第30話
なにがなんだかわけがわからなかった。
私はただこの二人が中林になにかちょっかいでもするのではないかと思い無理矢理ここに来ただけなに、意味不明な出来事が次々と起こっていた。
しゃべるウサギ、倒れている中林、割れた酒瓶、象、狼、牛……そして二人は倒れてしまっている。中林の兄に椅子で殴られたからだ。
「なんなんだよ、おい……」
私はさっきあの男をぶん殴った。純粋に許せないと思ったからだ。たった一人の妹を傷つけて、心の中にあるなにかがプツンと切れて、体が勝手に動き出した。
だが私の身体はふるふると震えている。殺されるのではないかという恐怖が体中を駆け巡ってくる。
「おいあんた! 何してるんだ逃げるぞ!」
下を向くとウサギが叫んでいた。そうだ、速く中林を病院に連れて行かねぇと。だらだらと血を流している中林をこのままにはしておけない。私はすぐに玄関に向かおうとしたが、急に体が重くなった。
「どこに行こうというんだ?」
膝が床についてしまい一歩も動けない状態になってしまう。
「てめぇ! 邪魔するんじゃウギャ!」
ウサギも急に顔面を床に思い切り叩きつけた。いや、叩きつけられたというべきか。私と同じように急に体が重くなってしまったのだろう。
「よ、よせ……このままじゃお前の妹死んじまうぞ」
「別にいいさ。俺にとって邪魔な存在なんだ」
「てめぇ! 自己中も大概にしろよ!」
「うるせぇな。そんなに言うなら俺の言うことを聞きやがれ!」
「…………」
今この状況で中林を助けるにはこのクソ兄貴の言うことを聞くしかないようだ。私は動きにくい状態のまま静かに中林を寝かせる。
「素直だな」
すると体の重みが急になくなった。今なら反撃できるかもしれないが……
「反抗的なことはするなよ。もししたらお前の身体を押しつぶす」
私は静かに頷いた。その後すぐに頬を殴られた。
「さっきはよくもやってくれたな! これはお返しだ!」
床に倒され横にされた後、何度も体を蹴られてしまう。腕、腹、足といった色んな箇所を女相手だろうと容赦なく蹴り続ける。そんなゲス野郎に対して私はただ耐えることだけを考えた。
かつて私の兄が私をそうしてくれたように。
◆
小さい頃は弱虫だった。
背が小さくて、何をするにも後ろからドベに近かった私はよくいじめられていた。
「やーい! 弱虫せーら!」
弱虫せーら。それが昔のあだ名だった。
幼稚園の男の子たちから毛虫を投げられたりおもちゃを取り上げられたりされていた。
そんな時、私が悲しい思いをしている時に助けてくれるヒーローがいた。
「コラー! 妹をいじめるなー!」
かっこいい男の声。それは私の兄の声だった。
「大丈夫か? 兄ちゃんが来たからもう安心だぞ」
五つ上の兄はイジメれている私をよく助けてくれた。
だけど喧嘩は全然強くなかった。殴られるばかりで反撃なんてしなかった。
「どうしてやりかえさないの?」
私はそんな兄の姿を見たくなかったのか、そんな質問をしたことがある。その時返ってきた言葉は今でもよく覚えている。
「兄ちゃんは本気になったら強いからな。やり返しすぎて相手を泣かせちゃダメだろ?」
「だけどそれじゃあおにいちゃんがいたいのばっかりだよ?」
「ん? あんなの痛いのうちに入らないよ。本当に痛いってことは、大切なものを失った時さ」
「たいせつなもの?」
「ああ。兄ちゃんな、昔よく遊んでいたおもちゃがあったんだけど、どこかになくしたことがあったんだ。もう見つからないんじゃないかって思ってすごく悲しかった。もう二度と同じ思いはしたくない。体の傷はそのうち治るけど、大切なものをなくした時の心の傷は、けっこうしんどいからな~」
その時の兄の言葉の意味を理解できなかった。だけどなんとなくかっこいいことを言っていることはなんとなくわかった。
そんな言葉を聞いた数日後に、事件は起きた。
兄が死んだ。
死因は原因不明の焼死だった。河川敷近くで遺体は発見された。
あまりにも無残な姿なので、子供の私は兄の最期の姿を見ることができなかった。
大好きな兄、いつも助けてくれる兄、大切なことを教えてくれた兄。
そんなかけがえのない存在が、昨日まで一緒にいた家族がこの世から消えた。
胸の奥がズキズキした。息が荒くなり涙が次々と溢れてくる。
そうか、これが大切なものを失う心の傷なのだろうとその時初めて理解した。
こうして私の自慢のヒーローがいなくなったことで、いじめから守ってくれる存在はいなくなってしまった。だから私は強くなることにした。
誰にもイジメられないように力をつけた。そうしているうちに周りからスケバンと呼ばれるようになり周りから恐怖されるようになってしまった。
兄とは違う人間になってしまっていることは自覚している。口が悪く、他人を威嚇して脅すような人間になってしまったことを天国にいる兄は軽蔑するだろう。
だけど、昔の私のようにか弱い人がいて、その人がひどい目にあっていることを知りながら、その人を見て見ぬふりをするほど落ちぶれてはない。
兄が私を助けてくれたように、今度は私が誰かを助けるんだ。
私はそれを信念に生きるようにした。
◆
(もっと私に……力があれば……)
クソ男の蹴りは未だに止まらない。骨に何度も衝撃が入って所々痛みが走る。
うっすらと目を開けて細い視界に移る中林を見る。
中林だけではない。ここで中林が暴力を振るわれていることを知っていて駆けつけた矢崎と井下、それと不思議なウサギ……
こいつらも不思議な力で戦ってくれた。中林を守るために。
(くそ……私も、私もこいつらと似たような力があれば……)
ずいぶんと苦しそうだな、ならば手を伸ばすがいい。
突然頭の中に声が響いた。男でもない女でもない不思議な声だった。
手を伸ばす? なんでそんなことをする必要があるのか? その答えはすぐに見つかった。
私の目線の先の床の上には、さっきまでなかった一枚のカードが落ちていたのだ。
(あれを手に入れろってことなのか?)
体中が痛むが、一か八かあのカードに向かって手を伸ばしてみる。
「何しているんだ!」
伸ばしかけた手を勢いよく踏みつけられてしまった。
「ぐぅ! 離し、やがれぇ!」
悲鳴を上げている体を振り絞って私は体を回転させ足払いさせた。
転倒しているうちに私はカードに向かって勢いよく飛び込んだ。
「こ、これは……」
そのカードにはモンスターの絵が描かれていた。小学生の男子が好んでやるようなトレーティングカードゲームのようだった。
しかしこれを手にした瞬間、これはおもちゃの類でないことを私は一瞬で理解した。
「なるほど、そういうことか。こいつはいい!」
すぐさま私はそのカードを天井に掲げた。こいつを召喚するために!
「ヨルムンガルドォォォォォ!」「ガルドォォォォォ!」
室内に響く咆哮と共にカードの中から現れたのは蜷局を巻いている一体の大蛇だった。
「な、なんだこいつは!?」
「教えてやるよ。こいつは私のビースト。蛇のビースト・ヨルムンガルドだ!」




