第四章第三話「キキとシキ」
そっくりな黄赤の髪に、そっくりな碧眼。両親ですら見た目だけでは見分けのつかない双子の姉妹。それが、私たちだった。
唯一違うところと言えば、シキは寡黙で冷淡であるのに対して、キキは人懐っこくてよく笑う。正反対な二人だけれど、互いを支え合って生きていくには十分すぎる二人だ。
「見て、お揃い」
柔らかな笑みを浮かべて、嬉しそうに髪についているクローバーのピン留めを指差すキキをじっと見つめた。
「そうだね」
生まれてきてからずっと一緒で、何気にこの先もずっと一緒の道を歩んでいくものだと思っていた。貴族ではないけれど、両親が共に魔法省の関係者であることもあって、それなりに裕福な生活を送れていた。シキには突出した転移魔法の才能があったし、何も問題はないはずだったのだ。──あの時までは。
「お姉ちゃん」
「何?」
「……やっぱり何でもない」
不器用な笑みを見せたキキを、シキはじっと見つめる。何かを隠していることは一目瞭然だったが、深掘りするのは苦手だ。興味がないわけではないけれど、おしゃべりなキキのことだから、どうせあとで言ってくるだろう。
「お姉ちゃん」
やはり、数刻もしないうちにキキは声をかけてきた。自分と瓜二つの顔は、いつもより少しばかり暗く見える。
「何?」
「私、いつになったらお姉ちゃんみたいに魔法を使えるようになるの?」
「……」
正直に言うと、キキには魔法を扱う素質がなかった。人並みの魔力量があっても、制御できないために魔法を使うことができない。まだ魔力量における欠陥ではなかったこともあり、両親が肩を下ろしていたのを覚えている。努力すれば何とかなる。そう言われてからも、キキの制御能力は変化を見せなかった。
「お姉ちゃん」
「キキが魔法を使えなくても、私が使えるから大丈夫。前もそう言った」
きっと、そういうことではないのだろう。しかしながら、シキには魔法の魅力もそこまで分からなかったし、キキが使えなくたって問題ないと本気で思っていたのだ。シキとキキはずっと一緒にいるのだから。シキがいればキキが困ることはないし、キキがいればシキが困ることもない。
「お父さん、私のせいで魔法省でも居心地が悪いって言ってた。娘がお姉ちゃんだけだったら良かったのにって……言ってたの」
「仕事で疲れてて、思ってもないことを言っちゃっただけだよ。キキがいなかったら、みんな悲しむ」
イスレン王国では、魔法が扱えないことに対する差別的な意識が根付いている。帝国ほどではないものの、扱えるか否かで将来の選択肢が大きく変わるのは確かだ。魔法省に関わる両親ともなれば、それは一層強かった。実の娘にそんなことを言うなんて、人間として死んでいるも同然だ。内心で、ふつふつと怒りが湧き上がる。
今思えば、幼い頃が一番楽しかったのかもしれない。両親は愛想のないシキよりもキキを可愛がっていたし、シキはキキの嬉しそうな顔が見られれば十分幸せだった。目元が少しばかり霞む。哀愁の漂う儚げな雰囲気は、昔のキキとは比べ物にならない。そのせいか、最近両親はキキとシキを見分けられないことがより増えた。
「無理は良くない」
「……お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんみたいになりなさいって」
「キキはキキ。私になろうとしなくても、私はキキのことが好き」
やけに素直で、通りのいい言葉だった。キキは恥ずかしそうに笑って耳を触る。嬉しいときの癖。シキの言葉は、普段から冷淡に見えがちである。もちろん今回だってそのはずなのだが、キキはいつもその言葉を深くから掬い取ってくれるのだ。
「私も、お姉ちゃんのことが大好きだよ」
「知ってる」
