第一章第三話「異端審問」
暗闇を前に、二人の足が止まった。
「リズ、応援を要請しなさい」
言い終わるよりも速く、エリザの姿が消えた。砂埃が遅れて舞い、鋭い剣先が怪物の首元に迫る。
──速い。
けれど、リズは動けなかった。あの怪物を見た瞬間、リズの胸に嫌な既視感が走ったのだ。その姿に見覚えがあったわけじゃない。もっと別の何か──昨日、この場所にいた青年を思わせるような感覚だった。
「悪いけど、死んでもらうわよ」
「エリザ、──やめ」
エリザの剣先が怪物を確実に貫いたと思った瞬間、怪物からとてつもなく禍々しい力が溢れ出てきた。
魔力とは明らかに異なる力が、怪物の身体を強引に強化する。その腕が振るわれた瞬間、エリザの右腕が骨ごと捻じ曲がった。
「──エリザ!」
怪物がエリザの頭に手をかけようとした途端、リズの魔法が炸裂した。
その隙に、エリザは後退する。
「っ……レディには優しくしなさいよ。もう、こんな変な方向に曲げるなんて。リズ、あれはもう人間じゃないわ。回復魔法使いの私が言うんだから、そろそろ覚悟決めなさい」
エリザが自身の右腕に魔力を注ぎ込むと、骨が嫌な音を立てて元の位置に戻った。それでも、彼女の額には薄く汗が浮かんでいる。
「……やだ。助けるつもりがないなら、応援はエリザが呼んできて。戻ってくるまでに、私が一人で終わらせる」
「これだから若者は嫌なのよねぇ。現実と理想の区別ができてない。まぁでも、そこまで言うなら好きにしたら?あなたが死んでも代わりはすぐに見つかるだろうし」
「そうだね、ありがとう」
「……冗談よ、本当に性格悪いわね」
エリザは厳しい目をリズに向けたが、一旦その場を後にした。
禍々しい力に苦しんでいるようにも見える怪物を前に、リズは杖を持つ手に力を込める。イリアと別れた後、何があったのだろうか。もう少し長く居れば。あと数刻でも言葉を交わしていれば、何かが変わったかもしれない。そんな「もしも」が、リズの頭から離れなかった。
「大丈夫だよ。私が絶対に助けてあげるから」
怪物に杖を向けて、リズは晴れやかな笑顔を見せた。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
真っ暗な闇に、呑まれていく。
霞む視界には、うっすらと魔法攻撃を放ち続けるリズの姿が映っていた。イリアは徐々に意識を取り戻したが、身体がやけに重たい。
手も、足も、首すら全く動かなかった。
自分の身体なのに、自分のものではないように感じる。真っ黒な泥のようなものが、身体を覆っていたのだ。
「……何なんだよ、これ」
イリアの周りには血痕が飛び散っており、見知った顔の死体がそこかしこに転がっていた。
仲が悪かった村長も、イリアを真っ先に見捨てた先生も、もう動かない。
中には四肢をもぎ取られ、恐怖を顔に滲ませながら息絶えている人までいる。血生臭い匂いと、グロテスクな光景にイリアは吐き気が抑えられなかった。
「これ、僕がやったのか……?僕が、村の人を。こんなに」
イリアがいくら声をあげても、その声はリズには届かない。それどころか、暗闇をどうすれば止められるのかすら分からなかった。きっと、あの魔法書が原因なのだろう。どうすることもできないイリアは、絶望で崩れ落ちた。
リズは諦めずに魔法攻撃を撃ち続けているが、暗闇はその攻撃を全て呑み込んでしまう。このままでは、リズまで殺してしまうかもしれない。イリアは、少し浮かれていた昨日の自分を呪った。
「イリア君。私ね、もっと君のことが知りたいし、君に私のことをもっと知って欲しい」
リズの声が、遠くから聞こえてくる。
「ちょっと本気出すけど、死んじゃダメだよ」
リズが胸元のブローチを地面に置いて踏みつける。それが粉々に砕けた瞬間、とてつもない魔力が彼女の身体から溢れ出した。
その瞬間、暗闇はとてつもない速度でリズへと押し寄せた。彼女がゆっくり杖を向けると、どろどろとした暗闇はリズの手から腕へと這い上がり、その身体を蝕んでいく。彼女は一瞬顔を歪めたが、呼吸を整えて口を開いた。
「──遍く光よ。その身を焼くことなく、ただ闇のみを灼け。現れよ──世界の門 《ノア・ゲート》」
