彼と彼女の話(2)
皇帝の補佐官という立場は宮廷の中では然程高くない。文官の中では上の方かもしれないが、所詮は使われる側だ。
ブライトン伯爵家の嫡男ともなれば、将来的には大臣か、あるいは宰相あたりの役職につくべきだろう。
フリードリヒが、妻が皇太子の乳母の任を解かれた後もずっとロイを城に置き続けたのは、彼が皇太子の懐に入り込み、将来的には要職に就いて中央で活躍できるようにと期待してのことだった。
けれど、蓋を開けてみればロイはいつまでも皇太子の友人であり、下僕のままだった。
仲が良いのは結構なことだが、これではただの馴れ合いだ。
フリードリヒは一向に出世する気配もなければその気もないロイに痺れを切らし、期限を設けた。
「期限は3年。アーノルドが皇帝になって3年以内に要職に就けなければ、家に戻れと言われてたんです」
汗ばむ陽気の中、国立図書館前広場の露店でアクセサリーを眺めながら、ロイは面倒臭そうにため息をこぼした。
そんな彼の隣には、淡い黄色のドレスを着た貴族令嬢らしい姿のエマがいた。
「だけど、僕はまだ家には戻りたくないんです。もう少し、せめて陛下の御子が社交界にデビューするまでは側で見守りたいと思ってて……」
「とりあえず期限を先延ばしするために交渉した結果、妻帯することを求められたと?」
「そうです。家に戻らないなら、せめてちゃんとした家のご令嬢と結婚して少しは親を安心させてくれと……」
「ちゃんとした家、となると最低でも子爵以上って感じですか?」
「はい」
「なるほど。だから急に、私にお見合い話が舞い込んだわけですか……、あ、これとかどうですか?」
「さすが、センスいいですね。これにします。……すみません、これください」
ロイは露店の店主にイリスの髪飾りをプレゼント用で包むようお願いした。
店主は明らかに隣の女には似合わない髪飾りを選ぶロイに訝しげな顔をしたが、すぐに可愛らしいラッピングをしてくれた。
「さて、次はどうします?」
「食料を調達します。夜のティータイム用のおやつがなくなったので」
「ああ、マーシャといつもやっているというアレですか」
「はい」
「だったら、あそこのお店のクッキーとか結構美味しいらしいですよ」
ロイはさりげなくエマをエスコートし、次の店に向かった。そのエスコートは思っていたよりもスマートで、やはり腐っても上流階級出身の男なのだなとエマは感心した。
「しかし、お見合いの話を持ちかけられた時は驚きました。ロイ様は私とマーシャを仲違いさせたいのかと思いましたよ」
「そんなわけないでしょう」
「まあ、私も親が結婚しろとうるさかったので、このお見合い話はありがたかったですけどね。これで『やっぱりダメだった。私に結婚は向いてない』って言えば、さすがに両親も諦めてくれるでしょう」
「それはよかった」
「そういえば、マーシャにはこのことをちゃんと話しているのですよね?今朝、めちゃくちゃ普通に見送られたんですけど」
「話していますよ」
「何か言ってましたか?」
「彼女は僕の事情を全部理解した上で、エマには絶対に迷惑はかけるなと言ってました」
「へぇ……、そうですか」
自分の恋人が他の女と見合いをするなんて、普通なら殴られるところだ。でもマーシャはそれを快く承諾したらしい。
いくら相手が信頼するエマであっても、なんの抗議もなくすんなりと受け入れるだなんてどう考えてもおかしい。
エマはロイの顔をジッと見つめて、フッと鼻で笑った。
「ちょっと、なんですかその笑みは」
「いえ、残念な人だなぁと」
「どういう意味ですか」
「ちょっとマーシャに甘えすぎじゃないですか?」
柔らかな口調とは裏腹に鋭い視線が向けられる。
ロイは咄嗟にエマから目を逸らした。
「堂々とマーシャを妻に迎えようと考えているって言えばいいのに」
「そんなこと言ったら、マーシャは潰されます」
「ブライトン伯爵に?」
「はい。父は何よりも血統を重んじるタイプなので……」
