第一章第五話「猟奇的な母性」
張り詰めた空気に、イリアは固唾を飲んだ。
多数決の結果、お試し期間を設けることが決まった。次の問題は、その一週間を誰の派閥で過ごすのかだ。
というのも、十一魔賢は多忙を極めるため、一人の候補者に一週間ずつ時間を割く余裕はないらしい。
ゾラが糸目を細めて奇妙な笑みを浮かべると、ゆったり口を開く。
「では、彼を自分の派閥に置きたい者は挙手を」
四人が手を挙げると、リズは顔を歪めて吐き捨てた。
「処分に賛成してた人が二人も手を挙げてるのはどういう冗談なの?」
リズ、ゾラ、ローズに加えてニケが手を挙げていた。しかし、彼がイリアに向ける瞳は鋭く、全く友好的に感じられない。
「俺はまだ反対だよ。でも、決まっちまったんなら仕方ねぇだろ。何かあった時に俺が対処できた方がいいから選ぶ。それだけだ」
「まぁ、そういう考え方もあるだろう。最終的に決める権利は彼自身に与えられている。それに、そもそもニケが選ばれるかも分からないのだから、そこまでリズが思い悩む必要もないんじゃあないかな」
ゾラがそう言い切ると、リズもそれ以上口を開くことはなかった。
「公平に、くじ引きにて決めるということでいいかな?」
四人が首を縦に振ると、ゾラが器用に魔法でくじを作り出した。全員が引き終わると、再びゾラが口を開く。
「一番を引いた者は、本日より一週間彼を自分の派閥で預かることになる。それで、一番は誰だい?」
ゾラが呼びかけると、鮮烈な赤髪を揺らした女性がイリアの前でちょこんと腰を曲げた。
「……私よ。よろしくね……」
以前、イリアの処分に反対していた女性だ。茨のように広がる髪が、イリアの視界をいっぱいに覆った。ローズがそれを手で押さえつけると、再び視界が開けていく。
「ごめんなさいね……早く連れて帰りたくて」
獲物を狙うような視線に、イリアは思わず後退した。リズが口を開こうとするのをゾラが止めると、別の方向から声が上がる。
「ローズ。欲しいからってあんまり攻めすぎると嫌われるわよ。子供が好きなのはいいけど、押し付けるだけで振り向いてもらえるわけないじゃない」
エリザに、周囲の視線が一斉に集まった。エリザのそばに座っている修道女の額には汗が滲んでいる。
「……嫌われるって、今、そう言ったの?ねえ、私のこと嫌いになった?」
ローズが、イリアの眼前まで顔を近づけた。色素の薄い瞳からは、先ほどまでの穏やかさが消えている。その刺々しい圧に、イリアの背筋が凍った。
「なってないです」
咄嗟にそう答えると、ローズの髪が勢い良く伸びていき、エリザの頬を掠った。エリザの頬からぽたりと血が流れ出るのを見て、イリアは言葉を失う。
「……エリザちゃんのことは嫌いじゃないけど、嘘はダメよ。じゃあ、行きましょうか……」
ローズに手を握られると、一瞬で視界が切り替わった。転移魔法だ。茨の道の先には、大きなお屋敷が聳え立っている。
「……名前、教えて?」
「……イリアです」
屋敷の前まで来ると、十歳ほどだと思われる少年少女が虚な瞳でローズを出迎えた。人間味のない冷たい表情に、イリアは指先が冷えていくのを感じる。
「お帰りなさいませ、お母様。お客様でしょうか?」
「……ただいま。イリア君は新しい家族よ。あなたたちのお兄ちゃんだから、仲良くしてね……」
家族という言葉が、やけに重々しくイリアにのしかかってきた。どうやら、ローズは一週間のお試し期間で終わらせる気がないらしい。屋敷の中を歩いている途中にも、掃除をしたり、洗濯をしたりとせかせか働いている子どもの姿があった。
部屋の前に着くと、ローズがゆっくり扉を開けてイリアを手招きする。
「……ここが、イリア君の部屋よ。欲しいものがあったら、何でも用意するから気軽に言って……」
あまりに広すぎる部屋に、イリアは目を見開いた。大人が三人寝ても余るほど大きなベッドや、荘厳なシャンデリアは部屋を華やかに彩っている。
「……あの、ローズさん。僕はこれから何をすればいいんですか?」