光でできた翼を持つ馬が、暗闇に噛みついた。
リズの身体から溢れ出した光が形を変え、その背後に巨大な門を描き出す。門から、獅子や竜、鳥──神話に語られる生き物たちが次々と現れる。光の幻獣たちが暗闇を喰らい尽くすと、消滅したはずの暗闇の一部がリズの腕へと吸い込まれていった。
暗闇がイリアの身体の中に収まると、リズは顔色を悪くしてその場にばたんと倒れた。イリアが咄嗟に彼女の身体を支えたが、状態は芳しくなさそうだ。色白な手には、ドス黒いあざが残っている。脈を測ろうとした瞬間、鋭い剣先がイリアの首元に向けられた。
「お目覚めのところ悪いけど、彼女には触らないでもらえるかしら。あれだけ暴れておいて、そんなにケロっとされると怖いのよねぇ」
力強い目つきに睨まれて、イリアはすぐにその手を離した。ピンクゴールドの髪が特徴的な女性の背後には二人の男性が立っている。
「……エリザ、何というか、そのさ。この子、まだ子供なんだから……優しく言ってあげなよ。その、僕みたいな奴に言われたくないだろうけど。ニケだって、そう思うよね?」
細身で猫背が印象的な男性は、イリアを庇うように間に割って入った。自信がなさそうなのが少し気になったが、悪い人には見えない。
「残念だけど俺はエリザに賛成だね。こんなよく分からないものを生かしておいたら碌なことにならねぇだろ。そこんところ、ルイズもリズも優しすぎんだよなー」
イリアとそれほど歳が変わらなさそうな青年は、気持ちの悪いものを見るような目をイリアに向けた。腕を組んで、何かを考えるように指を動かす。
「あんた達の意見は聞いてないわよ。私たちがどう思おうが、この子の処遇は魔賢会談で決められることになるんだから。失礼だけど、自分で立てる?」
エリザはリズの真っ黒な右腕を見て、イリアから数歩距離をとった。あからさまに避けられていることが、少しばかりイリアの胸を締め付ける。
「……はい」
馬車に乗り込むと、沈黙が続いた。エリザはリズに回復魔法をかけ終わると、人形のように眠る彼女を膝に乗せる。その瞳は揺らいでおり、頭を撫でる手には優しさが込められていた。
「……ごめんなさい、僕のせいで。村の人も……リズさんまで」
「坊やをどうするか決めたのはこの子だから、自業自得よ。それに、こう見えて私、あなたのこと全然憎んでないから。借りを作りたがらない子なのに──あんなぶっきらぼうにお願いしてきた時は、嬉しかった。ニケは勘違いしてたみたいだけど、私は坊やには生きててもらわないと困るわねぇ」
エリザの言葉の意味は、よく分からなかった。それでも、張り詰めていた胸の奥が、ほんの少しだけ緩む。
しばらく経つと馬車が止まり、イリアは石造りの重みがある建物へ足を踏み入れた。
「エリザ……その、ずっと動きっぱなしで大丈夫?えっと、何というか。僕がリズのこと背負おうか……?」
「別に大丈夫よ。というか、ルイズはひょろいから安心して任せられないし」
ルイズは壁際に寄って、ぶつぶつと自分の行動の反省会を開き始めた。
こんな呑気な調子で大丈夫なのかとイリアは不安になったが、圧をかけ続けられるよりはマシだ。しかし、重苦しい雰囲気が外からでも伝わってくる荘厳な扉を前にすると、三人の表情は真剣なものに変わった。
「十一魔賢が一人、エリザベート・レヴィ。並びにルイズ・ヒューマー、ニケ・アルスタシス、リズ・ベルベット。以上四名、ただいま到着いたしました!」
扉が開かれると、威厳あふれる十一人の魔法使いがイリアを厳しく見つめた。法廷のような作りになっている部屋の中央に立たされ、まるで見せ物のように衆目に晒される。
「エリザちゃん。その子、まだ子供じゃないの……。こんな風に囲まれて、可哀想に。会議も何も必要ないわ。子供を殺すなんて私の前で言ってみなさい。全員八つ裂きにするから……」
女性が薔薇のような髪を広げて殺意を周囲に示すと、発言しようとしていた人々が黙り込んだ。
「ところで、リズは大丈夫なのかい?僕たちにとっては、そちらの方がずっと重要なことだと思うのだけれど」
青い長髪に櫛を通しながら、糸目の男性がエリザの背中で眠っているリズに目を向ける。
