第一章第四話「中毒者」
村長の顔が、先生の顔が、あの恐怖に塗れた表情が、ふとした瞬間に思い起こされる。
──僕が殺したに違いない。
それなのに、心はやけに穏やかだ。その不謹慎な感覚が、イリアにとてつもない恐怖を与えた。
「イリア君、開けてもいい?」
扉の向こうから、リズが呼びかける。
「……どうぞ」
リズは袖の長いブラウスに、真っ白な手袋を付けている。長い銀髪を束ね、片側へ流しているせいか、少し大人びて見えた。
「大丈夫? 顔色良くないよ」
「……僕はたくさん人を殺して、あなたも傷つけた。でも、心のどこかではあの暗闇のせいだって、僕は何もしてないんだって考えてる。なんか、僕の中から次第に罪悪感がなくなっていくのが……怖いんです」
床を見つめたまま、イリアは声を震わせた。しばらくの沈黙が続き、リズはゆっくりと口を開く。
「逃げ道は誰にだって必要だよ。それが褒められるようなものじゃなくっても。イリア君の罪は、私の罪でもある。だから、これから少しずつ考えていこう。イリア君が悩んでたら助けてあげるし、また同じようなことになったら止めてあげる」
リズの言葉は、あまりにも眩しすぎる。優しく抱きしめる腕が、温かい体温が、イリアを溶かしていく。それはイリアにとって陽の光であり、花の蜜のような甘さを放っていた。その温かさに、しばらく縋っていたかった。
「……あのねぇ、朝っぱらからいちゃつくのやめてくれない? なかなか降りてこないから来てみれば、こんな光景見せられて最悪よ。酒は出ないし、あなたたちはいちゃつくし、何のために私まで来たのやら」
ぼさぼさの髪をかき上げると、力強い瞳がイリアたちを見つめていた。目の下にはうっすらクマがついており、手がわずかに震えている。
「いちゃ……べっ、別にそういうのじゃないし! 婚期逃したからって、変に当てつけないでよね。お酒だって、飲まない方が身体にいいん」
「はぁ? 私はまだ全然現役よ。見つからないのは『あえて』というか、いい相手が偶然いなかっただけだし。お子様は黙ってなさい」
エリザはリズの声に被せるように言い放つと、部屋を出ていってしまった。イリアが気まずそうにリズに視線を向けると、何事もなかったかのように手を差し伸べる。
「気にしないで、いつもあんな感じだから。じゃあ、朝ごはん食べよっか」
リズに連れられて階段を降りると、甘い香りが漂ってきた。
テーブルにはふわふわのパンケーキとサラダが置かれており、その食欲をそそる見た目に思わずイリアのお腹が鳴る。
「ちょっと冷めちゃってると思うんだけど、どうぞ」
リズからナイフとフォークを受け取ると、イリアは控えめにパンケーキを口に入れた。口の中で溶けていくような不思議な食感に、張り詰めていたものが少し緩む。
魔賢会談の後、リズの家に泊めさせてもらうことになった時はどうなるかと思ったが、昨日よりは明らかに居心地良く感じられた。
「で、問題は一週間を切ってる資格試験なんだけど。過去問三十年分は用意しといたから、ごはん食べ終わったら数年前のやつから解いてみる?満点を取らなきゃいけないから、気が抜けないよね」
自分が付け加えた条件だということをすっかり忘れた様子で、リズは端に寄せてある紙束の山を指差した。三十年分というだけあって、なかなか重厚感がある。
「……魔賢会談の時、どうして一番って言ったんですか?僕は、リズさんに何も教えてないのに」
リズが整った笑顔を歪めると、気まずそうに指をくるくると回し始めた。
「十五歳の時に受ける能力測定の結果を……その、ね。魔法学の知識がある子を探してた時だったから、せっかくなら効率良く探した方がいいでしょ?それで、イリア君の点数が一番高かったから……でっ、でも!イリア君と仲良くなりたいのはそれが理由じゃないよ?」
リズは、真剣な顔つきでイリアの両手を握った。
「もしかしたら職権乱用ってことになるかもしれないから、これは二人だけの秘密ね」
温かみのある雰囲気に反して、約束の内容はひどく現実味を帯びていた。しかし、こうして話していると、リズが十一魔賢であることを忘れてしまいそうになる。イリアが知らない彼女が、話せば話すほど見つかっていくのは新鮮な気持ちだった。
「分かりました。約束です」
イリアが小指を差し出すと、リズがはにかんだような笑顔でそれに応える。気恥ずかしさで、イリアは目を逸らした。
窓から差し込む光が、きらきらと輝いていた。
問題の構成を一通り確認し、イリアは気持ちを切り替える。最近は魔法から距離を置いていたこともあって、正直そこまで自信はなかった。