「お母様って呼んで……」
殺伐とした瞳に気圧されて、イリアは身体を強張らせた。ローズは、イリアがそう呼ぶのを待ち続けるように、視線を一瞬たりとも逸らさない。
「お、お母様」
「……基本的には、私の仕事について来てもらうことにするわ。何があっても、お母様が守ってあげるから安心してね……」
狂気的な笑みを浮かべると、ローズは一旦部屋を後にした。入れ替わりで、小さな子供が数人部屋に入ってくる。
「お兄様、お召し物をご用意しました。それと、お母様から散髪するように指示を受けたので、微力ながら僕たちがお兄様の御髪を整えさせていただきます」
子どもたちは、慣れた手つきで床に布を敷いていった。イリアを椅子に座らせ、首元にタオルを巻く。小さな手が優しく髪に触れるのをじっと感じていると、あっという間に散髪が終わった。肩より少しばかり伸びていた髪が、ショートヘアに変わっている。
「いかがでしょうか?」
「僕も気になってたから助かったよ。ありがとう」
イリアがリーダーらしき男の子の小さな手を握ると、驚くほどその手は冷たかった。皮膚は硬く、表情一つとして変わらない。
「ご満足していただけたようでよかったです。では、僕たちはこれで失礼いたします」
彼らが出ていった後も、イリアは自分の手を見つめていた。あの子どもたちは、いったい何者なのだろう。人間なのかどうかすら、イリアには判断できなかった。
「……イリア君。準備はできた……?」
扉を開くと、出かける準備を済ませたローズが待ち構えていた。腰に魔法書を一冊下げているだけで、荷物らしい荷物はない。
「はい、できました」
屋敷から離れたところにある町は、活気もあり、人々の笑顔が絶えない場所だ。しかし、ローズが道を歩くと、たちまち辺りは静まり返る。
「茨の魔女様がどうしてここに……」
どこからか、そんな呟きが聞こえてきた。中には、怖がって建物内に隠れる人までいる。一体、何をしたらここまで怖がられるのだろうか。
ローズに視線を向けると、その表情は全く変わっていない。しかし、先ほどよりも髪が落ち着いているように見えた。
「……イリア君。お腹空いてない……?何か欲しいものがあったら何でも買ってあげるわよ……」
ローズが市場を指差すと、店を出していた人たちの額に汗が滲み出た。プレッシャーを感じているようで、イリアは何だか申し訳ない気持ちになる。
「ロー……お母様。何にもいらないです」
イリアがそう言うと、ローズは出店の一つを覗き込んだ。
「……それ、ちょうだい」
ローズがワッフルを指差すと、店主は震える手を抑えながら焼き始めた。甘い香りが辺り一面に漂う。
出来上がりを受け取り、ローズはそれをイリアに手渡した。
「……さっきから甘いものばかり見てたから……好きなんでしょ?」
「……はい。ありがとうございます」
ローズは、イリアのことをよく見ていた。それだけではない。彼女は町を見回っている間も、一人一人の表情や行動に気を配っているように感じられた。
その日は、何事もなく町の見回りを終えた。
屋敷では、ローズが子供たちを集めて絵本の読み聞かせをしている。イリアの視線に気づいたのか、ローズは本を閉じるとこちらに向かって歩いて来た。
「……ちょっと、お話しましょうか。私はまだ、イリア君のことを全然知らないから……」
椅子に腰掛けると、ローズは温かい紅茶をティーカップに注いだ。花が咲くような良い香りが、イリアの鼻腔をくすぐる。
「……イリア君は、何が好きなの?その、食べ物とか趣味とか何でもいいの……」
「えっと、スイーツとか。趣味は、特にないです……お母様は何が好きなんですか?」
「子ども」
直球すぎる返しに、思わずイリアは黙り込んでしまった。聞かなくても、見れば分かることだ。ローズはイリアが何を答えるのか待っているようだったが、しばらくすると自ら口を開いた。
