彼と彼女の話(1)
電子書籍の発売記念に、ロイとマーシャのお話を書きました。
本当はもう少しコンパクトにまとめる予定だったのですが、結構ガッツリ書いてしまいました(笑)
告白はロイの方からだった。
仕事で2日ほど徹夜した次の日の朝。目の下にくっきりとクマを作り、やや血走った目で、人目も憚らず大声でひと言。『好きだから付き合ってくれ』と彼は言った。
場所が朝の忙しい時間帯の廊下だったため、このシンプルすぎる告白は多くの人が知ることとなった。
だから、麗しの女騎士と皇帝の最側近の交際は公然の事実となった。
皆、二人のことを凸凹だがお似合いのカップルだと祝福した。
けれど誰も、名門ブライトン伯爵家の次期当主夫人はマーシャ・ランドルフで決まりだ、とは思わなかった。
だって、身分が違いすぎるから。
*
とある夏の日、夕陽が街を赤く染める頃。国立図書館近くに新しくできた話題のカフェ。そこのテラス席でのこと。
ブライトン伯爵家当主フリードリヒに呼び出されたマーシャは、神妙な面持ちで探るようにこちらを見つめる、ダンディなイケオジに困惑するしかなかった。
「あ、あの。話とは何でしょうか……?」
「実は相談したいことがあってね」
「相談……とは、もしかしてご子息のことでしょうか」
「おお。さすがだ。話が早いね」
「いえ……」
この人と話すことなど、ロイのこと以外にない。
(相談、か……)
マーシャは相談とやらの内容が何であるのか薄々気づいている。だから、少し寂しそうに笑った。
フリードリヒはそんな彼女に対し、申し訳なさそうに白紙の小切手を差し出した。
「……それは手切れ金、というやつですか?」
「どうか、うちの愚息と別れてもらえないだろうか」
一介の騎士如きに深々と頭を下げるフリードリヒ。
彼が身に纏う。幸の薄そうな雰囲気はどことなくロイに似ていた。
きっと気苦労が絶えないのだろう。目の下のクマがすごい。パッと見た感じは口髭を生やしたダンディなこのおじさまなのに残念だ。
マーシャはロイの未来の姿を見た気がした。
(そういえば最近、父親が家に戻ってこいとうるさいって愚痴ってたな)
マーシャの恋人、ロイ・フェローズは次期ブライトン伯爵だ。広大な領地を預かる名門一族の当主となる男。帝国民を守る以前に、自分の民を守らねばならない。
目の前の現伯爵の年齢を考えれば、そろそろ正式に後継者として振る舞い始めても良い頃合いだろう。いや、むしろ遅いくらいかもしれない。
マーシャはもう潮時なのだなと悟った。
「ああ、勘違いしないでくれ。別に君に不足があるわけではないのだよ、ランドルフ卿」
自分を見つめたまま、ボーッとするマーシャにフリードリヒは慌てて言葉を付け加えた。
「君があの皇后陛下に重用されるほどの優秀な女性だということはわかっている。うちの愚息には勿体無いくらいだ」
「ありがとうございます。でも……、不足はあるでしょう?」
「どういう意味かね」
「だって私には身分が足りていないもの」
マーシャは困ったように眉尻を下げた。
その笑みにフリードリヒは心が抉られる。
名家の当主として間違った事をしているつもりはないが、心苦しい。
「……すまない」
「いいえ、当然のことです。彼は未来のブライトン伯爵ですもの」
「君はそれをわかっていながら、素直に身を引けるのか。すごいな」
「すごくなんてないですよ。だって、私は初めから彼と結婚できるだなんて思っていませんから」
「そうか。やはり君は聡明だ。皇后陛下が重宝するのも理解できる」
普通なら、地位も金も名誉も揃っている家に嫁げるチャンスには意地でもしがみつくだろう。
だがマーシャは、そんな物には興味がないとでも言うかのようにロイとの関係をすんなりと諦めた。
これはロイ本人を見て好きになった証拠だ。
フリードリヒはそんな女性に出会えた息子は幸運だと思うと同時に、彼女に身分さえあればと惜しがった。
「本当に申し訳ない」
「やめてくださいよ。そんなに謝られたら、私だって気が変わってしまいそうです」
「それは、困る……」
「ふふっ。でしょう?……ところで、伯爵様。これって本当に好きな金額書いていいんですか?」
「もちろん。構わないよ」
「では、このくらいでどうでしょう?」
マーシャは躊躇することなく、郊外に立派なお屋敷が買えるくらいの額を小切手に書いた。
あまりの図々しさにフロードリヒは目を丸くした。
「……ち、ちゃっかりしているね」
「貰えるものはもらっておかないと」
「そうだね。お金はいくらあってもいいからね」
「それに、こういうものはちゃんともらっておいた方が後腐れがなくていいでしょう?」
「なるほど。確かにそうかもしれない」
お金を受け取ってしまえば、もう後戻りはできない。いくら未練があっても断ち切るしかない。
実に潔いお嬢さんだ、とフリードリヒは感心した。
「ところで伯爵様」
「何かな?」
「ここのカフェも伯爵様持ちってことで構いませんか?」
「元々そのつもりだよ」
「ではやけ食いしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わないよ。私はもう行くけれど、好きなだけ頼みたまえ」
「ありがとうございます。実はここのレモンパイは絶品だと聞いていたので、いつか食べてみたかったのです」
「ここはフルーツタルトも中々に美味だよ。皇太后様のお茶会にも献上されていたくらいだから」
「ではそちらも頂きましょう」
「いいよ。たくさん食べるといい」
フロードリヒは目配せをしてウェイターを呼び、メニューを持ってこさせた。
マーシャは俯き、ウェイターが持ってきたメニューを眺めた。
なぜだか、メニュー表に滴が落ちる。
「会計は私につけておくよう言ってあるから」
「ありがとうございます」
「では、先に失礼するよ」
「はい……」
空気を読んだフリードリヒは新品のハンカチをテーブルに置いて、店を出た。
まっさらな女物のハンカチを事前に用意しておくなど、意外と抜かりない男だ。
「スマートさの有無がロイ様との決定的な違いね」
マーシャは渡されたハンカチには手を伸ばさず、自分が持ってきていた桃色のハンカチで静かに目元を拭いた。
そして鼻を啜り、大きく深呼吸をしてゆっくりと顔を上げた。
「今日はやけ食いだな」
陽が沈みかけ、人が少なくなってきたカフェのテラス席。
夕陽を背にケーキを二つ頬張る。
本当は甘いものは苦手なのだけれど、悔しいからこの日はケーキは残さず全部平らげた。
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