第一章第七話「ただいま」
ローズの仕事に付き添い、イリアは王都の時計台に来ていた。ここは国のシンボルであり、歴史ある建造物……というだけではない。その地下には、国内に結界を張るための結界石が設置されているらしい。
淡く光る結界石に彼女が手を触れると、それはたちまちキラキラと輝き始めた。魔力が十分に行き渡った証拠だ。
「……お試し期間も、あと三日で終わりなのね。イリア君は……私の派閥に入る気はないんでしょ?」
寂しそうに俯くローズを見て、イリアは申し訳ない気持ちになった。
「すみません。でも、ここが嫌ってわけではなくて……僕は、リズさんに少しでも近づきたいんです。だから……」
「……いいのよ。あなたが誰を選んでも、私がイリア君にしてあげることは変わらないわ……町のお手伝いは、きちんとやっているの……?」
ローズは、穏やかな笑みを浮かべた。数日前から、ローズは少しずつ変わっている気がする。言うなれば、棘にやすりをかけたような感じだ。
それでもたまに殺伐とした笑みを浮かべたり、目が覚めると瞼を極限まで見開いてイリアを覗き込んでいるというホラーな出来事はあったのだが、それもまた彼女らしさだろう。
「はい。今日も行くつもりです」
ローズと別れた後に、イリアは一人で町に向かった。最初こそ茨の魔女の手下だのなんだの言われ放題だったが、手伝いをする中で少しずつその印象も変わってきている。
町の人と話して分かったのは、ローズにありもしない噂が付け加えられていることだった。子供を集めているのは人体実験のためだとか、気に入った相手の動向は何でも知っているだとか……これはあり得そうではあるが、誇張されているのは確かだ。
「兄ちゃん!こっちも手伝ってくれ」
果物が大量に入った積荷を手に抱えると、出店の前まで運んでいく。躓いて箱のリンゴがこぼれ落ちそうになった瞬間、重かったはずの箱がとても軽くなった。
しっかりと箱を支え直して周りを見渡すと、路地裏からほんのり赤毛がはみ出している。人目を盗んで路地裏に入っていくと、案の定、別れたはずのローズがちょこんと地面に座っていた。
「……あなたが嫌な思いをしていないか見にきたの。私は、あまり良い印象を持たれていないみたいだから……ごめんなさいね、勝手に……」
「みんな良くしてくれてるので、安心してください」
イリアは向かい側に腰掛けると、小さく丸まっているローズを見つめる。しばらくすると、ローズの視線がこちらに向けられた。
「……この町には、少しだけ思い入れがあるの。上手くやれているようで、安心したわ。……私は戻るわね。頑張って……」
ローズが転移魔法でその場を後にするのを見届けて、イリアは一つの決意をした。
ローズのことを知ってもらうには、噂を否定するだけでは足りない。もっと、彼女が何をしてきたのかを知ってもらう必要があるのだ。町の人たちに関係する出来事を一つずつ並べていけば、ローズ本来の姿を知ってもらえるかもしれない。だったら、それをみんなに見てもらえる形にすればいい。
路地裏から戻ると、子供たちに見せる紙芝居の準備をしているご老人に声をかける。
「……紙芝居を作ってもらうことはできますか?」
老人はイリアの服装に目を向けた後、穏やかに微笑んだ。
「どんなお話がいいんだい?」
それからは大忙しだった。町の人々に声をかけたり、ご老人が絵を描いてくれている合間に紙芝居を読み聞かせたり、いつも以上にせっせと働いた。
「なぁ、兄ちゃん。気持ちは分かるが、明後日までに全員の認識を変えるのはさすがに難しいんじゃねぇか?」
果物を売っている強面の男性が申し訳なさそうにイリアの顔を覗き込んだ。イリアは彼の顔をじっと見つめると、ゆっくり口を開く。
「明後日までに全員……とは僕も思ってないです。ただ、少しでも多くの人に知って欲しくて。当日は、よろしくお願いしますね」
「あぁ……つっても、やっぱ緊張するなぁ。ちゃんと近くで見ててくれよ」
「もちろん。そのつもりですよ」
次の日も、イリアは町を訪れた。ローズは屋敷でゆっくり過ごすことを勧めてきたが、イリアは最後の仕上げを見守りたかった。
紙芝居を見に行くと、さっそく新しい物語が読み聞かせられていた。子供たち以外にも、複数の大人が足を止めて物語に聞き入っている。
読み聞かせが終わってしばらくしてから、イリアはご老人に声をかけた。
「……一日で作ってくださるとは思っていませんでした。本当に、ありがとうございます」
「今は息子に店を譲ってのんびり紙芝居でも作っているけど、あのお嬢さんはうちの花屋の常連さんでね。売れ行きが良くない時も、あの子だけは足を運んでくれていた。恩を少しでも返せたなら良かったよ」
彼の穏やかな笑顔を見て、イリアは心が温かくなった。やはり、ローズはもっと正当に見られるべきなのだ。そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。
もう少し手伝いをして回ってから、イリアは屋敷に戻ってきた。子供たちがイリアを出迎えるが、背後に熱烈な視線を感じる。振り返ってみると、ローズがイリアを覗き込んでいた。
「……お帰りなさい。少し……いいかしら。明日になったら、返したくなくなっちゃう気がするから……」
ローズについて行くと、庭にある小さなベンチに腰掛けた。イリアはその横に失礼すると、何の話が待っているのかとローズを見つめる。
