彼と彼女の話(3)
どこか好きなのか、と問われるとすぐには出てこない。
顔はまあまあ良いが、あのアーノルドの隣に立つと霞むくらいだし、頭は良いが頼りないし、情けないし、何よりも恋人より仕事優先するし。そう考えると、ロイ・フェローズは恋人としては不足がありすぎる男だ。
でも、そんな男でもマーシャは好きだった。
彼の将来を想い、身を引くくらいには大好きだった。
*
マーシャが小切手を受け取って2日後。彼女は唐突に別れを告げた。
動揺するロイは必死に平常心を保ち、「理由は?」と聞いた。
するとマーシャは口元に笑みを貼り付けて、「好きじゃなくなったので」と返した。
それは誰が見てもわかる、明らかな嘘だった。けれど、マーシャは揺るぎない瞳でハッキリと告げた。
嫌だ、別れたくない。僕はまだ好きだ。
ロイは反射的に別れを拒んだ。だが、マーシャは「もう決めた事なので」と彼を突き放す。それは以前、振られたのかどうかわからずヤキモキしていた時とは違う、明確な意思表示。
結局、マーシャは呆然と立ち尽くすロイに、「これからはただの同僚としてよろしくお願いします」と冷たく言い放ち、その場を去った。
ロイの手には行き場を無くしたイリスの髪飾りだけが残った。
「振られた心当たりは?」
皇帝の執務室で珍しく仕事を放棄して机に突っ伏す側近に、アーノルドは呆れたようにため息をこぼした。
イリスの髪飾りを握りしめたまま、メソメソとする彼はとても情けなく見える。
「それが、心当たりが多すぎて……」
デートをすっぽかした数は既に両手では足りないほどで、情報収集のために会っていた歌姫オリビアとは熱愛報道が出て、数日前にはエマとお見合いをした。
「……振られる要素盛りだくさんだな」
どれも事情があってのことだし、マーシャはその度に許してくれていたが、いざ言葉にすると振られてもおかしくないことをしてきている。
アーノルドは自分のことを棚に上げて「最低だな」と思った。
「そもそも、僕なんてマーシャみたいな女性には不釣り合いだったんです」
凛とした面差しが若い貴族令嬢に人気の麗しの女騎士。あの皇后シエナに重用されるほど有能で、美人で、スタイルも良くて。それでいて内面は実は少し乙女な部分も併せ持つ。マーシャは誰が見ても素敵な女性だ。
対するロイはどうだろう。燻んだ金髪に、どこにでもある青い瞳。ちょっと化粧をしただけで女に化けることができてしまう残念な顔面。そして男にしては小柄な体。
勇ましさなどまるで皆無だ。マーシャと並んで歩いていると、何かあった時に守ってもらうのは彼女ではなく彼の方だと誰が見てもわかる。
「僕にあるのは家柄だけです」
それだって、自分のものじゃない。
自分の力だけでシエナの側近となったマーシャとは違い、ロイは与えられた環境に身を置いているだけだ。
別にそれが嫌だと思ったことは一度もないが、彼女と比べるとどうしても自分が情けなく思えてしまう。
ロイはイリスの髪飾りを引き出しにしまい、大きなため息をこぼした。
「自分の力で道を切り開くのも才能だが、置かれた環境で最大限の力を発揮するのもまた才能だと思うがな」
珍しく卑屈になっているロイにアーノルドは仕方がないな、と肩をすくめた。
「これは俺の勝手な予想だけどな、マーシャは不安だったんじゃないか?」
「不安?」
「だってお前、父親にマーシャとの将来は考えてないって言ってるんだろう?」
「そ、それはそう言っておかないとどうなるかわからないからで……」
「いや、お前の事情はわかってるよ。でもそれを言われた側はどうだ?頭では仕方がないと理解していても、不安にならないか?この男は自分との将来についてどう考えているんだろうって」
「それは……」
「実際、俺もわからない。お前がマーシャとのことをどう考えているのか」