きっと大丈夫だ。シキが頑張れば、キキの負担は減っていく。キキには、シキが持っていない良いところがたくさんあるのだから。互いの悪いところを、互いの良いところで補っていくことのできるところは私たちだけの特権なのである。
両親は、シキが良い成果をあげればあげるほど、キキのことを気にしなくなっていった。これで、キキが悪く言われることだってなくなる。最近は明るい様子を見せることも増えているし、いい調子だ。
両親も、本当は悪い人たちではないはずなのだ。
「……お姉ちゃん。久しぶりに、二人で遊びに行きたいな」
「いつ? しばらくお父さんから……いや、いいよ。少しだけなら」
魔法学の勉強を人の倍以上はやらされていたが、そろそろ飽きてくる頃合いだった。キキなりに根を詰めすぎているシキを気遣ってくれたのかもしれない。そう思うと、少しばかり胸の奥が温かくなる。
「今からは?」
「もう夜遅い。明日じゃダメなの?」
「……」
キキは、いかにも納得のいっていないような表情を浮かべてシキをじっと見つめた。わがままを言う時の顔だ。仕方ない。転移魔法で移動すれば、両親に無断外出がバレる可能性も減るだろう。しばらくは真面目に勉強していると思って見にこないだろうし、問題はない。
「ちょっとだけなら」
「うん!」
それは嬉しそうに微笑むキキを見ていると、無愛想な自分も少しばかり口角が上がるような気がする。
「どこに行きたいの? お店はそろそろ閉まると思うけど」
「あのね、ここから少し遠いんだけど。港の方に良い場所があるの。飛べる?」
「それくらいの距離だったら」
目を輝かせるキキの手を取って、シキは港までの正確な距離感覚をイメージする。淡い光に包まれた瞬間、海風が二人の黄赤の髪を揺らした。
「海側だと少し寒いね。ついてきて!」
「はいはい」
寒いと言っていながらも、キキの手はぽかぽかしている。まるで赤子のようだ。
キキに連れられて、海沿いを二人で歩く。夜だからか、他の人は誰もいない。静かな道だ。
「夜になるとね、月の光が海に反射してきらきらするんだよ。綺麗なものを見ると、ちょっとだけ元気が出るの」
「そうだね」
キキの言う通り、水面がきらきらと輝いていた。月明かりが、優しく二人を飲み込んでいく。
「お姉ちゃん。無理してない?」
「してないよ」
「……やっぱり、すごいなぁ」
キキのまっすぐな瞳は、じっとシキの顔を覗き込んでいた。自分と同じ顔であるはずなのに、随分と違って見える。どうして、ずっと気がつかなかったのだろうか。キキは、こんな薄暗い瞳じゃなかった。今はくっきりと見えるクマだってなかったはずだし、上辺だけの笑みを浮かべるような人間ではなかったはずなのだ。
「お姉ちゃんは、私のことどう思ってる?」
「……」
「本当は、ちょっと面倒だって思ってるでしょ。分かるよ。私のために、ずっと頑張って、気を遣って。お姉ちゃんは、そういうの得意じゃないのにね」
そんなことはない。それなのに、すぐに否定できなかった。違う。シキは、キキのために頑張ることを辛いだなんて感じたことはないのだ。
ただ、少し疲れてしまっただけで。面倒だなんて、思ったこともない。
「お姉ちゃん。もう、頑張らないで。私、本当に追いつけなくなっちゃう」
今にも壊れてしまいそうな優しい笑顔が、胸の奥深くに突き刺さった。
「……なんで。私は、キキが頑張らなくてもいいように。どうして、そこまで」
「お姉ちゃんの隣にいたいから。私ね、透明になりたいわけじゃなかった。本当に、私の居場所なんてなくなっちゃったみたいで。今は、ちょっと寂しいなぁ」
声を震わせて微笑むキキの瞳を、まっすぐに見つめることができない。そんなつもりはなかったのだ。そのことは、きっとキキも分かっている。
水面が月の光にあてられて、きらきらと輝いていた。とぷんと、優しい水を打つような音がする。
