メルは、バルデリーニさんに心酔している。それが殺されたともなれば、復讐を企てるのは必至でしょう。ゼータ氏については、面白がって全貌を暴かれてもおかしくない。勘のいい方ですからね。」
「姉妹もろとも歯牙にかけているわけか。」
僕はそのバイタリティに、嫌悪よりも感嘆を漏らしたわけだが、マツシマは思わずといったように吹き出して訂正する。
「妹の方が信奉しているのは、姉ですよ。むしろ、バルデリーニさんのことは心底軽蔑している。ですから、警戒するべきは、姉の方が愛に任せて思わぬ動きをすることです。」
「名前が多くて散らかってきたな。担当と名前、脅威判定まで含めた資料でもないか?」
「ありますよ。」
あるのか、とは言わなかったものの、その周到さには危うさを抱く。この男は、どこまで僕の思考を読んでいる?
マツシマが差し出してきた資料には、事細かに各幹部についての情報が書かれていたが、興味もなかったので読み飛ばした。細部は後で読めばいい。
護衛担当 ゴッゾ兄弟・リトン兄弟 (事前の殺害が必要)
財務担当 スウィフト (殺害の必要なし)
偽ブランド品・偽宝飾品事業担当 メル・ルム姉妹 (姉については事前の殺害が必要)
人事担当 ヴィオレタ・ホワイト (殺害の必要なし)
武装・部隊教育担当 ゼータ (障害になれば殺害の必要、あるいは事前の殺害が必要)
情報局担当 カルメア・エテカレア (殺害の必要なし。必要になる可能性あり)
煙草密売事業担当 オース (殺害の必要なし)
法律・金融担当 マツシマ (殺害の必要なし)
はなから一息に覚えるつもりはなかったので、空気感だけなんとなく掴んでおく。同時にこの担当と名前を覚えられるはずもないから妥当だろうと思う。
この中で、事前の殺害が確定しているのは護衛担当の四人とメル・ルム姉妹の姉。確実に五人殺すことは決定した、ということになる。そして、動きが顕著になればゼータと情報局幹部のカルメアが追加され、最大七人。
「戦闘とか魔法に関しては、私は完全戦力外なので、殺しの手配について助言があれば聞かせてもらいたいのですが。」
「僕に全面的に任せてくれるなら、自分で手配する。」
「そう、ですね……セスタ氏のコネクションでしたら、ヒットマンの身元が割れても蓋然性がある……えぇ。貴方にお任せします。あぁ、日取りくらいは教えてくださいね。お世話になった挨拶くらいは済ませたいので。」
「相変わらず律義だな。」
マツシマは何か勘違いしたようだが、僕はここにきてセスタに頼るつもりはなかった。アステアの護衛については僕の私財。リゼルキルトからの依頼ということになる。しかし、僕が今から始めようとしているのは、セスタが投資した事業の立て直しだ。ここで追加融資ともなれば、損切りという言葉を口にしたセスタに面目が立たない。
僕は正真正銘、僕の手で奴らを殺すつもりだった。自分が護衛連中より強いなどという驕りは、自認の上ではなかったはずだ。
「それじゃあ、僕は帰るよ。ゼータと約束がある。」
「仲がいいんですね。」
矢を手に取って狙い始めたマツシマを見て、僕はそろそろ引き揚げることにした。エレベーターのボタンを押す直前、思い当たる。
「そういえば、今日は浄水場に行っていいんだよな。」
振り向いた先、マツシマの矢が弾かれて、地面に転がる。二投目だったようだ。一投目は、ブルズアイをど真ん中に射抜いている。そして、二投目もおそらくは。
「えぇ。行って構いませんよ。」
本当は、そんな腕前を隠し持っていたのか。
「カマトト振りやがって。」
*
浄水場の地下室。僕は、唾を吐き棄ててふらふらと椅子に座った。座ったというよりは、倒れ込んだという方が正しかったかもしれない。
「やはり、経口摂取、いや舌からの吸収が効果的か。なら、紙にでも浸しておくか。ちょっと、効果が強すぎるな。」
僕の周りに、麦畑が広がっていた。まさか地下室にそんなものが、と思って天井を見上げると、燦燦と輝く太陽が、じっとりとした大気の中を輝いている。僕は立ち上がりたくなる衝動を努めて堪え、少し遠くの木造の家で手を振る二人を見つめていた。片方の女には片腕がなく、もう片方の男は顎から腹部にかけてを解放させて、あらん限りの臓物を露出させていた。
いや、違う。この光景は違う。あるはずのものがない。
見渡しても、そこには僕の探しているものが見つからない。
教会の中には全裸の男女がひしめき合っており、あと数時間もすれば祝杯には毒が混ぜられる。七枚組の正当後継者が持っている植物の名前は、ダダラガヤアボーンダボ・ラ・ルリ・ダーンブブルーグだ。千三百七十二角形。
僕はやっとのことで洞窟の岩肌に触れ、あの炎の日から経過した七億年の月日と、その苦労についてを語って聞かせた。
裁判長は僕に、終身刑を宣告した。電気椅子、絞首台、点滴棒、断頭台、ガスマスク、ガス室、銃口、ハンマー。死刑執行人。
僕の背後では、炎が燃えている。その命枯れ果てるまで、いかなる抵抗を、抑圧を受けようとも、燃え盛らんとする、そんな大火が。やがてその火は、麦畑に燃え移り、立ち上る白煙が気管支を執拗に責め立てる。
あぁ、あぁ。愛している、フラクタル。フラクタル。フラクタル。
「フラクタル。」
───フラクタル。
──フラクタル。
─フラクタル。
─。
───。
目を覚ました。
一体、どれくらい眠っていた?