マーシャの父は先代の皇帝から騎士爵を授かったが、所詮は名誉爵位だ。マーシャはただの平民だし、彼女が今持っているものは皇后の護衛。皇后の側近という肩書きだけ。血統を重んじるフリードリヒが認めるはずもない。
そんな彼女との将来を考えているなんて言った日には、どんな手を使ってでも別れさせようとしてくるだろう。
「だから父にはマーシャとの将来は考えていない、って言ってるんです。じゃないと何をされるかわかりません。最悪の場合、騎士を辞めるよう追い込まれるかもしれない」
「そんなに恐ろしい人なんですか?宮廷内でお見かけした感じでは、とても優しそうなおじ様に見えましたけど」
「根っからの悪人ってわけではないです。でも腐っても旧世代の貴族なので、頭の中は元老院の奴らと大差ないですよ」
「へぇ、そうなのですか」
頭の固い人たちの相手をする苦労はシエナを間近で見てきたエマにもわかる。
だが、もしロイがシエナだったなら、きっとこんなやり方はしないだろう。こんなその場凌ぎにしかならない手段は使わない。
シエナなら、堂々とマーシャを妻にすると宣言しつつ、あらゆる手を使ってフリードリヒに彼女とのことを認めさせるに違いない。
それに……
(もし仮に、ブライトン伯爵がマーシャを潰そうとしても、そう簡単に潰れるわけないわ)
ただでさえ、マーシャは大人しく守られているようなタイプでないのに、彼女の後ろにはシエナがいる。
もしマーシャに手を出そうものなら、シエナはどんな手を使ってでもブライトン伯爵を潰しにかかるだろう。
(まあ、その場合はロイ様も一緒に潰されるのだろうけれど)
マーシャを守れないような男にマーシャはやれないとか言って。
エマはもう一度、ロイの顔を覗き込み、彼にもわかるように大きなため息をこぼした。
「な、何ですか。そのため息は」
「いえ、情けないなと思いまして」
「うるさいです。そんなこと、言われなくてもわかっています」
「そもそもの話なのですが、お見合いなんてしなくても、陛下に役職を与えて貰えば良いだけではありませんか?要職に就けば、お父上もとりあえずは納得なさるのでしょう?」
「それは……まあ、そうですけど。でも僕なんかが大臣とか……」
「別にロイ様なら大臣の地位についても不思議はないと思いますけど」
家柄と実績を考えれば次期宰相くらいのポジションにいても良いはずだ。エマがそう言うと、ロイは静かに首を横に振った。
「……そういうのはいいです」
「何故ですか?出世したくないんですか?」
「そうですね。出世はあんまり望んでないです」
「どうして?」
「……だ、だって、大臣とかになってしまうと、すぐ側で陛下を支えられないでしょう?何かあったときに僕自身が動けない」
補佐官という立場は激務だが、同時に宮廷内のいろんなしがらみに囚われることなく、仕事ができるという利点がある。それはつまり、アーノルドの命令さえあれば、彼の手足となって自由に動けるということ。
だが、大臣クラスになると今の距離感でアーノルドを支えることはできない。その立場上、適切な距離感で接さなければ宮廷内のバランスが崩れる。
そして何より、大臣になれば基本は自分では動けない。人を使う立場になる。それはロイにとってはとても窮屈なことだ。
「僕は陛下の一番近くで陛下の力になりたいと思っているのですよ」
ロイは少し恥ずかしそうに、けれどもハッキリと言い切った。
エマはそんな彼の話をどこか冷めた気持ちで聞いていた。
「ロイ様、一つ確認なんですが」
「はい、何ですか?」
「もしかして、陛下のこと好きなんですか?マーシャのことはカモフラージュなんですか?」
蔑みの眼差しで、一歩二歩と後ずさるエマ。
別に同性愛に偏見はないし、相手が既婚者でも想いを寄せる分には構わない。だが、友人の恋心をカモフラージュのために利用されるのは我慢ならない。エマは訝しげにそう告げた。
ロイはそんな彼女に渋面を向けた。
「何言ってるんですか?そんなわけないでしょう?」
「冗談ですよ。本気で受け取らないでください」
「いや、絶対本気だったでしょう」
「半分くらいです」
「半分は本気だったんだ……。妙な勘違いはやめてください。あとその話、絶対にシエナ様にしちゃダメですよ」