「魔力不足で寝てるだけよ。とは言っても、腕のあざは回復魔法でも無くならなかったし、経過観察しないと何とも言えないけどねぇ」
全員がリズの腕に残った真っ黒なあざに釘付けになる。呪いを彷彿とさせるその見た目に、室内はざわついた。エリザはリズの腕を確認しながら、淡々と告げる。
「今のところ呼吸もあるし、身体にも異常は見られないから安心して。それに、呪いでもない。私はローズと同じで彼を生かす方向で考えてるけど、みんなはどうなのかしら」
「残念だけれど、僕は反対せざるを得ないね。彼のせいで十一魔賢を一人でも失うようなことがあれば、それこそ取り返しがつかない」
青髪を束ねると、男性は糸目をさらに細めた。
「……エリザ。この問題を話し合いで解決するのは、その、多分不可能だよ。ゾラみたいに、反対意見の人も、たくさんいるだろうし。僕も、あの……こういう方法は好まないけど。現実的に見て、多数決で決めるしかない……と思う」
ルイズが小さな声でそう呟くと、周囲は皆首を縦に振った。
多数決。
その言葉が、イリアには妙に現実味を持って聞こえた。逃げ道はなく、周囲を囲む十一魔賢たちの視線が、肌を刺してくる。
まるで裁判だ。
しかし、イリアには、弁明する権利すら与えられていなかった。
「……規定第百二十四条に従う。こいつの処分に賛成する者は挙手を」
ニケが呼びかけると、六人の魔法使いが手を挙げた。
「私の前で手を挙げるなんて……六人。全員、覚えたから。忠告はしたのに、残念だわ」
ローズが杖を持ち上げた瞬間、手を叩く音が二回聞こえた。音の鳴る方へ視線を向けると、エリザに背負われていたリズが、ゆっくりと目を見開く。
「……この話し合い自体、必要ない」
エリザの背中からリズがゆっくりと降りた。可決したと思っていたニケが、面倒臭そうな顔でリズに視線を向ける。
「どこがだよ、ちゃんと多数決は取った」
「そもそも、私一人でも止められたんだから、イリア君はそこまで脅威になり得る存在じゃないよ。十一魔賢全員でかかれば、そのくらい簡単なことでしょ?」
「魔力量が桁違いなお前が全力を出してやっと抑えられた。そんな芸当できるのは、お前とせいぜいローズくらいだろ。次も止められる保証なんて、どこにもねぇんだよ」
「それに、昨日まで彼は普通の人間だった。私がこの目で確認してるから、間違いない」
「それが何だよ。こいつは今人間じゃねぇだろ。村を一つ潰して、魔賢まで殺しかけたんだぞ」
ニケが反抗的な態度を見せると、リズは全く気にしていない様子で続けた。
「彼が手にしてた魔法書。今はどのページも真っ黒になってて読めないけど、これが関係してるんだと思う」
「だから何だよ。魔法書一冊ぽっちでこいつを生かす理由になると思ってんのか?」
「なるよ。だって、この魔法書を読んだのは──彼一人だけなんだから。手がかりはイリア君しかいない。ということで、彼を私の監視下に置くことを提案します……まあ、私の下で保護するってこと。何かあったら、全責任は私が取る」
リズの手に掲げられた魔法書を見て全員が黙り込むと、ゾラが興味深そうにリズを見つめた。
「役立つかどうかは現状計りかねるけどね。理屈は通っているけど、僕には君の我儘にしか聞こえない。それに、魔法書ではない形で今後それが流通する可能性だって十分にあるだろう。彼がそこまで見分けられる確証はあるのかい?」
「イリア君は、オルレ村の中でも一番魔法に詳しい。少なくとも、十一魔賢だけで探すよりは成果が得られる見込みはあるよ」
「資格は?目に見えるもの無しに了承できるほど、僕は優しくない。持っていないのであれば、次の試験で証明したまえ。ちょうど一週間後に、魔法学の資格試験がある。その結果次第では、皆納得するだろう」
リズはイリアをまっすぐに見つめ、それから全員に言い放った。
「うん、それでいいよ。イリア君は満点を取るから」
「……満点?」
思わず心の声が漏れてしまったイリアは、慌てて自分の口を塞ぐ。エリザは呆れたような顔でリズを見ていた。
「イリア君なら取れるでしょ?」
──たった一週間だ。
イリアは、額に汗を滲ませた。