しかし、いざ紙束と向き合うと集中力が高まっていく。気づいた時には、問題は終盤に差し掛かっていた。
最後の問題を解き終わって顔を上げると、呆然としたリズの顔がすぐ近くにあった。
「あっ、ごめん。記述問題はエリザにまる付けしてもらった方が確実だから、選択問題だけ見ていこっか」
リズが回答用紙に目を通していくのを見て、しだいに緊張感が高まっていく。何かを書いている音が、やけに耳に響いた。
「イリア君、やっぱり凄いね」
答案用紙には、七百点と書かれていた。千点満点のうち、三百点分は記述問題だ。つまり、今のところは満点ということになる。
リズに褒められたからか、心が温かくなっていく。
幸先がいいことは大切だ。イリアは、重苦しい気持ちが少し軽くなった。
「思ったより覚えてて、ちょっと安心しました」
イリアのおでこにぴんとリズの指が弾かれた。リズは浮かない顔で口を開く。
「もっと自信を持っていいんだよ。自信を持つことが、成功の秘訣だから。十一魔賢なんて大半が自信家だし、まずは自分が自分を褒めてあげないと」
「自信……そうですね。ありがとうございます」
リズはまだ浮かない顔で、眉間に皺を寄せてイリアをじっと見つめる。
「あと私、イリア君と同じ十六歳だから。敬語じゃなくてもいいんだけど……」
「……分かった。でも、まだちょっとハードルが高いというか、僕はあんまりそういうの慣れてないから少しずつで」
変に顔が熱くなるイリアは、リズから目を逸らしたり、様子を伺ったりと奇怪な挙動を見せた。
「ん、ふふ……っごめん。なんか面白くって。うん、それでもいいよ」
こんなちょっとしたこともスマートに進行できないことに、イリアは気恥ずかしくなった。しかし、リズが楽しそうだったからか嫌な気分にはならない。
続きの問題でも、イリアは順調に選択問題の満点を連続して出していった。
「じゃあ、日も暮れそうだしエリザを迎えに行こうかな。イリア君もついてきて」
リズの背中を追って歩いて行くと、酒場の前でピンクゴールドの髪が印象的な女性が店主らしき厳つい男の人に引っ張り出されていた。
「リズ!ちょうどよかった。こいつ持って帰ってくれねぇか?飲みすぎて自力で帰れなそうにないんでね」
「そのつもりで来たんだよ。エリザ、大丈夫?」
リズに呼びかけられたエリザは、リズに飛びついてわんわん泣き始めた。
「どうせ私のことなんてどうでもいいと思ってたんでしょ。もっと早く来てくれると思ってたのに……男の方が私より大事なんだぁ。別にいいもん。私だってすぐ結婚するし。そしたらリズが会いたがってもすぐ会えなくなるんだからねぇ」
あまりのギャップにイリアが驚いていると、リズが手慣れた様子でエリザの頭を撫でた。
「そんなことないよ。ずっとエリザのこと気になってたし。私、エリザがいないと色々困っちゃうから。エリザも、私がいないとダメでしょ?」
リズがエリザの顔を撫でると、彼女は涙ながらにこくりと頷いた。
──悪い女だ。
リズを見て、ふとそんな風に思ってしまうイリアがいるのだった。
家に戻ってからも、酔いが覚めていないエリザはリズにべったりだった。
「お風呂入ろうよー、今日は一緒に寝てくれるよねぇ?」
「はいはい。なんでも言うこと聞いてあげるから、後であれのまる付けしてくれる?」
「すりゅー!」
イリアはそっと存在感を薄くして、何も見なかったことにした。
翌朝、朝食に向かおうと階段を降りると、床に顔を突っ伏せた状態でエリザが倒れていた。リズは特に何も気にしてない様子で準備している。
「あの、何かあったの?」
「昨日のこと思い出して恥ずかしがってるだけだよ」
「死にたい……」
エリザがぶつぶつ呟いていた。イリアがその場を無視しようとすると、エリザの手がイリアの足首を力強く掴む。
「昨日は何も見なかった、いいわね?」
「……はい」
朝食の間、エリザはイリアの答案用紙をまじまじと見つめていた。半分以上の答案用紙に千点と書かれている。
「坊や、なんで今まで魔法使い試験を受けなかったの?この点数なら、すぐにでも国家魔法使いになれるわよ」
「……僕の魔力量だと、一日一回の初級魔法が限界なので。何回か受けたことはありますけど、落ちちゃったんです」
リズがエリザの足を蹴ると、エリザは気まずそうに目線を流した。しばらくすると、何かを考えついたかのような顔で口を開く。
「じゃあ、あの魔法書に載ってた魔法って魔力をほとんど消費しないのね。そもそも、あれを魔法の区分に入れていいのか分からないけど」