親の反対を押し切って結婚しようとしているようにも見えなければ、このまま素直に別れを受け入れるとも思えない。
アーノルドはロイの机に浅く腰掛け、彼の頭を軽くこづいた。
まるで、「なんでも話してみろ」とでも言いたげな
目をしてこちらを見下ろすアーノルドに、ロイはついうっかり、本音をこぼした。
「結婚は……、正直に言うとあんまり考えていないです」
「そっか……」
「でも死ぬまで一緒にいたいとは思ってます」
「……………………ん?」
「僕はね、騎士のマーシャが好きなんですよ」
ロイは椅子の背もたれに体を預け、天井を見上げたまま静かに目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのはいつも同じ、屈強な男たちにまざって剣を振るうマーシャの姿。
流れる汗はキラキラと輝いていて、化粧っけのない横顔はとても凛々しくて。自分よりも大きな相手から一本取ってやった時に見せるしたり顔なんて、最高に……。
「……カッコ良くないですか?」
顔を覆い、乙女のように頬を赤らめる幼馴染に、アーノルドはどう反応を返すのが正解なのかわからない。
自分の女の趣味も大概だが、こいつも大概どうかしている。
「初めはただの同僚だったんです。でも、いつだったか騎士団の鍛錬を見学した日から僕はおかしくなりました。その時に見た剣を振るうマーシャの姿が頭に焼き付いて離れなくて、そしたら自然と彼女を目で追うようになっていて、気がつくと告白していました」
「……お前、それ自分で言ってて恥ずかしくないか?」
「めちゃくちゃ恥ずかしいです」
「奇遇だな。俺も聞いていて恥ずかしい」
なんでも話せ、とは思っていたがまさか惚気話をされるとは思っていなかった。アーノルドはやはりどう反応すべきなのかわからず、とりあえず適当に「ふーん」と相槌を打った。
生暖かい目でこちらを見下ろすアーノルドの視線に耐えかねたロイは気を取り直し、コホンと咳払いをして空気を変える。
「ま、まあ、つまり何が言いたいのかというと、僕と結婚するということはマーシャから剣を奪うことになるってことです」
ロイと結婚するということは即ち、次期ブライトン伯爵夫人になるということだ。そうなれば当然、今の仕事はやめねばならない。
結婚後のマーシャはきっと、慣れないドレスを着て、シエナのように社交会という戦場で微笑みと教養を武器に戦うようになるだろう。
だがその戦場はどう考えても彼女にふさわしくない。
「つまりお前は、マーシャにはずっと騎士でいてほしいから結婚はできないと?」
「まあ、端的に言うと……」
「でもお前の立場で結婚しないなんてあり得ないだろ?マーシャを愛人にでもするつもりか?」
「そんなわけないでしょう。貴方と一緒にしないでください」
「おいこら、一言多いぞ。アメリ」
「アメリじゃないです、次その名前で読んだら怒りますからね」
「お前が怒っても大して怖くない」
「はい、もう怒った。シエナ様に言い付けてやる」
「言いつけたところで、冷めた目で『だから?』って言われるだけだぞ」
「ははっ。間違いない」
「というかお前、その話はマーシャにしたのか?」
「……………し、してません」
「俺が言うのもおかしな話だが、言わなきゃ伝わらないぞ」
「本当にどの口が言ってんだって話ですね」
「経験者の助言は聞いておくもんだ」
アーノルドは大きく背伸びをして、執務室の窓を開けた。
外からは庭園を散歩するシエナとマーシャの姿が見えた。
「とりあえず、一度ちゃんと話し合えよ」
「わかってますよ」
外から聞こえる彼女の声に耳を澄ませ、ロイは自嘲するように小さく笑った。
「『何も捨てることができない奴は、結局は何も手にすることができない』、か」
この間のエマの言葉がずっと心に引っかかっている。




