Ep.10『聖者は人を殺さない』
まだ幼さの残る顔つきをした男と相対して、僕は静かに追想していた。
このところの日々を、この、日々を。
「殺すまでやれ。本当に死にそうになれば止める。死んだら知らん。痛めつければ痛めつけるだけ評価してやる。ほら、始めろ。なにぼさっとしてる。」
片足だけの膝を組んで、ぶっきらぼうに言い放つしゃがれた声。いつまでその時代錯誤の軍服を着てるのか、なんて問いは、いつかぶつけられる日が来るのだろうか。ただ、そんなことを思いながら、冗談じゃすまないだろう速度で飛んできた拳を躱した。
全てが燃やされたあの日、周辺諸国の情報機関、法執行機関は寝耳に水の速報に飛び起きた。それは、これまでこざかしい偽ブランド品の流通や、密売煙草の販売に精を出していた、外国にある国内犯罪組織が、その暴力の一端を露にしたからだ。
つまりそれは、クローズドだった死の拡散領域が、グローバルに拡大し、そして国際的犯罪組織のレッド・ノーティスに、新たな名前が刻まれることへの、危惧であった。
彼らはそれを、この国の名前になぞらえて”ブラウナーの火”、と名付け、その燃焼速度と火の粉、灰についてを注視した。しかし、彼らの危機感とは裏腹に、辺境のマフィアが始めたのは、全世界に対する宣戦布告ではなかった。それは、その地区にクローズドに存在した、とある小さな反乱分子を燃やし尽くす、ただ、それだけのボヤだったのだ。
セスタのビルでの会合からすぐ、僕はアステアの見舞いに行くのをやめて、向こう一年ほどの入院費と護衛代を先払いした。コンドルに一千万ダラを渡して、バハラータ共和国への安全な逃亡ルートを用意した。それは、この国のすぐそばに控える山脈に住まうとある民族に、国境を超える手伝いをしてもらうルートだった。彼らは、隣国の反政府ゲリラと利害を一致し、ゲリラの行う越境ビジネスに民族の山越えの技術を提供した。
彼は最後、「まだ、続けるんですか。」と言い残し、車のドアを閉めた。逃走ルートの後半はクリスタル・メスが引き取り、無事仮住まいまで護衛したと連絡があった。
事務所からは一切のデータが削除され、貴重なMSCSと魔薬に繋がる可能性のある物品以外の全てが放棄された。重要な機材はセスタが所有するこの国の支社へ。大量の書物と研究資料も同じだった。ほとぼりが冷めたころアステアに返還する、とは、セスタの見せた意外な配慮であった。
まったく身軽になった僕は、手始めに、アステアを焼いたマフィアの男を半殺しにした。僕のオーダーメイドのMSCSはセスタに預けていたから、貧相な銃一丁で喧嘩を吹っ掛けた。結局使いどころはなかったから、僕はほとんど拳だけでその男と戦ったのだろう。喧嘩慣れしているわけでもなかったのに、僕は幸運な勝利を手にした。
もちろん、僕はその場で拘束され、マフィアの中にある小さな構成単位、クランの詰め所に連れていかれた。
ブラウナーの火で、不幸中の幸いと言えたことが二つだけある。一つは、僕の顔が、まだ彼らに知られていないとわかったことだ。
リゼルキルトという名前は、もちろん知られていた。だから、アンタニオス、という偽名を名乗ってみたら、連中は簡単に騙されてくれた。「聖人か?」と茶化すような文句を飛ばされるたび、その勘違いがおかしくて仕方なかった。
悪魔からの幻惑に耐え、聖人となったアンタニオス。まさか、僕が。
僕はジュダだ。たった数枚の金貨と引き換えに、神の御子を裏切った、そんな裏切者の代名詞。
僕はすぐに奴らに取り入って、とんとん拍子でマフィアの末席に、ボロボロの椅子を用意してもらった。
