番外編【④】「自己暗示」
番外編【①】「昔と今」の内容とつながるお話です。
昼下がりにコーヒーを口にしながら、ローズは手元にあるバレッタをじっと見つめた。イリアからもらった銀製のバレッタには、細かな花の柄が彫ってある。光を受けて煌びやかに輝くそれは、あまりにも眩しい。
「お母様。お髪を整えますね」
「……ええ」
結局、左腕が治ることはなかった。ぽっかりと空いてしまった寂しい左側を見つめながら、子供たちが髪をまとめてくれるのをじっと待つ。義手が届くまでの辛抱だ。そう思うと、少しばかり胸の奥が軽くなる。
手が止まるのと同時に、ローズは鏡に映る自分の姿を見た。丁寧な編み込みの入ったハーフアップ。煌びやかなバレッタが、その真ん中で輝いている。
「……変ね。全然、似合ってないわ……」
色素の薄い瞳。具合の悪そうな、愛想のない顔。そんなローズの容姿は、可愛らしい髪飾りに似合わないような気がしてならなかった。
勝手に気落ちしていると、子供たちが周りに集まってくる。
「お母様、お似合いですよ」
「……ありがとう」
そう言って欲しかったわけではないはずなのに、胸がいっぱいになる。フィルであれば、なんと言っただろうか。可愛らしいと褒めてくれたかもしれないし、あるいはイリアに嫉妬していたやもしれない。
彼は、子供のような我儘を言う人だった。それは今でも変わっていない。
死ぬかもしれないと本気で思うほどの経験をしたこともあり、自覚できるほどローズの心は弱っていた。怖くて、不安で、心細い。こんなに可愛らしい感覚が自分の中にまだ存在したことには驚きだ。
十一魔賢でありながら、あの失態。戦い慣れていないから仕方ないなどと言えるような仕事ではない。それはローズも、よく分かっていた。
ぽっかりと空いた左側を見るたびにあの時の恐怖が思い起こされる。一度した失敗は、二度三度してもおかしくはない。植え付けられたトラウマは、自分を弱くしていくような気がする。ローズはこれからの自分の人生すらも、恐ろしくて仕方なかった。
「お母様、どうかされましたか?」
心配させてしまったらしく、子供たちがローズの顔を覗き込んできた。ローズの魔力をもとに動いている彼らは、仮にローズが死ぬようなことがあれば諸共に死んでしまう。
なおのこと死ぬわけにはいかないのだ。もう二度と、自らのせいで子供を失うことがないように。
「……大丈夫。何でもないわ……」
それは、自分に対して言った言葉でもあった。気を取り直して、ローズは出かけることにする。屋敷から一歩を踏み出すと、優しい風がローズの髪を少しばかり揺らした。そのまま人目につかないように街の路地裏を抜けて、喫茶店に入る。
以前と同じ席に腰掛けて、コーヒーを注文した。十一魔賢であることを選んだ。その選択は、間違いではないはずだ。
自分の前に置かれたコーヒーを口にして、ローズは窓からなんていうこともない景色を見つめる。
この空虚な気持ちをどうにかしてほしい。誰かに、そばにいてほしい。そんなことを思っていると、向かいの席に誰かが腰掛けてきた。思わず期待で柔らかな笑みを浮かべると、驚いたような表情でエリザが目を見開く。
「悪かったわね。お目当ての人じゃなくて」
「……別に。どうして、ここにいるの……?」
「たまたまよ」
普段から酒場に入り浸っているエリザが、たまたま喫茶店に入ることなんてあるわけがない。下手くそな嘘はあまりにも分かりやすかったが、ローズはわざわざそれを指摘しないことにした。きっと、自分を心配しているのだと分かっていたからだ。
「浮かない顔ねぇ。しゃきっとしなさいよ」
「……そんなこと。言われなくても、分かっているわ……」
エリザがローズの頬をむにむにと揉んでくる。されるがままになっていると、エリザがローズのコーヒーを一気飲みして立ち上がった。
「移動するわよ」
エリザに無理やり連れられて入った酒場は、昼時だからか人が全くいない。カウンター席に腰掛けると、強面の筋肉質な店主がこちらをじっと見つめてきた。
「……エリザちゃん。私、あんまりお酒は……」
「潰れたら私が運んであげるわよ。今日はあんまり飲まない予定だから」
木製のジョッキから溢れ出んばかりのワインを見て、ローズは顔を歪めた。仕方なく口にジョッキを運ぶと、まろやかな甘みが広がる。
案外いける。
久しぶりに飲んだワインは、思っていたよりも口に合うような気がした。勢いよくワインを注ぎ込むと、エリザが満足そうな表情を浮かべる。やっとの思いで一杯飲み終わると、すぐさま二杯目を差し出してきた。
「……」
「たまにはいいんじゃない?」
その言葉を聞いて、ローズは一思いにワインを注ぎ込む。少しばかり頭がぼーっとするが、そこまでひどくはない。いつの間にか、カウンターには空になったジョッキがいくつも並んでいた。