「お姉ちゃんも、私のこといらないって思ってる」
「思ってない」
「思ってるよ。だから、私のこと見ないフリしたんだ。お姉ちゃんが頑張れば頑張るほど、お母さんもお父さんも私がいらなくなるって分かってたのに」
追い打ちをかけてくる痛みが、胸の奥をぐさぐさと容赦なく傷つけた。痛みと同時に、よく分からない感情がゆっくりと起き上がってくる。我慢しないとダメだ。それなのに、湧き上がった感情は、そう簡単には止まってくれない。
「なんで、そんなこと言うの。私はキキのためを思って、やりたくもないことばっかしたのに。感謝されてもいいくらいのことでしょ? それなのに、どうしてそんなふうに言うの……キキなんて、大っ嫌い」
「……私も、そんなお姉ちゃんなんて大嫌い」
静かな空間に、二つの声が響き渡った。一方の声は、やけに自信なさげに聞こえる。まるで、シキが悪者みたいではないか。大切な人のために頑張った結果がこれならば、どうすれば良かったというのだろう。
「一人で帰って」
そう言い残して、シキは淡い光に身を包んだ。温かい部屋の中で、腰を曲げて座る。膝に顔を埋めて、沈んでいく気持ちをどうにかしようと頭を落ち着かせた。
置いてきてしまった。
歩きで帰ってくるには、少しばかり遠すぎる。それに、この時間に一人で出歩くなんて危ないかもしれない。迎えに戻らなければ。それなのに、わざわざキキのために何かをする気になれなかった。
きっと、大丈夫だろう。
「お姉ちゃん」
もう一度目を開いた時には、窓から朝日が差し込んでいた。すぐさま立ち上がって、隣の部屋の扉を開けてみる。いない。頬を、冷たい汗が伝った。
一瞬で、昨日別れた場所に飛んでいく。何となく、石垣の上から水面を覗き込んだ。足を滑らせて落っこちたのではないかと思ったが、海面にそれらしきものはない。
では、どこに。
色々な可能性がありすぎて、頭の中が酷く混乱していた。もし、キキに何かがあったら。そんな可能性を考えただけでも、胸の奥がとてつもなく締め付けられる。
「お嬢ちゃん、まだこんなところにいたのかい? お家に帰ってお姉ちゃんに謝るんだろう。早く帰ったほうがいいよ」
気さくそうな老婦が、そう声をかけてきた。
「……?」
「あら、よく見ると雰囲気が違うのかい。あの子も言ってたけど、本当にそっくりなのねえ。窓から夜中に一人で歩いてるのを見かけてね、危ないから家に泊めたんだよ。今頃お家に向かっていると思うよ」
その言葉を聞いて、胸の奥につっかえていたものが解けるのを感じた。良かった。
「何があったのか分からないけれど、仲良くするんだよ。あの子は、お嬢ちゃんのことを心配してたんだから」
「はい。ありがとうございました」
姿勢良くお辞儀して、シキはその場から走り出した。今から走り出せば、追いつけるかもしれない。昨日は、互いに少し言いすぎてしまっただけだ。早く胸の中にある後悔の気持ちをすり減らしたい。そうすれば、きっと元通りになれる。
しばらく走ったからか、呼吸が浅い。走り疲れて、頬から伝う汗を袖で拭った。足の筋肉がぴんと伸びているのを感じる。ゆっくりと歩くことにした。まだ朝だというのに、外はなかなか騒がしい。馬車のタイヤが外れて横に倒れているところに、たくさんの人が集まっていた。
大変そうだ。
通り過ぎようとしたところで、シキの足が止まった。横に倒れている馬車のそばに、血溜まりができている。数人のガタイのいい男性が慎重に馬車を引き上げ、下敷きになっているらしき人をゆっくり引き摺り出した。
見覚えのある服が、視界に映った。顔はぐちゃぐちゃになって分からなくなっている。血みどろになった黄赤の髪が、太陽の光に当てられてきらきらと輝いていた。たまにあることだ。だから、馬車の近くを歩くのは避けたほうがいい。
「……ぁ」