僕らのような反乱分子に、いの一番に突っ込んでいく、捨て駒の殺し屋部隊。その一員として、僕は教育された。暴行はもちろんのこと、男だと偽って部隊に入っていた女は、すぐに正体がばれて、仲間内の慰み者としてボロボロにされて、次の日に自殺した。
最初にバディになった男は、みかじめ料の徴収の道すがら、地面に寝そべっていた路上生活者の男に唾を吐きかけて、その男の持っていたMSCSで頭を吹き飛ばされて死んだ。その男は、マフィアに息子を奪われ、先立たれた妻のこともあって身寄りを無くし、最後に一矢報いる機会を待っていた。僕にも銃口が向いたから、僕が彼を妻と息子のもとへ送ってやった。僕が殺した。
メンバーは常に入れ替わった。死んだのか、逃げ出したのか、あるいは、引き抜かれたのか。
僕は少しずつ、顔でわかるようになっていた。そいつが、死んじまうような弱者なのか、逃げ出してしまうような腰抜けなのか、あるいは、マフィアに見初められる、その資格がある奴なのか。
クソみたいな稼ぎで死にかける生活を続けて、半年が経った頃だった。
その日も、知らない顔が増えて、知っている顔が消えた。そのうちの一人は、死んだようにも、逃げたようにも見えなかったから、引き抜かれたのだと思った。それで、その次が、僕の番だった。
「ゼータ。俺のコードネームであり、お前たちチームの名前だ。まぁ、……なんでもいい。ゼータの役目は、マフィアの暴力装置だ。俺たちは目標指示装置が敵をロックオンしたら飛んでいくミサイルだ。だが、お前らがいたクソの掃きだめみたいなチンピラどもと同じ体たらくじゃあ目も当てられない。
あいつらは機関銃の弾だ。ちまっこい安い弾を、ばら撒く。小さい的ならあいつらで十分だ。だが、相手が戦車だったらそうはいかない。装甲車だったら、戦艦だったら。例えば、戦闘機だったら。俺たちの役目はミサイルだ。鼻くそみてぇな弾じゃあ倒せない相手に、ドガンとぶち当たって風穴を空ける。だから、お前らは安くない。
それなりの開発コストと、製造コストをかけた、一撃必殺の一発にならなくちゃあならない。東にあるくそったれの国の言葉を使おうか。お前たちは、特殊部隊だ。ようこそ、ゼータへ。」
ゼータと名乗った男は、かつて、この国の正規軍にいた男らしかった。二世代ほど前の軍服には見覚えがあったし、あの軍服が使われていたころの戦争にも覚えがあった。その後、帰還兵たちにどんな仕打ちが行われたのかも知っていたから、彼の今の境遇に、特に驚きもしなかった。
ゼータには片足がなかった。義足をつけるわけでもなく、常に引き絞ったズボンの裾がブラブラと揺れていた。松葉杖だと思っていたそれも、よくよく見れば機構を取り除いた小銃だった。
ゼータは的確だった。自分で鉄拳制裁を喰らわせることもないし、女を犯せ、というような真偽不明の精神トレーニングなどもさせなかった。彼が教えるのは、一貫して軍事行動だった。常にチームで行動させ、部隊演習では惜しむことなく実際の魔法をぶっ放した。二、三人死ぬのはいつものことで、「躊躇するからだ。」と吐き棄てて、またどこかから人員が補充される。
武装は常に二つを携行することが義務付けられ、その引き金を引くときは必ず自分の意思を要求された。つまり、彼は仇討ちの激情による発砲を決して許さなかった。
僕が最初に参加した実戦は、近隣の山に潜む山賊狩りだった。奴らはどうやら、マフィアの密売煙草を輸送中に奪ってしまったらしい。山は彼らのテリトリーだった。しかし、ゼータに叩き込まれた部隊行動は面白いほど円滑に殺戮を遂行した。
初めて魔法で頭を吹き飛ばしたという男は、次の実戦で引き金を躊躇って跡形もなく消し飛ばされた。MSCSのトリガーは、いつだって軽くなければならなかった。そうでないと、躊躇してしまうから。