言われてみれば、確かにそうだ。魔法書は十一魔賢のゾラが預かることになったため、しばらく進展はないだろうと勝手に決めつけていた。
「まぁ、とりあえず今は試験に集中しようよ。魔法書とか諸々のことはその次ってことで」
リズがそう言うと、エリザもこくりと頷く。エリザが十一魔賢の中で二番目に魔法学への理解が深いと聞いた時は少し驚いたが、手直しされている答案は確かに素晴らしいものであった。これでも二番目ということは、やはり十一魔賢は突出した存在なのだろう。その凄さを、イリアは改めて思い知らされた。
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資格試験当日、ついにこの日がやってきた。
エリザは十一魔賢としてかなり名が知れているようで、明らかに悪目立ちしている。試験会場まで歩く道中でエリザの弟子なのか数十人に質問攻めにされたが、リズが全員追い払った。
「どちらかと言えば、イリア君は私の弟子じゃない?」
リズの膨らんだ頬をエリザが人差し指で押すと、ぷしゅーっと空気が抜ける。和やかな様子に、イリアの緊張は少しばかり和らいだ。
「坊や、私が手伝ってあげたんだから頑張りなさいよ」
エリザはリズの目を盗んで、続けてイリアに耳打ちした。
「あとね、もう少し自分のこととして色々受け止めた方がいいわよ。酒も殺人も同じだから」
エリザは優しさで忠告したのだろうが、リズのような甘さは全くない。その苦い言葉は、自分が何故この場にいるのかをすっかり忘れていたイリアの胸に深く突き刺さった。
「……分かってます」
エリザは、イリアの背中を叩いて前へ押し出した。リズも向き直って手を振る。イリアは、二人を背に会場へ足を踏み入れた。
選択問題は自信がある。記述は、エリザならどう書くかを考えて、精一杯答案用紙に書き記した。
この試験一つに人生がかかっているはずなのだが、解いている瞬間だけはそのことを忘れることができた。答案は魔法で一斉に採点され、結果はその場で明らかになる。少し待つと、筒状に包まれた紙が全受験者の前に置かれた。
イリアは中身を見ずに、その場を後にする。
受験会場の前にはいくつか人影があるが、その中から見知った姿を見つけ出した。
「イリア君、どうだった?」
「……まだ、見てない」
「一緒に見てもいい?」
首を傾げるリズを前に、イリアはこくりと頷いた。
紐を解く。右下に大きく書かれた数字を見て、イリアは息を呑んだ。
千点。満点だった。
リズに視線を向けると、当然だと言わんばかりの顔でイリアに晴れやかな笑顔を向けた。
「よかった……本当によかったね。ずっと考えてたの。イリア君が合格したら、どうしようかなーって。これ、あげる」
リズの胸元にあるものよりはスタイリッシュなデザインのブローチが、手の中で輝いている。
「正式に、イリア君を私の派閥のメンバーとして受け入れます。……って言っても、私は今までそういうの募集してなかったから、初めてなんだけどね」
派閥のメンバーに選ばれた人間は、有事の際に十一魔賢と行動を共にする権利が与えられる。
国家魔法使いですらないイリアが選ばれるのは異例の事態だろうが、自分を選んでくれたことが何よりも嬉しかった。
「……ありがとうございます」
翌日、イリアは一週間前とまた同じ場所に来ていた。相変わらずの重苦しい空気感に体が強張る。
「どうしてだろうね。リズが宣言したあの日から、君が満点を取ることを不思議と確信していたんだ。僕は君の存在を認めざるを得ない。他に気が変わった者もいるだろうが、僕の考えが変わった時点で多数決は塗り変わった。しかし、まだ別の問題が残されている」
周囲はざわつき、リズは面倒臭そうな表情を浮かべた。ゾラは、一拍置いて続ける。
「今回の結果を鑑みて、僕は彼を派閥のメンバーにぜひスカウトしたい。他にもそう思った人はいるんじゃあないかな。しかし、ご覧の通り抜け駆けした不届者がいるわけだ。そこで、お試し期間を設けたい。最終的に気が変わらなくとも構わないさ。スカウトする権利は僕達にもあるべきだと思わないかい? ということで、手っ取り早く多数決を取る」
──この時、イリアは思ってもみなかった。この多数決が、イリアの人生を揺るがすものになるとは。
なろうフェスに乗じたいので、五日毎日投稿していく予定です。ストックがないので、投稿時間の変更等はXの方でお知らせしていきます。よろしく!@mikura_reno