「……十一魔賢のお仕事は、人によって割り振りがかなり違うの。私は町の見回りと結界の調整が主だけれど、これは優しい方……あなたは、自ら危険に向かっている。若い子が多いのは、入れ替わりが激しいからなのよ……そのことを、胸に刻んでおきなさい」
「……はい」
ローズは腰のポシェットからネックレスを取り出すと、イリアの手のひらにのせた。不透明な赤い石に、イリアの顔が映り込む。
「……お守り。どこにいても、私が守ってあげるわ……」
「……? ありがとうございます」
夕食の時間、イリアがネックレスをつけているところを見て、ローズは満足そうにしていた。子供たちが、互いに顔を見合わせてネックレスに目を向けている。
不思議に思って見てみると、子供たちの首元にも同じものがかけられていた。
──お揃いだ。
そんなことを思い起こしながら穏やかな気持ちでベッドに入ると、すぐに瞼が重くなっていった。
翌朝、イリアは町の見回りに行く準備を整えた。ローズが呼びに来る前に全て支度を済ませて待っていると、あまりの気合いの入りようにローズは首を傾げた。
いつものように町に足を踏み入れたローズは違和感に気がついたのか、前に進もうとしない。イリアが彼女の手を引っ張って行くと、予定通りみんなが集まっていた。
彼らは最初こそ緊張しているようだったが、イリアとアイコンタクトを取ると、こくりと頷く。
「前、うちの商品を届けに来てくれたことがあっただろ? あの時は何が何だか分からなかったけど、盗まれた商品をあんたが取り返してきてくれてたことを今更知ったんだ。今まで、怖がっちまってすまなかった……」
「娘が迷子になった時に助けてくれて、ありがとうございました。噂を信じて失礼な態度を取ってしまったこと、本当にごめんなさいね」
「お嬢さん、いつもうちのお花を買ってくれてありがとう。あなたを怖がる阿呆な息子だけど、これからもひいきにしてくれたら嬉しいよ」
唖然としているローズを横目に、イリアは口を開いた。
「町の人たちのお手伝いを始めてから、思ったんです。変な噂が広まったままなのは嫌だなって」
「……私は、当然のことをしただけよ……」
「あんたからしたら当然のことかもしれないけど、誰にでもできることじゃあない。本当に、ありがとうよ。魔女様のおかげで、俺たちは商売できてんだ。それに、この町が平和でいられてる」
町の人の笑顔を見て、ローズの茨のような髪がふわふわと広がる。
イリアの頭を何度も何度も優しく撫でたローズは、町の人たちに頭を下げ、その場を離れた。
「……私に優しくしても、いいことないわよ……」
ローズが恥ずかしそうに赤らめる頬を髪で隠しながら、イリアを見つめた。
「僕が嫌だっただけですよ」
「……やっぱり、手放すのが惜しいわ。永遠に私の子供でいてくれたらいいのに……」
わりと真剣なトーンに、イリアは真顔になった。
「……冗談よ」
そんな気の抜けた時間を過ごし、その日は帰ってからも子供たちのお世話をしたりした。
──ついに、一週間が終わった
屋敷の前までローズが見送りについてくると、見知った人影が待っていた。
「……リズちゃん。あなた、健気なのね……そういうところも、とっても可愛らしいと思うわ……」
ローズが気味の悪い笑みを浮かべると、リズは彼女から数歩距離を置いた。
「……ありがとう。ローズは何というか、お世辞が上手だよね」
ローズは首を傾げたが、リズは顔を歪めていた。
「……イリア君。また、近いうちに会いたいわ……じゃあね」
ローズがイリアの頭を撫でるのを見て、リズはとんでもないものを見るような表情を浮かべた。ついでにリズも頭を撫でられていたが、驚きが大きかったのか微動だにしない。
屋敷の外に出ると、リズは大きく深呼吸した。
「……普通に返してもらえると思ってなかったからびっくりしちゃった。イリア君、ローズを手懐けるなんて凄いね」
「そういうのじゃないよ。最初は心配だったけど、結構いい人だったし、楽しかった」
あの濃厚な日々を思い出して微笑むと、リズはイリアの頬を人差し指で押した。イリアがリズに視線を向けるが、彼女は俯いている。
「……私より、ローズの方が良かった?イリア君、前よりすっきりした顔してたから」
リズは足を止めると、イリアの瞳を見つめた。
「僕が今ここにいるのは、リズさんのおかげだよ。ローズさんも僕に色々なことを教えてくれたけど、僕が前を向けるのは君がいるからだと思う」
「兄ちゃん!二股はダメだぞ〜」
酒場の外に座り込んでいた酔っ払いにそんなことを言われて、イリアは盛大な誤解をされていることに気がついた。リズの手を取ってその場を離れると、焦ったからか息切れがひどい。
「……どうしたの?」
平然としているリズを見て、イリアは何だか恥ずかしい気持ちになってきた。
ぎゅっと掴んでいる彼女の手を咄嗟に離すと、目を逸らしてしまう。
「ごっ、ごめん。ここまで無理やり引っ張ってきちゃって」
リズがイリアの服の裾を引っ張ると、ゆっくりと口を開いた。
「帰ろっか」
それからは、ずっと静かだった。一言も話さずリズの家に戻ると、彼女が振り返る。
「お帰りなさい。さっきは言いそびれちゃったけど、髪似合ってるよ」
待っていてくれる人がいるというのは、とても温かいことなのだと思った。
「ただいま」
──二つの家は、イリアに帰る場所があるということを教えてくれたのだった。
Xの方でもお知らせしましたが、プロローグの追加+1〜3話を改稿いたしました!
物語の大筋に変更はありませんが、すでに読んでくださっている方も、お時間がありましたらぜひお目通しいただけると幸いです!
よろしくお願いいたします!