一か月ほどで、僕はゼータの古参になった。
ゼータは、徒手格闘を重視した。訓練は必ず組手から始まり、両手を空けた状態での構えや、打撃の打ち方を執拗に教えた。僕以外にも気付いていたのかはわからなかったが、ゼータは、MSCSを昔の火薬式の銃と同じだとは考えていなかった。彼はそれを、格闘戦の中で扱うことのできる、人体を容易に破壊する掌底だとでも思っているようだった。
予備動作なし、至近距離。一撃で、相手の行動能力を文字通り喪失させられる。部隊行動での誤射が冗談では済まされない道具の運用として、感嘆すらした。
「聖人……もう落ちてる。やめろ。」
ゼータに肩をどつかれて、僕は絞めていた相手の意識が落ちているのに気付いた。
長い長い回想のうち、僕は敵を無力化した。
伸びているのは紛れもなく部隊の仲間だったが、ゼータでは関係なかった。たとえ仲間だとしても、演習では本気で殺し合うし、殺すことが要求された。その上、僕は裏切者だった。彼らは全員、殺すべき真の意味での敵だった。
「いたぶって殺せ、と言ったんだ。なんで落とした。」
「……なんとなく。部隊の人間が減れば、僕たちの戦力が落ちる。運用コストをドブに捨てるのは、経営戦略としては愚策だ。」
「投資家のつもりか馬鹿が。……ほら、次だ。」
内心とは裏腹に、口からぼろぼろと零れるでまかせは、彼を満足させただろうか。
そしてもう一つ。あの火によって得た、不幸中の幸いがある。
それは、あの火種と炎が、まだ、ずっと、僕の背後で燦然と燃えているということ。僕はやっと、後戻りのできない現実に、実感を得たのだということ。
*
「おい、聖人。昼飯は。」
珍しく言い渡された休暇。やることもなく、支給された軍隊規格のMSCSを整備していた。ゼータは、十六人部屋の片隅に詰め込まれた僕に聞いた。みんなが出払った部屋の中、まだ食べていないと返した。
ゼータは、素揚げにされた川魚の骨を器用に楊枝で外して、手づかみでそれを頬張った。
「あぁ、ここは奢ってやるから好きなだけ食え。まだ成長期だろ。」
「あんたからすればな。もう成人していくらか経ってる。」
僕は、そのお言葉に甘えてステーキに刃を通した。血とも肉汁ともいえない色の液体があふれ出て、鉄板の上で忙しなく跳ねた。
「なんで、僕を誘ったんだ。一応幹部だろ。あんたも。」
「俺は暴力部門の幹部なんだ。それなのに、この足のせいで暴力は専門外。幹部連中にデカい顔はできねぇな。」
僕のステーキにまで手を伸ばしてきたからナイフを突き刺した。突き立てたナイフの刃先は、テーブルに阻まれて硬い感触に震えた。見れば、ゼータの手は無傷で僕のステーキをかすめ取り、咀嚼どころか既に嚥下されていた。
「お前には見所がある。わかるか、躊躇の無さだ。お前はいつでも、引き金が軽い。ただ頭のねじが外れてるだけのサイコ野郎か?違うな。それにしちゃあ行動が一貫しすぎてる。じゃあ何故行動が一貫している……?目的があるからだ。んじゃあ、目的とはなんだろうな。そう、それは、何かを殺すこと。もしくは、殺さないと成し得ないこと。
だからお前は、いつでも理屈で動いて、だが、理屈では考えられないほど残酷に引き金を引ける。」
「特殊部隊ではアナリストもやっていたのか。」
「あぁもちろんだ。あいつは銃口を向けられた瞬間にクソを漏らすとか、あの金髪の女は股に毒ガスよりも怖い菌を持ってるとかな。存外精度はいい。」
「冗談も大概にしろよジジイ。酔ってるのか……?」
同じ店の中に居る客に次々と指を指すゼータには、パブリックという概念が欠如しているらしい。戦場に置き忘れてきたのだろう。硬いステーキを呑み下して平らげた。