「しませんよ、多分」
「多分って。信用ならないな」
きっとエマはうっかりを装って、今日のことをシエナに話すつもりだろう。
シエナには家のことも、偽装お見合いのこともまだ話していないのに。知られたら、一体何を言われることやら。
ロイはブルっと体を震わせた。風邪でもないのに寒気がする。
「それにしても、ロイ様はわがままですねー」
「何が?」
「だって、何も手放したくないんでしょう?」
マーシャの恋人という立場も、アーノルドの補佐官という立場も、次期ブライトン伯爵という立場も。
全部手に入れたいから、全部曖昧にして、こんなその場凌ぎのお見合いなんてしているのだ。
目的地の菓子屋の手前で、エマは不意に足を止めた。
「次は誰とお見合いするつもりなんです?」
「……それは」
「結婚する気もない相手と、カモフラージュのためだけのお見合いをしてくれる未婚の令嬢なんてそうそう見つかりませんよ。だって年頃の令嬢はみんな、より良い結婚相手を探すのに必死だもの」
「わかってるよ……」
「こんなその場凌ぎなことしてても、何も解決しないわ。きっとお父上は近いうちに大量のお見合い写真を持ってくることでしょうね」
「……」
「ロイ様、全部手に入れようなんて考えちゃダメですよ」
「わ、わかってるよ。そんなこと……」
「なら良いんですけど」
「大丈夫だよ。ちゃんと、わかってる……」
「はぁ……。ねぇ、ロイ様?」
「……なんだよ」
「私ね、何も捨てることができない奴は、結局は何も手にすることなんてできないって思っているんです」
エマはシエナの側に居続けるために恋することを捨てた。結婚する道も捨てた。彼女はいつだって、簡単そうにそのことを話すけれど、きっと簡単に決めたわけではない。世間の目や両親の面子。貴族の娘としての葛藤は少なからずあったはずだ。
それでもエマは自分で考え、自分で決断をして、行動した。自分でちゃんと選んだのだ。
ロイのように、その場凌ぎで誤魔化したりなんてしなかった。
経験則から出たエマの言葉が、ロイにはとても重く聞こえる。
「ロイ様は将来のこと、もう少しちゃんと考えたほうがいいですよ」
真っ当な指摘にロイは何も言えなかった。
*
カフェを出たマーシャは、少し歩いたところにある国立図書館前の広場を背に、ショーウィンドウに映る自分を見てぼーっとしていた。
その姿はいつもの凛とした女騎士の姿ではなかった。
「はっ……、似合わないな」
今日の服装はいつもの騎士服にブーツではなく、慣れない淡い黄色の花柄ワンピースにハイヒール。勤務中は絶対につけないイヤリングやネックレスまでして、いつもよりも丁寧に化粧だってして来た。
それなのに、なぜだろう。ショーウィンドウに映る自分は、ひどく惨めに見えた。
(……当たり前か)
見様見真似で外見を装ったところで無駄だ。だってマーシャは丸く可愛い目も、ぷっくりとした唇も、柔らかな髪も体も持っていない。
あるのは彼より高い身長と、余分な脂肪のない筋肉質な体と、剣ダコが出来た女らしくない手。そして可愛いドレスより騎士服が似合うキツい顔。
どう見たって名家の跡取りに相応しい女ではない。花よりも剣が似合う女は彼の隣にはふさわしくない。
マーシャはショーウィンドウに映り込む背後の景色を確認し、広場の方を振り返った。そして寂しげに目を細め、宮殿の方へと歩いていくひと組のカップルの背中をジッと見つめた。
「そういえば今日、お見合いするって言ってたっけ」
カモフラージュのためのお見合い。だから別に二人の間には何もない。それはその絶妙な距離感で歩く後ろ姿からも明白だ。
けれど、それでも今日は二人を正面から直視できそうにない。そうできるほど、マーシャの心は強くない。
「……聞いてはいたけど、結構痛いな」
慣れないヒールを履いたせいで靴擦れが痛い。マーシャはもう少し休んでから帰ろうと、行きつけの酒場に向かった。
「何時に帰ろうかな。できればエマが眠ってからがいいな」
エマに罪はない。だがさすがに、今日は彼女の顔を見たくない。