見間違いに決まっている。そうだ。少し似ているだけで、そんなわけがない。
足の疲れも構わず、シキは馬車に駆け寄った。血生臭い匂いが漂っている。今さっきの出来事ではない。少し時間が経っているらしい。
ぐちゃぐちゃになった頭をじっと見つめる。酷い勢いで轢かれたのか、四肢も変な方向に折れ曲がっていた。見覚えのある服。見覚えのある手。見覚えのあるピン留めが、バラバラになってそばに散らばっている。
胃から喉元に込み上げてきた生温かい液体を、その場に吐き出した。
違う。
どうしてこうなってしまうのだろうか。何で。石張りの床に、握りしめた拳を何度も叩きつける。
「……なんで。嫌だ。嫌だよ。私のせいで。私が、置いて行ったから……夜に、あんな場所に連れて行ったから……キキの気持ちに、気づいてあげられなかったから……」
声にならない声が、喉の奥から溢れでる。自分の身体の半分を失ったようなぽっかりと空いてしまった感覚は、とてつもなく恐ろしかった。冷たくなったぐちゃぐちゃの身体に手を伸ばす。
「……っ落ち着け! 誰か、この嬢ちゃんを頼む」
力強い男性が、無理矢理その場からシキを引き剥がした。同情するような周囲の瞳に、怒りが湧いてくる。私を見るな。私たちを、そんな目で見るな。近くの教会に引き渡されたシキを、両親が迎えにきた。母親が強くシキを抱きしめた腕は、震えている。腕を回して、優しく背中をさすってあげた。
「……キキの方で良かった」
そんな呟きが聞こえて、瞼がぴくりと震えた。聞き間違い……ではない。確かに、そう言った。この人たちは、何なのだろう。自分は今まで、どうしてこの悪魔たちを信用できていたのだろうか。
「……そこまで、魔法が大事なの?」
シキが乾いた口から言葉を発した瞬間に、全身に血しぶきがかかる。不思議と、ほっとしている自分がいた。
──良かった。やっと死んだ。
女性が、穏やかな笑みを浮かべてゆっくりとこちらに向かってきた。やたら白い服が、鮮烈な赤い血で美しく染め上げられている。明らかに異常な人物であるのに、不思議と興味も湧かない。
「誰?」
「あなたの願いを叶えにきた女神様ですよ」
いかにも胡散臭い様相であるが、心底どうでもいい。今はただ、そっとしておいて欲しかった。
「あなたは、とても可哀想な子ですね。愛情を知らない人の顔です」
偉そうにものを言う彼女の瞳を、シキはじっと見つめた。愛を知らない。そんなことはない。シキはキキに愛されていたし、シキだってキキのことを愛していた。見当違いも甚だしいが、それを顔に出さないようにグッと堪える。
「話が脱線してしまいましたね。あなたにはこれをあげます。あとは好きになさい」
真っ白な手が、シキの左胸に触れた。気持ち悪い感覚が、身体の中に入り込んでくるのが分かる。苦しみのあまりに膝から崩れ落ちてしまったが、抵抗する必要はない。もう、何もかもどうでもいいから。
しばらくして、ゆっくりとその場から起き上がった。壁伝いに、教会の外を目指して歩いていく。ぽっかりと空いてしまった穴を、どうすれば埋められるのだろうか。
キキが死んでも、何気ない日常は続いていくのだろう。あの場所にいた人たちも、この世界も、誰もキキのことを知らない。キキがどんな子で、キキとシキがどれだけ苦しんでいたのかも知らない。
キキの死は可哀想な事故として片付けられ、いずれ忘れられる。そうやって、世界は回っていくのだ。
「お姉ちゃん」
鮮明に残っている明るい声が、耳の奥に響き続けている。失いたくない。私以外の誰かに、キキを知って、愛してほしい。本当はもっと、愛されるべき子だったのだ。すっと、意識が遠のいていくのを感じた。一つだった頭の中に、もう一つの何かが生まれる。
「あれ、何でこんなところにいるんだろう」
キキは、よく分からぬままに教会の中を見渡したのだった。