「……あの子たちは、とっても可愛らしくて、愛らしくて、私を母でいさせてくれる大切な存在……。理解できなくてもいいわ……ただ、私は子供たちに大人になるまで幸せに育って欲しいだけだから……」
優しい瞳は、その愛情の深さを体現しているようだった。先ほどまでの狂気が嘘だったように、そこには母親らしい温もりがある。
ローズはイリアの頭に手を置くと、何度も何度も優しく撫でた。
「……この一週間で、好きなものをたくさん見つけなさい。あなたがこれからを生きるための目標を作るの……それが、私がイリア君の母としてしてあげられることよ……」
ローズの声を聞いているうちに、イリアの瞼が徐々に重くなっていく。
──目が覚めると、イリアはベッドの上にいた。
カーテンの隙間から差し込む光に目を細めると、伸びをして起き上がる。しっかり睡眠をとったからか、身体が羽のように軽い。どうやら、ローズと話している最中に眠ってしまったらしかった。
着替えて扉を開けると、小さな子供たちと鉢合わせる。
「お兄様、おはようございます。お母様が朝食にお呼びです」
「分かった」
歩幅が小さい彼らの後ろ姿を見ていると、ローズが言っていた愛らしさが確かに伝わってきた。無意識に頬が緩んでいたのを、一人の子供がじっと見つめている。
「お兄様は、僕たちを見ても気持ち悪がらないんですね。僕たちは……」
何かを言いかけたところで、他の子供たちが彼の口を塞いだ。イリアはしゃがみ込むと、冷たい彼らの身体を抱きしめる。何がしたかったのかは分からない。同情か共感か、イリアにはこの気持ちを表す言葉が見つからなかった。
「……お兄様、苦しいです」
「あっ、ごめん」
咄嗟に腕を離すと、彼らに連れられて大広間に向かった。あまりにも長いテーブルに言葉を失っていると、ローズが自分のすぐそばの席にイリアを手招きする。
「……昨日はよく眠れた?その、お話の途中で眠っちゃったから私が部屋まで運んだのだけれど……んふふ」
口元が嬉しそうに緩んだローズを見ても、なぜか恐怖を感じなかった。昨夜の会話で、彼女のことを多少なりとも知ることができたからかもしれない。
「はい。ありがとうございます」
イリアは朝から気分が良かった。にこやかに朝食を口にしていると、ローズが驚いた顔でイリアをじっと見つめる。その手元では、いつの間にかフォークがぐにゃりと折れ曲がっていた。それを見て、イリアは真顔に戻った。何かを聞きたくてうずうずしているわりに、何も言ってこない。どうやら、イリアに気を遣っているらしい。
「……今日は、お客様がいらっしゃるの。今回もあなたたちに接待をお願いするわ……イリア君も一緒にね……」
「出かけられるんですか?」
「……貴族の男性は苦手なの。私は家にいるけど、終わるまで部屋から出てくることはないから……」
訳ありそうな雰囲気に、イリアは口を閉じた。たくさんの子供たちに紛れて、イリアもせっせと客人を出迎える準備を進める。
ちょうど応接間を整え終わると、扉のベルがリンリンと鳴った。周りに合わせようとしたが、子供たちは一斉にイリアを見つめる。
「僕たちはお客様に嫌われてしまっているので、可能であれば、その……サポートはいたします」
「……っ、分かった!」
幼い子供からの頼みを断れるわけがない。不安な気持ちの中で扉を開くと、落ち着いた雰囲気の男性が薔薇の花束を持って待ち構えていた。年齢は二十代後半ほどだと思われ、爽やかな笑みをイリアに向ける。
「見かけない子だね。君もローズの息子かい?」
「……は、い。」
初対面の人に息子ですと答えるのは気が引けたが、イリアは今彼女の派閥のメンバーであるのだから、そう答えるしかないだろう。
「あぁ、君は人間なのか。揶揄ってすまないね。今日も彼女は出てきてくれない……か」
ローズが彼を避けている理由が少しだけ分かった気がした。イリアが不審な目を向けていると、それに気がついたのか、彼は続けて口を開く。
「客人をもてなす態度じゃないね。これでも、ローズの元夫なんだけどな」
──元夫。
彼は確かにそう言ったのだった。