机の上の資料をばさばさと引き摺り落とし、それでは飽き足らず壁を殴りながら時計を探した。左腕を擦って、どうして腕時計をはめていないのかと憤慨する。思いきり机を殴ってようやっと、MSCSのディスプレイにデジタル表示の時計があることを思い出す。
───一体、何にこんなに苛立っていたんだ、僕は。
てっきり朝まで眠りこけていたと思っていた僕は、数分と経っていなかった時刻表示に目を見張った。
まさか、この倦怠感が、たった秒針が数周したくらいの間にもたらされたものだというのだろうか。
なにか、とても大事なものを見ていた気がする。あれはまるで、自分の脳が拡張されているような感覚だった。世界の全てが思い通りになり、普段なら行き詰る思考は、どれだけズームしても同じ光景が現れる騙し絵のように留まることを知らなかった。
まるで、全てを理解し、そしてその道程の全てを経験したような。
傍らに、鼠がいた。珍しいことじゃなかった。しかし、その死にざまは、少しばかり珍しかったかもしれない。
「あぁ、……なるほど。」
僕は自分の額を触り、背伸びした。
さっきからおかしい視界の色調は、一度気にしないことにした。地下室にいるのに、真夜中であるのに、まるで太陽に照らされているように錯覚するイカれてしまった視床下部についても棚上げする。
僕はそこで、新たな魔薬に名前をつけることにした。
薬学に造詣が深く、美しき髪を持ち、人々を動物に変える魔女。あるいは、月と愛を司り、それを手中に置く女神。
それは、彼女に会うことのできるかもしれない薬だった。だから、僕は彼女によく似た女神の名前を与えることにする。
それは、それは。
そう。愛おしき───キュルケー。
*
『一週間後、ゴッゾ組の護衛を殺す。』
僕が送ったそんなメールに、マツシマは『挨拶を済ませておきます。』と返信してきた。ビジネスマン風のふざけた美丈夫が思い浮かんで忌々しかった。
ゴッゾ兄弟の行動パターンはわかりやすく、三日間の護衛を終えた暁には、その足で朝から一日中飲み歩き、歓楽街が賑わいを取り戻したくらいの時間に馴染みの高級娼婦を呼び集めて乱交に興じる。一晩中行為にふけり、次の日はどちらともなく家に帰る。二人が別々に行動してくれれば理想だが、望みは薄い。
狙うのは、娼館に入る前。奴らの行きつけの酒場から歓楽街に通じる薄暗い雑踏だが、酒の効果で腕が落ちるようではバルデリーニの護衛は務まらない。相応の準備は必要だろうと思った。
僕は、液体に精製したキュルケーに、舌に乗るくらい小さな紙片を浸していった。
一週間後、殺しは順当に成功した。ふざけた連中で、横並びで歩いているのに何をそんなに大声で話す必要があるのかというくらいに奇声を上げて、そして、その様子は普段からそうなのだとマツシマに聞いていたから更に訳が分からなかった。
最期の最期まで陽気に、プリジール・ゴッゾとジブリエル・ゴッゾはやかましく死んでいった。彼らに血の繋がりはなかったが、プリジールが息絶えた後、ジブリエルは兄弟の片割れに熱烈にキスをして、自らのナイフで喉を裂いた。
「火はやめてください。」
珍しく疲れ切った表情で、マツシマはそんなことを言った。
「殺しのことか?僕に任せてくれる手筈だっただろう。」
「貴方は火によって全てを失ったんですよ。それが、幹部の二人の死因が焼死だったともなれば、リゼルキルトの関与を勘繰られても仕方ありませんよ。」
「そうか、……まぁ、そこはあんたがどうにかしてくれるんだろ。」
「ぐ……それは、まぁ、そうしましたが……!」
狼狽えているのが面白かったから少し揶揄ってやった。そのせいで、別に僕が彼らを焼き殺したんじゃないというのを言いそびれた。言わなくてもいいかとも思った。
「どうやってあの二人を殺させたのかはわかりませんが、次の二人のときは頼みますよ……」
「そうか……まぁ、そうするよ。ナイフの刃渡りは、川岸の橋梁は浸かった?」
「えぇ、……え?今、なんて言いました……?」
「え、あぁ、いや、すまない。なんでもない、聞き流してくれ。」
まだ薬が抜けきっていないか。言語野は、なんのフィルターも通さずに口腔に言葉を送っている。
次はリトン組を殺さなければならない。マフィアの警戒心が上がるのは必然だろう。次は今回ほど容易にはいくまい。僕は、昨日の晩からずっと肩を叩いてくる、腹を掻っ捌かれた男の手を振り払った。誰かの顔に似ている気がしたが、陥没した顔面を注視するのは気が引けたので見なかった。