「……エリザ。ちゃんと連れて帰れるんだろうなぁ?」
「んーふふ、らいじょーぶよぉ。ねぇローズ?」
「……ええ」
頭が働かない。エリザを頼ろうにも、全く助けにならなそうだ。あんまり飲まない予定ではなかったのだろうか。
無理やりエリザに引っ張られて立ち上がると、ふらふらとした足取りで店をあとにした。いつの間にか日は沈んでおり、あたりは静まり返っている。
「人間なんだから、たまには弱音を吐いてもいいのよ」
柄にもない優しい言葉が、ローズの胸に沁みていく。大人であろうとした。子供に誇れる母親でありたかった。
たくさんの大切なものを背負いこむことの恐怖を今さら実感して怖がっているだなんて、とてもじゃないが目を逸らしたくなるような現実だった。
「……その。私、そろそろ本当に死ぬかもしれないわ……」
「しゃきっとしなさいよ、しゃきっと。あんたが死ぬんだったら、十一魔賢の大半は死んでるわよ」
ローズの額をぺしっと叩いたエリザは、軽い調子で身体にもたれかかってくる。
「……重い」
「はぁ? あんたねぇ、人が励まそうとしてるっていうのに」
「……分かってるわよ。ありがとう……」
心からふと出た言葉は、ローズの気持ちを表すのに十分すぎた。エリザが照れくさそうに目を泳がすと、ローズの手をぎゅっと握って人気のない道を歩き始める。
「……あんまり無理しないでよ。私が今も十一魔賢でいられるのは、ローズのおかげなんだから。いなくなったら、胸糞悪いじゃない」
懐かしい。ローズよりも少し前に十一魔賢の座に就いていたエリザは、正直かなり尖っていた。後から入ってきたというだけで歳上のローズに尊大な態度を取ったり、変ないたずらをしたり、それでも人前ではいい顔を見せようとするのだから散々だ。
ローズからしてみれば、そんなこと可愛らしいものに過ぎなかったのだが。とにかく自由奔放でめちゃくちゃなエリザの後始末が、ローズの仕事だった。
エリザが失敗すると、ローズが怒られる。そんなことは日常茶飯事で、文句を言わずにそんなふうに生活していると、いつの間にかエリザの性格も丸みを帯びていた。
「……ええ。今日は、やけに正直者なのね……」
「酔ってるからじゃない? 酔いが覚めたら、こんなこと言わないわよ」
エリザに手を引かれて歩くのは構わないのだが、向かっている方向がよく分からない。帰り道とは違う方向に、引っ張られていた。
ピンクブロンドの髪が風で靡き、時折ローズの顔に当たる。
「……どこに向かっているの?」
「教会よ」
──何のために?
言われなくとも、この時期に教会と言われればあらかたの想像はつく。今一番知りたくないことが、そこにあるような気がしてならなかった。見たくない。それなのに、現実はローズの気持ちを無視して迫ってくる。
見知った名前が、墓石に刻まれていた。
いざそれを目にすると、胸の奥がずんと沈む。あの時、フィルの言う通りにしていればどうなっていたのだろうか。腕を失うことも、彼との再会がこんな形になることもなかったのかもしれない。
命がなくなるのは、あっという間だ。親しい相手が、つい先ほどまで話していたような相手が、亡くなるのに慣れることなんてない。
「……正直、言うか悩んでたわ。知らされていないように見えたからねぇ」
「……そう」
確かに知らされてはいなかった。あの家族とは縁を切ったも同然の状態だったし、わざわざローズに連絡してくれるようなことはないと分かっていた。知りたくないのに、知りたい。だから、これはきっと必要な痛みなのだ。
どうして今なのだろう。追い打ちをかけるように広がってゆく現実は、ローズの心を締め付けた。
いつの間にか、酔いも覚めている。
「……帰りましょう」
「そうね」
エリザと並んで歩く道は、ローズの心の中を表しているかのように真っ暗で、寂しい。屋敷の前まで来て、エリザがローズの右袖を引っ張った。
「私は、今のあなたが好きよ。後悔なんてしないで」
「……してないわ」
後悔は、していない。ただ、少しばかり行き詰まっているだけなのだろう。命なんて、十一魔賢に限らず誰もが明日にでも失う可能性を抱えている。
今の自分は一人ではない。それだけで十分ではないか。死を身近に感じる日々が、偶然にも続いているだけだ。
エリザの心配するような表情を見ると、まだ折れるわけにはいかないと思えてくる。
「……大丈夫よ。もうちょっとだけ、頑張ってみるわ……」
再びローズは、そう自分に言い聞かせた。
屋敷の中に入ると、子供たちが出迎えてくれる。部屋までゆっくりとした足取りで歩き、再び鏡の前に立った。
可愛らしいハーフアップにまとめ上げられた髪の中心には、煌びやかなバレッタが輝いている。それは、いつものローズをより明るく見せてくれているような気がした。