「お前、殺さなかったな。」
「……。」
「あの時俺は、殺していい、と言ったんだ。でも、お前は殺さなかった。お前の中で理屈があったんだろうな。こいつは殺さなくてもいい、と思うような理屈が。じゃなきゃ、お前のトリガーはあの時も軽かったはずだ。でも、殺さなかった。その理屈を、教えてくれよ。俺に。」
ゼータは僕の思考の間に店員を呼び止めて、ステーキをもう二枚注文した。ついでにコーヒーもオーダーしたから、僕も、と口を挟んだ。彼が酒を飲んでいるのは、見たことがなかった。
僕は、そんな一幕の間に、それらしい理由をでっちあげることができなかった。だから、洗いざらい吐いてしまうことにした。
「少なくとも、仲間、という識別子がつけられた個体を、殺したくないんだよ。」
「ほぉ……流石聖人だ。」
「聖人は人を殺さない。ただ、……僕の理想ってだけだ。あんたが認めたくないのもわかるよ。」
僕が食べなかった野菜を、ゼータは器用にかすめ取っていって、僕の皿が空になる。僕の前の皿を取り上げて、自分の皿に重ねる。それをウェイターに渡す間、一度たりともバランスを崩さなかった。片足がないという重心の歪についてを、既に心得ているのか、あるいは。
そんな、僕の人間観察仕草に、ゼータはしゃがれた声で低く笑った。
「あんたの足は、なんで落っことしてくることになったんだ。」
僕は、大して興味はなかったけれども聞いた。それで、少しでも彼の重心を崩せはしないかと思った。
しかし、ゼータは何の屈託もなく言った。
「躊躇したからだ。」
昔話は嫌いだな、と前置いてゼータは語った。
「部隊が敵に囲まれて、俺と、俺を手塩にかけて育ててくれた上官だけが生き残った。敵は銃を寄越して、戦って勝った方を生かしてやると言った。俺は躊躇った。俺の上官だった男は躊躇わなかった。俺はそこで足を撃たれた。」
「なんで生きてるんだ。辻褄が合わないな。実は亡霊なのか?あんた。」
「次は躊躇わなかったからだ。全員殺したさ。だが、後悔した。あの重いトリガーを引いたのは、間違いだったのか。そんな生娘みたいな女々しさを発揮して。
国に戻って、俺の足は腐っていくばかりだった。それは、俺の精神のメタファーだ。誰かのために振るわれる力は、そいつを腐らせていく。だから、切断した。
俺は、自分の躊躇いを、後悔を、アンピュテーションしたんだ。気分がよかったよ。それからは、自分のためだけに力を使った。俺は部下も撃ち殺せたし、生きていりゃあ両親だって殺せただろうな。それが、正解なんだよ。誰が相手であっても、どんな理由があっても、自分だけで引き金を引く。その理由を、誰に仮託したりもしない。」
「そうか。」
「誰かのためだとか、こいつは撃てないだとか、引き金の意思決定に他人が入り込んじまったらおしまいだ。それが躊躇いに代わり、その後は、よく知ってるだろう。」
破裂した頭部がフラッシュバックして、そんなタイミングでステーキが運ばれてきた。食えないことはなかった。
「力とは、自分のためだけに振るうものだ。だから俺は、それをお前たちに教えている。」
肉を喰らい、くだらない昔話をする。
ゼータは、たくわえた口髭についたステーキのソースをナプキンで拭って、煙草に火をつけた。
自分のためだけの、力。ただ、利己的に、理不尽に振るわれるべき力。それは、組織にとって、必ずしも有益だとは思えない。それはつまり、ある可能性についてを、容認してしまうことになる。
それについてを、なぁ、あんたは、忘れているわけじゃないんだろう?
「あんたはさ。」
「あぁ。」
「バルデリーニを、撃てるのか?」




